ロシア連邦における民法と契約法

ロシアの法体系は、日本の法律と同じく大陸法系に属しており、その主要な法源であるロシア連邦民法典(Гражданский кодекс Российской Федерации、以下「ГК РФ」)が掲げる基本原則の多くは、日本法の原則と共通しています。例えば、参加者の平等、所有権の不可侵、契約の自由といった概念は、日本の民法が依拠する私的自治の原則と深く共鳴するものです。
しかし、日本の商慣習や法務実務と大きく異なる、注意すべき重要な法的・実務的差異も存在します。特に、事業活動を行う者に対する厳しい責任原則、契約の成立要件における厳格な書面主義、そして紛争解決における用語の誤解などは、判断を誤れば致命的な結果を招きかねない論点です。
本記事では、こうしたロシア法特有の要点について、ГК РФの具体的な条文を参照しながら解説します。
なお、ロシア連邦の包括的な法制度の概要は下記記事にてまとめています。
この記事の目次
ロシア連邦民法典(ГК РФ)の基本原則
民法典の構造と概要
ロシアの民事法を包括的に定めているのが、ГК РФです。この法典は、1994年以降に順次制定された第1部から第4部までの全四部構成となっており、民事法の一般原則、物権、債権、そして知的財産権など、市民社会の法的関係を広範に規定しています。日本の法体系と異なる重要な点として、ロシアでは商法が独立した法典として存在せず、商事取引に関する規範は民法典の内部に取り込まれています。また、知的財産に関するすべての法的規範がГК РФ第4部に統合されている点も、知財法が個別の法律で定められている日本と大きく異なります。
ГК РФの第一条は、民事法の基本原則として「参加者の平等」「所有権の不可侵」「契約の自由」「当事者への恣意的な干渉の不容認」を掲げています。これらの原則は、日本民法における私的自治の原則や所有権絶対の原則と同一の思想的基盤を持つものです。また、ГК РФも信義誠実の原則を重要な基礎原則としており、権利の行使や義務の履行においては善良な意思を持って行動することが求められます。
事業活動を行う者への厳格な責任
日本の民法との重要な違いの一つは、事業活動を行う者、すなわち企業家に対する厳しい責任原則です。ГК РФ, ст. 401は、事業活動を行う当事者による債務不履行について、その履行が「不可抗力」によって不可能となったことを証明できない限り、過失の有無にかかわらず責任を負うものと定めています。これは、日本の民法が原則として「過失責任」を基本としていることと決定的に異なる点です。
すなわち、日本の民法の場合、債務不履行によって損害を被った者は、相手方の帰責事由(過失または故意)を証明して初めて損害賠償を請求することができますが、ロシア法では、事業活動に起因する債務不履行において、事業者自身が不可抗力を立証しなければ責任を免れることができません。ГК РФは事業活動を「自己の危険において行われる独立した活動」と定義しており、事業を行う者は、客観的な不履行が存在すれば、自己の落ち度がない場合でも厳格な責任を負うべきであるというのが、ロシア民法の思想だと言えます。不可抗力という極めて限定された事情を除き、客観的な債務不履行が存在するだけで賠償責任を負うため、契約内容の遵守やリスク管理の徹底がより一層重要となります。
ロシアにおける契約成立の要件と書面主義

契約の定義と成立要件
ロシア法において、契約はГК РФに定められる民事取引の一種であり、二つ以上の当事者の合意によって、権利および義務を創設、変更、または終了させるものです。契約の成立には、原則として当事者間の意思表示の合致(申込みと承諾)が必要となります。
厳格な書面主義がもたらすリスク
日本の民法では、保証契約や定期借地契約など特定の契約を除き、契約は当事者の意思表示の合致だけで成立する諾成契約が原則です。そのため、日本のビジネス実務では、口頭での合意や簡易なメールのやり取りだけで商取引を進めることが少なくありません。しかし、ロシアではこうした慣行は大きな法的リスクを伴います。
ロシア法では、国際貿易(国際)契約を含め、少なくとも一方が法人であるすべての契約は書面で締結されなければならないとされています(ГК РФ, ст. 161)。書面形式の不遵守は、原則として証人による立証を妨げるに留まりますが、法が定める特定の類型(国際貿易契約など)や、当事者間で書面不遵守の場合に無効となる旨を合意した場合には、契約自体が無効(void)となります。書面という「形式」の不備が、契約という「実体」を無に帰す致命的な結果を招く可能性があります。
電子署名の有効性
この書面主義に対する例外として、ロシア法には「資格のある電子署名」という概念があります。これは認定された認証センターが発行するもので、手書き署名と同一の法的効力を持ちます。日本の電子署名法における実印相当の電子証明書と類似の概念ですが、ロシア法の場合、原則が書面主義であるため、「認定された認証センターの電子署名でなければ法的効力がない」ということになります。
ロシアにおける契約不履行と責任の原則
「不可抗力」(フォース・マジュール)の定義
先述した通り、事業活動を行う者は、不可抗力によって債務の履行が不可能となったことを証明できない限り責任を負うことになります。この「不可抗力」(フォース・マジュール)は、ГК РФ, ст. 401によって「特定の状況における並外れた、かつ回避不可能な事情」と定義されています。それが具体的にどのような状況なのかという例示はありませんが、同条項は、以下のような事由が不可抗力に該当しないことは明示しています。
- 下請け業者の債務不履行
- 市場における必要物資の不足
- 資金不足
総じて、ロシア法の「不可抗力」は、日本法の「債務不履行のない場合」という概念より狭い範囲だと言われており、契約締結時には、自社が想定するリスク(例えば、特定のサプライチェーンの途絶など)について、具体的な条項を盛り込むことが予防策として有効となります。
契約変更・解除の法理(事情変更)
ロシア法は、契約締結時には予測できなかった状況の「重大な変化」があった場合に、裁判所の決定により契約を解除または変更できることをГК РФ, ст. 451に定めています。これは、日本法における事情変更の原則と類似する概念です。この「重大な変化」と認められるためには、以下の要件を満たす必要があります。
- 契約締結時に、そのような状況の変化が起こらないことを当事者が合理的に予測していたこと。
- 状況の変化が、利害関係当事者が契約の性質や取引慣習に要求される注意義務を尽くしても克服できなかった原因によること。
- 変更なく契約を履行すれば、当事者間の財産的利益の均衡が著しく損なわれ、一方の当事者が契約締結時に期待した利益を大きく奪われるような損害を被ること。
- 取引慣習や契約の本質から、状況の変化のリスクを利害関係当事者が負うと解釈されないこと。
これらの要件からも、ГК РФは安易な契約変更や解除を許容せず、当事者間の合意を尊重する姿勢を基本としていることがわかります。
ロシアにおける債務不履行による損害賠償と違約金

損害賠償の基本原則
ロシア民事法における損害賠償の基本原則は、ГК РФ, ст. 1064に定められています。人格または財産に与えられた損害は、その損害を与えた者が全面的に賠償しなければなりません。
違約金(ペナルティ)と裁判所の裁量
日本の契約実務と同様、ロシア法においても、契約に違約金(penalty)条項を定めることが一般的です。違約金は、実際の損害額の多寡にかかわらず請求可能であり、遅延損害金として、支払いの遅延期間に応じて一定の割合で増加するよう定めることが一般的です。
ここで日本法との重要な違いとして認識すべきは、ロシアの裁判所が、違約金が債務不履行によって生じた損害に「不釣り合い」であると判断した場合、その額を減額する広範な裁量権を持つことです。日本の裁判所でも違約金の減額は可能ですが、ロシアではこの裁量権がより柔軟に行使される傾向にあると言えます。これは、ロシアの裁判制度が、契約条項の厳格な適用よりも、当事者間の「公正さ」や「衡平」を重視する思想に基づいていることを示しています。
まとめ
ロシア連邦民法典は、日本法と多くの共通原則を持つ一方で、事業活動を行う者に対する厳格な無過失責任の原則、国際契約に求められる書面主義、不可抗力の狭い定義など、日本のビジネス慣習とは異なる重要な法的・実務的差異もあります。これらの差異を正確に理解し、予防的な法的措置を講じることが、ロシアでのビジネス成功に不可欠です。そして、契約書は、これらの法的なリスクを具体的に予見し、対処するための最も重要なツールとなります。ロシア法や、その最新動向、実務に精通した専門家の支援が不可欠だと言えるでしょう。
関連取扱分野:国際法務・ロシア連邦
カテゴリー: IT・ベンチャーの企業法務