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法律記事MONOLITH LAW MAGAZINE

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オランダの労働法を弁護士が解説

オランダの労働法を弁護士が解説

オランダへ(正式名称、オランダ王国)の事業展開を検討されている日本の経営者や法務担当者の皆様にとって、同国の労働法が持つ「高度な従業員保護主義」は、日本法との根本的な違いを理解する上で不可欠な要素です。日本では、解雇の有効性が事後的に判断されるのに対し、オランダでは政府機関や裁判所による事前の厳格な検証が義務付けられています。このプロセスは、日本の法的慣行とは一線を画すものであり、和解契約やパフォーマンス改善計画(PIP)の戦略的活用など、独特の実務を生み出しています。

本稿では、こうした雇用契約の締結から、解雇手続き、そしてパートタイム・フレキシブル労働者の権利に至るまで、オランダ労働法の要点を日本法との比較を通じて包括的に解説します。本ガイドが、貴社のオランダ事業における人事戦略を立てる上での羅針盤となれば幸いです。

オランダの雇用契約と雇用の基礎

オランダの雇用契約は、その成立において法的柔軟性を有しており、口頭での合意によっても有効に成立します。しかし、民法第7条655項に基づき、雇用主は特定の重要な労働条件を従業員に書面で通知する義務を負います。これには、当事者の氏名と住所、勤務地、職務内容、雇用開始日、給与および支払頻度、年間労働時間などが含まれます。

雇用契約には、有期雇用契約(fixed-term contract)無期雇用契約(open-ended contract)の二種類があります。オランダ労働法の大きな特徴は、有期雇用契約が無期雇用契約に自動的に転換する「チェーンルール(chain of temporary employment contracts)」の存在です。このルールにより、雇用期間が36ヶ月を超えた場合、または3回以上有期契約が更新された場合、その契約は自動的に無期雇用契約に転換します。この連鎖は、各契約の間に6ヶ月以下の期間しか空いていない場合に適用されます。

また、オランダの試用期間(probationary period)は厳格に規制されています。試用期間は書面で定められる必要があり、無期雇用契約または2年以上の有期雇用契約では最長2ヶ月、6ヶ月超2年未満の有期雇用契約では最長1ヶ月と定められています。契約期間が6ヶ月以下の場合は、試用期間を設けること自体ができません。試用期間中であれば、雇用主と従業員の双方が、特定の解雇事由や通知期間を考慮することなく契約を終了させることが可能です。

オランダの解雇手続きの全体像と日本法との比較

解雇手続きの法的原則

オランダ労働法の下では、解雇は「最終手段(measure of last resort)」と見なされており、「比例性(proportionality)」と「合理的な理由(reasonable grounds)」の原則に基づいて厳格に規制されています。雇用主は、解雇の決定が合理的かつ必要不可欠であることを、確固たる証拠をもって証明する義務を負います。いかなる解雇も、政府機関であるUWV(従業員保険庁)または裁判所によって、その理由が事前に検証される必要があります。

オランダ民法第7条669項には、解雇が正当化される9つの法定事由が詳細に列挙されています。これには、経済的理由(事業の再編、リストラなど)、長期疾病(2年以上)、能力不足、不正行為、非難されるべき行為、関係性の悪化などが含まれます。

主要な解雇ルートと解雇禁止期間

オランダにおける主要な解雇手続きは、解雇事由に応じて以下のルートに分かれます。

  • UWVルート:経済的理由または長期疾病による解雇に適用されます。雇用主はUWVに解雇許可を申請し、再配置(reassignment)が不可能なことを証明する義務を負います。
  • 裁判所(カントン裁判所)ルート:能力不足、関係性の悪化、その他の個人的な理由による解雇に適用されます。雇用主は、解雇理由の存在と、他の適切な職務への再配置が不可能であることを裁判所に証明しなければなりません。
  • 即時解雇(Summary Dismissal):窃盗、詐欺、酩酊での出勤など、重大な非違行為があった場合にのみ認められる例外的な手続きです。この場合、解雇は即時効力を持ちますが、後に裁判所の厳格な審査を受けることになります。

さらに、特定の期間は解雇が法的に禁止されています。例えば、病気・負傷による欠勤開始から最初の2年間や、妊娠中および出産後6週間は、原則として解雇できません。ただし、UWVへの解雇申請後に病気が発生した場合など、いくつかの例外が存在します。

オランダの和解契約(Vaststellingsovereenkomst)における実務

オランダの和解契約(Vaststellingsovereenkomst)における実務

和解契約の法的性質と利用

和解契約(vaststellingsovereenkomst)は、オランダの厳格な解雇手続きを回避し、雇用主と従業員が双方の合意に基づいて雇用関係を終了させる手段です。この方法は、UWVや裁判所での手続きに伴う長期化、費用、公的な記録を避けることができるため、多くの企業に利用されています。和解契約は、その有効性のために書面で作成されることが必須です。

WW手当受給要件と従業員保護

和解契約を通じて雇用関係を終了させる場合、従業員がWW手当(失業給付)を受給できるかどうかが重要なポイントとなります。WW手当の受給資格を維持するためには、和解契約に以下の二つの点が明記されている必要があります。第一に、雇用契約の終了が雇用主のイニシアティブによるものであること。第二に、解雇理由が従業員の「非難されるべき行為(culpable behaviour)」ではないこと。これにより、従業員は自らの責任で失業したと見なされず、WW手当の受給資格を保持できます。

従業員は、和解契約に署名した後、14日間の法定熟慮期間(reflection period)内に、理由を問わず契約を一方的に撤回する権利を有します。この権利が契約書に明記されていない場合、熟慮期間は21日間に延長されます。

交渉される主要項目

和解契約は、労使双方が自由に条件を交渉できる点が大きな特徴です。通常、以下の項目が合意されます。

  • 退職日と通知期間:雇用契約の終了日。
  • 退職金(Severance Payment):法定退職金(トランジション・ペイメント)の支払い義務は法的になく、交渉により金額が決定されますが、実務上は法定退職金と同等またはそれ以上の金額が設定されることが多いです。
  • ガーデンリーフ(Garden Leave):離職までの期間、従業員に就労義務を免除する措置。
  • その他:最終的な給与清算、未使用の有給休暇の取り扱い、守秘義務、離職後の連絡窓口、推薦状など。

和解契約の実務的意義

和解契約は、オランダの厳格な解雇手続きを回避する最も一般的で柔軟な方法ですが、その成功は、雇用主が裁判所やUWVの手続きを経た場合にも通用するだけの「十分な解雇理由ファイル」を事前に準備しているかに大きく依存します。和解契約は「合意」に基づくため、表面上は解雇理由を問わないように見えます。しかし、従業員が法的助言を求めた際、雇用主が提示する理由が脆弱であれば、交渉は決裂し、従業員はより有利な条件を求めて裁判所手続きを選ぶ可能性が高まります。

オランダでの能力不足解雇と是正計画(PIP)

能力不足(d-ground)解雇の法的要件

従業員の能力不足は、オランダ民法第7条669項3号dに定められる解雇事由の一つです。裁判所が能力不足による解雇を認めるには、以下のすべての要件が満たされていることを雇用主が証明しなければなりません。

  1. 従業員が業務遂行に不適格であること(病気や障害に起因するものでないこと)。
  2. 雇用主が、適時不適合を通知し、改善のための「十分な機会」を従業員に提供したこと。
  3. 能力不足が、雇用主の訓練や労働環境への配慮不足に起因しないこと。
  4. 他の適切な職務への再配置が不可能なこと。

パフォーマンス改善計画(PIP)の要件と運用

パフォーマンス改善計画(PIP)自体は法律に明記されていませんが、上記の「改善機会の提供」という法的要件を満たすために、実務上は必須の文書とされています。PIPは、単なる口頭注意や評価面談の記録ではなく、以下の要素を具体的に含む必要があります。

  • 改善すべき具体的な不足点の記述
  • 達成すべき具体的かつ測定可能な目標
  • 改善期間(通常6~12ヶ月)
  • コーチング方法
  • 最終評価日と、目標未達時の結果

オランダ最高裁判所の判例(Ecofys decision of 14 June 2019)は、雇用主が「深刻かつ現実的な改善機会(serious and real opportunity for improvement)」を従業員に提供する義務があることを明確にしています。この判例は、改善プロセスの内容が、職務の性質、従業員の経験、雇用期間、過去の改善努力、従業員の改善意欲などを考慮した上で、個別の状況に応じて「オーダーメイド」で設計されるべきことを示唆しています。

「i-ground」(累積的解雇理由)の導入

2020年に導入された「労働市場均衡法(WAB)」により、新たな解雇事由である「i-ground」が設けられました。これは、単体では解雇理由として不十分な複数の事由(例:能力不足と関係性悪化)を組み合わせて、解雇を正当化できるというものです。

しかし、この新しい制度の運用に関して、2025年7月18日の最高裁判決は重要な指針を示しました。この判決は、たとえ「i-ground」が適用される場合であっても、雇用主は「再配置義務」を十分に検討したことを証明しなければならないと強調しました。裁判所は、雇用主が再配置義務を果たしたかを綿密に評価する必要があり、この義務を十分に尽くさなかった場合、裁判所は法定退職金に加えて、最大50%の追加補償を命じる可能性があるとされています。

この判決は、一見すると雇用主にとって解雇が容易になったかのように見える「i-ground」の導入後も、オランダ労働法の根幹である「解雇は最終手段であり、再配置を尽くすべき」という原則が揺るがないことを明確にしました。

オランダの退職金(Transition Payment)と追加補償の体系

法定退職金(トランジション・ペイメント)の計算方法

オランダでは、特定の事由による解雇や有期雇用契約の非更新に際し、雇用主が法定退職金である「トランジション・ペイメント(transitievergoeding)」を支払うことが義務付けられています。この補償は、従業員の再就職を支援し、失業期間中の経済的橋渡しを目的としています。

計算式は、勤続年数1年につき、月給の1/3と定められており、短期間の勤続も日割りで計算されます。2025年時点での上限額は98,000ユーロ、または従業員の年収と同額のいずれか高い方とされています。

長期疾病による解雇時の特別規定

長期疾病による解雇に関して、オランダの労働法には特筆すべき規定があります。雇用主は、2年間の疾病期間を経て従業員を解雇した場合でも、法定退職金の支払い義務を負います。しかし、2020年以降、雇用主がこの退職金を支払った場合、UWVに申請することでその費用を補償してもらえる制度が導入されました。

この制度は、病気休業中の従業員を退職金支払い回避のために「契約を休眠状態(dormant)」に置くという、従前行われていた慣行を是正するために導入されました。雇用主がこの制度を適切に利用することで、病気の従業員との公正な関係を維持し、法的リスクを管理することができます。

裁判所による追加補償

法定退職金に加え、特定の状況下では裁判所が追加の補償を命じる場合があります。雇用主の「重大な有責行為」により解雇に至った場合、法定退職金に加えて、裁判所は「公正な補償(equitable compensation)」を命じることができます。また、「i-ground」で解雇が認められた場合、裁判官の裁量で、法定退職金に加えて最大50%の追加補償が認められる可能性があります。

日本の制度が任意規定を基盤とするのに対し、オランダの退職金は法的に義務付けられたものであり、その計算方法や長期疾病時の補償制度は、日本の人事担当者にとって特筆すべき相違点です。この制度は、単なるコスト補填ではなく、病気の従業員を法的に「宙吊り」にする「休眠契約」という不健全な慣行を根絶し、従業員の法的権利を確実に保護するための、より大きな法的・社会的変革の一部です。日本の経営者は、この制度を単なるコストメリットとして見るのではなく、オランダにおける「公正な労働慣行」の規範として理解し、適切に利用することが、現地の従業員からの信頼を得る上で不可欠となります。

オランダのパートタイム・フレキシブル労働者の権利

オランダのパートタイム・フレキシブル労働者の権利

パートタイム・有期雇用労働者の均等待遇

オランダの労働法は、パートタイム労働者とフルタイム労働者、有期雇用者と無期雇用者の間の不平等な待遇を厳格に禁止しています。オランダ民法第7条648項および649項は、この均等待遇原則を具体的に定めており、採用、昇進、給与、労働条件を含むあらゆる局面で適用されます。

フレキシブル労働法とリモートワーク(在宅勤務)

オランダでは、従業員が柔軟な働き方を要求する法的権利が保障されています。従業員は、勤続6ヶ月以上であれば、労働時間、スケジュール、勤務地の変更を要請する権利を持ち、雇用主は正当な理由がなければその要請を拒否できません。

2025年9月時点の最新動向として、新たな在宅勤務法案が下院を通過し、上院の最終承認を待っている状況です。この法案が承認されれば、雇用主は在宅勤務の要望を「正当な理由なく拒否」することができなくなります。雇用主が要求を拒否できる正当な事由には、業務が物理的な場所を必要とすること、特定の機器が職場でしか使えないこと、対面での協調作業が必須であることなどが含まれます。

この法案は、リモートワークを「法的権利」と定めるものであり、これは単に働き方の多様性を促進するだけでなく、雇用主の「管理責任」を、物理的なオフィス環境から、労働者の自宅環境を含むより広範な領域へと拡大させるものです。日本の慣行では、リモートワークは一般的に雇用主と従業員の「合意」に基づくものですが、オランダでは従業員に「要求する権利」が法的に保障されています。このため、日本の企業は、従業員の要請を拒否する際の「正当な理由」を事前に明確にし、文書化するポリシーを構築する必要に迫られます。また、リモートワークが単なる「福利厚生」ではなく、法的に管理された労働形態であるという認識を持つべきです。 

オランダの労働時間法(Arbeidstijdenwet)の概要

オランダの労働時間法は、従業員の労働時間と休憩時間を厳格に規制しています。1日の最大労働時間は12時間、1週間の最大労働時間は60時間ですが、より長期的な平均労働時間には上限が設けられています(例:16週間で平均48時間)。また、休憩時間に関しても明確な最低基準が定められており、5.5時間超の勤務で30分、10時間超で45分の休憩が義務付けられています。

まとめ

オランダへの事業進出を検討する日本の企業の皆様は、同国の労働法が日本の労働契約法に比べ、従業員の保護が非常に手厚いという事実を深く理解する必要があります。特に、解雇手続きの厳格な要件や、高度な文書化が求められるパフォーマンス改善計画(PIP)の運用、そして和解契約(vaststellingsovereenkomst)の戦略的な活用法は、日本の法的慣行とは大きく異なるため、綿密な事前準備が不可欠です。また、パートタイム労働者への均等待遇や、リモートワークを法的権利として認める最新の動向への対応も、現地での事業成功を左右する重要な要素となります。これらの複雑な法務課題に、現地の専門知識なしで対応することは、重大な法的・経済的リスクを伴います。

弁護士 河瀬 季

モノリス法律事務所 代表弁護士。元ITエンジニア。IT企業経営の経験を経て、東証プライム上場企業からシードステージのベンチャーまで、100社以上の顧問弁護士、監査役等を務め、IT・ベンチャー・インターネット・YouTube法務などを中心に手がける。

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