アルメニアにおけるM&Aと外国投資の法的解説

アルメニア共和国(以下、アルメニア)は、旧ソ連からの移行経済国としての歴史的背景を持ちながらも、その法律制度を通じて極めて自由主義的かつ投資家フレンドリーな環境を構築しています。この国の経済成長は、近年特にIT、金融、貿易といったサービス業によって牽引されており、外国投資家を積極的に歓迎する姿勢を明確に示しています。投資環境の根幹をなすのは、「外国投資法(Law on Foreign Investments, LFI)」に基づく強力な保護規定です。本法は、原則としてアルメニア国民・法人と同一の法的待遇(ナショナル・トリートメント)を外国投資家に保証し、ほとんどのセクターで100%の外国資本による事業所有を認めています。
本記事が特に焦点を当てるのは、日本の経営者や法務部員が新興市場投資において最も懸念するリスク、すなわち「投資後の法的不安定性」に対する強力なヘッジ手段です。LFI第7条は、外国投資家が要求した場合、投資実行時点の法規をその時点から5年間適用し続けることができる「グランドファーザー条項」を定めています。これは、突発的な増税や新たな規制導入といったカントリーリスクを国内法によって直接的に緩和する、国際的にも稀有な戦略的保証です。
この記事の目次
アルメニアの開放的な投資環境の法的基盤と日本法との対比
外国投資家に対する「内国民待遇」の保障と法的位置づけ
アルメニアの「外国投資法」(Law No. AL-115)は、アルメニア国内における外国投資の実施、法的、経済的、および組織的基盤を確立することを目的としています。同法は、外国投資家の権利、法的利益、財産の保護を確実なものとし、外国の物質的・財政的資源の誘致、高度な技術、管理、組織的慣行の導入および効果的な利用のための前提条件を創出することを目指しています。
ナショナル・トリートメント(内国民待遇)の原則は、この投資法制の核となる部分です。LFIは、外国投資家に対して、アルメニア国民および法人に適用される財産権および投資活動を規定する法令よりも不利にならない法的待遇を明示的に保証しています。この原則により、外国投資家は、特定の許可や優遇措置を求めることなく、現地企業と同一の競争条件の下で経済活動に従事できます。
外国投資の形式は非常に広範であり、外国投資家は、外貨、その他の通貨価値、国内通貨、有形資産(建物、設備などの不動産・動産)、株式、債券、その他の証券、金銭債権、および知的財産権(特許、ノウハウなど)を含むあらゆる種類の財産をもって投資を行う権利を有します。また、外国投資家は、ほとんどのセクターにおいて、アルメニア国内で100%所有の企業(子会社)を設立し、支店、部門、代表事務所を設置すること、あるいは既存企業の所有権を完全に取得することが認められています。
日本の対内直接投資規制(外為法)との構造的相違点の分析
日本の経営者や法務担当者がアルメニアの投資環境を評価する際、自国法である「外国為替及び外国貿易法」(外為法)に基づく対内直接投資規制と比較することは極めて重要です。
日本の外為法は、国家安全保障を目的として、指定された業種における株式等の取得に対し、投資家が特定外国投資家に該当するか否か、および持分比率に応じて、事前に財務大臣への届出または事後の報告を義務付けています。特に、上場企業に対しては、コア業種では取得持分が1%以上になった場合でも届出が必要になるなど、広範な行政手続きが伴います。
これに対し、アルメニアは、投資全般に対する広範な投資スクリーニング制度を一般的に維持していません。規制は、後述するごく一部の戦略分野に限定されており、非戦略的分野へのM&Aにおいては、日本の外為法のような広範な事前届出義務が存在しません。この構造的な違いは、M&A取引の実行速度と確実性において決定的な差を生み出します。アルメニアでは、規制当局の承認を待つ必要がないため、デューデリジェンス後のクロージングまでの時間が大幅に短縮され、市場への迅速な参入が可能となります。
投資後の法的安定性を担保するアルメニアのグランドファーザー条項
アルメニアの外国投資政策が新興市場投資家にとって最も魅力的な要素の一つは、カントリーリスク、特に投資後の法的不安定性のリスクに対する強力な国内法上のヘッジ手段を提供する点です。
法的安定性の保証:外国投資法第7条(LFI Article 7)の構造
LFI第7条は、「法律改正の際の保証」として、明確な規定を設けています。
「アルメニア共和国の外国投資関連法規が改正された場合、外国投資家の要求に基づき、投資の実行時点において有効であった法規が、その時点から5年間適用されるものとする。」
この規定、すなわち「グランドファーザー条項」の実務上の意味は極めて重大です。例えば、日本企業がアルメニア国内で製造業の子会社を設立し、大規模な工場建設投資を実行したとします。その直後、アルメニア政府が財政健全化のため法人税率を従来の18%から30%に引き上げる税制改正を行った場合、この日本企業は、この条項を援用(要求)することで、投資から5年間は改正前の18%の税率を適用し続けることができます。
この条項の適用期間は「5年間」と定められており、投資家はこの権利を自らの「要求に基づき」行使する必要があります。この要求は、行政機関(例:税務当局)に対する法的措置や、行政機関の不作為を訴える行政裁判所への提訴を通じて行われることになります。この規定は、個々の投資に対して適用されるため、大規模プロジェクトにおいて投資が段階的に行われる場合、各投資実行のタイミングを起点とする5年間の法的安定性が確保されるものと解釈することが可能です。
大規模な初期投資(特に高額な固定資産を伴うインフラや製造業へのM&A)を検討する日本企業にとって、この5年間の安定化期間は、投資回収計画における不確実性を劇的に低減させます。これは、移行経済国特有の「法的不安定性」という構造的なリスクに対し、アルメニア政府が「5年間の法的安定性の保証」という形で直接的なヘッジ手段を投資家に提供しているという点で、国際的な投資法制の中でも特に投資家フレンドリーな政策の表れであると言えます。
外国投資の財産に対する絶対的な保護とレパトリエーションの自由
LFIは、収用や資本規制のリスクに対しても強固な法的保護を提供しています。まず、外国投資は原則として国有化の対象外であり、政府機関が外国投資を没収することも禁じられています。例外的に財産の差し押さえ(Seizure)が許容されるのは、アルメニア法で定められた国家または自然災害による緊急事態の場合のみであり、以下の厳格な要件がすべて満たされる必要があります。
- 裁判所の判決に基づくこと。
- アルメニア憲法に基づき、収用が行われる前に「同等の補償」が支払われること。
さらに、外国投資家に損害が生じた場合、その損害(逸失利益を含む)は、政府機関またはその公務員の違法行為や不適切な義務履行の結果として生じたものであれば、裁判所命令を通じて補償を請求する権利が認められています 。この補償は、「現在の市場価格、または独立監査人によって決定された価格」に基づき、「速やかに」支払われる必要があります 。
資本取引の自由も保証されています。外国投資家は、アルメニア法に基づき、税金やその他の手数料を支払った後の利益(配当)、収益、および合法的に得られたその他の手段(労働の対価、補償金など)を、国外へ自由に送金する権利(レパトリエーション)を享受します。アルメニア中央銀行(CBA)は、自由変動相場制を採用し、資本勘定取引を自由化する原則に基づいた外国為替規制枠組みを維持しており、この資金の自由な移動が裏付けられています。
アルメニアの外国投資に対する特定の規制分野とM&Aにおけるリスク

アルメニアの投資規制は限定的ですが、「国家安全保障」の要件に基づき、ごく一部の戦略的分野で外国投資家および外国資本が参加する企業の活動が制限または禁止される場合があります。日本企業がM&Aを行う際、特に以下の分野については、特別法による制限を詳細に確認する必要があります。
土地所有権の制限とSPVを利用した実務的対処
アルメニア国内の土地所有権には、外国市民(自然人)および無国籍者に対する特有の制限があります。彼らは、アルメニア国内の農業用地および森林を所有する権利を持ちません。
しかしながら、この制限は、外国投資家がアルメニア国内で設立した法人(LLCやJSCなど)には適用されません。したがって、日本企業が商業用、工業用、または農業目的で土地を取得し利用する場合の一般的な実務的解決策は、100%外国資本による現地法人(Special Purpose Vehicle, SPV)を設立し、その現地法人名義で土地の所有権を取得することです。現地法人を通じて土地を利用する権利を長期リースにより確保することも可能です。この規制は「外国人の国籍」に基づくものであり、「外国資本の比率」に基づくものではないため、現地法人化することで実質的に土地利用権を確保できるという点で、投資実行上の大きな障害とはなりにくいと言えます。
視聴覚メディア(放送局)における外国資本規制
メディアセクターは、情報安全保障の観点から外国資本に対する制限が課されています。2020年に採択された「視聴覚メディアに関する法律(Law on Audiovisual Media)」に基づき、テレビ・ラジオ放送サービス提供者(特に私設マルチプレックス運営者)の設立または設立後において、外国資本の議決権比率が、意思決定に必要な株式の50%以上であってはならないと明確に定められています。これは、国際的な合意によって別途規定されていない限り、適用されます。
したがって、日本企業がアルメニアの放送事業者をM&Aの対象とする場合、支配権を完全に取得するストラクチャーを採用することはできず、現地のパートナーと共同で経営を行うマイノリティ出資(50%未満)に留める必要があります。また、視聴覚メディアに関する法律は、放送事業者に対して高度な透明性を要求しており、年間の収益報告書に加え、設立者、株主、そして実質的受益者(real beneficiaries)を開示することが義務付けられています。
金融分野における中央銀行(CBA)の事前承認制度
金融セクターは、アルメニア中央銀行(CBA)による厳格な監督下にあります。CBAは、銀行や投資会社を含む金融セクター全体の規制と監督を担当しており、これらの金融機関に対する株式取得や投資を承認または拒否する法的権限を有しています。アルメニアの関連法令に基づき、銀行や投資会社などの金融機関の株式を以下の閾値以上取得する場合、外国投資家はCBAの事前承認を得る必要があります。
- 株式の20%以上
- 株式の50%以上
- 株式の75%以上
金融分野におけるM&Aを検討する際は、このCBAによる承認プロセスがクロージングのスケジュールと確実性を決定づけるため、デューデリジェンスの初期段階からCBAとのコミュニケーションを開始し、「Fit and Proper」テストを含む規制当局の承認を、取引完了の前提条件として明確に設定することが実務上不可欠です。
アルメニアの投資紛争解決メカニズムと国際仲裁による長期的な保護
外国投資家は、アルメニア国内法上の保護に加え、紛争が生じた場合の多様な解決メカニズムと国際法上の長期的な保護を享受できます。
国内裁判所における紛争解決の経路
外国投資に関連する紛争のうち、アルメニアが当事者ではないもの(例:商業紛争)は、アルメニア法に従い、国内の裁判所またはその他の経済紛争解決機関によって審理されます。当事者間で合意があれば、仲裁廷を利用することも可能です。
特に、LFI第7条のグランドファーザー条項の適用をめぐって、税務当局などの行政機関と紛争が生じた場合、行政機関の行為に関する訴えは、専門の行政裁判所が管轄します。これは、行政機関の裁量的な判断に対して、独立した司法審査を受ける道が開かれていることを意味します。
また、政府機関の違法行為や、公務員による不適切な義務履行によって外国投資家に生じた有形無形の損害(逸失利益を含む)については、裁判所命令により完全な補償を請求する権利が認められています 。
二国間投資協定(BIT)と国際仲裁の選択肢
アルメニアは米国など多数の国と二国間投資協定(BIT)を締結しており、日本企業も、アルメニアと日本国との間で締結された投資協定に基づき、国際法上の保護を享受します。LFI自体も、アルメニアが締結した国際条約がLFIと異なる規定を定めている場合、国際条約の規定が優先して適用されることを明記しています。この原則は、国内法と国際法の二重の保護を提供します。
これにより、投資家は、国際投資紛争解決センター(ICSID)などの国際仲裁機関を利用する権利が保証されます。実際にアルメニアは、国際投資仲裁の対象国となった事例があります。例えば、Edmond Khudyan and Arin Capital & Investment Corp. v. Republic of Armenia (ICSID Case No. ARB/17/36)では、アルメニアと米国のBITに基づき、仲裁廷の管轄権や当事者の国籍に関する複雑な法的議論が行われました。
この国内法上の安定化措置と国際法上の保護の二重構造は、日本企業にとって極めて強力な法的出口戦略を提供します。LFI第7条による5年間の法的安定化期間が終了した後も、投資家はBITに基づく「公正衡平待遇義務」や「収用からの保護」といった国際法上の標準的な保護を継続して享受できるため、予期せぬリスクに直面した場合の長期的な法的ヘッジが可能です。
まとめ
アルメニアは、その「外国投資法」を通じて、国際社会でも有数の自由で安定した投資環境を外国投資家に提供しています。特に、M&Aや大規模な新規投資を検討する日本の経営者や法務部員にとって、この法制度は決定的な戦略的優位性を提供します。
第一に、ナショナル・トリートメント原則により、日本の外為法のような広範な事前届出・審査は不要であり、M&Aの実行プロセスにおける速度と確実性が高いことです。第二に、規制が視聴覚メディアや金融セクターといったごく一部の戦略的分野に限定されており、これらの制限も明確な法的根拠に基づいていること。
そして最も重要なのは、「投資の実行時点の法律を5年間適用し続けることができる」グランドファーザー条項(LFI第7条)の存在です。これは、特に工場建設やインフラ整備など、大規模な初期投資を伴うM&Aにおいて、投資回収の初期段階における税制や規制の突然の変更リスクを、国内法により確実にヘッジする、唯一無二の投資安定化措置です。この保証は、カントリーリスク評価を劇的に改善し、投資判断における重要なポジティブ要因として考慮されるべきです。
モノリス法律事務所は、アルメニアにおける法制度の詳細な分析、M&A取引の実行、および投資安定化戦略の構築について、実務的な視点から貴社をサポートいたします。
カテゴリー: IT・ベンチャーの企業法務

































