モロッコの法体系と司法制度を弁護士が解説

モロッコ(正式名称、モロッコ王国)の法体系は、歴史的な経緯からフランス法の影響を色濃く受けており、日本と同様に大陸法を基本とする成文法主義を採用しています。このため、商取引や会社設立に関する法務は、日本の法律実務に慣れた方々にとって比較的馴染みやすい枠組みで構築されています。しかし、その一方で、モロッコの文化的・宗教的アイデンティティを形成するイスラム法(シャーリア)やユダヤ法が、家族や個人の身分に関する分野に深く融合しているという独特の二重性を有しています。この重層的な法体系は、特に人事労務管理や現地従業員との関係構築において、日本とは異なる法的・文化的な背景への理解を必要とします。
本記事では、モロッコの法体系の全体像から、見過ごされがちな家族・相続法に至るまで、日本法との異同を対比させながら、実務的な観点から解説します。
この記事の目次
モロッコの法体系の全体像
モロッコは、2011年に公布された憲法に基づき、立憲君主制を採る民主的かつ社会的な王国です。その政治システムは、伝統的な君主の権威と現代的な議会制民主主義が調和した独自のモデルを特徴としています。国王は、国家の元首であり、永続性と統一の象徴であるだけでなく、「信仰の守護者」として憲法の尊重を保障する存在です。日本の象徴天皇制とは異なり、モロッコ国王は単なる儀礼的な存在に留まらず、法律案の提出権を持つなど実質的な権限を保持しています。法律案は国王、首相、または議会の議員グループによって提出され、両院での承認を経て、国王による「Dahir」(勅令)として公布されることで効力を発します。このプロセスは、伝統的な君主の意思が現代的な法律に直接的な法的効力をもたらすことを示しており、国王の動向が法制度全体に極めて重要な影響を持つことが理解できます。
モロッコの法体系のもう一つの核心は、その重層的な構造にあります。同国の法は、フランスの植民地時代に導入された大陸法を基礎としていますが、同時にイスラム法(シャーリア)や、ユダヤ教徒コミュニティに適用されるユダヤ法も法制度の根幹に組み込まれています。この構造は、商業、民事、刑事といった分野ではフランス民法の強い影響を受けた成文法(法律や法典)が中心となる一方、結婚、離婚、親権、相続といった個人の身分に関する法分野では、イスラム法を基盤とする「Moudawana」(家族法典)が適用されるという二重性をもたらしています。ごく少数ながら独自の司法機関であるヘブライ室がユダヤ法に基づいて裁判を行うことも、この多様な法的アイデンティティの表れと言えるでしょう。このような複数の法体系が並存する状況は、単一の世俗法体系に慣れた日本の法務担当者にとって、特に人事労務管理において、文化的・宗教的な背景が法的な考慮事項となりうるという、日本にはない特有のリスクを提示します。
個人の身分に関わるモロッコの家族法と相続

モロッコ法体系の二重性が最も顕著に現れるのは、個人の身分に関わる法分野です。この分野はイスラム法(シャーリア)を基盤とする「Moudawana」(家族法典)に支配されています。Moudawanaは2004年に大幅な改革が実施され、女性の権利が拡大されました。結婚年齢の18歳への引き上げ、一夫多妻制の厳格な制限、女性からの離婚請求権などが導入されましたが、根本的な原則の多くはイスラム法に由来しています。
特に日本法と大きく異なるのは、相続の規定です。モロッコの相続制度は、イスラム法に基づいており、「息子は娘の2倍」の相続分を受け取るという原則(「クルアーンの規則」)が適用されます。例えば、子がいない夫を持つ寡婦は遺産の4分の1を相続しますが、もし1人でも子がいた場合、その相続分は8分の1に減少します。遺言による財産の処分も日本法とは大きく異なります。モロッコ法では、遺言によって自由に処分できる財産は全財産の3分の1までと厳格に制限されており、残りの3分の2は家族法典が定める「強制的相続人」(配偶者、子、親など)に分配されます。
さらに、国際的な事業展開を検討する上で重要なのは、モロッコ国内に所在する資産の相続は、原則として所有者の国籍や宗教にかかわらず、モロッコ法に基づいて行われる点です。これは、日本企業の駐在員や現地法人の経営者がモロッコ国内に不動産等の資産を保有する場合、日本の相続法とは異なる複雑な手続きや規定に直面する可能性があることを意味します。
モロッコの司法制度
モロッコの司法は、2011年憲法により立法府および行政府から独立していると明記されています。この独立性は国王によって保障されています。裁判所制度は階層構造になっており、通常裁判所(第一審裁判所、控訴裁判所、最高裁判所)に加えて、専門裁判所(商事裁判所、行政裁判所)が存在します。
商事裁判所は、商人間または会社間の紛争で、係争額が2万モロッコディルハム(約2,000ユーロ)を超える案件を管轄しています。これにより、商業紛争に特化した専門的な判断が期待できます。
しかし、日本の法務担当者が留意すべきは、商業裁判における手続上の特徴です。モロッコの商業裁判は、口頭弁論よりも書面提出を重視する書面主義が基本で、正式な事前証拠開示制度は存在せず、各当事者は自ら証拠を収集し、裁判官に提出する必要があります。また、証人尋問は口頭審理で行われますが、弁護士が直接証人に質問することは許されず、裁判官が主たる質問を行います。
まとめ
モロッコの法体系は、日本の法体系と類似する大陸法の原則を基盤としつつ、イスラム法という独自の文化的・宗教的要素が深く融合した重層的な構造を有しています。この重層的な構造は、特に個人の身分に関する家族法や相続法において、日本法とは異なる法的背景を提示します。また、書面主義を重視する商業裁判の特性を理解するなど、紛争解決における現地の司法制度への理解も不可欠です。
カテゴリー: IT・ベンチャーの企業法務