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法律記事MONOLITH LAW MAGAZINE

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インドの法体系と司法制度を弁護士が解説

インドの法体系と司法制度を弁護士が解説

急速な経済成長を遂げるインド(正式名称:インド共和国)は、巨大な市場ポテンシャルと豊富な人材を背景に、日本企業にとって不可欠なビジネスパートナーとしての地位を確立しています。しかし、その市場への参入や事業拡大を検討する経営者や法務担当者が直面する最大の障壁の一つが、極めて複雑かつ独特な論理で動く「法制度」です。日本の法制度は明治期にドイツやフランスの大陸法(シビル・ロー)を範として整備されており、六法全書に代表される成文法(コード)が法の主要な源泉です。対して、インドは英国植民地時代に導入された英米法(コモン・ロー)の伝統を色濃く受け継いでいます。この根本的な法体系の相違は、契約書の解釈から労務管理、紛争解決に至るまで、あらゆるビジネス局面に影響を及ぼします。さらに、インド法務を難解にしているのが、憲法に基づく厳格な「連邦制」と、それに伴う法の重層構造です。日本では全国一律の規制が適用される事項であっても、インドでは州ごとに全く異なる規制が存在することが珍しくありません。加えて、近年のインド司法は、ビジネス環境の改善を目的とした「商業裁判所法(Commercial Courts Act)」の制定や、「国立会社法審判所(NCLT)」の権限強化など、矢継ぎ早に改革を進めています。

本記事では、インド法務の根幹を成す「コモン・ローと判例法の拘束力」、複雑怪奇な「連邦制下の立法権限」、そして日本企業が最も警戒すべき「紛争解決と司法制度の最新動向」について、具体的な条文と重要判例に基づき、詳細かつ網羅的に解説します。これは、単なる概説ではなく、インドで事業を展開する経営者および法務担当者が、法的リスクを正確に予測し、戦略的な意思決定を行うための羅針盤となることを目指したものです。

コモン・ロー体系におけるインド「法」:判例法主義と先例拘束性

日本企業の法務担当者がインド法に触れた際、最初に戸惑うのが「条文が見当たらない」あるいは「条文の文言だけでは結論が出ない」という事態です。これは、インドがコモン・ロー(Common Law)の国であり、判例法(Case Law)が成文法と同等、あるいはそれ以上の重みを持つことに起因します。日本の法制度、いわゆるシビル・ロー(大陸法)においては、法典(コード)が第一次的な法源であり、裁判所の役割は条文の解釈適用にあります。もちろん日本でも判例は実務上重要ですが、法形式的には、判決はその事件限りの解決であり、将来の事件を法的に拘束するものではありません。

これに対し、インドの法制度においては、過去の裁判所の判決(先例)が、将来発生する類似の事件に対して法的拘束力を持つという「先例拘束性の原理(Stare Decisis)」が採用されています。この原理は、単なる慣習ではなく、インド憲法によって明確に裏付けられた憲法上の原則です。

インド憲法第141条と最高裁判決の絶対性

インドにおける判例法の拘束力について、最も重要な法的根拠となるのがインド憲法第141条です。同条は以下のように規定しています。

The Constitution of India, Article 141:

“The law declared by the Supreme Court shall be binding on all courts within the territory of India.”

(インド最高裁判所によって宣言された法は、インド領土内のすべての裁判所を拘束する。)

参考:インド憲法第141条(最高裁判所の判決の拘束力)

この条文が持つ意味は極めて重いと言えます。日本であれば、最高裁判所の判決であっても、それは「判例」として尊重されるにとどまりますが、インドにおいては、最高裁判所が判決の中で示した法解釈や原則は、「Law(法)」そのものとして扱われます。つまり、国会が制定した法律(Act)と同等の効力を持ち、インド全土の高等裁判所(High Court)や下級裁判所を法的に拘束します。

したがって、日本企業がインド法のリスク分析を行う際は、制定法を確認するだけでは不十分であり、最高裁判所がその条文をどう解釈したか、あるいは条文の空白を埋めるためにどのような原則を宣言したかという、最新の判例(Precedent)を調査することが不可欠となります。条文上は合法に見える行為であっても、最高裁の判決によって違法と判断されるリスクが常に存在するためです。

「判決理由(Ratio Decidendi)」と「傍論(Obiter Dicta)」の峻別

先例拘束性の原理を実務で適用する際、極めて重要になるのが、判決文のどの部分が拘束力を持つのかという点です。インドの法的実務において、拘束力を持つのは判決の結論を導き出すために不可欠な論理的核となる「判決理由(Ratio Decidendi)」のみであり、裁判官が補足的に述べた意見や感想、あるいは仮定の話である「傍論(Obiter Dicta)」には法的拘束力がありません。

例えば、ある契約紛争において最高裁が「本件契約の解除は無効である」という結論を出したとします。その結論に至る過程で「契約書第X条に基づく通知は、書留郵便で行われなければならない」という論理が展開され、それが結論の基礎となっていれば、これはRatio Decidendiとして後の事件を拘束します。しかし、同じ判決文の中で裁判官が「もっとも、もし当事者が電子メールでの通知に事前に合意していたならば、結論は異なったかもしれない」といった仮定の話を述べた場合、それはObiter Dictaに過ぎず、将来の事件で裁判所を拘束しません。

日本企業が現地の弁護士(Advocate)から意見書(Legal Opinion)を取得する際、その根拠として挙げられている判例が、事案の核心部分(Ratio)に基づいているのか、単なる傍論(Obiter)に基づいているのかを見極めることは、法的安定性を確保する上で極めて重要です。現地の弁護士が有利な結論を導くために、あえてObiter Dictaを引用してくる可能性もあるため、法務担当者としてはその判例の射程範囲を慎重に検討する必要があります。

司法規律と判例変更の厳格さ

先例拘束性は、法的安定性と予測可能性を担保するための装置です。したがって、下級裁判所や、最高裁判所の少人数の構成(Bench)が、過去の確立された判例を軽視することは「司法規律(Judicial Discipline)」の観点から厳しく戒められています。

2025年、インド最高裁判所は Gayatri Balasamy v. M/s ISG Novasoft Technologies Limited (2025 INSC 605) において、仲裁裁定に対する裁判所の介入権限について重要な判断を下しました。この事案では、過去の判例(McDermot International Inc. case 等)が仲裁裁定の修正を認めていなかったことに対し、新たな解釈が必要かどうかが問われました。最高裁は多数意見として、特定の条件下で裁判所による修正権限を認める判断を下しましたが、これは過去の判例との整合性を慎重に検討し、詳細な論理構成を経た上でのものです。

参考:インド最高裁判所:主要判決の要約(Landmark Judgment Summaries)

また、2025年に注目された別の事例として、ボンベイ高等裁判所が最高裁判所の過去の判例(Godrej & Boyce Mfg. Co. Ltd. case)に従わずに判決を下したことに対し、最高裁判所が「司法規律の欠如」として強く叱責し、高等裁判所の判決を破棄した事案があります。最高裁はこの中で、「Stare decisis et non quieta movere(決定されたことに従い、平穏なものを動かさない)」というラテン語の格言を引用し、先例拘束性は法の下の平等を守るための防波堤であると強調しました。この事例は、インドにおいて最高裁判例がいかに絶対的な効力を持つかを如実に示しており、日本企業にとっては、最新の最高裁判決を常にフォローアップすることの重要性を示唆しています。

インド連邦制の核心:立法権限の三層構造と「コンカレント・リスト」の罠

インド連邦制の核心:立法権限の三層構造と「コンカレント・リスト」の罠

日本は単一国家であり、国会が制定した法律は原則として全国一律に適用されます。北海道から沖縄まで、労働基準法や会社法の内容が変わることはありません。しかし、インドは「連邦制(Federal System)」を採用しており、立法権限が連邦政府(Union)と州政府(State)に厳格に分配されています。この権限分配のルールは、インド憲法第246条および第7付則(Seventh Schedule)に規定されており、以下の3つのリスト(List)によって管理されています。

憲法第7付則における3つのリスト

  1. 連邦リスト(List I – Union List)
    連邦議会(Parliament)のみが排他的な立法権限を持つ事項です。これには、国防、外交、鉄道、銀行、通貨、航空、原子力、特許・商標等の知的財産権、所得税(農業所得を除く)、会社法などが含まれます。全100項目近くに及ぶこれらの分野は、インド全土で統一的な法規制が適用されるため、日本企業にとっても比較的把握しやすい領域と言えます。例えば、デリーで設立した現地法人の会社法上の義務は、ムンバイやバンガロールでも基本的には同一です。
  2. 州リスト(List II – State List)
    州議会(State Legislature)のみが排他的な立法権限を持つ事項です。警察、公衆衛生、農業、土地(Land)、地方自治、州内の商業、酒類規制などが含まれます。特に日本企業にとって注意が必要なのは「土地」が州リストに含まれている点です。工場の建設用地取得や不動産開発を行う際、土地の用途変更(Conversion of Land Use)や取得手続き、印紙税(Stamp Duty)などは州によって全く異なる規制が存在します。タミル・ナードゥ州での土地取得ノウハウが、グジャラート州やマハーラーシュトラ州では全く通用しないという事態が頻発するのはこのためです。
  3. コンカレント・リスト(List III – Concurrent List)
    連邦と州の双方が立法権限を持つ事項です。契約法、刑事法、労働法、倒産法、民事訴訟手続、電気、森林保護、教育などが含まれます。このリストこそが、インド法務における最大の「罠」となり得る領域です。なぜなら、同じ事項について連邦法と州法が併存し、場合によっては内容が矛盾する可能性があるからです。

コンカレント・リストにおける「矛盾(Repugnancy)」と大統領の同意

コンカレント・リストに含まれる事項(例えば労働法)について、連邦法と州法の内容が矛盾した場合、どちらが優先されるのでしょうか。インド憲法第254条は、原則として連邦法が優先する(Doctrine of Repugnancy)としています。これを「連邦法優位の原則」と呼びます。

しかし、ここには実務上極めて重要な例外規定(Article 254(2))が存在します。もし、ある州が制定した法律が、既存の連邦法と矛盾・抵触する場合であっても、その州法が「大統領の同意(Presidential Assent)」を得ていれば、その州内においては州法が連邦法に優先して適用されるのです。

この仕組みは、ビジネス実務において極めて深刻な影響を及ぼします。日本企業が「インドには〇〇という連邦法があるから安心だ」と考えていても、進出先の州が独自の修正法(State Amendment)を制定し、大統領の同意を得ていれば、連邦法とは異なるルールが適用されることになるからです。特に労働法や契約法の分野では、州ごとの修正が頻繁に行われており、事前のローカル・ルール確認が不可欠です。

ケーススタディ:ラジャスタン州における労働法改革

この連邦制の複雑さと、州による独自改正の影響力を象徴するのが、ラジャスタン州における労働法改正の事例です。

連邦法である労働争議法(Industrial Disputes Act)の第5B章では、労働者が100人以上の工場において、解雇(Retrenchment)や一時帰休(Lay-off)、事業所閉鎖(Closure)を行う際には、事前に「適正な政府(Appropriate Government)」の許可を得なければならないと規定されています。この「事前許可制」は、事実上の解雇禁止規定として機能しており、インドの製造業において雇用調整を極めて困難にし、海外投資の阻害要因とされてきました。企業は需要の変動に応じて人員を調整することができず、結果として正規雇用を避け、契約労働者(Contract Labor)への依存を強める傾向にありました。

しかし、2014年、ラジャスタン州政府はこの状況を打破するため、労働争議法の州内適用に関する大胆な改正を行いました。具体的には、事前許可が必要となる工場の規模(Threshold)を「100人以上」から「300人以上」に引き上げたのです。これは、「100人以上」と定める連邦法の規定と明らかに矛盾します。通常であれば、憲法第254条の原則により無効となるはずですが、ラジャスタン州政府はこの改正法案について、憲法第254条第2項の手続きに基づき「大統領の同意」を取得することに成功しました。

参考:Times of India:ラジャスタン州の労働法改正に対する大統領の承認

その結果、ラジャスタン州内においては、労働者が300人未満の工場であれば、政府の許可なく解雇や事業閉鎖が可能となりました。これは、企業にとっての労働市場の柔軟性を飛躍的に高めるものであり、その後、マディヤ・プラデーシュ州など他のいくつかの州も同様の改正追随しました。

この事例は、日本企業が進出先を選定する際、単にインフラや物流コストだけでなく、「その州がどのような独自の法改正を行っているか」を詳細に調査することの重要性を示唆しています。同じ「労働争議法」という連邦法の下にあっても、州によって「解雇のしやすさ」や「コンプライアンス・コスト」が劇的に異なる可能性があるのです。この「コンカレント・リスト」が生み出す法的なモザイク模様こそが、インド法務の真髄とも言えます。

インド司法制度の構造改革:商業裁判所法による迅速化への挑戦

インドの司法制度における最大の課題は、慢性的な「裁判の遅延」です。民事訴訟の解決に10年以上を要することも珍しくなく、契約履行の強制や債権回収における予測可能性の欠如が、世界銀行の「Ease of Doing Business(ビジネスのしやすさ)」ランキングにおいても長らくインドの評価を下げる要因となっていました。この状況を打破し、海外からの投資を呼び込むために導入された切り札が、2015年商業裁判所法(Commercial Courts Act)です。

商業裁判所(Commercial Courts)の設置と管轄

商業裁判所法は、通常の民事事件とは別に、一定額以上の「商業紛争(Commercial Dispute)」を専門的に扱う裁判所を設置し、迅速な審理を行うことを目的としています。ここで言う「商業紛争」の定義は非常に広く、物品の売買、サービスの提供、建設工事、フランチャイズ、合弁事業、知的財産権、保険、金融取引など、ビジネスに関連するほぼすべての紛争が含まれます。

特筆すべきは、その対象となる紛争価額(Specified Value)の変遷です。当初、この法律は1,000万ルピー(約1,700万円)以上の大規模紛争のみを対象としていましたが、中小企業を含むより広範なビジネス紛争を迅速化するため、2018年の改正により、基準額が一気に「30万ルピー(約50万円)以上」にまで引き下げられました。

これにより、現在では大企業間の紛争だけでなく、多くの中小規模の取引やサプライヤーとのトラブルなど、B2B紛争の大部分が商業裁判所の管轄下に入ることになります。商業裁判所は、通常の民事裁判所(Civil Court)とは異なる、厳格なタイムラインと合理化された手続きで運営されており、日本企業もこの新しいルールの下で紛争解決を図ることになります。

厳格なタイムライン管理:答弁書提出の「120日ルール」

商業裁判所法において、日本企業の法務担当者が最も警戒しなければならないのが、手続きの厳格な期限管理です。中でも、被告が訴状を受け取ってから「答弁書(Written Statement)」を提出する期限については、最高裁判所が極めて厳しい解釈を示しており、これを知らないことは致命的なリスクとなります。

通常の民事訴訟法(Code of Civil Procedure, 1908:CPC)の下では、答弁書の提出期限は訴状送達から30日以内、裁判所が許可した場合でも最大90日以内とされています。しかし、実務上は、裁判所の広範な裁量により、90日を超えて提出された答弁書も「正当な理由」や「正義の実現」を名目に受理されるケースが多々ありました。このルーズな運用が裁判遅延の一因でもありました。

しかし、商業裁判所法は、この慣行を完全に否定しました。同法に基づく手続きでは、訴状送達から30日以内に答弁書を提出する義務があり、正当な理由があって裁判所が延長を認めた場合でも、その上限は「120日」と法定されています。そして最も重要な点は、この120日という期限が「強行規定」であることです。

最高裁判所は、SCG Contracts India Pvt. Ltd. v. K.S. Chamankar Infrastructure Pvt. Ltd. (2019) などの判決において、「商業裁判所法の下では、120日を超えて答弁書を受け取る権限は裁判所には一切ない」と判示しました。つまり、どのような事情があろうとも、120日を1日でも過ぎれば、被告は答弁書を提出する権利を完全に失い(Forfeiture of Right)、自らの言い分を法廷で主張する機会を奪われます。これは事実上の敗訴を意味します。日本の裁判実務の感覚で「多少遅れても裁判所が何とかしてくれるだろう」と甘く見ていると、取り返しのつかない事態を招くことになります。

ケース・マネジメント・ヒアリング(Case Management Hearing)

迅速化のためのもう一つの重要な仕組みが、オーダーXV-A(Order XV-A)として導入された「ケース・マネジメント・ヒアリング」です。これは、本格的な審理(Trial)に入る前に、裁判官と当事者が一堂に会し、争点の整理、証拠調べのスケジュール、証人の数、弁論の期日などをあらかじめ決定する手続きです。

このヒアリングは、最初のケース・マネジメント・ヒアリングを、当事者による「自白・否認の申述書(Affidavit of Admission or Denial)」の提出から4週間以内に開催しなければならないとされています。ここで決定されたスケジュールは当事者を拘束し、もし当事者が正当な理由なく期日を遵守しない場合、裁判所はコスト(罰金的な費用負担)を命じたり、申立を却下したりする権限を持ちます。これは日本の「弁論準備手続」に類似していますが、裁判所がより主導権を握り、タイムラインの遵守を厳格に求める点が特徴です。裁判官は「審理の進行管理者」としての役割を強く期待されています。

提訴前調停(Pre-Institution Mediation)の義務化

2018年の改正により導入されたもう一つの画期的な制度が、第12A条に基づく「提訴前調停」の義務化です。緊急の暫定的救済(Urgent Interim Relief、仮処分など)を求める場合を除き、原告は商業裁判所に訴訟を提起する前に、政府指定の機関(主に法的サービス当局)による「調停(Mediation)」を経なければなりません。

この調停プロセスは、期間が3ヶ月(当事者の合意でさらに2ヶ月延長可)に限定されており、いたずらに時間を浪費することを防いでいます。もしここで和解が成立すれば、その和解合意は裁判所の判決や仲裁判断(Arbitral Award)と同等の執行力を持ちます。これにより、別途訴訟を起こして和解内容を確定させる必要がなくなります。日本企業にとっては、高額な訴訟費用と数年の時間を費やす前に、公的な枠組みの中で迅速な解決を図る重要な機会となります。一方で、「とりあえず訴訟を起こして相手にプレッシャーをかける」という戦術をとる場合でも、緊急性が認められなければ、まずは調停を経なければならないというハードルがあることを理解しておく必要があります。

インド企業法務の最前線:NCLTと会社法関連紛争

インド企業法務の最前線:NCLTと会社法関連紛争

インドにおける会社法務の大きな転換点となったのが、2013年会社法(Companies Act)の制定と、それに続く「国立会社法審判所(National Company Law Tribunal:NCLT)」およびその上級審である「国立会社法控訴審判所(NCLAT)」の設立です。これらは、従来の高等裁判所などが担っていた会社法関連の権限を集約した専門機関です。

NCLTの専属管轄と民事裁判所の排除

2013年会社法第430条は、NCLTが権限を持つ事項について、通常の民事裁判所(Civil Court)が訴訟を受理することを明確に禁止しています。この条文は、企業法務における紛争解決の在り方を根本から変えるものです。

Companies Act, 2013, Section 430:

“No civil court shall have jurisdiction to entertain any suit or proceeding in respect of any matter which the Tribunal or the Appellate Tribunal is empowered to determine…”

(民事裁判所は、審判所または控訴審判所が決定する権限を有する事項に関して、いかなる訴訟または手続きも受理する管轄権を有しない…)

参考:2013年会社法第430条(民事裁判所の管轄権の排除)

かつては、株式の譲渡に関する紛争、株主名簿の書き換え、取締役の選任に関する争い、会社に対する抑圧・不当管理(Oppression and Mismanagement)などが民事裁判所に持ち込まれ、一般の民事事件として扱われていました。しかし現在では、これらの企業統治(Corporate Governance)に関わる紛争は、会社法の専門機関であるNCLTの専属管轄となります。NCLTは「準司法的機関(Quasi-Judicial Body)」であり、通常の裁判所よりも簡易かつ迅速な手続きを目指しています。

Shashi Prakash Khemka判決の衝撃

この管轄の分水嶺を決定づけ、民事裁判所の介入を完全に遮断したのが、最高裁判所による Shashi Prakash Khemka v. NEPC Micon (2019) の判決です。

この事案において、原告は株式の移転に関する不正を主張し、会社法に基づく株主名簿の訂正(Rectification of Register)を求めていました。問題となったのは、この紛争を審理すべきは民事裁判所か、それともNCLTかという点です。最高裁は、2013年会社法第59条がNCLTに株主名簿の訂正を命じる権限を与えていることを指摘し、第430条の規定と合わせて解釈すれば、この種の紛争において民事裁判所の管轄権は完全に排除されていると断じました。

この判決により、日本企業が現地の合弁パートナー(Joint Venture Partner)との間で株式の所有権や経営権を巡る争いになった場合、その戦場は一般の裁判所ではなく、NCLTとなることが確定しました。また、NCLTは、2016年倒産・破産法(Insolvency and Bankruptcy Code, 2016:IBC)に基づく倒産手続の扱いや、合併・買収(M&A)の承認機関としての役割も担っており、インドにおける企業法務の「心臓部」と言えます。特にIBCに基づく倒産申立は、債権回収の強力なツールとして機能しており、NCLTの実務動向を把握することは債権管理の観点からも不可欠です。

証拠法と手続法の現代化:インド法と日本法の対比

最後に、実務レベルで極めて重要な「証拠」の扱いについて解説します。インドの法制度改革は実体法にとどまらず、手続法や証拠法の分野でも急速に進んでいます。2023年、インドは英国植民地時代の1872年に制定されたインド証拠法(Indian Evidence Act)を廃止し、新たに「インド証拠法(Bharatiya Sakshya Adhiniyam, 2023:BSA)」を制定しました。この新法は、デジタル時代の現実に即した証拠ルールを導入しています。

証拠開示(Discovery)の範囲と義務

日本の民事訴訟では、提訴前に相手方の証拠を強制的に入手する手段は極めて限定的です。当事者は自分に有利な証拠を提出するのが原則であり、相手方の手元にある不利な証拠を提出させるには高いハードルがあります。一方、インドの民事訴訟法(Code of Civil Procedure)は、コモン・ローの伝統に基づき、より強力な証拠開示(Discovery)の手続きを認めています。

特に商業裁判所においては、当事者は訴えの提起時(被告は答弁書の提出時)に、自身が依拠するすべての文書だけでなく、その時点で所持している「自身に不利な文書」も含めて開示・リスト化する義務を負います。これを「真実の開示(Disclosure of Truth)」と呼びます。もし、この段階で文書を隠匿し、後になってから証拠として提出しようとしても、裁判所は原則としてこれを認めません。

これは、「手持ちのカードを隠しておいて、法廷の尋問で切り出して相手を驚かせる」という、ドラマのような戦術が通用しにくいことを意味します。日本企業は、紛争が発生した初期段階で、社内の関連文書(電子メールを含む)をすべて洗い出し、有利・不利を問わず評価した上で、開示すべき範囲を弁護士と協議する必要があります。この準備不足は、訴訟において致命的なダメージとなります。

電子証拠の重要性の増大とBSA 2023

新しいBSA 2023では、電子記録(Electronic Records)が紙の文書と同等の法的地位を持つことがより明確に規定されました。定義には、半導体メモリやスマートフォン、ラップトップに保存されたデータも明示的に含まれています。

日本企業がインド子会社や取引先とやり取りする電子メール、チャットアプリ(WhatsApp等)の履歴、サーバーログなどは、紛争時に決定的な証拠となります。しかし、これらの電子証拠が法廷で認められるためには、データの真正性を証明するための証明書(Certificate)の提出など、厳格な要件を満たす必要があります。日常的なデータガバナンス(データの保存、改ざん防止措置)と、紛争発生時の保全措置(Digital Forensics)の準備が、インド法務においてますます重要になっています。

まとめ

本記事で解説してきた通り、インドの法制度は「コモン・ローの不文律」と「連邦制の複雑さ」、そして「急速な司法改革」が絡み合う、極めて動的なシステムです。その特徴は、以下の3点に集約されます。

  1. 法の源泉の複層性: 条文(Act)だけでなく、最高裁判所の最新判例(特にRatio Decidendi)を確認しなければ、正確な法的リスクは把握できません。判例は事実上の参照基準ではなく、「法」そのものです。
  2. 地域の特殊性と連邦制の罠: 労働法や土地法など、コンカレント・リストや州リストに含まれる事項については、州ごとに法規制が異なります。ラジャスタン州の労働法改正に見られるように、連邦法と異なるルールが大統領の同意を得て適用されているケースがあり、進出先州に特化したデューデリジェンスが必須です。
  3. 紛争解決手続きの厳格化: 商業裁判所における答弁書提出の120日ルールや、NCLTの専属管轄など、手続きの不備が致命的な結果を招く仕組みが強化されています。日本の感覚で期限を甘く見ることや、管轄を誤ることは許されません。

インド市場はその巨大な魅力と引き換えに、高度な法的リテラシーとコンプライアンスへの投資を要求します。日本法の常識を一旦脇に置き、インド固有の法ロジックに適応することが、ビジネスの成功を守るための第一歩となります。

モノリス法律事務所では、日本法とインド法の双方に精通した知見に基づき、判例調査から契約書のレビュー、州ごとの規制確認、そして紛争発生時の戦略立案に至るまで、インドビジネスに伴うあらゆる法的課題に対して、貴社の実情に即した実効的なサポートを提供いたします。複雑なインド法務のナビゲーターとして、ぜひご活用ください。

弁護士 河瀬 季

モノリス法律事務所 代表弁護士。元ITエンジニア。IT企業経営の経験を経て、東証プライム上場企業からシードステージのベンチャーまで、100社以上の顧問弁護士、監査役等を務め、IT・ベンチャー・インターネット・YouTube法務などを中心に手がける。

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