インド共和国の医療・医薬品規制の全体像を弁護士が解説

インド共和国(以下、インド)は14億人を超える人口を抱え、世界有数のジェネリック医薬品供給国として「世界の薬局」の地位を確立しているだけでなく、医療機器の巨大な消費市場としても急速に成長しています。日本企業がこのインド市場へ進出する際に直面する最大の課題は、英国法体系を基礎としつつも、複雑な連邦制度と頻繁な改正によって形成された重層的な法規制環境です。日本の医薬品医療機器等法(薬機法)が厚生労働省と医薬品医療機器総合機構(PMDA)による中央集権的な規制を行うのに対し、インドでは1940年医薬品・化粧品法(Drugs and Cosmetics Act, 1940)を基本法としつつ、中央政府と州政府が権限を分担する二重構造をとっています。
近年、インド政府は「Make in India」政策の下、法規制の近代化と国際調和を急ピッチで進めています。特に2017年に施行された医療機器規則(Medical Devices Rules, 2017)は、それまで医薬品の一部として扱われていた医療機器を独立したカテゴリーとして再定義し、リスクに基づく分類制度を導入しました。さらに2024年から2025年にかけては、広告規制の厳格化やライセンスの永久有効化、さらには医療機器における二重規制の解消など、ビジネス環境を大きく左右する法改正や司法判断が相次いでいます。例えば、2024年の最高裁判所によるパタンジャリ・アーユルヴェード社への厳しい判断は、広告コンプライアンスの基準を一変させました。また、2025年の法定計量法規則の改正により、医療機器のラベル表示に関する重複規制が解消されたことは、輸出を行う日本企業にとって重要な前進です。
本記事では、インドの医療・医薬品規制の全体像を解説します。基本的な法的枠組みから、最新の法改正、知的財産権の問題、そして経営陣のリスク管理に至るまで、日本の法制度との比較を交えながら詳述します。
なお、インドの包括的な法制度の概要は下記記事にてまとめています。
この記事の目次
インドの薬事規制の基本構造と当局の二重性
インドにおける医薬品および医療機器の規制は、主に1940年医薬品・化粧品法(Drugs and Cosmetics Act, 1940:以下「DCA」)および1945年医薬品・化粧品規則(Drugs and Cosmetics Rules, 1945)、そして2017年医療機器規則(Medical Devices Rules, 2017:以下「MDR 2017」)によって規律されています。日本の薬機法が製造販売業許可というライセンスを通じて市場への出荷責任を一元管理しているのに対し、インドのDCAは伝統的に「製造」と「販売」という物理的行為の拠点を規制することに主眼を置いてきました。
この規制体系の最大の特徴であり、日本企業にとって最も理解しにくい点が規制当局の二重構造です。インドでは、中央医薬品基準管理機構(CDSCO)と各州のライセンス当局(SLA)が権限を分掌しています。CDSCOは日本のPMDAに相当し、新規医薬品の承認、臨床試験の許可、医療機器の輸入ライセンスの発行、および高リスク医療機器(クラスCおよびD)の製造承認を管轄します。一方で、各州のSLAは、ジェネリック医薬品の製造販売許可や、低・中リスク医療機器(クラスAおよびB)の製造許可、そして卸売・小売業のライセンス発行権限を持っています。
この構造は、実務において州ごとの法解釈の不統一というリスクを生じさせます。ある州では軽微な違反とされる表示の不備が、別の州では重大な違反として扱われることもあります。日本企業がインドに進出する場合、ニューデリーのCDSCOだけでなく、製造拠点や販売拠点を置く州のFDA(食品医薬品局)との関係構築も不可欠となります。
参考:CDSCO(インド中央医薬品標準管理機構)公式サイト:組織概要
インドにおける医療機器規則の変革と最新の法改正

かつてインドでは医療機器に関する独立した法律が存在せず、一部の機器が「医薬品」とみなされて規制されていました。この状況を一新したのが2017年に施行されたMDR 2017です。この規則は、医療機器をリスクに応じてクラスA(低リスク)からクラスD(高リスク)の4段階に分類し、国際的な規制調和タスクフォース(GHTF)の基準に準拠した管理体制を導入しました。2020年には定義が拡大され、すべての医療機器が規制対象となりました。
日本企業にとって特筆すべき最新の動きとして、2024年から2025年にかけての規制緩和と手続きの合理化が挙げられます。まず、インド保健家族福祉省は、医療機器の製造および輸入ライセンスについて、従来の5年ごとの更新制を廃止し、維持費用の支払いと自己申告による「永久有効(Perpetual Validity)」制度への移行を進めています。2024年に提案された「2024年医療機器(改正)規則」では、ライセンスが停止または取り消されない限り永続的に有効であるとされ、これにより日本企業の更新手続きに伴う行政負担と事業中断リスクが大幅に軽減される見通しです。
さらに、2025年10月には、法定計量(包装商品)規則(Legal Metrology (Packaged Commodities) Rules, 2011)が改正され、MDR 2017の適用を受ける医療機器が、法定計量法の煩雑な表示義務から除外されました。これまで医療機器の輸入業者は、MDRに基づく表示と法定計量法に基づく表示(最大小売価格MRPのフォントサイズ規定など)の二重規制に苦しんでいましたが、この改正によりMDR 2017の基準に一本化されました。これは日本からの輸出におけるラベル貼り替えコストや通関遅延のリスクを解消する大きな改善です。
参考:TaxTMI:医薬品マーケティング慣行統一コード(UCPMP 2024)の解説
インド現地代理人の役割と法的責任
日本企業がインドに製造拠を持たず、製品を輸出する場合、MDR 2017に基づき「インド現地代理人(Indian Authorized Agent: IAA)」を選任する必要があります。IAAは単なる申請窓口ではなく、日本の「選任製造販売業者(D-MAH)」に近い重責を負います。IAAは輸入ライセンスの名義人となり、製品の品質、安全性、市販後調査、リコール、および不具合報告について法的責任を負う主体です。
IAAの選任には戦略的な判断が求められます。ライセンスはIAAに帰属するため、代理店をIAAに指名した場合、将来的に代理店契約を解消しようとしても、ライセンスの移転には旧IAAの「異議なし証明書(NOC)」が必要となり、これが交渉の障壁となるケースが多発しています。そのため、可能であればインドに現地法人を設立し、その自社法人をIAAとすることで、ライセンスのコントロール権を自社で保持することが推奨されます。
また、臨床試験に関しては、日本とインドの規制当局間での協力が進んでいます。MDR 2017の第63条は、日本を含むGHTF加盟国(米国、EU、カナダ、オーストラリア)で承認済みの医療機器について、インド国内での臨床試験を免除または短縮できる規定を設けています。ただし、この免除は自動的なものではなく、人種的差異が安全性や有効性に影響しないことを専門家委員会(SEC)に対して科学的に立証する必要があります。
参考:2017年医療機器規則(Medical Devices Rules, 2017)条文
インド知的財産権とジェネリック医薬品産業の保護
インド市場における医薬品ビジネスでは、特許法の特殊性を理解することが不可欠です。インドは1970年特許法により物質特許を認めず、製法特許のみを保護することでジェネリック産業を育成してきました。2005年の改正でTRIPS協定に対応して物質特許を導入しましたが、同時に第3条(d)項という独自の防波堤を設けました。
第3条(d)項は、既知の物質の新しい形態(塩類、エステル、多形体など)について、治療上の有効性(Therapeutic Efficacy)の著しい向上が認められない限り、特許の対象とはしないと規定しています。この解釈が争われたのが、2013年のノバルティス対インド政府(Novartis AG v. Union of India)の最高裁判決です。最高裁は、ノバルティス社の抗がん剤グリベックの改良形態について、物理化学的な安定性の向上だけでは特許要件を満たさず、治療効果の向上が必要であるとして特許を認めませんでした。
この判決は、既存薬のわずかな改良によって特許期間を延長しようとする「エバーグリーニング(Evergreening)」戦略をインドでは封じ込めるものであり、日本の製薬企業が新薬をインドで展開する際には、新規性だけでなく明確な治療上の優位性を証明するデータが求められます。
インド広告規制の厳格化とパタンジャリ判決
インドにおける医薬品広告規制は、近年劇的に厳格化されています。基本となる法律は1954年医薬品及び魔術的治療(好ましくない広告)法(Drugs and Magic Remedies (Objectionable Advertisements) Act, 1954:以下「DMR法」)であり、がん、糖尿病、心臓病など54の特定疾患について、治療や予防を謳う広告を禁止しています。
この規制環境を一変させたのが、2024年のインド医師会対インド政府他(Indian Medical Association v. Union of India)における最高裁判所の命令、通称「パタンジャリ事件」です。最高裁は、大手アーユルヴェーダ企業パタンジャリ社が糖尿病や高血圧を「完治させる」と謳い、現代医療を批判する広告を展開したことに対し、DMR法違反として厳しく糾弾しました。裁判所は同社に対し、過去の広告に関する謝罪広告の掲載を命じ、さらに関連製品の製造ライセンス停止に至るプロセスを主導しました。この判決以降、企業役員の個人的な謝罪が求められるなど、広告コンプライアンス違反に対する司法の態度は極めて厳しくなっています。
さらに、2024年3月には「統一医薬品マーケティング実施要綱2024(UCPMP 2024)」が通知されました。これは製薬企業による医師へのギフト提供や海外渡航費用の負担を厳しく制限するもので、企業のCEOに対して毎年の遵守状況の自己申告を義務付けています。これにより、従来は自主基準であった規範が、事実上の法的拘束力を持つルールへと格上げされました。
インド企業の犯罪と取締役の法的責任

インド進出におけるコンプライアンス上の最大のリスクの一つは、DCA違反時における取締役の刑事責任です。DCA第34条は、企業が違反を犯した場合、その行為時に事業運営を担当していたすべての者が有罪とみなされる「みなし責任」を規定しています。
しかし、近年の司法判断はこの責任の適用を厳格に解釈する傾向にあります。2023年のS.アティラクシュミ対州政府(S. Athilakshmi v. State Rep. by Drugs Inspector)判決において、最高裁判所は、単に取締役であるという理由だけで、具体的な関与の証拠なしに刑事訴追することは違法であると判示しました。また、2025年のイノックス・エア・プロダクツ事件(Inox Air Products Limited v. State of Andhra Pradesh)において、最高裁は、召喚状の発行に際して裁判官が十分な理由を示さなかったことを理由に、企業に対する刑事手続きを破棄しました。
まとめ
インドの医療・医薬品法規制は、複雑な連邦制度と頻繁な規則改正により、極めて動的な環境にあります。MDR 2017による医療機器規制の整備や2025年の法定計量法との二重規制解消といったビジネスフレンドリーな改正が進む一方で、パタンジャリ判決に見られるように、誤解を招く広告やコンプライアンス違反に対しては、司法当局による監視と処罰がかつてないほど厳格化しています。また、特許法第3条(d)項によるイノベーションの定義や、IAAを通じた市場参入戦略など、インド特有の法的論点は、日本企業の事業成否に直結する要素です。
日本企業がこの巨大市場で成功を収めるためには、単なる条文の理解にとどまらず、最新の判例動向や行政実務の運用を踏まえた戦略的な法務対応が不可欠です。
カテゴリー: IT・ベンチャーの企業法務

































