ロシア連邦における裁判所の制度の全体像

ロシアの法体系は日本と同様に大陸法系に属し、成文法を主要な法源とすることから、一見すると日本法と類似しているように見えますが、その歴史的背景や実務上の運用には、日本とは大きく異なるポイントが多数存在します。
本記事では、ロシア連邦憲法や連邦憲法法律といった公的な法令を根拠に、ロシアの裁判制度の全体像、特に、日本の裁判制度と比較して留意すべき重要な相違点について解説します。具体的には、最高裁判所による法解釈の統一メカニズム、ビジネス紛争を専門に扱う商事裁判所の役割、そして近年設立された知的財産権裁判所の機能、さらには訴訟手続における裁判官の能動的な役割などについて、日本の裁判制度と比較しながら解説します。
なお、ロシア連邦の包括的な法制度の概要は下記記事にてまとめています。
この記事の目次
ロシアの裁判制度における司法の二層構造と三つの系統
ロシアの司法制度は、ロシア連邦憲法第118条および連邦憲法法律に基づき、連邦レベルと地域レベルの二層構造を有しています。連邦レベルの裁判所が最も重要な司法権を行使し、地域レベルの裁判所は特定の管轄権を担うという階層的な構造が特徴です。また、その権限と管轄に応じて、以下の三つの系統に明確に分かれています。
第一に、憲法裁判所です。憲法裁判所は、法律や大統領令などがロシア連邦憲法に適合しているかどうかを審査する、憲法上の監視を専門とする独立した司法機関です。この裁判所は、大統領、連邦議会、政府、最高裁判所、または市民からの要請を受けて、特定の法律や行為の合憲性を判断します。その目的は、憲法秩序の基盤、基本的人権、および自由を保護することにあります。
第二に、一般管轄裁判所です。一般管轄裁判所は、刑事、民事、行政事件など、通常の訴訟を幅広く扱う裁判所の系統で、ピラミッド型の階層構造を持っています。第一審を担う治安判事裁判所や地区裁判所から始まり、上訴審、破棄審を経て、最高司法機関であるロシア連邦最高裁判所を頂点とします。
第三に、商事(Arbitrazh)裁判所です。商事裁判所は、経済紛争やビジネスに関連する紛争を専門に扱う裁判所の系統です。旧ソ連時代に商事案件を扱う準仲裁機関として設立されたものが、現代の商事裁判所へと発展したという歴史的経緯を有しています。
2014年に行われた司法大改革の以前は、民事・刑事事件の最高審であるロシア連邦最高裁判所と、経済紛争の最高審であるロシア連邦最高商事裁判所が、それぞれ独立した最高司法機関として存在していました。しかし、連邦憲法法律の改正により、両者は統合され、ロシア連邦最高裁判所が唯一の最高司法機関となりました。
憲法裁判所 | 一般管轄裁判所 | 商事(Arbitrazh)裁判所 | |
---|---|---|---|
最高審 | ロシア連邦憲法裁判所 | ロシア連邦最高裁判所 | ロシア連邦最高裁判所(旧最高商事裁判所の機能を引き継ぎ) |
上級審 | 各共和国・州の最高裁判所など | 控訴裁判所 | |
第一審 | 地区・市裁判所、治安判事裁判所 | 各共和国・州の商事裁判所 | |
主な管轄 | 法律・政令の合憲性審査、国家機関間の権限争議 | 刑事、民事、行政、労働、家事事件 | 法人・個人事業主間の経済紛争(契約、債権回収)、知的財産権紛争の一部 |
ロシアの最高裁判所総会決議と日本の判例法主義との違い

日本の法実務家にとって最も特異に映るのが、ロシアの最高裁判所が定期的に採択する「総会決議」のシステムです。ロシア連邦憲法第126条および連邦憲法法律に基づき、ロシア連邦最高裁判所は、下級裁判所による法律の統一的かつ正しい適用を確保することを目的として、特定の法的規定の解釈に関する勧告を定めた総会決議を定期的に採択します。
この総会決議は、公式には成文法のような法源ではありません。しかし、下級裁判所はこれらの勧告を「厳格に遵守」することが求められています。もし下級裁判所がこれに反する判決を下した場合、その判決は上位審によって取り消される可能性が高いとされています。
この運用は、日本の最高裁判所の判例が下級審を事実上拘束するシステムとは、根本的な性質が異なります。日本の最高裁の判例は、あくまで個々の事案に対する裁判所の判断の積み重ねであり、その法的拘束力は明文化されていません。判例の変更も、最高裁判所が自らの判断を見直すことでなされるのが一般的です。
これに対し、ロシアの総会決議は、個別の判決とは別に、最高裁判所が法律の解釈を一元化し、その統一的な適用を下級審に強制するための明確なシステムとして存在しています。このシステムは、法律の解釈における一貫性を保ち、法運用の予見可能性を高めるという点で重要な意味を持ちます。
ロシアの商事(Arbitrazh)裁判所
ロシアの商事裁判所は、法人または個人事業主が当事者となる経済紛争を専門に扱い、契約紛争、債権回収、知的財産権侵害訴訟の一部などを管轄します。
近年のロシアの法制度は、特に国際的なビジネス紛争の解決において、自国の管轄権を強化する方向に動いています。2018年には、国際商事仲裁を含め、ロシア国内での仲裁手続に関する法律が改正されました。この改正は、いわゆる「ポケット仲裁」(企業が自社内に設立した仲裁機関)を排除し、国内外の仲裁機関に対して、ロシア国内での紛争を扱うための国家の許可を求めることを目的としていました。
さらに、近年の状況変化を受けて、新たな規定が導入されています。ロシア連邦仲裁手続法には、外国の制裁対象者との紛争や、外国の制裁に関連する紛争について、ロシアの商事裁判所が排他的管轄権を有するという新たな条項が設けられました。この動きは、ロシア当局が国内外の仲裁や訴訟を厳しく管理し、自国の管轄権を強化しようとする意図の表れと解釈することができます。
この動向は、日本企業にとって重大な影響を及ぼします。たとえ国際商事仲裁を紛争解決手段として契約に明記していたとしても、当事者の一方または紛争の内容が制裁に関連する場合、ロシアの商事裁判所による管轄が強制されるリスクがあることを理解しておく必要があります。
ロシアの知的財産権裁判所
知的財産権紛争の専門性と複雑性に対応するため、ロシアでは2013年に知的財産権裁判所が設立されました。この専門裁判所は、ドイツの連邦特許裁判所をモデルとして創設されたと言われています。
知的財産権裁判所は、その管轄において二個の役割を担っています。
第一に、第一審としての役割です。この裁判所は、連邦知的財産庁(Rospatent)などの行政機関が下した決定(例:特許や商標の拒絶査定、登録無効など)に対する不服申立て事件を直接管轄します。これは、行政手続の段階から司法の専門機関が関与するという点で、日本の制度と決定的に異なります。
第二に、破棄院(カッサシオン)としての役割です。下級商事裁判所が第一審として審理した知的財産権侵害訴訟の判決に対して、破棄審理を行う権限を有しています。
ロシアの訴訟手続における対審主義と職権探知主義

ロシアの民事および刑事裁判は、「半対審的」な性質を持つと言われています。当事者が弁護士によって代理され、自らに有利な主張と証拠を提出する「対審主義」的な側面を持つ一方で、裁判官自身が事実調査に積極的に関与するという「職権探知主義」的な側面も強いと言われているからです。
日本の民事訴訟は、原則として「当事者主義」に基づいています。これは、当事者が自ら証拠を収集・提出し、裁判官は提出された証拠に基づいてのみ判断を下すという考え方です。これに対し、ロシアの裁判官は、単に当事者が提出した証拠を評価するだけでなく、事件の真相を明らかにするために、必要に応じて自らの職権で証拠の収集や事実の調査を行うことができます。
ロシアで訴訟に臨む場合、裁判官の能動的な役割によって、予期せぬ事実が浮上したり、想定外の判断が下されたりするリスクも考慮に入れなければなりません。
まとめ
ロシア連邦の裁判制度における、最高裁判所が法律の解釈を統一的に発信する「総会決議」のシステム、ビジネス紛争を専門に扱う商事裁判所の歴史と近年の動向、そして知的財産権紛争の専門家として行政庁の決定に対する第一審を管轄する知的財産権裁判所の役割は、ロシアでの法的リスクを正確に把握する上で不可欠な要素です。また、訴訟手続における裁判官の能動的な役割は、日本の「当事者主義」的な訴訟戦略とは異なるアプローチを要求するものと思われます。
関連取扱分野:国際法務・ロシア連邦
カテゴリー: IT・ベンチャーの企業法務