オランダの会社法が定めるコーポレートガバナンス

オランダ(正式名称、オランダ王国)におけるコーポレートガバナンスは、日本のそれとは異なる独特の法的・文化的基盤の上に成り立っています。オランダの企業統治は、単なる株主利益の追求ではなく、より広範なステークホルダーの利益を重視する「ステークホルダーモデル」を基盤としています。
本記事は、日本の法律事務所の視点から、オランダの企業統治について、法的枠組みと具体的な実践について詳細に分析し、上場企業だけでなく全ての会社に適用される普遍的な概念と、上場企業に固有の特定の概念に分けて解説します。
この記事の目次
オランダの企業統治における原則
オランダ会社法の基本構造
オランダのコーポレートガバナンスは、成文法典であるオランダ民法典第2編(Dutch Civil Code, DCC)をその中心的な法的源泉としています。この法律は、上場企業か非上場企業かにかかわらず、全てのオランダの有限責任会社(besloten vennootschap, B.V.)および公開有限責任会社(naamloze vennootschap, N.V.)に適用される基本原則を定めています。DCCは、会社の各機関の義務と権限、代表権、利益相反、取締役の法的責任に関する一般的なルールを規定しており、これらの規定の遵守は必要に応じて裁判所を通じて強制される法的拘束力を持ちます。
オランダの会社法は、伝統的に取締役会と監査役会が並立する「二層制」に基づいています。しかし、近年では「一層制」も採用されるようになり、企業は自社の状況に応じてガバナンス構造を選択することができます。
構成 | 責任と役割 | 特徴 | |
---|---|---|---|
二層制 | 経営取締役会、監査役会 | 経営取締役会:日々の経営、戦略策定 監査役会:経営取締役会の監督、助言 | 監督機関が独立しており、客観性が確保されやすい。 |
一層制 | 業務執行取締役、非業務執行取締役 | 業務執行取締役:日々の経営 非業務執行取締役:業務執行取締役の監督 | 経営と監督が単一の機関内で行われ、情報共有が円滑。 |
取締役の役割と法的責任
オランダの会社法において、取締役がその職務を遂行する上で最も重要な指針となるのが「企業利益(vennootschappelijk belang)」という概念です。これは単に株主の利益を最大化するということではなく、会社の事業の「持続可能な成功を促進する」ことにあります。最高裁判所の判例によれば、会社の戦略を決定する際には、株主、従業員、債権者、顧客など、様々なステークホルダーの利益を考慮に入れることが求められます。
取締役には、その職務を遂行する上で「注意義務」が課されており、その義務を怠った場合には、多岐にわたる法的責任を問われる可能性があります。
- 内部責任:会社に対する責任です。取締役は、会社に損害を与えた「不適切な職務遂行」について、個人的に「重大な過失」があった場合に責任を負います。オランダ最高裁は、この「重大な過失(persoonlijk ernstig verwijt)」を、「他のいかなる合理的に行動し、完全に経験を積んだ取締役も行わなかったであろう行為」と定義しています。取締役会が複数の取締役で構成されている場合、職務遂行の不備については連帯責任が原則となります。
- 外部責任:債権者やその他の第三者に対する責任です。取締役は、第三者に対して不法行為を行った場合に責任を問われる可能性があります。例えば、会社がその義務を履行できないことを知りながら、または知るべきであったにもかかわらず、第三者との間で合意を締結した場合などがこれに該当します。内部責任とは異なり、この場合は連帯責任の原則は適用されず、不法行為を行った個々の取締役のみが責任を負います。
- 破産時の責任:これは取締役にとって最も重要なリスクの一つです。破産管財人は、取締役の不適切な職務遂行が破産の主要な原因であった場合、取締役を会社の債務に対して個人的に責任を負わせることができます。ここで特筆すべきは、「不適切な帳簿管理」または「年次報告書の未提出・遅延」があった場合、それが破産の「主要な原因」であると法的に推定されることです。この場合、取締役側に、自らの過失が破産とは無関係であることを証明する責任(挙証責任)が転嫁されます。
- 財政上の責任:取締役は、会社の納税不能を税務当局にタイムリーに報告しなかった場合、未払いの税金債務について個人的に責任を問われる可能性があります。
これらの多層的な法的責任基準は、取締役が会社の財務を適切に管理し、ステークホルダーに対して誠実に行動するよう強力な動機付けを提供します。特に、破産時に不備が自動的に法的推定を生じさせ、個人的な責任につながる可能性がある点は、日本のビジネス関係者にとって注目すべき違いと言えるでしょう。
ステークホルダーと共同決定
オランダのステークホルダーモデルは、単なる理念にとどまらず、法律によって具体的に制度化されています。その最も顕著な例が、従業員が経営に発言権を持つための法定機関である「事業評議会(Ondernemingsraad)」です。
オランダでは、従業員が50人以上いる企業は、事業評議会を設置することが法律で義務付けられています。この評議会は、単なる諮問機関ではなく、法的に強力な権限を有します。
- 助言権(Right of Advice):合併、再編、大規模な投資、事業の閉鎖など、会社の組織に大きな影響を与える重要な経営上の決定については、事業評議会に事前に助言を求める必要があります。この助言は、決定に「実質的な影響」を与えられるよう、意思決定プロセスの初期段階で求められなければなりません。
- 同意権(Right of Consent):就業規則、人事評価制度、労働時間、福利厚生など、特定の労働条件に関する決定については、事業評議会の正式な同意が必要です。この同意なしになされた決定は無効であり、事業評議会はそれを無効化する権限を持ちます。
- 情報提供権(Right to Information):事業評議会は、その職務を適切に遂行するために必要な情報を、雇用主から受け取る権利を有します。
事業評議会が経営上の決定に対して異議を唱え、その助言が完全に受け入れられなかった場合、評議会はアムステルダム控訴院の専門法廷である「企業裁判所(Enterprise Chamber)」に提訴することができます。これは、事業評議会の権限が単なる形式的なものではなく、法的強制力を伴う実効的な手段であることを意味します。
根拠法 | 適用範囲の例 | 違反時の法的効果 | |
---|---|---|---|
助言権 | 事業評議会法第25条 | 合併、事業の売却・買収、組織再編、大規模な投資など | 企業裁判所への提訴が可能。裁判所は決定の取り消しを命じることができる。 |
同意権 | 事業評議会法第27条 | 就業規則、報酬制度、年金制度、勤務時間、安全衛生など | 決定が無効化され、その結果も無効となる。 |
情報提供権 | 事業評議会法第31条 | 事業運営全般に関する事項 | なし |
さらに、特定の規模を超える企業には、従業員の利益がガバナンス構造に深く組み込まれる「大規模会社制度(Structuurregime)」が適用されます。この制度は、以下の3つの基準を3年連続で満たす企業に強制適用されます。
- 発行済資本および積立金が1,600万ユーロ以上。
- 法的に事業評議会を設置している。
- オランダ国内で100人以上の従業員を常時雇用している。
この制度が適用されると、会社のガバナンス構造は大きく変化します。まず、監査役会を設置することが義務付けられます。最も重要な変更点は、経営取締役の選任・解任権限が、株主総会から監査役会に移ることです。さらに、事業評議会は監査役会の構成員の3分の1を推薦する権利を持つため、従業員が経営トップの選任に間接的に影響力を行使できるようになります。
企業紛争解決のためのシステム
オランダの企業統治の健全性を保つ上で、企業紛争を専門的に扱う「企業裁判所(Ondernemingskamer)」の存在は不可欠です。アムステルダム控訴院の専門法廷であるこの裁判所は、株主間の紛争、取締役会の責任、少数株主の保護など、会社法に関連する問題に特化した管轄権を有します。
企業裁判所が持つ最も強力なツールの一つが「調査手続(enquêteprocedure)」です。これは、特定の持株比率を持つ株主が、会社の経営に「不適切な管理」があったかどうかの調査を企業裁判所に申し立てる手続です。調査の結果、「不適切な管理」が認められた場合、企業裁判所は広範な介入権を行使することができます。
- 経営取締役会や監査役会の決定を停止または無効化する。
- 経営取締役または監査役を停職または解任する。
- 臨時の取締役を任命する。
これらの強力な権限は、経営陣の行為に対する強力な抑止力として機能し、ステークホルダー全体の利益を保護するための安全装置としての役割を果たしています。また、特定の公共の利益を理由として、検察庁がこの手続を開始することもあり、企業の社会的影響力が増大するにつれて、司法による監督の重要性が増していることがうかがえます。
オランダの上場企業に固有の概念

「コンプライ・オア・エクスプレイン」制度
上場企業のコーポレートガバナンスは、法定の枠組みに加えて、独自の自主規制システムによって支えられています。「オランダ・コーポレートガバナンス・コード(Dutch Corporate Governance Code)」は、市場参加者自身によって策定された、上場企業向けの原則とベストプラクティスをまとめたものです。
このコードの中核をなすのが、「コンプライ・オア・エクスプレイン(Comply or Explain)」の原則です。上場企業は、コードの規定に「従う(Comply)」か、または従わない場合はその理由を「説明(Explain)」しなければなりません。この説明は、企業の年次報告書またはウェブサイトで公開され、十分に論理的な根拠に基づいている必要があります。この制度は、画一的な規制を強制するのではなく、各企業がそれぞれの事情に応じて柔軟に対応することを可能にしつつ、説明責任を通じて市場の監視下に置くことで、実効性を確保しています。
近年、コードは持続可能な経営課題に対応するために定期的に改訂されています。2016年の改訂では「長期的な価値創造」がより重視され、ボードがこの責任を負うことが明確化されました。そして、2025年からは、リスク管理に関する声明(VOR)の統合が適用されます。これにより、企業は取締役会報告書の中で、内部リスク管理および統制システムがサステナビリティ報告に重大な誤謬がないことについて「少なくとも限定的な保証」を提供していることを明記することが求められます。また、この改訂は、欧州の新たな法令である企業サステナビリティ報告指令(CSRD)や企業サステナビリティ・デュー・ディリジェンス指令(CSDDD)との整合性を図るための技術的調整も含まれています。
公開企業と買収防衛策
オランダのコーポレートガバナンスは、敵対的買収に対する独特で効果的な防衛策を特徴としています。その最も代表的なものが、財団(Stichting)を利用した買収防衛策です。
- 財団(Stichting)の特性:オランダの財団は、株主や会員を持たない、目的達成のためだけに設立されるユニークな法人格です。この特性から、財団の役員は株主に対して受託者責任を負わず、その組織の定款で定められた目的に従って運営されるだけで済みます。
- 「ポイズン・ピル」としての防衛策:上場企業は、自社に友好的な「保護財団(Protective Foundation)」に対し、優先株式を発行する権利を付与するコールオプション契約を締結することが一般的です。敵対的買収の脅威が発生した場合、この財団はコールオプションを行使し、優先株式を額面価格で取得します。この結果、財団は過半数(50%以上)の議決権を確保し、他の全株主の持分を希薄化させ、敵対的買収者が支配権を握ることを効果的に阻止します。
オランダの判例法は、これらの買収防衛策の合法性を認めています。ただし、その防衛策は、会社の「継続性と全てのステークホルダーの利益」を保護するために必要であり、かつ、買収の脅威に対して「適切かつ釣り合いの取れた(adequate and proportionate)」ものである必要があります。米国デラウェア州法下の「レブロン義務」が、買収状況下で取締役会に株主への最高価格の獲得を求めるのに対し、オランダの取締役会は、会社の事業の持続可能な成功という広範な企業利益を考慮することができます。この財団を用いた買収防衛策は、まさしくこの「企業利益」という哲学を敵対的買収の文脈で具体的に実現する法的ツールであると言えます。
まとめ
本報告書は、オランダの企業統治が、単なる形式的な規則の集合体ではなく、「ステークホルダーモデル」を中核とする、深く統合された動的なシステムであることを示しました。このシステムは、法定の基盤、従業員と経営者の共同決定を促す事業評議会、そして裁判所による強力な監督機能を通じて、企業の長期的な成功と社会的責任のバランスを追求しています。
オランダの企業統治における特徴は、日本との比較において、いくつかの重要な示唆を与えます。
オランダの傾向 | 日本の傾向 | メモ | |
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意思決定 | 経営者が合理的な説明責任を負う。 | 階層的で、より完全な合意形成を志向。 | オランダでは、経営者の意思決定のプロセスと論理がより重視される。 |
ステークホルダー | 法律に基づき、事業評議会が経営に法的影響力を持つ。 | 慣習的・非公式な労使協議が主流。 | オランダ進出時には、事業評議会の法的権限を理解し、そのプロセスに適切に対応する必要がある。 |
司法の役割 | 企業裁判所が企業経営に介入する広範な権限を持つ。 | 司法の介入は限定的。 | 紛争発生時、専門裁判所が迅速かつ強制力のある解決を図る可能性がある。 |
オランダへの事業展開を検討する日本企業は、このステークホルダー重視の法制度と、それに伴う経営陣の法的責任基準を深く理解することが不可欠です。特に、事業評議会との関係構築、そして買収防衛策を含む上場企業に固有のガバナンス構造は、日本企業が直面する可能性のあるリスクと機会を形成する上で重要な要素となります。オランダの強固な法的枠組みと柔軟な自主規制の組み合わせは、透明性と説明責任を重視する現代の企業経営において、国際的なベンチマークとなり得るモデルです。
カテゴリー: IT・ベンチャーの企業法務