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法律記事MONOLITH LAW MAGAZINE

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インド契約法「約因」「損害賠償と違約罰」「免責と補償」の論点

インド契約法「約因」「損害賠償と違約罰」「免責と補償」の論点

インドという巨大市場への進出は、多くの日本企業にとって魅力的な機会であると同時に、法制度という不可視の障壁に挑むことでもあります。日本企業がインドでビジネスを展開する際、最も頻繁に直面し、かつ深刻なトラブルの原因となるのが、契約法制の根本的な違いです。日本のビジネス慣習や民法の常識をそのまま持ち込むと、契約が無効になったり、想定していた賠償が得られなかったり、あるいは予期せぬリスクを負うことになります。

インドの商取引の基盤となるのは「1872年インド契約法(The Indian Contract Act)」です。この法律は、制定から150年以上が経過した現在でも現役の法典であり、英国コモン・ロー(英米法)の強い影響下にあります。大陸法系に属する日本の民法とは、契約の成立要件や救済手段において根本的な思想が異なります。

とりけとらではなく、法体系の思想的相違に根差しています。例えば、日本法では当事者の合意のみで成立する契約変更が、インド法では「対価」がなければ無効とされることがあります。また、日本法では有効な「違約罰」が、インド法では公序良俗に反するとして無効化されるリスクもあります。これらの違いを理解することは、インド事業の成功に不可欠なリスクマネジメントと言えるでしょう。

なお、インドの包括的な法制度の概要は下記記事にてまとめています。

インド契約法の約因:無償の約束が抱える法的リスク

対価の必要性と日本法との相違

日本の民法において、契約は当事者の合意(申込みと承諾)のみで成立するのが原則です。例えば、「技術サポートを無償で提供する」という覚書や、「後で支払う条件で商品を先に渡す」といった約束も、当事者の意思が合致していれば法的拘束力を持ちます。贈与契約(民法549条)も契約の一種として認められており、書面によらない贈与であっても履行が終われば撤回できなくなります。

しかし、インド契約法においては、この日本の常識は通用しません。インド法では、契約が法的拘束力を持つためには、合意に加えて「約因(Consideration)」が存在しなければなりません。約因とは、ラテン語の Quid Pro Quo(何かに対する何か)に由来する概念であり、「約束に対して提供される何らかの価値ある対価」を指します。インド契約法第25条は、「約因なくなされた合意は無効である(An agreement made without consideration is void)」と規定しています。

つまり、対価を伴わない一方的な約束は、インドでは原則として契約として成立せず、裁判所で履行を強制することができません。日本企業がインドのパートナーに対し、ビジネス上の友好関係維持のために「無償での追加支援」や「権利放棄」を安易に約束することは、法的には無効な合意を結んでいるリスクがあるのです。

以下の表は、日本法とインド法における契約成立要件の主な違いを整理したものです。

比較項目日本民法(大陸法系)インド契約法(コモン・ロー系)
契約の成立要件当事者の合意(申込み+承諾)のみで成立する諾成契約が原則合意に加え、約因(対価)が必須
無償の約束贈与契約として有効。書面等の形式も原則不要(撤回制限はある)原則として無効(Nudum Pactum)。法的拘束力を持たない
契約の変更合意のみで変更可能変更契約にも新たな約因が必要となる場合がある

約束者の希望という厳格な要件

インド法における約因の定義は非常に厳格です。インド契約法第2(d)条によれば、約因は「約束者の希望(desire)に基づいて」なされた行為や不作為でなければなりません。第三者が勝手に行った行為や、受贈者が自発的に行った行為は、たとえ相手に利益をもたらしたとしても、契約の有効な約因とは認められないのです。

この原則を明確に示したのが、1880年の古典的判例 Durga Prasad v. Baldeo です。

判例名Durga Prasad v. Baldeo (1880) 3 All 221
事案の概要原告は、地域の行政官(Collector)の命令(希望)により市場を建設した。その後、その市場に入居した被告(テナント)は、原告に対して市場建設の対価として売上の一定手数料を支払うと約束したが、支払いを拒否した。
判決の結論裁判所は原告の請求を棄却し、契約は無効であると判断した。
理由市場の建設は「行政官の希望」によってなされたものであり、「被告(約束者)の希望」によってなされたものではない。したがって、過去の建設行為は、被告の支払い約束に対する有効な約因とはなり得ない。

この判例から、重要な教訓が得られます。例えば、日本企業がインド政府や州政府の要請で行ったインフラ整備や先行投資を根拠に、民間パートナーに対して有利な契約条件を求めたとしても、その行為がパートナー自身の「明確なリクエスト(desire)」に基づいていなければ、それを対価とする契約は無効とされる可能性があるのです。

例外としての「自然の愛情」とその限界

「約因なき合意は無効」という大原則に対し、インド契約法第25条(1)は例外を設けています。(1)書面により、(2)登録され、(3)近親関係(Near Relation)にある当事者間で、(4)自然の愛情(Natural Love and Affection)に基づいてなされた合意は、約因がなくても有効となります。

しかし、ここにも日本人が陥りやすい罠があります。「近親関係(家族やグループ会社)」であれば自動的に「愛情」が認められるわけではありません。これを明確にしたのが Rajlukhy Dabee v. Bhootnath Mookerjee (1900) の判決です。

この事案では、不仲により別居することになった夫婦間で、夫が妻に生活費を支払うという合意書が作成され、正式に登録もされました。しかし、裁判所は契約を無効と判断しました。その理由は、合意書の文面に二人の間の度重なる喧嘩や不一致について言及されており、そこから二人の間には「自然の愛情」が存在しないことが読み取れたからです。愛情という前提を欠くため第25条(1)の例外は適用されず、約因がないため合意は無効とされたのです。

Rajlukhy Dabee v. Bhootnath Mookerjee (1900) 4 CWN 488 の判決に関する情報は、以下のURLで確認することができます。

参考:Rajlukhy Dabee v. Bhootnath Mookerjee(約因の例外と「自然の愛」)

同族経営(ファミリービジネス)が主流のインド企業との合弁事業等において、オーナー一族間での資産譲渡や権利放棄の契約書が登場する場面があります。その際、「家族間だから無償でよい」という説明があっても、内部対立が存在すれば契約が無効化されるリスクがあることを認識しておく必要があります。

インド契約法の損害賠償と違約罰:契約自由の原則の修正

インド契約法の損害賠償と違約罰:契約自由の原則の修正

裁判所による介入と合理的補償の原則

契約違反(債務不履行)が発生した場合のペナルティについて、日本とインドでは法のスタンスが大きく異なります。日本の民法第420条(賠償額の予定)では、当事者が契約で損害賠償の額を定めた場合、裁判所は原則としてその額を増減することはできません。これは「契約自由の原則」を尊重し、当事者の合意を最優先する姿勢です。

一方、インド契約法第74条は、契約書に定められた金額をそのまま認めるわけではありません。同条は、契約違反の際に支払うべき金額が契約書に明記されている場合でも、被害者は「合理的補償(reasonable compensation)」を受け取る権利を有すると規定しています。ただし、その額は契約書に定められた金額を超えることはできません。

つまり、インド法において契約書に記載された違約金額は、あくまで「請求可能な上限額」に過ぎないのです。裁判所は、実際の損害や状況を審査し、その金額が「合理的」であると認めた範囲内でのみ支払いを命じます。もし、その金額が相手を威嚇して契約履行を強制するための過大な「違約罰(Penalty)」であると判断されれば、その条項は無効となり、実損害の証明が必要となります。

特徴日本民法(第420条)インド契約法(第74条)
条項の性質損害賠償額の予定(Liquidated Damages)と推定される違約罰(Penalty)と合理的補償の境界を裁判所が審査する
裁判所の介入原則として増減額できない(過大すぎる場合は公序良俗違反等の余地あり)合理的な範囲に減額する権限を持つ
請求額契約で定めた額をそのまま請求可能契約額は上限であり、実損害に基づく「合理的補償」のみ認められる
損害の証明不要(損害発生の事実さえあれば額の証明は不要)原則として必要(損害が生じていない場合は請求できない)

損害証明に関する判例法理の変遷

インド最高裁判所は、一連の判決を通じて、この「合理的補償」の解釈基準を精緻化してきました。まず、Fateh Chand v. Balkishan Das (1963) において、最高裁は契約額があくまで裁判所が認定する合理的補償の上限として機能すると判示しました。たとえ契約書に高額な違約金が記載されていても、裁判所が実際の損害を低く見積もれば、判決額は減額されます。

次に、インフラ建設やシステム開発など、損害額の正確な算定が困難なケースにおいて重要な判断を示したのが ONGC v. Saw Pipes Ltd. (2003) です。この判決で最高裁は、損害の算定が不可能または極めて困難な場合において、当事者が契約で定めた金額が「損害の真正な予備的見積もり(Genuine Pre-estimate of loss)」であるならば、原告は具体的な損害額を証明することなく、契約額全額を請求できるとしました。

さらに、Kailash Nath Associates v. DDA (2015) において、最高裁は「そもそも損害(Loss)または法的損害(Legal Injury)が発生していない場合、補償は認められない」という原則を再確認しました。契約違反があったとしても、それによって何の実害も出ていないのであれば、たとえ契約書に違約金の定めがあっても請求は認められない可能性があります。

Kailash Nath Associates v. Delhi Development Authority (2015) 4 SCC 136 の判決に関する情報は、以下のURLで確認することができます。

参考:Kailash Nath Associates v. DDA(違約罰と損害賠償の予定に関する重要判例)

実務上の留意点

日本企業がインド側と契約を結ぶ際、「違反したら一律〇〇ルピーを支払う」という単純な条項は、「Penalty」として無効化されるリスクが高いと言えます。実務上は、”Penalty”という言葉を避け、”Liquidated Damages”を使用すること、そして条項内に「本金額が損害の真正かつ合理的な見積もりである」旨を明記することが重要です。また、固定額ではなく、遅延期間や違反の程度に比例する計算式を採用することで、懲罰的性質を否定しやすくなります。

インド契約法の免責条項と補償:法定定義の狭さと衡平法による拡張

第124条の限定的な定義

契約書における「補償(Indemnity)」条項は、リスク分担の要です。しかし、インド契約法第124条における補償の定義は、日本法や英米法の一般的な理解よりも限定的です。同条は、補償契約を「約束者自身または第三者の行為によって生じた損失」から相手方を守る約束と定義しています。

この条文を厳格に解釈すると、補償の対象は「人間の行為」に起因する損失に限られることになります。つまり、火災や洪水などの自然災害や、誰の過失でもない純粋な偶発事故による損失は、文言上、法定の補償定義から漏れてしまう恐れがあります。日本法における一般的な「補償」の感覚で契約していると、ここに大きなリスクの穴が生じます。

Gajanan Moreshwar判決による拡張

この法定の欠陥を埋め、インドの実務を国際的な基準に引き上げたのが、ボンベイ高等裁判所の歴史的判決 Gajanan Moreshwar Parelkar v. Moreshwar Madan Mantri (1942) です。

この事案では、土地のリース権譲渡に伴う建設工事に関連して、被告が原告を免責(Indemnify)すると約束していました。しかし、実際に支払いを求められた際、被告は「原告はまだ実際に金を払っていない(実損害が発生していない)ので、補償義務はない」と主張しました。

裁判所は被告の主張を退け、原告が実際に支払う前に債務を弁済するよう命じました。チャグラ判事は、インド契約法第124条および125条は「網羅的(Exhaustive)ではない」と断じ、法の規定がない部分については英国の衡平法(Equity)の原則が適用されると述べました。これにより、インドにおける補償契約は、条文の制約を超えて広範なリスクをカバーし得ることが確認されました。

Gajanan Moreshwar Parelkar v. Moreshwar Madan Mantri (1942) AIR 1942 Bom 302 の判決に関する情報は、以下のURLで確認することができます。

参考:Gajanan Moreshwar事件(補償契約における権利行使のタイミング)

損害賠償と補償の使い分け

Gajanan判決以降、インドの実務では、契約違反に基づく通常の損害賠償(第73条)とは別に、より強力な救済手段として「補償条項(Indemnity Clause)」を活用することが一般的です。以下の表は、両者の実務的な違いをまとめたものです。

比較項目損害賠償 (Damages under Sec 73)補償 (Indemnity Clause)
発生要件契約違反(Breach of Contract)が必須契約違反だけでなく、第三者の請求、特定の事象など広範に設定可能
損害の範囲合理的に予見可能な損害に限る(間接損害は原則除外)契約で明記すれば、間接損害、逸失利益、弁護士費用まで全てカバー可能
損害軽減義務あり(被害者は損害を減らす努力をしなければならない)原則なし(全額補償が基本)
請求時期実損害発生後責任(Liability)発生時点(Gajanan判決に基づく)

日本企業としては、製造物責任(PL)、知的財産権侵害、税務リスクなどの「偶発債務」については、第73条の損害賠償に依存するのではなく、包括的な補償条項を契約書に盛り込むことが不可欠です。

まとめ

インドの契約法は、19世紀の英国法を基礎としつつ、独立後の独自の判例法理によって進化を遂げてきました。日本企業がインドで成功するためには、以下の3点を契約実務の要諦として理解する必要があります。

第一に、約因の確保です。「無償の合意」はリスクそのものです。ビジネス上の約束には必ず対価を設定し、それが「相手方の希望」に基づくものであることを文書化する必要があります。

第二に、違約金ロジックの構築です。「罰金」による威嚇は通用しません。損害賠償の予定額は、あくまで「損害の真正な見積もり」として論理的に構築し、算定根拠を明示する必要があります。

第三に、補償条項の活用です。法定の補償定義(第124条)は狭すぎます。衡平法の法理を前提に、損害発生前の防御を含む広範な補償義務を契約書で明示的に設計することが求められます。

日本の「阿吽の呼吸」や「信頼関係」を契約の基礎に置くのではなく、コモン・ローの緻密な論理でリスクを言語化し、契約書に落とし込むこと。これこそが、インドという巨大市場におけるビジネスの法的安定性を担保する道と言えるでしょう。

弁護士 河瀬 季

モノリス法律事務所 代表弁護士。元ITエンジニア。IT企業経営の経験を経て、東証プライム上場企業からシードステージのベンチャーまで、100社以上の顧問弁護士、監査役等を務め、IT・ベンチャー・インターネット・YouTube法務などを中心に手がける。

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