スペインにおける日本資本による現地法人買収・M&Aの包括的解説

スペイン市場は、欧州、中南米、北アフリカを結ぶ地理的・経済的な要衝として、日本企業にとって魅力的な投資対象です。近年のクロスボーダーM&A市場は活況を呈しており、その取引の約48%が海外投資家によるものであるというデータは、スペインの市場が国際的に開かれていることを示しています。
特に、テクノロジー、ヘルスケア、再生可能エネルギーといった分野は、海外からの投資家にとって特に魅力的であるとされています。しかし、この活況の裏側には、近年強化された外国直接投資(FDI)規制や、日本の法制度とは異なる独自の会社法・労働法制が存在します。これらの法的枠組みを深く理解し、予期せぬリスクを回避することは、スペインでのM&Aを成功に導くための不可欠な要素です。
本稿では、スペインのM&Aに関する法的環境を、日本の法律との異同を交えながら詳細に解説します。
この記事の目次
スペインにおける会社形態とM&Aの基本スキーム
主要な会社形態
スペインの会社法において、M&Aの対象となる主要な会社形態は、ソシエダ・アノニマ(Sociedad Anónima、以下「S.A.」)とソシエダ・リミターダ(Sociedad Limitada、以下「S.L.」)の二つです。これらの会社形態は、それぞれ日本の株式会社(Kabushiki Kaisha、KK)と合同会社(Godo Kaisha、GK)に相当すると理解すると、その性質を把握しやすくなります。
S.A.は、大規模な事業運営や上場を目指す企業、あるいは多国籍企業の子会社として設立されることが一般的です。その設立には最低60,000ユーロの資本金が必要とされ、株式は公開市場で自由に取引されることが可能です。このため、S.A.の株式取得は、より簡潔な手続きで行うことができる傾向があります。一方、S.L.は、中小企業やスタートアップに適した形態であり、最低資本金が3,000ユーロとS.A.に比べて大幅に低く設定されています。S.L.の所有権は「持分」(Participaciones)によって表され、株式のように公開取引は行われません。この所有権の性質から、S.L.の持分譲渡は、他の持分保有者からの承認が必要となることが多く、その手続きはより制限的です。
M&Aにおける主要な手法
スペインにおけるM&Aは、主に株式取得(Share Deal)、事業譲渡(Asset Deal)、そして合併(Merger)の三つの手法が用いられます。
株式取得は、買収対象会社の株式を買い取ることで、その会社を丸ごと承継する手法です。これにより、会社の資産、負債、契約関係、事業免許、そして従業員が包括的に引き継がれます。手続きは比較的簡便である反面、買収対象会社が抱える簿外債務や潜在的な法的リスクもすべて承継することになるため、買収前のデューデリジェンスが極めて重要となります。
事業譲渡は、買収者が対象企業の事業に必要な特定の資産と負債を選別して取得する手法です。買収者は承継する債務の範囲を限定できるため、潜在的リスクを軽減できるメリットがあります。しかし、個別の資産の所有権移転手続きや、契約関係の再締結が必要となるため、手続きはより複雑になる傾向があります。ここで日本の商法・会社法と決定的に異なるのが、労働契約の扱いです。日本の法律では、事業譲渡の際に雇用契約は個別の労働者との合意がなければ承継されませんが 、スペイン労働者法(Estatuto de los Trabajadores)は、事業譲渡(”going concern” purchase)が行われる場合、対象事業の従業員が自動的に新会社へ承継されると定めています。この「自動承継」の原則は、買収者が事業譲渡をリスク回避の目的で選択する際に、労働関連の負債を引き継ぐリスクが依然として残ることを意味します。このことから、スペインでの事業譲渡は、日本の感覚で行うと予期せぬ労働問題を引き起こす可能性があるため、その実務的なリスクを十分に理解しておく必要があります。
合併は、複数の会社を一つの会社に統合する手法です。これにより、資産・負債が自動的に承継される普遍承継(universal succession)という利点があるため、個別の移転手続きが不要となります。
スペインの外国直接投資(FDI)規制
スペインは、外国直接投資の自由化を原則としていますが、国家の安全保障、公衆衛生、公的秩序に関わる特定の戦略的分野への投資については、事前承認制度を設けています。この制度は、主に非EU/EFTA(欧州自由貿易連合)圏の投資家を対象としており、スペイン企業の株式持分10%以上を取得する場合、または経営に「決定的な影響力」を行使する場合に適用されます。
このFDI規制は、2020年のパンデミック以降、国家安全保障上の懸念を理由に強化される傾向にあります。これは、単に法律が存在するだけでなく、政府がM&Aを厳格に審査する姿勢を明確にしていることを意味します。特に注意すべきは、EU/EFTA圏の投資家であっても、その最終的な受益者が非EU/EFTA圏の居住者である場合や、投資額が5億ユーロを超える上場企業を対象とする場合には、2026年12月31日まで事前承認が必要となる経過措置が適用されている点です。この事実は、日本企業が欧州に設立した子会社を通じてスペイン企業を買収する場合でも、最終的な支配権が日本にあると判断されれば、規制対象となり得るという重要なリスクを示唆しています。
スペイン会社法上の手続と重要資産(Material Assets)
スペイン会社法(Ley de Sociedades de Capital)の第160条f項は、企業の「重要資産」(material assets)の取得、売却、または他社への供与には、株主総会の承認が必要であると規定しています。この規定は、取引額が直近の貸借対照表上の総資産の25%を超える場合に、当該資産が重要資産であると推定されると定めています。
この規定が実務に与える影響は、最近の判例によってさらに明確化されました。マドリード州裁判所の2025年4月4日付判決132/2025号は、第160条f項の手続きを怠った場合でも、それが直ちに取引の無効に繋がらないという判断を示しています。この判例から言えることは、この規定の目的が、第三者との取引の有効性を定めることではなく、「取締役と株主総会の間の内部的な統制を確立すること」にあるということです。このため、買収者が善良な第三者として善意で取引を行った場合、その取引は有効と見なされる可能性が高まります。しかし、この判例は、買収者側のデューデリジェンスにおいて、単に株主総会の議事録を確認するだけでなく、当該取引が取締役の忠実義務に違反していないか、あるいは第三者との間に悪意や重大な過失がないかといった、より深い法的リスク評価が必要であることを示唆しています。
スペインの競争法・企業結合規制
スペインのM&Aは、スペイン国内の国家競争・市場委員会(Comisión Nacional de los Mercados y la Competencia, CNMC)と、EUレベルの規制当局による二重の審査対象となる場合があります。
CNMCへの届出は、以下のいずれかの基準を満たす場合に必要となります。
- 合併事業体のスペイン国内での総売上高が2億4,000万ユーロを超える場合。
- 買収対象会社のスペイン国内での売上高が6,000万ユーロを超える場合。
一方、EU委員会への届出は、より大規模な取引を対象とします。具体的には、合併事業体の全世界売上高が50億ユーロを超え、かつ、少なくとも2社がそれぞれEU域内で2億5,000万ユーロ以上の売上高を記録する場合に、EU委員会による審査が必要となります。これらの競争法上の届出義務は、M&A取引のタイムラインに直接的な影響を及ぼすため、計画の初期段階で要件を満たすかどうかを判断することが不可欠です。
特定分野のM&Aに適用されるスペインの法規制と注意点
戦略的分野におけるFDI規制の詳細
スペインのFDI規制は、特定の戦略的分野への投資を特に厳格に審査します。スペイン法第19/2003号第7条の2項(Artículo 7 bis de la Ley 19/2003)および勅令571/2023号(Royal Decree 571/2023)に基づき、以下の分野がFDI規制の対象となります。
- 重要インフラ:エネルギー、交通、通信、データセンター、金融サービス、食料安全保障など
- 重要技術・デュアルユース品目:人工知能、ロボティクス、半導体、サイバーセキュリティ、航空宇宙、防衛など
- 重要投入物・供給:エネルギー、食料、原材料など
- 機密情報へのアクセス権を有するセクター:データセンターやメディアなど
- 政府が支配する投資家による投資
FDI規制の実務上の重要性は、事例から強く示唆されます。2024年、ハンガリーのコンソーシアム「Ganz-Mavag」によるスペインの鉄道車両メーカー「タルゴ」の買収提案が、スペイン政府によって拒否されました。これは、投資家とロシアとの関連が指摘され、国家安全保障上の懸念が理由とされています。この事例は、FDI規制が単なる形式的なチェックリストではなく、投資家の背景や、買収対象企業が持つ国家的な重要性といった、より広い文脈で判断されることを明確に示しています。日本の投資家は、たとえ民間企業による投資であっても、買収対象企業がスペインの「経済安全保障」に関わる可能性がある場合、政府との対話を念頭に置いた入念な事前評価と手続きを進める必要があります。
労働法の取扱いとデューデリジェンスの重要性
前述したように、スペイン労働者法(Estatuto de los Trabajadores)は、事業譲渡において雇用契約が自動的に新会社に承継されると定めています。これは日本の商法における事業譲渡とは根本的に異なる点です。買収者は、不要な労働債務を承継しないために事業譲渡を好むことが多いですが、スペインではこの手法を用いても労働関連の負債を引き継ぐリスクが依然として存在します。
このため、スペインでのM&Aにおいては、労働関連のデューデリジェンスが極めて重要となります。具体的には、解雇に関する訴訟の有無、適用される団体協約(convenio colectivo)の条件、過去の労働時間記録の適法性、そして未払い賃金や超過勤務手当の有無などを徹底的に調査する必要があります。これらのリスクを事前に評価し、買収後の予期せぬコストや法的紛争を回避するための対策を講じることが不可欠です。
税務に関する考慮事項と最近の判例
M&A取引における税務は、取引のストラクチャリングと評価に直接影響を与えます。スペインでは、法人株主が株式を売却して得たキャピタルゲインは、一定の要件を満たす場合、95%が課税から免除される「持分免税制度」(Participation Exemption)が適用されます。この免税制度を享受するためには、原則として、売却対象会社の株式を売却時において5%以上、かつ1年以上継続して保有していることが要件となります。
さらに、2024年12月20日に施行された新法(Law 7/2024)により、多国籍企業グループの連結売上高が一定の閾値を超える場合、最低税率15%に達しない利益に対して補完税(Pillar 2)が課されることになりました。この新しい税制は、M&A後の企業構造において、買収対象会社の税率が15%未満であった部分に追加の税金が発生する可能性を生じさせ、当初の買収評価が根本から見直される必要性を示唆しています。
また、最近の最高裁判例もM&A後の税務に影響を及ぼしています。スペイン最高裁判所の2025年9月9日付判決3721/2025号は、多国籍企業の集中財務管理(キャッシュ・プーリング)における移転価格(transfer pricing)のあり方を大きく変えるものです。この判決は、子会社間の貸借における金利は対称的でなければならないこと、そしてキャッシュプールのリーダー役を務める会社への報酬は、その限定的な機能とリスクに見合ったものでなければならないことを明確にしました。この判決から、M&A後の企業統合(PMI)において、グループ内の資金管理体制を見直し、グループ内取引の金利設定や管理機能に対する報酬設定が、スペインの税務当局から厳しく精査される可能性が高まることが言えるでしょう。
まとめ
スペインでのM&Aは、魅力的な成長機会を秘める一方で、多岐にわたる法的・税務的な課題が存在します。日本のM&A実務とは異なる以下のような特有の法制度を正確に理解することが、取引を円滑に進めるための要諦となります。
- 会社形態の選択:事業規模に応じてS.A.とS.L.の特性を理解し、特にS.L.の持分譲渡における制限的な手続きを考慮すること。
- FDI規制の動向:非EU圏投資家に対するFDI規制が強化されており、政府の政策的判断が取引を左右する可能性があるため、買収対象が戦略的セクターに該当するかを慎重に判断すること。
- 労働法の取扱い:事業譲渡の場合でも雇用契約が自動的に承継されるという日本法との根本的な違いを認識し、労働関連リスクの徹底的なデューデリジェンスを行うこと。
- 税務リスクの評価:持分免税制度の要件に加え、新たに導入された補完税や、グループ内取引に関する判例など、複雑な税務上の要素がM&Aの評価とストラクチャリングに直接的な影響を及ぼすことを考慮に入れること。
これらの課題を乗り越えるためには、スペインの法制度に精通し、日本法との異同を正確に理解した上で、戦略的な計画を立てることが不可欠です。
カテゴリー: IT・ベンチャーの企業法務