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法律記事MONOLITH LAW MAGAZINE

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ギリシャのAI関連法と人事領域のAIシステム規制

ギリシャのAI関連法と人事領域のAIシステム規制

ギリシャ(正式名称、ギリシャ共和国)がEUに先行して制定したAI関連法「法律4961/2022」は、同国のデジタル変革戦略の柱として注目されています。特に、採用や人事評価にAIシステムを利用する企業に対し、事前の「透明性義務」を課している点は、多くの日本企業にとって見過ごせない重要な法的要件です。AIの活用が業務効率化をもたらす一方で、その不透明な意思決定プロセスは常に懸念材料とされてきました。ギリシャ法は、この課題に対し先駆的に対処しており、これは現時点で特定のAI法が存在しない日本法制とは一線を画すものです。

本稿では、ギリシャ法のこの義務を詳細に解説し、日本の法務部員や経営者が現地進出時に取るべき法的・実務的対応策について、日本法との決定的な違いを踏まえながら考察します。

欧州連合AI法(EU AI Act)に先行するギリシャのAI法制

ギリシャは、欧州連合AI法(EU AI Act)の採択を待つことなく、2022年7月27日に「新興情報通信技術、デジタル・ガバナンスの強化、およびその他の規定に関する法律」(法律4961/2022)を官報(Government Gazette, GG 146/A/27-07-2022)に公布しました。本法は、人工知能(AI)、モノのインターネット(IoT)、無人航空機システム(UAS)、分散型台帳技術(DLT)、スマートコントラクト、3Dプリンティングといった広範な新興技術を包括的に規制するものです。この法律の第1部(第1条~27条)は、特にAI技術の公平かつ安全な利用のための制度的枠組みを構築することを目的としており、公共部門と民間部門の双方に適用されます。この枠組みは、EU AI Actが提案する「リスクベース・アプローチ」にも沿うものです。

ギリシャがEU AI Actに先行して国内法を制定したことは、単なる一時的な措置ではなく、より深い国家的なデジタル戦略を示しています。これは、同国がAIを含む先端技術を経済と社会のデジタル変革のエンジンと位置付け、イノベーションを促進しつつも、同時に強力な法的・倫理的基盤を早期に確立することで、投資家や企業からの信頼を確保しようとする意図の表れと解釈できます。この立法措置は、個別の技術に対応する場当たり的な対応ではなく、包括的かつ長期的な国家戦略の一環であり、技術革新におけるリーダーシップを確立し、法的安定性を提供することで国際的な競争力を高めるための戦略的な一手であると言えるでしょう。これは、ギリシャへの進出を検討する日本企業にとって、同国が信頼できる法的環境を持つ市場であることを示す重要な情報となります。 

ギリシャの雇用・人事におけるAI利用と「透明性義務」

ギリシャの雇用・人事におけるAI利用と「透明性義務」

法律4961/2022は、民間企業によるAIシステムの利用に関して明確な義務を課しています。この義務は、従業員や求職者の採用、選考、評価、雇用条件に影響を与えるAIシステムを導入するすべての企業に適用されます。特に、デジタルプラットフォームを通じて雇用契約や独立したサービス提供契約を結んでいる自然人にもこの義務が及ぶ点が重要です。

具体的な義務の内容として、企業は、AIシステムの初回利用に先立ち、影響を受ける従業員または求職者に対し、AIの利用に関する「関連情報」を事前に提供しなければならないと定められています。この「関連情報」には、AIシステムが意思決定に影響を与える際の「判断基準」(criteria used for AI-driven decisions)が含まれることが示唆されています。さらに、中堅および大企業には、AIシステムが使用するデータに関する倫理的な利用方針(moral data usage policies)を策定し、情報提供を行うことが義務付けられています。この規定は、AIシステムの利用が人権、個人のプライバシー、データの保護、非差別、男女間の平等といった法的原則に沿うように、適切な措置を講じることを要求するものです。

この法律に定められた透明性義務の違反に対しては、ギリシャの「労働監督局(Labour Inspectorate)」が罰則を課す権限を有します。これは、AIの利用が単なる個人情報保護の問題に留まらず、労働法上の明確なコンプライアンス要件と位置付けられていることを示しています。調査資料では、具体的な罰金額は明記されていませんが、「罰則が科される(penalties are imposed)」と明確に規定されています。

ギリシャ法と日本法制の相違点

日本では、雇用・人事領域におけるAI利用を直接的に規制する特定の法律は、現時点では制定されていません。その代わり、内閣府や経済産業省が策定した「人間中心のAI社会原則」に基づき、「AI事業者ガイドライン」等の非拘束的な指針が公開されています。

これらの日本の指針は、AIの利活用にあたり、「適正利用に努める」「バイアスが含まれる可能性に留意する」「不当に差別されないよう配慮する」といった、倫理的配慮や推奨事項を主体としています。これは、罰則を伴う法的義務ではなく、あくまで事業者が自主的に遵守することが期待される「ソフトロー」の位置付けです。 

一方、ギリシャでは、この透明性義務は、法的拘束力を持つ明確な「義務」であり、違反時には「罰則」が適用される点が、日本との決定的な違いです。日本の企業は、AI利用に関する「ガイドライン」や「原則」に基づく自主的なコンプライアンス文化に慣れていますが、ギリシャ法は「提供しなければならない(shall provide relevant information)」と明確な義務を課しています。この言語的・法的な差異は、両国のAI法制に対する根本的なアプローチの違いを反映しています。ギリシャは、法的な強制力をもってAIの透明性を確保しようとしているのに対し、日本は、倫理原則社会規範を軸にした自主規制を促していると言えるでしょう。 

したがって、日本企業がギリシャに進出する際、国内と同様の「ガイドラインだから大丈夫」という認識でAI人事システムを導入すると、透明性義務の不履行により、労働監督局から罰則を受けるという現実的な法的リスクに直面することになります。このリスクは、日本の現行法制からは想像しにくい、しかし極めて重大なものです。

ギリシャ共和国日本
法的枠組み法律4961/2022AI事業者ガイドライン等
法的拘束力ありなし(自主的な遵守を推奨)
主要な義務従業員・求職者への事前情報提供義務適正利用・バイアスへの配慮義務
主要な根拠法令法律4961/2022AI事業者ガイドライン
監督・執行機関労働監督局(Labour Inspectorate)なし(主に各省庁が指針を策定)
罰則の有無ありなし

ギリシャにおける法的執行の実態と判例

ギリシャの雇用・人事におけるAI利用に関する特定の判例は、現時点では確認されていません。しかし、これはこの分野の法的リスクが存在しないことを意味するものではなく、むしろ、法律4961/2022のAI関連規定が2023年1月1日に施行された新しい法令であり、まだ具体的な裁判事例が蓄積されていない段階であることを示しています。

AIの透明性と適法性に対するギリシャ当局の厳格な執行姿勢は、別の事例から強く見て取ることができます。ギリシャのデータ保護当局(Hellenic DPA)は、2022年7月13日、顔認識AIサービスを提供するClearview AI社に対し、2000万ユーロの巨額の罰金を科す決定を下しました。この決定は、同社がGDPR(一般データ保護規則)に違反し、特にデータ処理の適法性、透明性、データ主体への情報提供義務、およびアクセス権の尊重義務に違反したことを認定したものです。

このClearview AIに対する罰金は、法律4961/2022が施行される直前に下されました。この事案は、直接的に労働法上のAI透明性義務に違反したものではないものの、ギリシャ当局が、AIの透明性と適法性という原則に対して、すでにGDPRという既存の法的枠組みの下でも、極めて厳格かつ積極的に執行を行ってきたことを示す強力な証拠です。この事例から、今後、労働監督局が同様に厳格な姿勢で法律4961/2022を執行するであろうことが推察できます。このため、法律4961/2022に基づく罰則は単なる「絵に描いた餅」ではなく、現実に起こりうるリスクであると認識することが極めて重要です。 

まとめ

ギリシャ共和国は、包括的なAI法である「法律4961/2022」を制定し、採用・人事評価におけるAI利用に対する「透明性義務」を明確な法的要件として確立しました。これは、非拘束的なガイドラインを主とする日本の法制とは大きく異なる、法的拘束力と明確な罰則を伴う、現実的なリスクを提示しています。しかし、この先駆的な取り組みは、イノベーションと倫理的利用を両立させようとする同国の強い意志を示しており、適切な法的対策を講じることで、日本企業が信頼性の高い市場で競争優位を築く機会でもあります。

AI導入は、もはや技術的な問題に留まらず、法的・倫理的側面からの包括的なガバナンス体制構築が必須の経営課題となっています。ギリシャでのビジネス展開を検討する日本企業は、AI人事システムの導入に際し、AIの利用目的・範囲、データの収集・利用方法、意思決定プロセスに関する明確な説明を含む内部規程や社内ガイドラインを策定し、AI利用方針を従業員や求職者に事前に明確に伝える体制を構築することが必須となります。また、AI関連法規は複雑かつ急速に変化しており、ギリシャにおいてはEU AI Actとの関係性も今後注視していく必要があります。単に法律の条文を理解するだけでなく、当局の執行姿勢や実務慣行を把握することが不可欠です。このため、ギリシャ進出に際しては、現地の法務専門家と連携し、法的デューデリジェンスやコンプライアンス体制構築を進めることが、法的リスクを回避する上で最も有効な手段となります。 

モノリス法律事務所は、このような海外の複雑な法務課題に対し、綿密な調査と深い洞察に基づいた専門的なアドバイスを提供し、貴社の円滑な事業展開を法務面から力強くサポートいたします。

弁護士 河瀬 季

モノリス法律事務所 代表弁護士。元ITエンジニア。IT企業経営の経験を経て、東証プライム上場企業からシードステージのベンチャーまで、100社以上の顧問弁護士、監査役等を務め、IT・ベンチャー・インターネット・YouTube法務などを中心に手がける。

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