弁護士法人 モノリス法律事務所03-6262-3248平日10:00-18:00(年末年始を除く)

法律記事MONOLITH LAW MAGAZINE

IT・ベンチャーの企業法務

英国における対ロシア制裁関連判例の解説:Shvidler、Dalston Projects Ltd 他

イギリスなどロシア国外で、ロシア関係者(とされる人物)や、その関連法人が制裁対象に指定され、制裁措置として資産凍結指定や、その財産に対する差押えが行われ、それらの適法性が争われる、といった訴訟が発生しています。

イギリス政府が制裁対象として指定した、ユージーン・シュヴィドラー氏及びダルストン・プロジェクト社その他による、英国最高裁判所が統合審理した上訴事件は、そうした訴訟の中でも特に著名なものの一つです。

これらの訴訟は、行政の決定が英国の人権法(Human Rights Act 1998)に基づき保護される個人の基本的権利を不当に侵害し、「違法」であると主張されたものです。その主張の中心は、行政の決定が英国の人権法に不可欠な原則である「比例原則(proportionality)」に反しているという点でした。

本件の訴訟当事者と目的は以下の通りです。

  • シュビドラー氏(上訴人)対 外務・英連邦・開発大臣(被上訴人):外務・英連邦・開発大臣による資産凍結指定を維持する決定を覆すよう裁判所に求めました。
  • ダルストン・プロジェクト社ほか(上訴人)対 運輸大臣(被上訴人):同社が所有するスーパーヨット「M/Y Phi」号に対して、運輸大臣が発した抑留・移動指示を覆すよう裁判所に求めました。

両上訴人とも、制裁措置が比例原則に反し、その結果として違法であると主張しました。この訴訟は、個人の権利と国家の安全保障・外交政策という重要な目的との間で、いかにして公正な均衡が保たれるべきかという問題を提起したものです。

本記事では、この訴訟の判例について弁護士が詳しく解説します。

本件訴訟の法的な枠組

これらの訴訟は、「2018年制裁・反資金洗浄法(Sanctions and Anti-Money Laundering Act 2018; SAMLA)」に定められた特定の法定手続に基づくものです。

具体的には、以下の構造です。

  • SAMLA第23条:指定を受けた個人は、大臣に対して当該指定を取り消すよう請求する権利を有しており、大臣はそれに対して決定を行わなければならない
  • 同38条第1項:高等裁判所またはスコットランドの裁判所は、第23条の決定に関して審査を行う権限を有する
  • 同38条第4項:その決定を取り消すべきかどうかを判断するにあたり、裁判所は司法審査の申請に適用される原則を適用しなければならない

これは、従来の行政法における「不合理性(irrationality)」テストよりもはるかに厳格な、より徹底的な調査を要求するものです。英国人権法(Human Rights Act 1998)は、欧州人権条約(Convention on Human Rights)の規定を英国法に組み込んでおり、公的機関による行為がこれらの条約上の権利と両立しない場合は違法と定めています。このため、これらの訴訟では、行政の決定が条約上の権利を不当に侵害しているか、という点が審査されることになります。

ユージーン・シュヴィドラー氏の事案の事実関係

ユージーン・シュヴィドラー氏の事案の事実関係

シュヴィドラー氏の経歴と背景

ユージーン・シュヴィドラー氏は、ソビエト連邦で生まれ、1989年に無国籍者として出国し、米国で難民の地位を得ました。2004年に高度技能移民プログラムで英国に移住し、2010年には英国市民に帰化しています。同氏はロシアの市民権を持たず、2007年以降ロシアを訪問していません。同氏の5人の子供も全員が英国市民です。

シュヴィドラー氏は長年にわたり、ロシアの実業家であるローマン・アブラモヴィッチ氏と親密なビジネス関係を築いてきました。シュヴィドラー氏は、アブラモヴィッチ氏が過半数の株式を保有していた石油会社シブネフチの副社長(1996年~)および社長(1998年~2005年)を務めました。また、2011年からはロンドン証券取引所に上場している鉱業・製鉄会社エヴラズplcの非執行取締役を務めていました。最高裁に提出された証拠によれば、シュヴィドラー氏はロシア政治に関与しておらず、プーチン大統領やその側近と関係がないとされています。同氏は、制裁指定の12日前の2022年3月12日に、ウクライナにおける「無意味な暴力」の終結を望んでいるとの声明を公に発表しています。

制裁措置とその根拠

しかし、シュヴィドラー氏は、ロシアによるウクライナ侵攻から約1か月後の2022年3月24日に制裁対象に指定されました。制裁措置は、同氏の世界中の資産を凍結し、シュヴィドラー氏と取引することを事実上犯罪としました。

この制裁は、シュヴィドラー氏自身と家族の生活に「長期にわたり、壊滅的な」影響を与えました。同氏の家族の銀行サービスは停止され、子どもは学年度の途中に英国の私立学校から退学させられました。同氏は現在米国に住んでいますが、同氏の資産は世界的に凍結されているため、現在もこうした制約に直面しています。

当初、政府はシュヴィドラー氏の指定根拠として、アブラモヴィッチ氏とのビジネスパートナーシップと、エヴラズplcの非執行取締役としての役割を挙げました。後に根拠は修正され、最終的に以下の2点が正式な根拠とされました。

  • アブラモヴィッチ氏との関係:アブラモヴィッチ氏がロシア政府から利益を得ている、または支援している人物であるため、シュヴィドラー氏も「関係者」に「関連している」とみなされました。
  • エヴラズplcでの役割:エヴラズplcがロシアの戦略的産業である鉱業に携わる英国上場企業の元非執行取締役であったため、シュヴィドラー氏が同社を通じて「ロシア政府から利益を得た、または支援した」とされました。

ヨット「M/Y Phi」の事案の事実関係

ヨット「M/Y Phi」の事案の事実関係

ヨットとオーナーのナウメンコ氏の経歴等

ヨット「M/Y Phi」の所有者は、セントクリストファー・ネイビスに登記された特別目的会社ダルストン・プロジェクツLtdです。そして、同ヨットの最終的な実質的オーナーは、ロシアのビジネスマンであるセルゲイ・ゲオルギエヴィッチ・ナウメンコ氏です。ナウメンコ氏はロシア・エカテリンブルクに居住しています。最高裁に提出された証拠によると、ナウメンコ氏はロシア政府内で政治的地位や政治的活動への関与はなく、プーチン大統領やその側近との関係もないとされています。

「M/Y Phi」は、地中海でのチャーター運航の前に、ワールド・スーパーヨット・アワードに参加するため、2021年12月からロンドンに停泊していました。ナウメンコ氏側は、チャーター料から年間「€450,000から€650,000」の収益を見込んでいました。

制裁措置とその根拠

2022年3月28日、運輸大臣は、2019年規則に基づき、同ヨットの移動を禁止する「移動指示」および「抑留指示」を出しました。この指示により、ヨットはロンドンのドックに無期限に係留されることになりました。

この制裁措置は、ヨットの所有者が「多大な収入をチャーターで得る」ことを妨げました。また、長期間の係留によりヨットが劣化し、「最先端(state-of-the-art)」としての市場価値が低下するリスクも生じました。

抑留指示書には、抑留の「根拠」として、「ロシアと関係のある人物、セルゲイ・ゲオルギエヴィッチ・ナウメンコによって所有、管理、または運航されている」ことが明記されました。

政府は、制裁措置の目的は経済的および政治的な圧力をかけることであると主張しました。経済的な側面としては、ナウメンコ氏がヨットのチャーターで得た収入がロシア経済に流入する可能性を断つことができるという経済的側面と、高級資産の剥奪がナウメンコ氏のような富裕層に体制への不満を抱かせるという政治的側面の双方を、合理的であると主張しました。

英国における「比例原則」の法的枠組み

英国の裁判所が行政処分の適法性を人権の観点から審査する際、「比例原則(Proportionality)」という概念が中心的な役割を果たします。本件判決でも、最高裁はBank Mellat事件で確立された4つの段階からなる審査基準を適用しました。

  1. 目的の重要性:制裁措置の目的が、個人の基本的な権利を制限する正当な理由として十分に重要であるか。
  2. 手段と目的の合理的な関連性:選択された手段(制裁措置)が、目的を達成するために合理的に関連しているか。
  3. より侵害性の少ない手段の有無:目的を達成するために、より個人の権利を侵害しない別の手段が存在しなかったか。
  4. 公正な均衡:これまでの3つの要素を考慮し、個人の権利への侵害の深刻さと、社会全体の利益との間に公正な均衡が保たれているか。

日本の法体系では、行政処分の違法性を審査する際、「行政裁量」の範囲を逸脱または濫用していないか、という基準が適用されるケースが多いと言えます。これは、行政の判断が社会通念に照らして著しく不当でない限り、裁判所が行政の判断に介入しないという、より抑制的な審査基準です。英国の裁判所が、個人の人権保護の観点から行政の判断に踏み込む比例原則を適用するのに対し、日本法では多くの場合、行政の判断に「裁量権の逸脱・濫用」があった場合にのみ違法と判断されるという違いがあります。

本件に関する英国最高裁判所の司法判断

本件に関する英国最高裁判所の司法判断

裁判所は、前述の4段階の比例性原則を適用し、事実関係と法律論を精査しました。

目的の正当性

この点は両事案で争われませんでした。最高裁は、ウクライナにおけるロシアの侵略行為を抑止し、封じ込めるという目的は「英国政府が近年追求を求められた最も重要な目的の一つ」であると認定しました。

手段と目的の合理的な関連性

この段階は、本件で最も重要な争点の一つでした。申立人らは、個々の制裁措置(シュヴィドラー氏の資産凍結やヨットの抑留)が、ロシアの外交政策に影響を与える可能性は「極めて小さい」と主張しました。

最高裁の多数意見は、この主張を退けました。多数意見は、個々の措置がそれ自体で目的を達成する必要はなく、制裁体制全体の「累積的効果」に貢献していれば十分であるという見解を採用しました。

  • シュヴィドラー氏の指定:本件の指定は、アブラモヴィッチ氏との関係およびエヴラズplcでの役割に基づき、「プーチン大統領に近い個人や戦略的に重要な部門で事業を継続している個人」に対して、その行動に負の結果が伴うという「明確なシグナル」を送るものであると判断されました。
  • ヨット「M/Y Phi」:ヨットの抑留は、ロシアの富裕層エリートに不快感を与え、政権への支持を弱める可能性があり、これは「適切な評価(plausible assessment)」であると判断されました。

最高裁は、外交政策や国家安全保障に関する判断を下すには、行政府が「より優れた制度的権限」を持っていると繰り返し強調し、「広範な裁量」を認めるべきであるとしました。裁判所は、行政府の評価を「不合理」であるとして退ける正当な根拠は持たないと結論付けました。

少数意見(レガット卿)は、シュヴィドラー氏の事案において、この多数意見の論拠を厳しく批判しました。レガット卿は、政府が主張する制裁理由が薄弱かつ非論理的であると指摘しました。シュヴィドラー氏が英国市民であり、ロシアでの政治的関与がなく、すでにロシアとのビジネスから距離を置いていた事実を踏まえると、シュヴィドラー氏を制裁対象とすることの「合理的な関連性」は立証されていないという見解が示されました。

より侵害性の低い手段

最高裁は、この点について迅速に結論を出しました。申立人らは、目的の達成を損なうことなく、より侵害性の低い措置を用いることが可能であったと説得力を持って主張できませんでした。多数意見は、目的が非常に重要であることを考慮すれば、より侵害性の低い措置は「目的の達成を容認できない形で損なう」ことになると判断しました。

公正な均衡

この最終段階では、個人の権利への干渉の度合いと、目的の重要性およびその達成への貢献度を比較考量しました。

多数意見の分析: 最高裁の多数意見は、両事案で「公正な均衡」が保たれていると結論付けました。

  • シュヴィドラー氏:本件指定による影響は「厳しく、無期限」であると認められました。しかし、制裁が効果的であるためには「対象者が深刻な代償を支払わなければならない」と判断しました。また、財務制裁実施局(OFSI)のライセンス制度が、シュヴィドラー氏の「中核的なニーズ」を満たすための「安全弁」として機能することも指摘しました。
  • ヨット「M/Y Phi」:ナウメンコ氏への影響は、個人の富の大部分に及ぶものではなく、「日々の生活に個人的な困窮」をもたらすものではない「トロフィー資産」の利用を制限するに過ぎないと判断されました。

なお、OFSIのライセンス制度とは、制裁の対象となっている人物や団体が関わる特定の金融取引や活動を、制裁の対象から除外することを許可するものです。つまり、制裁対象であったとしても、こうしたライセンス制度という「安全弁」を活用すれば、「中核的なニーズ」は満たされる、という論理です。

少数意見(レガット卿)は、シュヴィドラー氏への制裁がもたらす影響を「壊滅的」であると形容し、多数意見の判断に異を唱えました。レガット卿は、資産凍結は、まるで個人の権利の「核心を攻撃する」ものであると主張しました。特に、英国市民であるシュヴィドラー氏に世界規模での制裁を課すことは、非市民への制裁よりも厳しいものであり、不公平で恣意的であると強く非難しました。

両判決の判断

英国最高裁は、外交政策という分野においては、裁判所は行政府の判断に敬意を払うべきであり、その判断には「広い裁量(wide margin of appreciation)」が認められると繰り返し強調しています。これは、裁判所が行政府に代わって政策の良し悪しを判断するのではなく、あくまでその判断が「不合理でないか」を審査するという、伝統的な司法審査の考え方と、人権保護を求める現代的な人権法の要請を融合させたものと捉えることができます。

また、特定の個人が制裁目的を直接達成するためのキーパーソンでなくとも、その制裁が全体の「累積的効果(cumulative effect)」に寄与するという論理が示されました。これは、個々の制裁の有効性を証明することは困難であるという現実的な認識に基づき、政府の外交戦略の一環として、個々の制裁措置が象徴的な意味合いを持つことを正当化するものです。

まとめ

本判決、特に多数意見の論理は、将来的に制裁指定に異議を申し立てる者にとって、非常に高いハードルを設定しました。裁判所が「累積的効果」の議論と広範な「裁量」概念を受け入れたことにより、制裁措置を受けた側は、制裁措置と外交政策目的との間にいかなる合理的な関連性も存在しないことを証明しなければなりません。これは、事実上、成功することが極めて困難な課題となります。

シュヴィドラー氏とダルストン・プロジェクト社の両訴訟を棄却したことで、裁判所は、制裁という政策が、個人の権利を損なう場合であっても、国家の重要な外交政策目標を追求する上で不可欠なツールであるという、行政の主張を強く支持した、と言えるでしょう。

なお、本判決に関連して、今後制裁措置を受けた者は、指定自体の適法性を直接争うよりも、制裁制度の現実的な運用、例えばOFSIのライセンス申請が不合理に却下された場合の司法審査を求める方が、より有望な道筋ではないか、という見解もあります。この「道筋」の場合、争点は制裁措置の「目的」から、その「実施方法」へと移行する可能性があります。

関連取扱分野:国際法務・海外事業

弁護士 河瀬 季

モノリス法律事務所 代表弁護士。元ITエンジニア。IT企業経営の経験を経て、東証プライム上場企業からシードステージのベンチャーまで、100社以上の顧問弁護士、監査役等を務め、IT・ベンチャー・インターネット・YouTube法務などを中心に手がける。

シェアする:

TOPへ戻る