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法律記事MONOLITH LAW MAGAZINE

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スリランカの医薬品・医療機器規制と薬機法制

スリランカの医薬品・医療機器規制と薬機法制

近年、スリランカ(正式名称、スリランカ民主社会主義共和国)の医薬品市場は着実な成長を見せており、2023年には市場規模が19億米ドルを超え、過去5年間の年平均成長率は3.47%を記録しています。国内の医薬品需要の85%が輸入品に頼っている現状は 、海外企業にとって大きなビジネス機会があることを示しています。しかし同時に、この市場は、高齢化や非感染性疾患の増加といった公衆衛生上の課題に直面しており 、市場の動向は複雑な要因によって形成されています。特に、日本の「医薬品、医療機器等の品質、有効性及び安全性の確保等に関する法律」(薬機法)とスリランカの法制度との間には、目的と運用の両面で大きな違いが存在します。

本稿では、スリランカの主要な医薬品規制当局である国家医薬品規制庁(NMRA)の権限と役割に焦点を当て、日本の法制度との詳細な比較分析を通じて、日本の経営者および法務部員の皆様が抱くであろう実務的な疑問に対し、具体的かつ実用的な洞察を提供します。 

NMRAの設立を定めた法律は、医薬品、医療機器、およびボーダーライン製品の「品質、有効性、安全性」の確保に加え、これらを「手頃な価格(affordable prices)」で国民に提供することをその主要な目的として明確に掲げています。この法的な哲学の差異は、単なる文言の違いに留まらず、市場参入、価格設定、そして事業継続のあらゆる側面において、日本の企業が直面する課題の根源をなしています。本レポートは、この NMRA の規制哲学がどのように歴史的背景と結びつき、具体的な規制メカニズムに反映されているかを詳細に解説し、日本の企業がスリランカ市場で持続可能な事業を構築するための戦略的ヒントを提供することを目的としています。 

スリランカの医薬品・医療機器規制の全体像

NMRA(国家医薬品規制庁)の設立と権限の広範性

NMRAは、2015年国家医薬品規制庁法(National Medicines Regulatory Authority Act, No. 5 of 2015)に基づき設立された、独立した法人格を持つ公的機関です。その設立は、同法第2条によって規定されており、NMRAは医薬品、医療機器、およびボーダーライン製品に関するあらゆる側面を中央集権的に規制・管理する権限を有します。

NMRAの広範な権限は、その設立目的からも明らかです。NMRA法第3条では、医薬品の登録、ライセンス供与、製造、輸入、保管、輸送、流通、販売、広告、廃棄に至るまでの全ライフサイクルにおける規制を担うことが明記されています。さらに、薬局の規制や、スリランカ国内で実施される臨床試験の監督もNMRAの管轄下にあります。NMRAは、規制、研究所、ファーマコビジランス(医薬品安全性監視)、執行の各部門から構成されており 、その意思決定は、公務員、専門家、および管理、法律、会計、保健分野の専門家を含む12名の委員によって行われます。特に、NMRAの委員の選任には厳格な利害関係排除の規定が存在し、製薬業界との過去3年間の雇用や業務経験がある者は委員に任命されないと定められています。

「国民医薬品政策」の歴史的背景

NMRAが「手頃な価格」をその最重要目的の一つに掲げている背景には、スリランカが長年にわたり追求してきた独自の公衆衛生哲学があります。その起源は、1970年代にプロフェッサー・セネカ・ビビレ(Prof. Seneka Bibile)によって提唱された画期的な国民医薬品政策に遡ります。この政策は、多国籍企業が提供する高価なブランド薬に対抗し、安価で質の高いジェネリック医薬品を国民に確保することを目的としていました。 

ビビレ原則の核心は、国営の医薬品供給公社(SPC)を設立し、承認された必須医薬品リストに限定した一括購入(バルク入札)を世界中の製造業者に対して実施することでした。これにより、国は医薬品の価格を大幅に引き下げ、外貨を節約することに成功しました。この政策は、特定の多国籍企業の利益を優先するのではなく、国民全体の健康と経済的負担軽減を最優先する国家戦略であり、世界保健機関(WHO)を含む国際機関からも高い評価を受け、他の発展途上国のモデルとなりました。

NMRA法(2015年)は、この歴史的な「ビビレ原則」を現代の規制システムに再統合したものであり 、現在のNMRAの価格統制への強いコミットメントの根源となっています。この歴史的文脈を理解せずに、NMRAの価格規制を単なるビジネス上の障害と捉えるだけでは、その真の意図を見誤る可能性があります。NMRAの行動は、単なる経済的圧力の反映ではなく、国民の健康を守るという歴史的使命感と国家的な公衆衛生政策に基づいていると理解することが、スリランカ市場における持続可能な事業戦略を構築する上で不可欠です。 

スリランカの医薬品・医療機器市場の参入プロセスと法的要件

スリランカの医薬品・医療機器市場の参入プロセスと法的要件

現地代理人(Marketing Authorization Holder)制度

外国の製薬・医療機器メーカーがスリランカで製品を販売するには、NMRAへのすべての申請手続きを代行する「現地代理人(Marketing Authorization Holder, MAH)」の任命が法的に義務付けられています。このMAHは、単なる事務手続きの代行者ではなく、NMRAに対する登録、ライセンス供与、輸入、販売、流通、さらには製品の品質問題やリコール(回収)に関する全責任を負う重要な存在です。外国メーカーは、自社がMAHとして任命した現地企業をNMRAに届け出るとともに、製造元からの正式な委任状(Letter of authorization)を提出する必要があります。

製造所登録とGMP(医薬品適正製造基準)査察

製品の登録申請に先立ち、外国メーカーは自社の製造所をNMRAに承認してもらう必要があります。NMRAは、通常、申請書類のデスクレビューに加え、現地でのGMP査察を実施する場合があります。ただし、日本、米国、英国、カナダ、EU、オーストラリアなど、NMRAが「厳格な国家規制当局」と認める国で既に査察を受けている製造所については、現地でのGMP査察が免除される可能性があります。この免除制度は、日本の製造業者が持つ高い品質基準が、スリランカ市場参入の際の重要な利点となることを示しています。なお、外国製造所のGMP査察には高額な手数料が設定されており、SAARC加盟国からは15,000米ドル、その他の国からは20,000米ドルの費用がかかります。

製品登録(販売承認)手続きの詳細

医薬品および医療機器の販売承認(Marketing Authorization)プロセスは、通常以下の3つのステップで進行します。

  1. サンプル輸入ライセンスの取得:登録審査に必要な製品サンプルをスリランカに輸入するために、NMRAからサンプル輸入ライセンスを取得します。
  2. 製品登録と承認:NMRAに申請書類一式とサンプルを提出し、審査を受けます。申請には、原産国の規制当局から発行された「Free Sale Certificate」や技術仕様書など、多岐にわたる書類が必要です。新規製品の本登録には、最低でも6ヶ月の期間を要するとされています。また、新規化学物質や新規メーカーの製品は、まず1〜2年間の「暫定登録(Provisional Registration)」が付与され、その後、5年間の「本登録(Full Registration)」に移行する場合があります。
  3. 輸入ライセンスの取得:製品登録が完了した後、商業的な輸入を行うための輸入ライセンスをNMRAから取得します。

特筆すべきは、NMRAがWHOの事前認証(pre-qualification)を受けた製品に対し、90日以内の迅速な承認プロセスを提供している点です。

市場飽和と国内産業育成の規制

NMRAの規制には、市場の競争環境に直接影響を与える独自の政策が含まれています。NMRAは現在、特定の医薬品について、既に20品目以上が登録されている場合には、新規の登録申請を受け付けていません。この政策は、一見すると市場参入の障壁のように見えますが、その背景には、NMRAが意図的に特定の医薬品における寡占や独占状態を打破し、価格競争を促そうとする戦略があることがうかがえます。

しかし、この「20品目制限」は、現地で製造された製品には適用されません。このことは、NMRAの政策が単なる市場の飽和防止にとどまらず、国内の医薬品製造産業を積極的に保護・育成しようとする国家戦略と密接に結びついていることを示唆しています。日本の企業がスリランカ市場に参入する際には、NMRAの規制が持つこうした二重の意図(価格競争の促進と国内産業の育成)を理解し、現地の生産パートナーとの協業や特定のニッチ市場をターゲットにするなど、より柔軟な戦略を検討することが重要となります。 

スリランカの価格規制と市場の課題

価格決定メカニズムと主要な指標

NMRAは、医薬品の価格を厳格に管理しており、その主要な規制手段が「最大小売価格(Maximum Retail Price, MRP)」と「最大上限価格(Maximum Ceiling Price, MCP)」の設定です。これらの価格は、製造業者、輸入業者、小売業者を含むサプライチェーンの全関係者に対して順守が義務付けられています。

MRPの算定は、原価計算方式に類似したモデルに基づいており、製品のCIF(Cost, Insurance, and Freight)、関税・税金(Duties and Taxes)、およびサプライチェーンの総利益率(Supply Chain Total Markup, SCTM)の合計として計算されます。一方、MCPは、市場の中央値価格に加え、国内外の参照価格を比較して算出されるハイブリッドな方式です。為替変動や市場状況に応じて、MRPとMCPは6ヶ月ごと、あるいはそれ以前にNMRAによって見直される可能性があります。NMRAは、価格承認に用いる為替レートを毎月公表しており、このレートに基づいて価格申請を行うことが求められます。

業界との対立と市場への影響

NMRAの価格規制は、国民の医薬品アクセス向上という崇高な目的を持つ一方で、市場の安定性や外資系企業の事業継続性との間に深刻な摩擦を生じさせています。2019年から2025年にかけて、価格規制を巡っては、医薬品輸入業者や薬局所有者とNMRAの間で継続的な法的紛争が繰り広げられてきました。

業界関係者は、「一律的な上限価格の設定は、採算性を損ない、多くの高品質な製薬メーカーがスリランカ市場から撤退する重大なリスクをもたらす」と警告しています。これは、NMRAの価格統制が、サプライチェーン全体の利益構造を大きく揺るがし、長期的な市場供給に悪影響を及ぼす可能性を示唆しています。 

しかし、NMRAは、市場の独占を打破し、公正な価格を確立することに積極的に取り組んでいます。NMRAは、輸入業者が提示する価格と、NMRAが持つ内部および地域的な参照価格との間に大きな乖離がある場合、直接グローバルメーカーにCIF価格を照会する仕組みを導入しました。この結果、かつて1バイアルあたり76,500ルピーで販売されていた心臓病薬の価格が、わずか370ルピーにまで下落した事例が報じられています。この事例は、NMRAが価格の「不公正」を是正するために、積極的に市場に介入する姿勢を明確に示しています。日本の企業は、価格設定の自由度が限られること、そして価格規制に対する現地パートナーの不満が根強いことを十分に理解した上で、リスク管理を行う必要があります。 

スリランカと日本の薬機法・薬価制度を比較

スリランカと日本の薬機法・薬価制度を比較

規制当局の役割と目的の比較

日本とスリランカの医薬品・医療機器規制は、その根底にある哲学と、規制当局の役割において根本的な差異が見られます。

  • 日本(PMDA/厚生労働省):日本の薬機法は、「品質、有効性及び安全性の確保」を主たる目的としており、PMDA(独立行政法人医薬品医療機器総合機構)がその技術的・科学的な審査実務を担います。薬価の決定は、厚生労働大臣が中医協(中央社会保険医療協議会)での議論を経て行い 、審査と薬価決定の役割は明確に分離されています。 
  • スリランカ(NMRA):NMRAは、審査、安全性監視、GMP査察といった技術的・科学的な規制に加え、「手頃な価格」の確保を法律上の目的として明記し、自ら価格設定に深く関与しています。これにより、NMRAは日本のPMDAと厚生労働省が担う役割を複合的に有していると言えます。 

承認プロセスと上市期間の比較

  • 日本:日本では、新薬の承認後、原則60日以内、遅くとも90日以内に薬価収載される「60日ルール」が厳格に守られています。この制度は、革新的な医薬品を患者に迅速に届けることを目的としています。 
  • スリランカ:NMRAでの新規製品の登録には最低6ヶ月かかり 、価格決定プロセスも含まれるため、日本の「60日ルール」のような迅速な薬価収載制度は存在しません。さらに、輸入ライセンス申請も12週間前(約3ヶ月)の提出が推奨されており 、プロセス全体に時間がかかる傾向があります。 

薬価制度の相違点

日本の薬価制度は、イノベーションを評価し、研究開発投資を回収しやすくすることで、革新的な新薬開発を促すインセンティブモデルです。これに対し、スリランカの制度は、価格統制を通じて国民の医薬品アクセスを最大化するコスト抑制モデルです。この根本的な哲学の違いは、両国の製薬企業のビジネスモデル、R&D投資、そして市場の競争環境を決定づけています。

日本の薬価算定方式は、以下のような方式です。

  • 類似薬効比較方式:既存の類似薬の薬価を基準に価格を決定する方式が基本です。
  • 原価計算方式:類似薬がない場合に、原材料費、労務費、営業利益などを積み上げて薬価を算定します。新薬開発のリスクを考慮し、営業利益率は一般企業よりも高い水準(14.6%)に設定されています。
  • インセンティブ:新薬創出・適応外薬解消等促進加算(通称:新薬創出加算)は、特定の条件を満たした新薬の薬価を特許期間中維持・保護することで、研究開発投資を促す明確なインセンティブとして機能します。

これに対して、スリランカの薬価算定方式は、以下のような方式です。

  • コスト・プラス方式/参照価格方式:NMRAは、MRP算定において日本の原価計算方式に類似したコスト・プラス方式を採用し、MCP算定においては市場の中央値や国内外の参照価格を併用します。
  • 価格統制:NMRAは、価格設定の妥当性を積極的に精査し、不当な高価格を是正するために介入します。これは、日本の新薬創出加算がイノベーションへの報奨であるのに対し、スリランカの価格規制が国民へのアクセスを目的としたコスト統制であることを明確に示しています。 

まとめ

以上のように、スリランカ市場への参入を成功させるためには、その独自の規制環境への適応が不可欠です。

  • 現地代理人選定の重要性:NMRAの「登録免除(Waiver of Registration, WOR)」制度が、監査で本来の目的外で利用されていることが指摘されています。これは、現地パートナーのコンプライアンス意識や、NMRAとの関係性を精査することの重要性を浮き彫りにしています。信頼できる現地代理人の選定は、単なる業務代行を超えたリスク管理の要となります。 
  • 価格交渉の余地:医薬品の価格が法的に厳格に規制され、価格改定が市場実勢価格ではなく、コストと参照価格に基づいて行われるため、日本のビジネスモデル(価格優位性など)が通用しにくい可能性があります。
  • 独占打破への対応:NMRAは、特定の医薬品における市場独占を打破しようと積極的に動いています。これは、既存の独占市場に新たな競争をもたらす機会となり得ますが、同時に価格競争の激化も意味します。 

スリランカのヘルスケア市場は、動的な変化の途上にあります。

  • 世界銀行の支援:世界銀行は、スリランカのプライマリヘルスケアシステム強化のために1.5億ドルの融資を承認しており 、特に非伝染性疾患の対策や高齢化社会への対応に注力する姿勢が明らかです。これは、医薬品・医療機器市場において、これらの分野での需要が高まることを示唆しています。 
  • 国内生産の促進:NMRAの規制は、国内製薬メーカーの生産能力向上と、政府との再購入契約(Repurchasing agreement)の更新を後押ししており 、国内生産率を高める動きが加速する可能性があります。日本の企業は、国内生産との連携や技術移転といったアプローチも検討する価値があるかもしれません。 
  • 規制の透明化:ホログラムステッカーの導入 やeNMRAウェブポータルの利用促進 は、規制プロセスの透明性と効率性を向上させるためのNMRAの取り組みです。これらの改善は、外資系企業にとっての予見性を高めることに寄与するでしょう。 

スリランカの医薬品・医療機器規制は、品質・安全性に加え、手頃な価格を中核に据える点で、イノベーションへのインセンティブを重視する日本のシステムとは根本的に異なります。この制度的差異は、現地代理人の選定、価格交渉、変動する規制への対応など、事業のあらゆる側面に影響を及ぼします。

成功への鍵は、この制度的な違いを深く理解し、単なる規制の順守にとどまらず、スリランカが追求する「国民の健康」という上位目標に自社の製品・サービスがどのように貢献できるかを戦略的に考えることにあります。モノリス法律事務所は、スリランカの法的・規制的環境に基づき、日本企業の皆様が直面するであろう実務的な課題に対し、適切な法的助言と戦略的なサポートを提供します。

関連取扱分野:国際法務・海外事業

弁護士 河瀬 季

モノリス法律事務所 代表弁護士。元ITエンジニア。IT企業経営の経験を経て、東証プライム上場企業からシードステージのベンチャーまで、100社以上の顧問弁護士、監査役等を務め、IT・ベンチャー・インターネット・YouTube法務などを中心に手がける。

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