フランスの労働法を弁護士が解説

フランス(正式名称、フランス共和国)は、その自由と平等を重んじる精神が、社会の根幹をなす労働法制にも深く浸透しています。特に、雇用関係においては、従業員の保護を重視する傾向が強く、雇用契約の締結から終了に至るまで、詳細かつ厳格な規制が設けられています。労働法典(Code du travail)と呼ばれる包括的な法体系を基盤に、個別交渉の余地が少ない複雑な制度を有している点が特徴です。
本稿では、フランス進出を検討されている日本企業に向けて、特に重要となる、解雇の要件、労使合意による雇用契約の解除制度であるRupture Conventionnelle(労使合意による雇用契約の解除)、そして労働時間規制について、日本の法制度との違いを明確にしながら解説します。
この記事の目次
フランス労働法における「雇用契約の終了」の要件
フランス労働法では、雇用主が従業員を解雇するためには、厳格な法的要件を満たす必要があります。この解雇のプロセス全体が、従業員の地位を保護するために細かく規定されています。
「現実かつ重大な理由」(cause réelle et sérieuse)とは
フランスでは、全ての解雇が「現実かつ重大な理由」(cause réelle et sérieuse)によって正当化されなければなりません。これは、労働法典のL1232-1条に明記された大原則です。この「現実かつ重大な理由」という概念は、法令で明確に定義されているわけではなく、フランス最高裁判所(Cour de cassation)の判例によって形成されてきました。判例により、解雇理由は以下の4つの要件を満たす必要があるとされています。
- 現実性(réelle):理由が客観的かつ正確に存在すること。
- 実在性(existante):雇用主が主張する事実が立証可能であること。
- 正確性(exacte):主張される理由が真実であり、他の目的を隠蔽していないこと。
- 重大性(sérieuse):理由が従業員の解雇を正当化するに足る厳格なものであること。
フランスの「現実かつ重大な理由」は、判例を通じ、より厳格な客観性が要求されるようになっています。例えば、Cass. soc., 29 mai 2001, n° 98-46.341の判例では、雇用主が従業員への「信頼の喪失」を理由に解雇した事案において、裁判所は「信頼の喪失という主観的な感情は、それ自体が解雇の現実かつ重大な理由を構成しない」と判断しています。これは、フランス法が解雇の根拠を、雇用主の主観的な判断から切り離し、客観的に検証可能な事実に厳しく限定しようとする思想を反映しています。つまり、従業員の行動や業績に関する具体的な事実に基づかなければ、解雇は不当と判断されるリスクが非常に高いと言えます。
解雇手続きの規制
解雇の正当性が認められるためには、理由の存在だけでなく、厳格に定められた手続きを遵守しなければなりません。フランス労働法では、以下の二つのステップが義務付けられています。
- 事前聴聞会(entretien préalable)の開催: 雇用主は、解雇を通知する前に、少なくとも1回の事前聴聞会を開催する義務があります。この聴聞会への招待は、書面で行い、聴聞会開催日の少なくとも5営業日前に従業員に送付しなければなりません。聴聞会では、雇用主が解雇を検討している理由を説明し、従業員に弁明の機会を与える必要があります。
- 解雇通知書(lettre de licenciement)の送付: 聴聞会後、雇用主は解雇の決定を登録書留郵便で通知しなければなりません。この通知書には、解雇理由を明確かつ正確に記載する必要があります。
フランスの裁判所は、これらの手続き上の要件を非常に重視します。手続きの不備は、たとえ解雇理由に正当性があったとしても、解雇自体を不当と判断する根拠となり得ます。例えば、Cour de cassationは、事前聴聞会が適切に行われなかった場合、解雇を無効とする判例を示しています。さらに、雇用主が事前聴聞会前に解雇の「不変の意思」を表明した場合、それは「口頭解雇」とみなされ、不当解雇と判断されます。この厳格さは、単なる形式主義ではありません。解雇という重大な決定を下す前に、従業員に自己弁護の機会を保証し、最終決定を再検討させるための「プロセスの公正さ」を確保することを目的としています。日本法では、手続き違反が直ちに解雇無効とはならない場合が多いですが、フランスでは手続きの軽視が直接的な法的リスクに直結するという点が、日本企業にとって最大の留意点です。
経済的理由による解雇
個人的な理由による解雇とは別に、フランスでは経済的理由による解雇も認められています。労働法典のL1233-3条は、経済的解雇が以下のいずれかの理由によって正当化されることを定めています。
- 企業が直面している経済的困難
- 技術的変化
- 企業の競争力を維持する必要性
- 事業活動の停止
法令が「経済的困難」の判断基準を企業規模に応じて具体的に定めていることは、一定の予見可能性を提供します。しかし、注意すべきは、経済的理由がグループ全体で評価される場合がある点です。企業がフランス子会社を清算または縮小する場合、子会社が単独で経済的困難に陥っていなくても、グループ全体(特にフランス国内のグループ企業)の状況が考慮される可能性があります。日本企業は、フランスでの撤退戦略を策定する際、単一の事業体だけでなく、グループ全体の状況を慎重に検討し、経済的解雇の要件を満たすかどうかを精査する必要があります。
フランス独自の雇用終了制度「Rupture Conventionnelle」
労使合意による契約解除の特異性
Rupture Conventionnelle(労使合意による雇用契約の解除)は、解雇でも自己都合退職でもない、労使双方の合意に基づく雇用契約の終了方法です。2008年の法改正で導入されて以来、解雇紛争を避けるための有効な手段として普及しました。この制度は、日本の「合意解約」と一見類似していますが、その法的性質と手続きにおいて決定的な違いがあります。
日本の合意解約 | フランスのRupture Conventionnelle | |
---|---|---|
法的性質 | 労働契約解除の合意(民法上の契約) | 労働法典に基づく特別な契約解除手続き |
制度の根拠 | 法令に明確な規定なし(解雇と退職の合意) | 労働法典 L1237-11条以下 |
手続き | 当事者の合意のみで有効 | 法令に基づく厳格な手続き |
労働局の関与 | なし | 労働局(DREETS)による承認が必須 |
労働者の失業保険 | 原則として受給不可(会社都合を立証する必要あり) | 特定の条件を満たせば受給可能 |
労働局の承認を要する複雑な手続き
Rupture Conventionnelleの手続きは、以下のステップで進められます。
- 事前協議(entretien(s))の開催: 雇用主と従業員は、少なくとも1回の協議会を開き、契約解除の条件(解除日、退職金)について合意する必要があります。
- 合意書の作成と署名: 協議後、両当事者は所定の様式(CERFA)に署名します。この時点で、雇用主は従業員に合意書のオリジナルを1部渡す義務があります。
- 15日間の撤回期間(délai de rétractation): 署名後、両当事者には15暦日間の撤回期間が与えられます。この期間内であれば、いつでも一方的な意思表示で合意を撤回できます。
- 労働局(DREETS)への申請: 撤回期間の終了後、合意書を労働局(Direction régionale de l’économie, de l’emploi, du travail et des solidarités、DREETS)に提出し、承認を求めます。
- 労働局の承認(homologation): 労働局は、主に当事者の合意が自由意思に基づいているか、退職金の金額が法定最低額を下回っていないかなどを審査します。申請後15営業日以内に応答がない場合、承認されたとみなされます。
合意の自由意思を巡る判例動向
Rupture Conventionnelleは、一見すると円満な解決策に見えますが、判例は従業員の真の自由意思が担保されているか否かを厳しく審査しています。特に、ハラスメントや経済的困難下での合意は無効と判断されるリスクがあります。これは、この制度が解雇規制を迂回する目的で悪用されないよう、公的機関(労働局)と司法(裁判所)の両方がセーフティネットとして機能していることを示しています。
例えば、Cour de cassation(最高裁判所)は2022年1月12日、ハラスメントの存在が疑われる状況下で、従業員がRupture Conventionnelleに署名した場合、その合意は無効となり得るとの判決を下しました(Cass. soc., 12 janv. 2022, n°20-19.073)。さらに、企業が整理解雇を隠蔽し、Rupture Conventionnelleを締結した場合も、同様に無効となる可能性があります。これらの判例は、この制度が単なる形式的な手続きではなく、その背景にある「合意の真実性」が常に問われることを示しています。
フランスの労働時間規制と柔軟な働き方

週35時間制の法定原則
フランスの法定労働時間は、フルタイム従業員の場合、週35時間と定められています(Code du travail, Article L3121-27)。この35時間を超えて働いた時間は時間外労働となり、割増賃金が支払われるか、または代償休暇が付与されます。時間外労働の割増率は、労働協約に別段の定めがない場合、最初の8時間(週36時間目から43時間目まで)は25%増、それ以降の時間(週44時間目以降)は50%増が原則です。また、1日の労働時間は最大10時間、週の労働時間は最大48時間、そして12週間の平均で週44時間を超えてはならないという上限規制も存在します。
週35時間制は、1998年の法律(通称「オーブリー法」)によって導入されました。その主な目的は、高い失業率を改善するための「仕事の分かち合い」にありました。しかし、この制度は労働時間の短縮を強制する一方で、企業活動の硬直性を招くという批判も受けてきました。その結果、その後の法改正で時間外労働の上限緩和などが行われており、従業員保護と経済的柔軟性のバランスを模索するフランス政府の姿勢が見て取れます。日本の法定労働時間(週40時間)と比較すると、フランスの制度は依然として厳格ですが、その運用には労働協約による柔軟性が認められている点も理解しておく必要があります。
柔軟な労働時間制度:Forfait en jours
フランスでは、裁量権を持つ一部の管理職や従業員(cadres autonomes)を対象に、労働時間を日数単位で管理する「Forfait en jours」という制度が認められています。この制度を導入するには、労働協約や個別の合意が必要です。この制度は、年間労働日数を上限(通常は218日)として定めます。これにより、日々の労働時間の上限規制や時間外労働の割増賃金支払い義務から免除されます。
Forfait en joursは日本の「裁量労働制」と混同されがちですが、その法的性質と企業に課される義務において決定的に異なります。
フランス(Forfait en jours) | 日本(専門業務型裁量労働制) | |
---|---|---|
適用対象 | 裁量権を持つ自律的な管理職等 | 一定の専門職(法律で指定) |
労働時間管理 | 日数単位で管理(年間上限あり) | みなし労働時間を適用 |
法的上限 | 日10時間、週48時間、12週平均44時間などの規制から原則除外されるが、休息時間の確保は必須 | 原則として、法定労働時間等の規制は適用されない |
企業の義務 | 労働負荷の定期的な確認義務 | 労働者の健康・福祉確保措置の努力義務等 |
日本の裁量労働制が「みなし労働時間」という概念に基づき、実労働時間の管理義務を軽減する傾向にあるのに対し、Forfait en joursは、労働日数を上限とする管理形態を採用する代わりに、労働者の健康と安全を確保するための新たな義務を雇用主に課しています。具体的には、雇用主は従業員の労働負荷が過剰になっていないか、適切に休息日が取られているかなどを定期的に確認する義務があります。この「義務の形を変える」という発想は、フランス労働法の全体的な哲学と一貫しています。
つまり、労働者保護という大原則は維持しつつ、企業の実務的な負担を軽減するバランスを模索していると言えます。日本企業は、この制度を単なる「労働時間管理からの解放」と捉えるべきではなく、労働者の健康管理という新たな法的義務を伴うものとして理解する必要があります。
裁判例に学ぶフランスの解雇リスクと賠償責任
個人の私生活と解雇
フランスの裁判所は、従業員のプライバシー保護を非常に重視しています。職場で発生した事象であっても、それが私的な性質を持つ場合、解雇の理由とすることは厳しく制限されます。この原則を象徴する最新の判例として、Cour de cassation(最高裁判所)は2024年3月6日、職場の業務用メールアドレスから人種差別的・外国人嫌悪的な私的メッセージを送信した従業員に対する懲戒解雇を不当と判断しました(Cass. soc., 6 mars 2024, n° 22-11.016)。
裁判所は、当該メッセージが「個人的かつ機密性の高いやり取り」であり、業務とは無関係な私生活の一部であると認定しました。この判決は、企業が提供した設備(PC、メール)であっても、従業員の私的な通信内容を安易に解雇理由とすることは許されないという、フランスにおけるプライバシー保護の強固な原則を再確認するものです。これは、日本の「職務専念義務」や「企業秩序維持」といった概念とは対照的であり、日本企業が従業員の管理・監督を行う上で、特に意識すべき文化的・法的差異です。
不当解雇に対する損害賠償
フランスでは、不当解雇(理由がない解雇または手続き違反)と判断された場合、雇用主は従業員に損害賠償金を支払う義務があります。2017年の法改正で導入された「マクロン尺度」(Barème Macron)は、この賠償額に上限(キャップ)を設けました。
この尺度は、以前の予測不能な高額な賠償額(最大で月給の3〜4年分)を是正し、企業側の法的予見性を高める目的がありました。この尺度は、従業員の勤続年数と企業規模に応じて、賠償額の最低額と最高額を月給を基準に定めています。マクロン尺度の導入は、フランス労働法が常に従業員保護一辺倒ではなく、雇用主の法的安定性にも配慮したバランスを模索する姿勢を示唆しています。この尺度は、労働組合や従業員弁護士から「保護の後退」として批判されましたが、最高裁は2022年5月11日の判決で、この尺度が国際労働機関(ILO)条約に適合すると判断し、裁判官の裁量による個別適用を明確に否定しました。これは、裁判所の判断に「公平性」と「予測可能性」をもたらすことを優先したものであり、日本企業にとっては法的リスクを事前に評価する上で重要な情報となります。
まとめ
本稿では、フランスへのビジネス展開を検討されている日本の皆様に向けて、労働法の主要な側面を解説いたしました。従業員の保護を重んじるフランス労働法は、雇用契約の終了、労働時間管理、そしてプライバシー保護の各領域において、日本の法制度とは異なる厳格な要件と特有の制度を有しています。特に、解雇における「現実かつ重大な理由」の厳格な証明責任、労働局の関与が必須となるRupture Conventionnelle、そして柔軟な働き方にも新たな義務を課すForfait en joursは、日本の企業が陥りやすいコンプライアンス上の落とし穴となり得ます。
こうした複雑な法的環境下でビジネスを成功させるためには、法令の条文だけでなく、それを解釈し形成してきた裁判所の判例の動向までを深く理解することが不可欠です。フランスの労働法を正確に把握し、適切な戦略を構築することが、予期せぬ法的紛争を回避し、安定した事業運営を実現するための鍵となります。当事務所は、フランス労働法に関する知見に基づき、皆様のビジネス展開をサポートいたします。
カテゴリー: IT・ベンチャーの企業法務