台湾の海事法・海商法の解説

日本と台湾の法制度は歴史的な経緯から共通点を持つものの、海事分野においては責任の範囲、労働条件、紛争解決の実務など、実務上の対応を大きく左右する差異が存在します。
台湾の海事法は、主に三つの主要な法令から構成されています。第一に、海運・海事活動における私法関係を規定する『海商法』です。これは、日本の商法第3編「海商」に相当し、海上物品運送、船舶衝突、海難救助、船舶担保権といった事項を包括的に定めています。第二に、船員の労働条件や雇用関係を規律する『船員法』です。これは日本の船員法に相当し、船員の安全と福祉を保護する役割を担っています。第三に、海洋環境の保全を目的とする『海洋汚染防治法』(Marine Pollution Control Act)です。日本の『海洋汚染等及び海上災害の防止に関する法律』に類似し、油や有害液体物質の排出規制を定めています。広義の「海事法」は「海商法」や「海事法」として国際的に認識されており、台湾法もこの分類に準拠していることが言えます。
本稿は、台湾の海事法制を体系的に解説し、特に日本の法律との違いに焦点を当てることで、皆様が台湾ビジネスにおいて直面しうる法的課題の理解を深め、適切なリスク管理戦略を構築するための一助となることを目的とします。
この記事の目次
台湾海商法の核心:責任制限、運送、担保権
船舶所有者の責任制限制度
台湾の海商法は、特定の事由により発生した船舶所有者の責任について、その賠償額を制限する制度を設けています。海商法第21条は、「船舶所有者對下列事項所負之責任,以本次航行之船舶價值、運費及其他附屬費為限」(船舶所有者は、以下の事項について負う責任を、今回の航行における船舶の価値、運賃、およびその他の付属費用を上限とする)と規定しています。この制限は、船舶の操作や救助作業によって生じた人身傷害や財物損害、沈没船の引き揚げ・撤去費用などに適用されます。
しかし、海商法第22条は、この責任制限が適用されない例外を定めています。具体的には、船舶所有者本人の故意または過失に基づく債務、船員との雇用契約に基づく債務、海難救助の報酬、共同海損分担額、そして毒性化学物質や油濁による損害賠償などです。これらの例外規定は、船舶所有者が自ら不正行為を行った場合や、社会的に保護すべき債権(船員の給与など)については、無制限の責任を負わせるという公法の理念を反映しているものです。
日本の船舶所有者等の責任制限制度は、国際条約である1976年船主責任制限条約及び1996年議定書に基づいており、責任額は船舶の総トン数に応じて算出される定額制が採用されています。これに対し、台湾の海商法は、依然として海難時の「船舶価値」を基準とする旧来の方式を原則としています。この両国の制度の違いは、海難事故が発生した際の法的リスクに大きな影響を及ぼします。日本の定額制は賠償額の予測可能性が高く、保険戦略を立てやすいという利点があります。一方、台湾の「船舶価値」基準は、事故時の船舶の状態や市場価値によって賠償上限が変動するため、正確なリスク評価が困難となります。このような不確実性は、台湾での事業展開において、日本の企業が想定外の賠償責任を負うリスクを高める可能性があります。
また、台湾海商法は、海上物品運送における貨物の単位責任制限に関して、賠償上限を国際通貨基金(IMF)が定めたSDR(特別引出権)で算出する方式を採用しています。具体的には、「1個につき666.67SDR、または1kgにつき2SDRのいずれか高い方」を上限としています。これは、為替変動のリスクを軽減し、国際的な商慣行との整合性を図るための措置です。日本の国際海上物品運送法もSDRを単位として責任制限を規定しており、この点においては両国の法制に大きな違いはありません。
海上物品運送契約
台湾海商法は、運送人の貨物滅失・毀損に対する責任について、複数の免責事由を定めています。特に重要なのは、「船長、海員、引水人または運送人の被用者の、航行または船舶管理上の過失」が免責事由として明記されている点です。この規定は、運送人が航海や船舶管理の不手際による損害について責任を負わないとする「航海過失免責」の原則を明確にしています。ただし、損害が天災や不可抗力による場合であっても、運送人やその履行補助者の過失が介在している場合は免責されないとされています。
日本の国内海上運送を規律する商法は、2018年の改正により、運送人の堪航能力担保義務違反による責任を「無過失責任」から「過失責任」へと変更しました。これは、船舶の構造が複雑化した現代において、運送人に無過失責任を負わせることが酷であるとの判断、および国際海上運送法との均衡を図る目的があります。一方、日本の国際海上物品運送法は、台湾海商法と同様に「航海過失免責」を認めており、国際運送の領域では両国の法制に共通点が多いと言えます。貨物の滅失、損傷、または遅延による損害賠償請求権の時効は1年と定められています。
船舶担保権と優先順位
台湾海商法第24条は、船舶に対して優先的に弁済を受けることができる債権、すなわち「海事優先権」(日本の「船舶先取特権」に相当)の項目を定めています。これには、人身傷害に対する賠償請求、海難救助の報酬、港湾費などが含まれます。これらの船舶先取特権は、船舶抵当権に優先して弁済を受けることができるとされています。これは、船舶先取特権が、船舶の航行や救助といった公共性の高い活動から生じる債権を保護するための法定担保物権であるため、当事者の合意によって設定される船舶抵当権よりも強い効力が認められているためです。
日本の商法における船舶先取特権も、台湾法と同様に船舶抵当権に優先すると規定されており 、この共通する原則は、船舶先取特権が登記や登録とは無関係に成立するという国際的に確立された海事法の原則が、両国に深く根付いていることを示しています。
台湾海上における法的リスク:衝突、海難救助、汚染防止

船舶衝突
台湾海商法は、船舶衝突後に各船舶の船長が、自船の安全性に大きな危害を及ぼさない範囲で、相手方の船長、船員、旅客を救助するよう努力する義務を定めています。また、不可抗力の場合を除き、救助が無益であることが確実になるまで事故現場に留まること、可能な限り自船の情報を相手方に通知することも義務付けられています。この義務に違反した場合、船長は3年以下の有期懲役または拘留の刑事罰の対象となりうるとされています。
双方の船舶の過失によって衝突が発生した場合、台湾の裁判所は、双方の過失の軽重を考慮して損害賠償責任を定める「比較過失主義」を採用しています。もし過失の軽重を判定できない場合は、各船舶の所有者が等しい割合で損害を負担するとされています。日本の商法第788条も同様の規定を設けており 、この共通点は、両国の法制が国際的な船舶衝突条約の精神に沿っていることを示しています。さらに、被害者は加害船舶が台湾領海に入った際に抑留を申し立てることができます。
海難救助と共同海損
共同海損とは、航海中に共同の危険から船舶と積荷の全財産を救うために、意図的かつ合理的な処分によって生じた犠牲および費用を、利害関係人全員で分担する制度を指します。台湾海商法は、旧法にあった共同海損の成立要件である「船長の行為」という絶対的な要件を削除しました。これにより、共同海損が成立する範囲が拡大し、より多様な海難事態に適用可能となりました。この法改正は、共同海損の成立基準を国際的な規範であるヨーク・アントワープ規則に近づける動きの一部です。
海洋汚染防止法制
台湾の『海洋汚染防治法』(Marine Pollution Control Act)は、海洋汚染の防止、海洋環境・生態系の保護、公衆衛生の確保を目的として制定されました。この法律は、中華民国の領海、接続水域、排他的経済水域等に適用されます。規制の対象は、船舶や海洋施設、航空機からの油、有害液体物質、廃棄物の排出や、海底への廃棄などであり、日本の『海洋汚染等及び海上災害の防止に関する法律』と非常によく似ています。
台湾法は、総トン数150トン以上のタンカーや400トン以上のその他の船舶の船主に対し、海洋汚染による賠償責任を担保するための強制保険の付保や保証の手配を義務付けています。また、この規定により、汚染被害者は保険者や保証人に直接損害賠償を請求する権利を有します。
台湾の船員法制と労働環境
労働時間・休息時間
台湾の『船員法』第33-1条は、船員の労働時間と休息時間に関して厳格な規定を設けています。航海中の船員は、24時間内に最低10時間の休息時間、そして7日間で最低77時間の休息時間を確保しなければなりません。これは、緊急事態や訓練などの不可抗力の場合を除き、厳守されます。さらに、休息時間は2つの時間帯に分割可能ですが、そのうちの1つは最低でも6時間以上でなければならず、2つの休息時間の間隔は14時間以内と定められています。
日本の船員法における労働時間規制は、「24時間あたり14時間以内、かつ7日間あたり72時間以内」という最大労働時間を基準としています。これは、台湾の「最低休息時間」というアプローチとは対照的です。台湾の制度は、日本の「最大労働時間」という基準よりも、船員の疲労回復を直接的に保証する意図が強いと解釈できます。
雇用の終了と補償
台湾の船員法は、船員の権益保護に特化した特別法であり、解雇時や傷病時、死亡時に手厚い補償規定を設けています。たとえば、船員の責に帰すべき理由ではない解雇の場合、雇用主は解雇手当(retrenchment benefits)を支払う必要があります。また、産休中や職務上の負傷による治療期間中の解雇は原則として禁止されています。
職務上の死亡に対する補償も手厚く、遺族には平均賃金の40ヶ月分に相当する死亡給付金が一時金として支払われ、加えて葬祭料も支払われます。
帰還(護送)義務
台湾の船員法は、雇用主である船舶所有者に対し、船員を雇用地へ帰還させる「護送義務」を課しています。これは、雇用契約が終了した場合や、船舶の滅失・沈没などの事由によって船員が帰還できなくなった場合に適用されます。日本の船員法にも同様の「送還義務」(第47条)があり 、両国の法制は、雇用主が船員の安全と福祉に対する責任を負うという保護主義的な側面を共有しています。
台湾紛争解決の実務と日本の仲裁判断の扱い

海事事件の裁判管轄
台湾には、中国大陸のような独立した専門の「海事法院」は存在しません。しかし、海事事件の専門的な処理を目的として、台湾高雄地方法院に海事事件の集中部が設けられています。これにより、海事法に関する高度な専門知識を持つ裁判官が事件を担当することが可能となり、専門性の向上が図られています。
しかしながら、台湾海商法関連の訴訟件数を地域別に見ると、台湾最大の港湾である高雄よりも、首都の台北地方法院で扱われる件数が最も多いという実態があります。これは、台湾の法務サービスや企業活動の中心が台北に集中していること、そして海事裁判の専門化がまだ完全には進んでいないことの両面を示唆しています。
仲裁と強制執行:ニューヨーク条約の非締約国問題
国際的な商事紛争の解決において、「外国仲裁判断の承認及び執行に関する条約(通称:ニューヨーク条約)」は、仲裁判断の国際的な有効性を担保する重要な枠組みです。しかし、台湾はこの条約の締約国ではありません。これは、日本で下された仲裁判断について、条約に基づく台湾での執行を直接求めることができないことを意味します。
しかし、台湾国内法である『中華民国仲裁法』が、外国仲裁判断の承認と執行に関する規定を設けているため、日本の仲裁判断が台湾で執行できないことを意味するわけではありません。この法律は、ニューヨーク条約の要件とほぼ同じ要件を定めているため、条約によって承認・執行される仲裁判断であれば、台湾でもその承認・執行が可能です。
実際に、日本商事仲裁協会(JCAA)で下された仲裁判断が台湾で承認・執行された事例も存在します。この事実は、台湾との国際契約において仲裁条項を設けることが、紛争解決の有効な選択肢となり得ることを示しています。日本の企業は、安易に訴訟を選択するのではなく、より迅速かつ専門的な解決が期待できる仲裁を選択肢として積極的に検討すべきです。
まとめ
本稿を通じて、台湾の海事法制が日本の法制と多くの共通点を持ちつつも、実務上無視できない差異が存在することが明らかになりました。主要な相違点は以下の通りです。
- 責任制限:日本が総トン数に基づく定額制を採用する一方、台湾は船舶の価値に基づく旧来の方式を原則としています。
- 海上運送人責任:日本の国内法が堪航能力担保義務を過失責任に転換したのに対し、台湾海商法は航海過失を免責事由として明記しています。
- 船員法制:台湾は休息時間に関してより厳格な基準を設けており、日本の「船員働き方改革」の方向性と類似性を示しつつも、具体的な規定に差異があります。
- 紛争解決:台湾はニューヨーク条約の非締約国ですが、国内法により日本の仲裁判断の執行が可能であり、訴訟以外に有効な選択肢が存在します。
これらの差異を踏まえ、台湾との海上ビジネスにおける法的リスクを回避するため、以下の提言をいたします。
- 契約内容の詳細な確認:運送契約書や傭船契約書を締結する際には、運送人の責任制限条項、特に航海過失免責条項の有無と適用範囲を詳細に確認する必要があります。
- 厳格な労務管理:台湾籍船員を雇用する場合は、台湾船員法の厳格な労働時間・休息時間規定に準拠した労務管理体制を構築することで、違反による法的リスクを未然に防ぐことが必要です。
- 紛争解決手段の戦略的選択:契約段階から、仲裁による紛争解決を積極的に検討してください。仲裁条項を設けることで、迅速かつ専門的な解決が期待できます。
台湾海事法制は複雑であり、国際的な潮流を受けて常に変化しています。個別の事案における正確なリスク評価と適切な法的対応のためには、台湾の法律実務に精通した専門家への相談が不可欠です。
関連取扱分野:国際法務・海外事業
カテゴリー: IT・ベンチャーの企業法務