オランダの法体系と司法制度を弁護士が解説

オランダ(正式名称、オランダ王国)は、その地理的優位性と開放的な経済政策により、欧州における国際ビジネスの要衝として確立されています。この地位を支えているのが、安定した、しかし独自の進化を遂げてきたその法体系と司法制度です。本稿は、オランダでの事業展開を検討されている日本の経営者や法務担当者の皆様に向けて、オランダの法的枠組みを、日本法との比較を通じて実務的な観点から深く解説するものです。
オランダ法は、日本と同じく大陸法に属するという共通点を持つ一方で、その歴史的背景や、欧州連合(EU)の統合によって形成された多層的な法秩序という点において、日本とは決定的に異なる側面を有します。また、立法と司法の関係性や、国際商事紛争の解決に特化した革新的な裁判所の存在は、日本法に慣れ親しんだ方々にとって、特に理解を深めるべき重要な要素です。
本稿では、これらの相違点に焦点を当てることで、読者の皆様がオランダでのビジネスを円滑に進める上で不可欠な、実践的な知見を提供します。
この記事の目次
オランダ法体系の系譜
オランダの法体系とその歴史
オランダの法体系は、日本と同様に、ローマ法を起源とする大陸法(Civil Law)に属し、成文法が法体系の中心を占めるという共通点を持っています。しかし、両国の法体系がたどった歴史的な道のりには大きな違いがあります。日本の近代法が主にドイツ法の影響を強く受けて形成されたのに対し、オランダ法は複数の法体系の影響を複合的に受け、独自の発展を遂げてきました。
19世紀初頭、ナポレオンによる占領時代にフランスの法制度が強制的に導入され、その影響はその後も長く残りました。しかし、オランダは独立後、フランス法から脱却し、独自の民法典(Burgerlijk Wetboek)を制定しました。さらに、1992年の大規模な民法改正では、ドイツ民法典(Bürgerliches Gesetzbuch)の原則を強く受け入れ、法体系の現代化を図っています。この歴史的な層の重なりが、現代オランダ法のユニークな性格を形作っています。
また、現行のオランダ民法典は、日本の民法典が民法と商法で明確に分かれているのとは異なり、商事法的色彩の濃い規定を含んでいる点に特徴があります。会社法に関する規定や、運送法、さらには消費者保護法に関する規定までが、この民法典に包括的に統合されています。このような「ワンストップ」な法典設計は、複数の異なる法体系から要素を取り込み、実用性と統合性を重視して法を再編してきたオランダの歴史を反映していると考えられます。これにより、国際的な商取引を広くカバーする一つの法典を参照できるという利点がある一方で、日本の法務担当者は、取引の種類に応じて複数の法典を参照する日本の慣習とは異なるアプローチを理解する必要があります。
契約解釈における原則
契約解釈の原則においても、日本とは異なる重要な特徴が存在します。オランダの契約法では、文言の字義通りの意味に厳格に従うのではなく、契約当事者の合理的な期待と意図を重視する「Haviltexドクトリン」が採用されています。これは、英国のコモンローが契約の文言を厳格に解釈するアプローチとは対照的です。このドクトリンが示唆するのは、契約書の文言だけでなく、その背景にある交渉過程の議事録や電子メールなど、当事者が本当に意図した内容を示すあらゆる情報が、将来的な紛争時に重要な証拠となり得るということです。したがって、オランダ企業との取引では、契約書作成時だけでなく、交渉の記録を丁寧に残すことが、予期せぬ解釈の相違を防ぐ上で不可欠となります。
以下の表に、日本とオランダの法制度における主な比較点をまとめました。
日本 | オランダ | |
---|---|---|
法体系の起源 | ドイツ法中心の大陸法 | フランス・ドイツ法の影響を受けた複合的な大陸法 |
司法制度(違憲審査権) | 法律の合憲性を審査可能 | 法律の合憲性は審査不可。ただし、EU法・条約との整合性は審査可 |
EU法の役割 | EU法は適用外 | EU法は国内法に直接適用され、優位する |
主要法典の構成 | 民法典と商法典が分離 | 民法典に商法や消費者保護法規を統合 |
契約解釈の原則 | 文言と当事者意思の総合考慮 | Haviltexドクトリン:当事者の意図・文脈を重視 |
オランダにおけるEU法の優位性

オランダの法制度を理解する上で、最も重要な要素の一つがEU法の存在です。日本が国際法を国内に取り込む際に国内法の制定を必要とする二元論的アプローチを採るのに対し、オランダは国際法を国内法と対等とみなす一元論的法秩序を伝統的に有しています。この背景から、EU法はオランダ国内法に対し、原則として直接適用され、かつ優位する性質を持つことになります。この原則は、EU市場で事業を展開する日本企業にとって、予見可能性を確保する上で不可欠な法的基盤を提供します。
このEU法の効力に関する根本的な原則を確立したのが、歴史的な判例である「Van Gend & Loos」事件(1963年2月5日、欧州司法裁判所、事件番号26/62)です。この事件では、オランダの輸送会社であるVan Gend en Loos社が、西ドイツから輸入した化学製品に対する新たな関税の賦課に異議を唱え、欧州経済共同体(EEC)条約第12条(加盟国間の関税新設・引き上げを禁止)の直接適用を主張しました。
当時のオランダの裁判所は、EU法が民間企業に直接権利を付与するかどうかについて疑義を持ち、欧州司法裁判所(ECJ)に予備的判決を求めました。ECJは、この主張を認め、EEC(現EU)が加盟国だけでなく、その国民にも直接権利義務を課す「新たな国際法秩序」を形成したと判断しました。この画期的な判決により、個人や法人がEU法に基づく権利を、加盟国の国内裁判所で直接行使できるという「直接適用(Direct Effect)」の原則が確立されました。
この判決が持つ現代的な意味合いは非常に大きいものです。直接適用原則が確立されたことで、EU市場に進出する日本企業は、オランダ国内法の不利益な規定がEU法に違反していると判断した場合、より上位のEU法を盾に法廷で争うことができるようになりました。これにより、国内法とEU法の間で矛盾が生じた際、EU法が優先されるという法的枠組みが強化され、EU市場全体における法的安定性と予見可能性が向上しました。
これは、単にEU法が重要であるという事実を越えて、EU法の違反を疑う国内法や行政措置に直面した際に、企業が自らの権利をオランダの裁判所で直接主張できるという、具体的な行動の選択肢があることを意味します。したがって、オランダで事業を行う際には、現地の法務アドバイザーと連携し、国内法だけでなく、関連するEUの指令や規則にも精通することが不可欠となります。
オランダ司法制度の構造と権限
三審制と行政事件の専門化
オランダの司法制度は、第一審の地方裁判所(Rechtbank)、第二審の控訴裁判所(Gerechtshof)、そして最終審の最高裁判所(Hoge Raad)という、日本の三審制と類似した構造を基本としています。最高裁判所は、民事、刑事、税務事件の最終審として機能します。
しかし、オランダの司法制度の最もユニークな点は、行政事件の最終審が、最高裁判所とは別に、特定の分野に特化した三つの専門的な最高行政裁判所に分かれている「四層構造」にあると言えます。
- 国務院行政管轄部(Afdeling bestuursrechtspraak van de Raad van State):一般的な行政紛争を扱う最高裁判所です。地方自治体や中央政府の決定・命令に対する個人や企業の控訴を審理します。
- 中央控訴裁判所(Centrale Raad van Beroep):社会保障や公務員に関する紛争を専門に扱います。
- 商工業控訴裁判所(College van Beroep voor het bedrijfsleven):経済規制、競争法、公共調達など、経済分野の行政紛争を管轄します。
この行政事件の専門化は、日本のように最高裁判所が一元的にすべての事件を最終審として扱う制度とは大きく異なります。特にオランダ政府との補助金や許認可に関する紛争、あるいは競争法違反の疑いといった事案では、どの裁判所に提訴すべきかを正確に判断することが、紛争解決の成否を分ける鍵となります。この専門裁判所の存在は、各分野における司法の専門性を高める一方で、日本の法務担当者が複雑なオランダの司法システムを理解する上での重要なポイントとなります。
法律の違憲審査権
もう一つの決定的な違いは、法律の違憲審査権を巡るオランダの特異な立ち位置です。日本の最高裁判所が法律の合憲性を審査する権限を持つ(日本国憲法第81条)のに対し、オランダの裁判所は、議会が制定した法律の合憲性を審査する権限を持たないことが、オランダ憲法第120条に明確に規定されています。これは立法府の優越を重視するオランダ独自の政治的伝統に由来します。
しかし、この制約は国際条約やEU法には及びません。オランダの裁判所は、国内法が国際条約やEU法に違反する場合、その国内法の適用を拒否することができます。この権限は、EU法という「外部からの上位法」が国内法秩序に優位するという原則に根ざしています。これにより、オランダの司法は、直接的な違憲審査権を持たない一方で、EU法との整合性を担保することで、間接的に立法をチェックするという、日本には見られない独特の役割を担っています。この複雑な力学を理解することは、オランダで法的問題に直面した際に、国内法だけでなく、関連するEU法に違反がないかという多角的な視点から法的根拠を検討する上で極めて重要です。
オランダ商事裁判所(NCC)

国際ビジネスの中心地としての地位をさらに強化するため、オランダは国際的な商事紛争をより効率的かつ迅速に解決する仕組みを求めていました。この要請に応える形で、2019年1月1日にアムステルダム地方裁判所および控訴裁判所内にオランダ商事裁判所(Netherlands Commercial Court, NCC)が設立されました。この裁判所は、国際ビジネスのニーズに合わせた革新的な紛争解決の場として、世界的に注目を集めています。
NCCの最大の特長は、当事者の合意に基づき、訴訟手続き全体を英語で進め、判決も英語で出されることです。これにより、国際取引における言語の壁が解消され、翻訳コストや時間の削減につながります。また、NCCの手続きは、効率性を追求しており、初期の答弁書に相手方の反論や証拠を含めることを求めるなど、迅速な審理を目指しています。
NCCが紛争を審理するためには、以下の4つの要件をすべて満たす必要があります。
- アムステルダムの裁判所が管轄を有すること:選択条項(choice-of-court clause)や被告の住所地など、通常の管轄ルールに基づきます。
- 当事者が書面でNCCでの英語審理に明示的に合意していること:この「NCC合意」は、契約締結前または紛争発生後に締結することが可能です。
- 民事または商事事件であること:契約紛争、不法行為、知的財産権、競争法、会社法関連など、幅広い分野が含まれます。
- 国際的な紛争であること:当事者の一方または双方が海外に拠点を置いている場合、あるいは国境を越える利害関係が存在する場合を広く含みます。
日本企業が特に注意すべきは、NCCと、もう一つの専門裁判所である「Ondernemingskamer(企業会議所)」との違いです。この二つの裁判所は混同されがちですが、その管轄範囲には明確な違いがあります。
- Ondernemingskamerの役割:1971年に設立されたこの裁判所は、オランダ企業法に基づき、企業内部の紛争に特化しています。具体的には、経営陣と株主間の対立、取締役の不正行為に関する調査請求、株主の締め出し手続きなどが管轄範囲となります。
- NCCの役割:一方、NCCは国際的な商事紛争、すなわち企業間の契約違反や不法行為、M&A案件における紛争など、当事者の合意に基づき英語で審理される事案を扱います。
この二つの裁判所の機能を正確に理解することは、特にオランダで子会社や合弁会社を設立する日本企業にとって極めて重要です。外部との契約紛争はNCCの管轄となりうる一方、子会社の内部統治に関する紛争はOndernemingskamerの管轄となる可能性が高いことを認識しておく必要があります。
以下の表に、NCCとOndernemingskamerの管轄権の違いをまとめました。
オランダ商事裁判所 (NCC) | 企業会議所 (Ondernemingskamer) | |
---|---|---|
設立年 | 2019年 | 1971年 |
管轄範囲 | 当事者の合意に基づく国際商事紛争(契約、不法行為など) | オランダ企業法に基づく企業内部の紛争(株主対立、取締役の調査請求など) |
使用言語 | 英語 | オランダ語 |
位置付け | アムステルダム地裁・控訴裁内の専門部 | アムステルダム控訴裁内の専門部 |
まとめ
オランダの法体系は、日本と同じ大陸法の伝統を持ちながらも、EU法との関係性、司法の権限のあり方、そして国際商事紛争への対応において、独自の進化を遂げてきました。EU法の優越性により国内法の適用が拒否される可能性や、違憲審査権を持たない一方でEU法に対する審査権を持つという司法のユニークな役割は、日本のビジネスパーソンが事業戦略を練る上で考慮すべき重要な点です。
また、国際商事紛争を英語で迅速に解決できるNCCの存在は、オランダが国際ビジネスのゲートウェイとしてどれほど機能的であるかを示しています。このような複雑で多層的な法制度を深く理解し、適切な戦略を策定するためには、専門的な知見が不可欠です。
カテゴリー: IT・ベンチャーの企業法務