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ルクセンブルク大公国における不動産売買・登記制度の解説

ルクセンブルク大公国における不動産売買・登記制度の解説

ルクセンブルク大公国は、ベルギー、フランス、ドイツに囲まれた欧州西部の内陸国であり、その面積は日本の神奈川県とほぼ同程度の約2,586平方キロメートルです。この国は欧州連合(EU)の主要な金融・ビジネス拠点として知られ、その堅牢な法的・経済的基盤が、世界中の企業や投資家を惹きつけています。日本の企業がルクセンブルクでの事業展開を検討する際、不動産取引は避けて通れない重要なプロセスです。

ルクセンブルクの不動産取引制度は、日本と同様に大陸法の影響を強く受けており、多くの共通点が見られます。しかし、所有権の移転を公示する方法や、取引の安全性を確保する実務上の慣行には、日本の法務担当者が特に留意すべき決定的な相違点が存在します。

本稿では、特に日本の「仮登記」制度との違いに焦点を当て、ルクセンブルクにおける不動産取引の仕組み、潜在的なリスク、そしてそれを管理するための法的・実務的な手段について、詳細に解説します。

ルクセンブルクの不動産所有権とその移転

ルクセンブルクにおける不動産所有権は、ルクセンブルク民法典(Luxembourg Civil Code)の第544条から546条、および711条から717条によって明確に規定されています。これらの規定は、所有者が自己の財産を最大限に活用し、収益を得て、自由に処分する権利を持つことを定めています。これは、日本の民法が所有権を「法令の制限内において、自由にその物を使用、収益及び処分をする権利」と定義していることと共通する考え方です。

不動産所有権の移転に関して、ルクセンブルクでは当事者意思主義(consensualisme)が採用されており、これは売主と買主が不動産とその価格について合意した時点で、所有権が当事者間で移転するという原則です。この原則は、日本の民法第176条の「物権の設定及び移転は、当事者の意思表示のみによって、その効力を生ずる」という規定と完全に一致しており、日本の法務担当者にとって理解しやすい出発点となります。

所有権の対抗要件:ルクセンブルクにおける公証証書と登記の役割

当事者間の合意によって所有権移転の効力は発生しますが、その効力を第三者に対して主張するためには、抵当登記簿(bureau de conservation des hypothèques, Mortgage Registry)への登記が必須とされています。この「登記がなければ第三者に対抗できない」という原則は、日本の民法第177条が定める不動産物権変動の対抗要件と機能的に同じであり、取引の安全性を確保するための重要な要件として機能しています。

ルクセンブルクでは、不動産取引の登記を行うためには、公証人(public notary)によって作成された公証証書(notarial deed)が不可欠です。この公証人という存在が、日本の不動産取引実務と大きく異なる点であり、ルクセンブルクの制度の信頼性を支える鍵となっています。公証人は単なる私的な代理人ではなく、国家から任命された公務員(public officer)としての特別な地位を有しています。

公証人は、不動産売買取引の適法性(legality)を保証する重い責任を担います。具体的には、売主が不動産の真正な所有者であること、また、当該不動産に抵当権などの負担(charges)が存在しないことを、登記簿や公的機関の記録を徹底的に調査して確認します。この厳格なデューデリジェンスは、日本の法律実務家が慣れ親しんでいる登記簿上の情報のみに依存する取引とは一線を画しています。公証人は公証証書の作成後、不動産税登記局(Administration de l’enregistrement, des domaines et de la TVA, AED)および抵当登記局、そして地籍局(Administration du cadastre et de la topographie, ACT)と協力して、所有権移転の登録・登記手続き(registration and transcription)を完了させる責任も負っています。

ルクセンブルクの不動産売買契約:Compromis de VenteとActe Notarié

ルクセンブルクの不動産売買契約:Compromis de VenteとActe Notarié

ルクセンブルクにおける不動産取引は、通常二段階のプロセスを経て行われます。まず、売買予約契約(compromis de vente)が締結され、その後、公証人の立ち合いのもと、最終的な公証証書(acte notarié de vente)が作成されます。

売買予約契約(Compromis de Vente)の役割

compromis de venteは、法的に義務付けられた文書ではありませんが、実務上、取引の合意を固めるために不可欠なものです。この文書は、最終的な取引の条件(価格、支払い条件、引き渡し日など)を明確に定義し、売主と買主双方の利益を保護する役割を果たします。この契約書には、当事者(売主、買主、代理人)と不動産物件(住所、地籍番号など)の詳細を正確に記載することが必須です。

特に重要なのが「停止条件(suspensive conditions)」と呼ばれる付帯条項です。これは、特定のできごとが発生した場合にのみ売買契約が有効になるというものです。これにより、買主は予期せぬ事態が発生した場合でも、契約を無効にすることができます。実務でよく見られる停止条件には、以下のようなものがあります。

  • 銀行融資の取得:買主が金融機関から不動産購入のための融資を確実に受けられることを条件とします。融資が承認されなかった場合、契約は無効となり、買主は違約金を支払うことなく取引から撤退できます。
  • 他の不動産の売却:買主が現在所有している物件の売却を完了することを条件とします。これにより、買主は資金が不足するリスクを回避できます。
  • 建築許可の取得:土地の売買の場合、建築許可が下りることを条件とする場合があります。
  • 先買権の不在:公的機関が物件に対して先買権を行使しないことを条件とします。
  • 特定作業の完了:売主が特定の修繕や改修作業を完了させることを条件とします。

これらの停止条件が契約期間内に満たされなかった場合、契約は自動的に失効し、通常、買主が支払った手付金(deposit)は全額返金されます。この手付金は、売買価格の10%程度が一般的であり、通常は公証人のエスクロー口座(escrow account)で安全に保管されます。

公証証書(Acte Notarié de Vente)の役割

compromis de venteで定められたすべての条件が満たされた後、最終段階として公証人による公証証書(acte notarié de vente)の作成と署名が行われます。この公証証書は、ルクセンブルクの不動産取引において法的に必須の文書です。

公証人は、この最終契約に署名する前に、物件の抵当権やその他の負担、売主の正当な所有権を再度確認し、取引全体の合法性を保証します。公証証書への署名と同時に、買主は売買代金の全額を支払い、物件の鍵を受け取ることが一般的です。この時点をもって、買主は物件に対するすべての権利を行使できるようになります。

日本の仮登記制度との決定的な違い:ルクセンブルク制度の核心

日本の仮登記制度との決定的な違い:ルクセンブルク制度の核心

ルクセンブルクの不動産取引制度を理解する上で、日本の法務担当者が最も注意すべきは、日本の「係属中の所有権移転に関する仮登記(preliminary priority notice)」に相当する制度が存在しないという点です。ルクセンブルクでは、最終的に締結・執行された売買契約のみが登記可能であり、将来の所有権移転請求権を保全するための暫定的な登記はできません。

日本の仮登記は、将来の本登記の順位を保全する「保全登記」としての性質を持ち、仮登記後に行われた第三者の権利登記を排する強力な効力(順位保全効)があります。一方、ルクセンブルクでは、compromis de venteを登記することが義務付けられていますが、これはあくまで契約の存在を第三者に対抗できる効力を付与するものであり、日本の仮登記のような強力な順位保全効を持つわけではありません。

この違いは、両国の制度が抱える根本的なリスクと密接に関連しています。日本の不動産登記制度は「公信力」(indefeasibility)がないとされており、登記簿上の情報が真実と異なる場合、それを信頼して取引した買主が所有権を主張できないという「虚偽の登記」リスクを内包しています。これに対し、ルクセンブルクでは公証人が公務員として徹底したデューデリジェンスと法的責任を負うため、日本の制度が抱えるような「虚偽の登記」リスクに対する強力な防護策が備わっています。

したがって、ルクセンブルクの不動産取引における主要なリスクは、売買契約締結から最終登記完了までの期間に生じる「二重譲渡」であり、これを契約上の工夫や公証人の職責によって管理する必要があります。一方、日本法の主要なリスクは「虚偽の登記」であり、仮登記制度はこのリスクを直接解決するものではありません。両国の制度は、それぞれ異なるリスクを、異なる方法で管理していると理解することができます。

日本法ルクセンブルク法
不動産所有権の移転当事者の合意によって効力発生(民法第176条)当事者の合意によって効力発生(民法典第1583条)
第三者対抗要件登記(民法第177条)抵当登記簿への登記(transcription)
公証人の役割公文書の作成、私的な取引への関与公務員として取引の適法性を保証、登記手続きの責任を負う
所有権移転の保全仮登記制度が存在し、順位保全効を持つ仮登記制度は存在しない。最終的に締結・執行された契約のみ登記可能
登記の公信力認められない(登記を信頼して取引しても所有権を失うリスク)公証人による確認と公的証明が信頼性を担保する

ルクセンブルクにおける実務上のリスク管理と法的保護策

ルクセンブルクの不動産取引において、日本の法律実務家が懸念する二重譲渡リスクを管理するためには、前述の売買予約契約(compromis de vente)を活用し、公証人との連携を密にすることが最も重要です。また、これ以外にも以下の実務的な保護策を講じることが一般的です。

第一に、買主は物件の購入以前に発生した瑕疵や環境汚染に関する責任を承継するリスクに直面する可能性があります。ルクセンブルク民法典第1641条により、売主は不動産の効用を著しく損なうような隠れたる瑕疵(latent defects)について責任を負うことが規定されています。これらのリスクを回避するためには、契約書に瑕疵担保責任に関する特約を設けるなど、詳細な法務デューデリジェンスを実施することが不可欠です。

第二に、売買代金の保全も重要なリスク管理策です。契約締結から最終的な登記完了までの期間、売買代金が安全に保全される仕組みを構築する必要があります。一般的に、公証人や銀行が第三者として代金を一時的に管理するエスクロー勘定(Escrow Account)の利用が考えられます。この仕組みにより、買主は所有権の移転が確実に行われるまで資金が安全に確保されるという安心を得ることができます。

まとめ

ルクセンブルクの不動産取引法は、所有権移転の基本原則において日本と共通する部分を持つ一方で、その公示制度や取引の信頼性を確保する仕組みにおいて本質的な相違があります。特に、日本の「仮登記」のような制度が存在しないこと、そして公務員としての公証人が取引の信頼性を支える中心的な役割を担っている点が、最も重要な違いとして挙げられます。

日本の経営者や法務担当者がルクセンブルクで円滑かつ安全な不動産取引を行うためには、これらの制度的・実務的な違いを正確に理解し、契約締結から登記完了までの期間に潜在するリスクを体系的に管理することが不可欠です。

我々モノリス法律事務所は、ルクセンブルクおよび欧州の不動産法に精通した現地パートナー法律事務所との強固なネットワークを有しており、日本の皆様が直面する可能性のある法的・実務的課題に対して、最適な解決策を提供することが可能です。法務デューデリジェンスの実施、契約書のレビュー・作成、現地の専門家との連携調整など、お客様のルクセンブルクでの不動産投資を全面的にサポートいたします。

関連取扱分野:国際法務・海外事業

弁護士 河瀬 季

モノリス法律事務所 代表弁護士。元ITエンジニア。IT企業経営の経験を経て、東証プライム上場企業からシードステージのベンチャーまで、100社以上の顧問弁護士、監査役等を務め、IT・ベンチャー・インターネット・YouTube法務などを中心に手がける。

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