ベルギー王国の会社形態と会社設立手続

ベルギーでの法人設立は、EU圏内でのビジネス展開を目指す日本企業にとって、その地理的・政治的中心性から戦略的に重要な選択肢となります。しかし、日本の会社法とベルギーの会社法は、その根底にある思想から手続きに至るまで、数々の重要な違いを持っています。特に、2019年に大改正された「ベルギー会社・協会法(Belgian Companies and Associations Code: BCAC)」は、従来の複雑で厳格な法制度を刷新し、企業の柔軟性と簡素化を追求する一方で、日本法にはない特有の法的要件と創設者責任の概念を導入しました。
本稿では、ベルギー法人設立の全体像を、日本の会社設立手続きとの比較を交えて詳細に解説します。特に、日本の経営者や法務部員が予期せぬリスクに直面しないよう、ベルギー特有の「財政計画」や「創設者責任」、そして非EU企業に義務付けられる「VAT代理人制度」といった重要な留意点に焦点を当て、その法的根拠と実務上の意味合いを深く掘り下げていきます。
この記事の目次
ベルギー会社・協会法(BCAC)の概要
2019年5月1日に施行されたベルギー会社・協会法(BCAC)は、従来の会社法、協会法、財団法を包括的に統合し、広範な法改正をもたらしました。この歴史的な法改正の主要な動機は、従来の法制度が持つ不必要な厳格性、不明確さ、そして複雑な特徴が、ベルギーのビジネス環境を他のヨーロッパ諸国と比較して不利なものにしていたという認識にありました。ベルギーの立法者は、この問題を解決し、ベルギーを国内外の起業家にとってより魅力的で競争力のあるビジネス拠点とすることを目指しました。
BCACは、企業や団体、財団に関する規制を広範に書き換え、より構造化され、柔軟な内部組織を可能にするものです。この法改正は、単なる国内法のアップデートに留まるものではなく、ヨーロッパ内でのビジネス誘致競争に勝ち抜くための国家的な戦略の一環であると考えられます。従来の厳格な制度が競争力を損なっていたという認識に基づき、新法では「柔軟性」と「簡素化」が最重要課題として掲げられました。この背景を理解することは、ベルギー市場の特性と政府の姿勢を読み解く上で、日本企業がベルギー進出を検討する際の重要な手掛かりとなります。
ベルギーの主要な会社形態
BCACの導入により、ベルギーの会社形態はこれまでの15種類以上から、4つの基本的な形態にまで大幅に整理されました。しかし、日本企業がベルギーで法人を設立する際に検討すべきは、大きく分けて以下の5つの形態です。各形態は、事業の規模、目的、創設者の責任範囲、および設立手続きの簡便性において、それぞれ異なる特徴を持っています。
プライベート・リミテッド・カンパニー (BV/SRL)
BV/SRLは、非上場企業向けの「デフォルトの会社形態」として位置づけられており、特に中小企業(SMEs)やスタートアップに最も一般的な形態です。旧法下のBVBA/SPRLに代わるもので、大きな特徴は法定最低資本金の要件が撤廃された点です。これにより、設立のハードルが大幅に下がりましたが、代わりに、設立から2年間をカバーする詳細な財政計画の策定が義務付けられます。株主の責任は原則としてその出資額に限定され、会社が設立から3年以内に破産した場合に、裁判所が財政計画を精査し、創設者が「明らかに不十分な初期資本」を提供したと判断すれば、個人的な責任を負わされる可能性があります。
BV/SRLは、そのガバナンス構造において非常に柔軟です。日本の株式会社が「一株一議決権」原則を基本とするのに対し、BV/SRLでは「一株一議決権」のルールは任意規定となり、複数議決権や配当権など、株主間の権利を自由に設計することができます。さらに、知的財産やサービス提供(contribution in services)も出資の対象となるなど、より広範な資産が出資として認められるようになりました。
パブリック・リミテッド・カンパニー (NV/SA)
NV/SAは、通常、大規模な企業や、将来的に株式市場への上場を計画している企業に適した形態です。BV/SRLとは異なり、この形態は最低€61,500の資本金が義務付けられています。資本金は全額が引き受けられ、少なくとも25%が払い込まれていなければなりません。
NV/SAの株式は原則として自由に譲渡可能であり、会社の所有権と経営権の分離が明確です。ガバナンス構造も、取締役会制、単一取締役制、二層制など、柔軟に選択できます。BV/SRLと同様に、1名から設立することができ、株主は出資額まで責任を限定される有限責任となります。
コーポラティブ・カンパニー (CV/SC)
CV/SCは、株主が協同組合的な理想を追求し、その経済的・社会的ニーズを満たすことを目的とする会社形態です。設立には最低3名の創設者が必要です。BV/SRLと同様に、法定最低資本金はありませんが、事業活動に十分な財産を確保する必要があります。株主の責任は、その出資額まで限定されます。
この形態の大きな特徴は、その社会的目的にあり、設立と運営には厳格な協同組合原則が求められます。新しい株主が比較的容易に加入できる一方で、設立には公証人による設立証書の作成と詳細な財政計画の提出が義務付けられています。
ジェネラル・パートナーシップ (VOF/SNC)
VOF/SNCは、少なくとも2名以上のパートナーによる協業を前提とした、法律上の人格を持つ会社形態です。この形態の最も重要な特徴は、すべてのパートナーが会社の債務に対し「無限連帯責任(unlimited joint and several liability)」を負うことです。これは、会社の債務が個人の全財産に及ぶ可能性があることを意味しており、日本の合名会社に近い形態と言えます。
設立に最低資本金は不要で、公証人の関与も不要なため、比較的安価で簡易に設立できます。財政計画の作成も義務付けられていません。パートナー全員の同意がない限り、株式の譲渡は困難であることから、親しいパートナーシップや、医師などの専門職が共同で事業を行う場合に用いられることが多いようです。
リミテッド・スペシャル・パートナーシップ (CommV/SComm)
CommV/SCommは、VOF/SNCと同様にパートナーシップを基礎とする会社形態ですが、責任範囲に大きな違いがあります。この形態には、「無限責任を負う業務執行社員(general partner)」と、「出資額を限度とする有限責任社員(limited partner)」の2種類のパートナーが必須です。
業務執行社員は会社の経営を担い、会社の債務に対して無限連帯責任を負います。一方で、有限責任社員は経営に関与せず、その責任は出資額に限定されます。このため、有限責任社員は、経営に携わらずに投資だけをしたいと考える投資家にとって魅力的な選択肢となります。この形態も、設立に最低資本金や公証人の関与、財政計画の作成は義務付けられておらず、比較的安価かつ簡易に設立できます。
ベルギー主要会社形態の比較
以下の表は、日本企業にとって主要な選択肢となる5つの会社形態の主な特徴を比較したものです。
BV/SRL | NV/SA | CV/SC | VOF/SNC | CommV/SComm | |
---|---|---|---|---|---|
主な用途 | 中小企業、スタートアップ | 大規模企業、上場企業 | 協同組合、社会的事業 | 小規模共同事業 | 投資家を募る共同事業 |
設立に必要な人数 | 1名以上 | 1名以上 | 3名以上 | 2名以上 | 2名以上 (業務執行社員、有限責任社員各1名以上) |
責任範囲 | 株主は出資額まで責任を限定 | 株主は出資額まで責任を限定 | 株主は出資額まで責任を限定 | パートナーは無限連帯責任 | 業務執行社員は無限連帯責任、有限責任社員は出資額まで |
最低資本金 | 不要 | €61,500 | 不要 | 不要 | 不要 |
公証人の関与 | 必要 | 必要 | 必要 | 不要 | 不要 |
財政計画 | 必須 | 必須 | 必須 | 不要 | 不要(推奨) |
ベルギーにおける会社設立のプロセス
財政計画の策定と創設者責任
ベルギーでの法人設立において、創設者は事業開始から少なくとも2年間をカバーする詳細な財政計画(financial plan)を策定することが義務付けられています。この計画は、設立証書とともに公証人のファイルに保管されますが、公開はされません。
この財政計画の作成は、ベルギー法における創設者の「責任」と密接に結びついています。BV/SRLで法定最低資本金が廃止されたことにより、その代替となる債権者保護の仕組みが必要とされました。この財政計画と、後述する「創設者責任」は、その代替手段として機能します。ベルギー法は「設立時の形式的な資本額」ではなく、「事業活動に対する創設者の十分な財産と事前の計画性」をより重視する方向にシフトしたと言えるでしょう。
公証人による設立証書の作成
日本の会社設立手続きにおける公証人の役割は、定款の認証に限定されるのが一般的です。これに対し、ベルギーの公証人は、設立証書(deed of incorporation)の作成から、商業裁判所への登記代行に至るまで、設立プロセス全体において中心的な役割を担います。BV/SRLやNV/SAといった有限責任会社を設立する場合、この公証人の関与が不可欠となります。設立証書には、株主の詳細、資本金(または財産)、会社の定款(articles of association)などが含まれます。定款の言語は、会社の登記所在地によってオランダ語、フランス語、またはドイツ語となります。ブリュッセル首都圏では、オランダ語またはフランス語のどちらかを選択できます。日本企業にとっては、適切な公証人を選定することが、手続きを円滑に進める上で極めて重要です。
出資手続きと資本概念の改革
BCACの下では、BV/SRLの設立にあたり法定最低資本金(旧法では€18,550)が廃止されました。代わりに、創設者は、会社の事業活動に対して「十分な財産(sufficient equity)」を確保することが義務付けられます。この「財産」概念は、単なる現金出資に限定されず、サービス提供(contribution in services)も出資の対象となるなど、より広範な資産を含むものです。これは、知的財産やサービスを主要な資産とするスタートアップ企業にとって、柔軟な資金調達を可能にする大きなメリットとなり得ます。
出資方法には、現金出資と現物出資があります。現金出資の場合、設立前の会社名義でベルギーの銀行に口座を開設し、出資額を預け、公証人宛の証明書を受け取る必要があります。この口座は、設立証書が公証人によって実行されるまで凍結されます。現物出資の場合には、監査人(auditor)による評価報告書と、創設者がその出資が会社にとって利益となる理由を説明する特別報告書が必要となります。
各種登録手続きと事業開始の要件
設立証書が商業裁判所の登記所(Registrar Office of the Commercial Court)に提出され、ベルギー官報(Belgian Official Gazette)に掲載されることで、会社は正式な法人格を取得します。
その後、事業活動を開始する前に、いくつかの必須手続きが残されています。
- 企業横断データベース(Crossroads Bank for Enterprises: CBE)への登録:この登録により、10桁のユニークな企業番号が付与されます。この番号は、VAT登録や社会保険基金への加入にも使用される重要な識別番号です。
- VAT(付加価値税)登録:事業活動がVATの対象となる場合、連邦公共サービス財務省(Federal Public Service Finance)への登録が義務付けられます。
- 社会保険基金への加入:社会保険への加入は、すべての自営業者と会社に義務付けられています。事業開始前に社会保険基金(social insurance fund)に加入する必要があります。
ベルギーでは、法的な設立と事業活動開始の法的要件が明確に分かれています。企業番号がVAT番号や社会保険番号を兼ねるというシステムは、手続きの効率化に貢献しています。
ベルギーでの法人設立時に日本企業が特に留意すべき法的要件

創設者責任の詳細なリスク分析
ベルギー法における最も特異な点の一つが、この創設者責任(founder’s liability)です。会社が法人格取得から3年以内に破産した場合、裁判所は公証人が保管する財政計画を精査します。もし、創設者が「明らかに不十分な初期資本」を提供したと判断されれば、創設者は会社の債務に対して個人的に責任を負わされる可能性があります。
この制度は、有限責任という原則に対する重要な例外です。日本の有限会社制度のように、最低資本金を満たせば形式的に責任が限定されるのではなく、ベルギーでは、創設者の「事業継続可能性に対する予見」が厳しく問われることになります。これは、ベルギー法が形式的な要件よりも、実態的な「誠実な事業計画」を重視しているという哲学の表れと解釈できます。
このリスクを回避するためには、財政計画を単なる形式的な書類ではなく、市場調査、収益・支出予測、資金調達計画などを盛り込んだ、説得力のある事業計画とすることが極めて重要です。専門家(会計士など)の協力を得て、事業活動に対する十分な財産が確保されていることを明確に証明する計画を策定することが、将来的な法的リスクを最小限に抑える鍵となります。
非EU企業に求められるVAT代理人制度
EU域外に本社を置く日本企業がベルギー国内でVAT登録を行う場合、原則としてベルギーに居住するVAT代理人(fiscal representative)を任命することが義務付けられています。
この要件は、EU VAT指令(Council Directive 2006/112/EC)第204条に基づくものであり、ベルギー独自のローカルルールではありません。この代理人は、クライアントである日本企業のVAT債務に対して「共同かつ連帯して責任を負う」とされています。このため、代理人は通常、VAT債務を担保するための銀行保証金(bank guarantee)の預託を要求します。その金額は、推定年間VAT額の10%で、最低€7,500から最高€1,000,000にもなることがあります。
この制度は、日本の親会社が直接支社を設立する際に、単なる行政手続き以上の、予期せぬ大きな財務的負担と法務リスクをもたらします。日本企業は、この代理人選任義務とそれに伴う保証金のリスクを事前に十分に把握し、事業計画に織り込んでおく必要があります。
まとめ
ベルギーでの法人設立は、日本の制度とは一線を画す特有の法規制とリスクを伴います。特に、BCACが導入した柔軟性の裏側には、創設者の「計画性」と「誠実さ」を厳しく問う創設者責任が潜んでいます。また、非EU企業にとっては、VAT代理人制度が予期せぬ財務的・法務的負担となる可能性もあります。
これらの複雑なプロセスを円滑に進め、将来的な法的リスクを最小限に抑えるためには、設立段階からベルギー法に精通した専門家のサポートが不可欠です。当事務所は、ベルギーの最新の法制度と実務動向を深く理解しており、お客様の事業形態や目的に応じた最適な会社形態の選定、公証人や会計士との連携、設立証書や財政計画のレビュー、そして各種登録手続きのサポートに至るまで、包括的なリーガルサービスを提供しています。貴社がベルギーという新たな市場で安心してビジネスを展開できるよう、法務の観点から力強くサポートいたしますので、いつでもお気軽にお問い合わせください。
関連取扱分野:国際法務・海外事業
カテゴリー: IT・ベンチャーの企業法務