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タイの法体系と司法制度を弁護士が解説

タイの法体系と司法制度を弁護士が解説

タイの法体系は、日本と同様に、ドイツやフランスの法典をモデルとした大陸法系に分類されます。主要な法律は、日本の六法に相当する「民商法典」「刑法典」「民事訴訟法典」「刑事訴訟法典」といった体系的な法典として整備されており、基本的な法律構成において多くの共通点が見られます。しかし、タイの法制度は完全に純粋な大陸法系ではありません。歴史的に英国法の影響を受け、さらに第二次世界大戦後は米国法も取り入れた結果、現在は「混合法」的な性質を持っています。この混合的な性質は、特に知的財産や国際取引といった新しいビジネス領域で顕著に現れます。 

また、日本の司法制度が、最高裁判所を頂点とする単一の司法裁判所で全ての案件を処理するのに対し、タイには目的別に分化した複数の裁判所が存在します。具体的には、通常の事件を扱う司法裁判所の他に、法律の合憲性を審査する憲法裁判所、政府機関との紛争を扱う行政裁判所、軍人に関する事件を扱う軍事裁判所が明確に区分されています。

本記事では、タイの混合法的な性質と、独特な裁判所システムを詳細に解説します。特に、日本の事業者にとって重要な知的財産権及び国際取引裁判所や労働裁判所に焦点を当て、その具体的な手続きや、日本法とは異なる重要なポイントを、最新の動向や判例を交えながら掘り下げていきます。 

タイ法体系の基本構造

タイの現代法は、19世紀後半にラーマ5世(チュラロンコーン大王)が法制度の近代化に着手したことに端を発します。これは、当時の欧米列強がタイ(当時はシャム)に要求した治外法権を撤廃し、国家の主権を回復するためでした。この改革において、タイは欧州大陸法、特にフランス法ドイツ法をモデルとして主要な法典を編纂しました。これにより、タイの主要な法典として「民商法典」や「刑法典」などが制定され、日本の法体系と共通する多くの特徴が形成されました。 

タイ法におけるコモン・ローと「混合法」

タイの法制度は大陸法を基盤としながらも、完全に純粋ではありません。歴史的にイギリスの影響が強く、第二次世界大戦後は米国からも影響を受けてきた結果、知的財産や国際取引といった特定の法分野ではコモン・ローの要素が色濃く現れています。この混合的な性質は、日本のように純粋な大陸法系に属する法体系との間に重要な違いを生み出しています。 

タイの混合法が形成された背景には、国家主権をめぐる歴史的な経緯があります。19世紀、タイは英国とのボーリング条約や米国との友好通商条約を締結し、欧米諸国に治外法権を許すこととなりました。これにより、タイ国内で外国法が併行して適用されるという特殊な状況が生まれました。この状況から脱却するため、タイは欧米諸国が信頼できると認める近代的な法体系を自ら構築する必要に迫られました。そして、この文脈において、大陸法をモデルとしつつ、特に国際商取引や金融といった分野で影響力の大きかった英国・米国法の実務を取り入れるという選択がなされました。

このように、タイの「混合法」は単なる偶然の産物ではなく、主権回復という国家的な課題を解決するための戦略的な法改革の結果であると言えます。この結果、新しいビジネス分野でコモン・ロー的要素が顕著に現れるという実務上の傾向が形成されました。 

民商法典におけるコモン・ロー由来の要素

タイの法制度がコモン・ローの影響を受けている顕著な例として、契約の有効要件における「約因(consideration)」の概念があります。これはコモン・ロー契約法の中核をなすもので、契約が法的に有効となるためには、当事者双方が相互に何らかの価値のあるものを交換しなければならないという原則です。この「約因」は、金銭の支払い、サービスの提供、物品の引き渡しなど、相互に価値のある約束や義務を意味します。

日本の民法には、このような約因の概念は存在せず、当事者間の意思表示の合致があれば契約は有効に成立します。例えば、一方が無償で何かを約束した場合でも、日本法では原則としてその約束は有効です。

しかし、タイの法律では、このような相互の義務や価値の交換がない契約は、原則として法的拘束力を持たないと解釈される場合があります。したがって、タイでの契約交渉においては、約因の存在が明確に規定されているかどうかが、その有効性を確保する上で非常に重要な要素となります。 

タイの多層的な司法制度

タイの多層的な司法制度

日本の司法制度が、最高裁判所を頂点とする単一の司法裁判所で全ての案件を扱うのに対し、タイには特定の目的別に分化した複数の裁判所が存在します。これはタイ法務を理解する上で、日本と最も異なる点のひとつです。タイの現行憲法の下では、以下の4つの主要な裁判所が明確に区分されています。 

  • 憲法裁判所(Constitutional Court):法律や政令の合憲性を判断し、憲法に違反する法令や政府の行為を審査します。この裁判所は1997年憲法によって創設され、判決は全ての国家機関を拘束する強い権限を持っています。2001年のタクシン・シナワット元首相の資産隠蔽疑惑に関する判決など、政治的に大きな影響力を持つ判例が多数あります。また、平和的な王室改革要求が、憲法に反する「立憲君主制の転覆」にあたると判断した判例も存在します。 
  • 行政裁判所(Administrative Court):政府機関や公務員と民間企業・個人の間の紛争、または政府機関同士の紛争を扱います。日本の行政訴訟に似ていますが、タイではこの行政裁判所が独立した司法系統を形成しています。慢性腎不全患者の人工透析回数制限に関する訴訟(A.593/2560)など、国民の権利保護に関する重要な判決を出しています。 
  • 軍事裁判所(Military Court):主に国軍の軍人に関する刑事事件を管轄します。ただし、クーデター後の2014年から2016年にかけては、民間人による一部の犯罪(王室不敬罪、国家安全保障関連犯罪など)も軍事裁判所の管轄とされていました。軍事裁判所は国防省の管轄下にあり、裁判官は必ずしも法律の専門家である必要はなく、軍人によって構成される点が民間裁判所と大きく異なります。非常事態時には、軍事裁判所が政治的な目的のために利用される懸念があります。これは、独立した司法機関としての役割が制限され、人権侵害につながる可能性を示しており、日本の事業者がタイの政情不安を評価する際には、通常の司法制度だけでなく、軍事裁判所の動向にも注意を払う必要があることを意味します。 
  • 司法裁判所(Courts of Justice):最も広範な管轄を持ち、一般的な民事事件、刑事事件、税務、労働、知的財産、通商、破産に関する裁判を扱います。第一審裁判所、上訴裁判所、最高裁判所の三審制が採用されています。 

タイのビジネスに直結する専門裁判所の詳細解説

日本の事業者がタイでビジネスを展開する際、最も関わる可能性が高いのが、司法裁判所内に設置されている専門裁判所です。これらの裁判所は、特定の専門分野に特化した裁判官や、専門知識を持つ民間人(準裁判官)で構成され、効率的かつ専門的な紛争解決を目指しています。 

知的財産権及び国際取引裁判所(CIPITC)

知的財産権及び国際取引裁判所(Central Intellectual Property and International Trade Court, CIPITC)は、知的財産法(商標、著作権、特許など)および国際的な商取引に関する民事・刑事事件を専門に扱います。この裁判所はバンコクに設置されており、現在のところ、その管轄はタイ全土に及びます。 

CIPITCは、迅速な紛争解決を目指して特別な手続きを設けています。例えば、2023年に施行された新しい規則では、証人尋問にテレビ会議システムを用いることができるようになりました。また、タイ語が公用語であるものの、当事者の合意があれば英語の証拠書類も受理される場合があります。さらに、2023年7月1日に発効した新しい規則は、訴訟関連書類の電子送達を可能にするなど、手続きの近代化を進めています。 

これらの特別な手続きは、特に国際的な紛争を念頭に設計されており、コモン・ロー的な実務慣行を取り入れていることを示しています。日本の事業者にとっては、タイのIP紛争が他の民事訴訟よりも迅速に処理される可能性があることを意味します。これにより、ビジネス上の不確実性が早期に解消され、戦略的な意思決定を迅速に行うことができるでしょう。 

タイのCIPITCは、その後の判例法理を形成する重要な判決を出すことがあります。例えば、 2020年10月16日にCIPITCが下したINVE Aquaculture社の特許侵害訴訟判決は、1億600万タイバーツ(約350万米ドル)というタイ史上最高額の損害賠償額を認めたことで注目を集めました。タイでは、これまで知的財産侵害に対する損害賠償額は比較的小額に留まる傾向がありました。しかし、この判決は、裁判所が侵害者の行為を厳しく評価し、特許権者の損害を十分に補填するという、国際的な潮流に沿った姿勢を示したといえます。この判決により、今後のタイにおける知的財産保護訴訟において、高額な損害賠償が認められる可能性は高まったと言え、これは、模倣品対策を検討している日本の事業者にとって、非常に強力な武器となり得ます。 

労働裁判所

労働裁判所(Labour Court)は、雇用契約、労働組合、労災補償など、労働関係に関する紛争を専門に扱います。この裁判所は、バンコクの中央労働裁判所と地方の労働裁判所から構成されています。 

労働裁判所は、専門的な法律家である「専門裁判官」と、雇用者・労働者団体から選ばれた「準裁判官(associate judge)」で構成されることが特徴です。この構成は、単に法律を適用するだけでなく、労使双方の立場や業界の慣習を理解した上で、より現実的かつ公平な解決を導こうとする意図を示しています。また、手続きは比較的非公式で迅速な解決を目指し、和解や仲裁が重視されます。 

外国人雇用者を含む日本の事業者にとって、タイの労働紛争は、日本の労働審判制度と同様に、迅速かつ専門的な対応が求められることを意味します。また、裁判官が民間人の視点を取り入れるため、形式的な法解釈だけでなく、紛争に至った経緯や実態がより重視される可能性があるでしょう。 

まとめ

タイの法体系は、日本と多くの共通点を持ちつつも、歴史的背景に根差した独自の「混合法」的性質と、多層的な裁判所システムを有しています。特に、知的財産権及び国際取引裁判所や労働裁判所といった専門裁判所の存在は、日本の事業者がタイでビジネスを行う上で不可欠な理解事項です。

最新の判例は、タイの司法が知的財産保護を強化し、国際的な実務慣行を取り入れつつあることを明確に示しています。これは、日本企業にとって、ビジネス上の知的財産を保護し、紛争を有利に解決するための機会となり得ます。同時に、日本の常識とは異なる法的な取り扱いや、特有の裁判手続きが存在することも事実です。

タイでの事業展開を成功させるためには、現地の法的・司法的な特性を深く理解することが不可欠です。モノリス法律事務所は、このような複雑な法務環境をナビゲートするための専門知識を有しています。契約交渉、知的財産権の登録と保護、労務管理、紛争解決など、あらゆる法務課題に対して、戦略的な視点から貴社のビジネスをサポートいたします。お気軽にご相談ください。

弁護士 河瀬 季

モノリス法律事務所 代表弁護士。元ITエンジニア。IT企業経営の経験を経て、東証プライム上場企業からシードステージのベンチャーまで、100社以上の顧問弁護士、監査役等を務め、IT・ベンチャー・インターネット・YouTube法務などを中心に手がける。

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