アメリカ合衆国 NASDAQの上場廃止とその要件に関する解説

NASDAQは、多くのテクノロジー企業や成長企業が上場する、世界で最も影響力のある証券市場の一つです。グローバルな事業展開を志向する日本企業にとって、この市場への上場は重要な目標となり得ます。しかし、NASDAQ上場後の企業には、その地位を維持するための厳格な要件が課せられています。
上場廃止は、単なる企業の財務的な失敗だけでなく、株価の低迷、株主数の減少、コーポレートガバナンスの不備など、多岐にわたる要因によって引き起こされます。上場廃止のリスクを理解することは、予期せぬ事態を回避し、持続可能な米国事業戦略を構築する上で不可欠です。
本記事では、NASDAQの上場維持基準、上場廃止に至る詳細なプロセス、そして日本の制度との違いを、具体的な法令や近年の動向、さらには判例を交えて網羅的に解説します。
この記事の目次
NASDAQ上場維持基準の全体像と市場の階層性
NASDAQ市場は、その上場基準の厳格さによって「NASDAQグローバル・セレクト・マーケット」「NASDAQグローバル・マーケット」「NASDAQキャピタル・マーケット」の3つの市場層に分かれています。各市場は異なる基準を適用しており、企業は自社の規模や財務状況に応じていずれかの市場に上場します。例えば、「株主数(300人以上)」などの基準は、主にNASDAQキャピタル・マーケットに適用される継続上場基準です。
上場維持基準は、主に以下の3つの類型に分類されます。
- 株価・流動性基準:株価、浮動株の時価総額、株主数、取引高など、株式の公正な流通を確保するための基準です。
- 財務基準:株主資本、純利益、総資産・総売上高など、企業の財政的な健全性を示すための基準です。
- 企業統治基準:独立取締役の設置、監査委員会の構成、株主総会の開催など、健全なコーポレートガバナンスを確保するための基準です。
これらの基準は、企業の規模や特性に応じて、各市場層で異なる数値要件が設定されています。特に、日本の新興企業が上場を検討する可能性が高いNASDAQキャピタル・マーケットとNASDAQグローバル・マーケットの基準を理解することが重要です。
NASDAQ上場廃止の主要な定量的要件と近年の厳格化

株価(Bid Price)の基準
NASDAQにおける上場維持の最も基本的な基準の一つが、株価に関するものです。NASDAQのルールブック(Rule 5810(c)(3)(A)(i))に基づき、当該企業の株価の終値が30営業日連続で1.00ドル未満で推移した場合、上場廃止手続きの対象となります。この基準に抵触すると、NASDAQから「デフィシェンシー・ノーティス(Deficiency Notice)」と呼ばれる改善要請通知が発行されます。企業は、この通知の受領後4営業日以内に、米国証券取引委員会(SEC)へのフォーム8-Kの提出、またはプレスリリースによって、この事実を公表しなければなりません。
通知を受けた企業には、原則として180暦日間の改善期間が与えられます。この期間内に、終値が10営業日連続で1.00ドル以上を維持すれば、上場廃止は回避されます。さらに、NASDAQキャピタル・マーケットの継続上場要件を満たしている場合、追加で180日間の第2改善期間が付与される可能性があります。
近年の日本企業の例としては、メディロム・グループが挙げられます。同社は、新型コロナウイルス感染症のパンデミックによりショッピングセンター内の店舗が閉鎖され、売上がほぼゼロになるという苦境に直面し、高い負債比率(190%)と低い純利益率(1.79%)を抱え、株価が低迷を続けました。この株価低迷により、同社はNASDAQの最低入札価格要件(終値1ドル以上)に抵触し、2025年2月に不適合の通知を受けるに至りました。しかし、メディロムは、抜本的な経営改革に舵を切り、傘下の複数事業を統合・再編し、効率的な事業運営と顧客サービスの強化を図ることで、経営基盤の再構築を試みました。このような事業改善への取り組みが、市場からの信頼回復に繋がり、結果として、同社の米国預託証券(ADS)は、2025年5月から10営業日連続で終値が1.00ドル以上を維持することに成功し、2025年6月にはNASDAQからコンプライアンス回復の通知を受け、上場廃止の危機を乗り越えることができました。
なお、近年の動向として、NASDAQはこれらのルールをさらに厳格化しています。例えば、2025年8月までに、株価が10営業日連続で0.10ドル未満となった場合、改善期間に関わらず、より迅速に上場廃止を決定できる新ルールを提案しています。これは、投資家保護の観点から、極端な低位株の取引を早期に停止させることを目的としていると言えるでしょう。
リバース・ストック・スプリットの制限
また、株価回復策として用いられるリバース・ストック・スプリット(株式併合)に対しても制限が設けられました。前提として、株価の基準は、あくまで「株価が1.00ドル以上であれば良い」という基準なので、株式併合を用いると、この基準を超えることは可能です。例えば、株価が0.9ドルの企業が2株を1株にする株式併合を行えば、その会社の時価総額が変わらなくても、単純に株価は1.8ドルになるからです。しかし、言うまでもなく、これは本質的な解決ではありません。
NASDAQは、2025年1月には、株式併合によって株価基準を一時的に回復させた企業が、その1年以内に再度基準を割り込んだ場合、改善期間が付与されなくなるという新ルールを施行しました。これらのルール変更は、単に数値的な基準を満たすだけでなく、企業の根本的な財務・事業体質の改善を促すというNASDAQの意図から策定されていると言えるでしょう。新ルールは、リバース・ストック・スプリットを繰り返す企業に対し、根本的な問題解決を行わない限り、上場維持は困難であるという強いメッセージを発しています。日本企業は、NASDAQが形式的なコンプライアンスではなく、実質的な企業価値を重視し始めているというトレンドを理解しておく必要があります。
株主数・時価総額・流動性に関する基準
NASDAQの継続上場基準は、株価以外にも企業の財務状況や株式の流動性に関する複数の要件を設けています。例えば、NASDAQキャピタル・マーケットでは、継続上場のために最低300人の株主が必要です。これは、日本のグロース市場(150人以上)やスタンダード市場(400人以上)と類似した基準です。
また、最低時価総額要件 (NASDAQ Listing Rule 5550(b)(2))としては、複数の基準の中から一つを満たすことで上場を維持できる選択肢を企業に与えています。例えば、NASDAQキャピタル・マーケットでは、企業は以下のいずれかの基準を満たす必要があります 。
- 株主資本(Stockholders’ Equity)が250万ドル以上 。
- 上場証券の時価総額(Market Value of Listed Securities, MVLS)が3,500万ドル以上 。
- 継続事業からの純利益(Net Income from Continuing Operations)が直近会計年度で50万ドル以上、または直近3会計年度中2期で50万ドル以上 。
近年の日本企業の例としては、アーリーワークスは、上場証券の時価総額(MVLS)が30営業日連続で3,500万ドルを下回ったことで、2024年10月にNASDAQから不適合通知を受けました。さらに、2025年5月には、最低株主資本250万ドルの基準も満たしていないことが判明しました。同社は、上場廃止プロセスを停止させるために、NASDAQヒアリングパネルに上訴し、継続上場のための猶予期間を確保しました。また、最低入札価格要件にも一時的に抵触しましたが、公聴会を前に株価を回復させ、コンプライアンスを回復しました。
浮動株(公開流通株)に関しては、NASDAQキャピタル・マーケットでは、浮動株数が100万株以上、その時価総額が最低500万ドルまたは1,500万ドルを維持する必要があります。なお、新規上場企業に関しては、2025年4月には、市場価値基準を満たす際、その株式がIPOで売却されたもののみが考慮され、既存の売却株主が保有する株式は除外されるルールが適用されました。
上場廃止プロセスと異議申し立ての手続き
上場廃止のプロセスは、基準抵触が判明した際のNASDAQからの通知から始まります。NASDAQの上場資格審査部(Listing Qualifications Department)から通知が発行されると、企業は改善計画を提出し、与えられた改善期間内で基準を回復する必要があります。期間内に基準を満たせない場合、NASDAQは「上場廃止決定通知書(Staff Delist Determination)」を発行します。
この決定に対し、企業は「ヒアリング・パネル(Hearings Panel)」への異議申し立てを行うことができます。この申し立ては、決定から7日以内に行う必要があり、これにより上場廃止は一時的に停止されます。パネルの決定に不服がある場合は、さらに「NASDAQ上場・聴聞審査評議会(Nasdaq Listing and Hearing Review Council)」に上訴することができます。評議会の決定は、原則としてNASDAQの最終的な決定となります。
なお、評議会の決定に不服がある場合、最終手段として、企業はSECに対して上訴を提起することができます。これは、NASDAQの裁量権が絶対的なものではなく、米国の法制度によってチェックされることによるものです。NASDAQの裁量権には限界があり、2024年12月11日、米国第5巡回区連邦控訴裁判所は、NASDAQが提案しSECが承認した「取締役会の多様性開示ルール」を棄却する判決を下しました。裁判所は、SECが「メジャー・クエスチョンズ・ドクトリン(Major Questions Doctrine)」に照らして、連邦議会から明確な権限委譲を受けていない事項(企業の経営方針に関わる社会的・政治的要件)についてルールを承認することは、その権限を逸脱する行為であると判断しました。この判決が示すように、NASDAQが投資家保護の名の下に行うルール策定であっても、その権限には、連邦法の枠組みを超えることはできないという限界があります。
NASDAQと日本の上場制度の比較

上場維持基準における債務超過と株価基準
米国NASDAQの上場廃止基準を理解するためには、日本の制度との違いを認識することが不可欠です。まず、上場維持基準において最も根本的な違いは、財務基準の考え方です。
日本の全市場(東証プライム、スタンダード、グロース)では、「純資産が正であること」が上場維持基準の根幹をなします。債務超過は、原則として上場廃止の決定的な理由となります。これは、企業の存続可能性を直接的に問う、非常に明確な基準です。
一方、NASDAQの上場維持基準は、日本の「債務超過」に相当する単一の基準はありません。その代わりに、株主資本(Stockholders’ Equity)、上場証券時価総額(Market Value of Listed Securities)、継続事業からの純利益(Net Income from Continuing Operations)など、複数の基準の中から一つを満たすことで上場を維持できます。この違いは、日米の市場が重視する側面の差を示唆します。日本の基準が企業の「財政的健全性」を絶対的な条件とする一方で、NASDAQはより多様な指標(市場からの評価、収益力など)を許容しています。
上場廃止手続きと改善期間の相違
上場廃止の手続き面においても、日米の市場には大きな違いが見られます。
東証では、上場維持基準に抵触した場合、原則として1年間の「改善期間」が与えられます。また、上場廃止までのプロセスとして「監理銘柄」「整理銘柄」という段階的な指定が設けられており、投資家は取引継続の可否や廃止までの猶予を段階的に把握できます。
一方、NASDAQの改善期間は原則180暦日と、東証より短い期間に設定されています。さらに、前述した「リバース・ストック・スプリット」の制限や「0.10ドル未満」での即時廃止ルールなど、近年ではより迅速かつ厳格な対応が強化されています。東証のプロセスは、企業に十分な改善の機会を与え、投資家にも段階的な情報開示を行うことを重視していると言えます。これに対し、NASDAQのプロセスは、市場の公正性と投資家保護をより迅速に実現しようとする思想を反映しています。米国では、問題のある企業を市場から迅速に排除することが、市場全体の健全性維持に不可欠であると考えられているからです。
まとめ:NASDAQの上場廃止基準については弁護士に相談を
NASDAQの上場廃止基準は、日本の制度とは異なる厳格さとスピード感を持っています。単に上場基準を満たすだけでなく、その後の継続的な企業価値の向上とコンプライアンス維持が求められる環境です。特に近年のルール変更は、形式的な対応ではなく、事業の根本的な健全性を問う方向へ向かっています。
当事務所による対策のご案内
モノリス法律事務所は、IT、特にインターネットと法律の両面に高い専門性を有する法律事務所です。ベンチャー法務に経験と実績を有し、国際ネットワークと連携する法律事務所として、モノリス法律事務所は日本企業によるNASDAQ上場を全面的にサポートいたします。NASDAQ上場支援については、下記記事をご参照ください。
モノリス法律事務所の取扱分野:NASDAQ上場支援
カテゴリー: IT・ベンチャーの企業法務