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法律記事MONOLITH LAW MAGAZINE

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スウェーデンの雇用保障と「スウェーデン・モデル」の実務

スウェーデンの雇用保障と「スウェーデン・モデル」の実務

北欧最大の経済規模を誇り、イノベーションとサステナビリティの分野で世界をリードするスウェーデン王国への日本企業の進出は、近年着実な増加傾向にあります。しかし、現地法人設立やM&Aを検討する多くの経営者が直面する最大の障壁は、日本とは根本的に異なる設計思想に基づいた「労働市場のルール」です。日本では労働基準法等の成文法が詳細な規制を敷き、行政が監督する「公法主導」のシステムが機能していますが、スウェーデンでは「スウェーデン・モデル」と呼ばれる、労使間の自律的な合意形成を最優先するシステムが社会の根幹を成しています。

特に留意すべきは、2022年10月に施行された「雇用保護法(Lagen om anställningsskydd、以下LAS)」の歴史的改正です。これは半世紀ぶりの大改革であり、解雇規制の緩和と引き換えに、国家による強力なスキルアップ支援(オムステルニング)を導入するという、労使間の巨大な政治的妥協の産物でした。この改正により、かつて「解雇が極めて困難」とされたスウェーデンの労働市場は、企業の柔軟性(Flexibility)と労働者の安全性(Security)を両立させる「フレキシキュリティ」の新たな段階へと移行しています。また、法定最低賃金が存在しない一方で、産業別労働協約が事実上の法としての拘束力を持ち、テスラのような巨大企業であってもその慣行への適応を厳しく迫られるという現実があります。

本記事では、2025年時点での最新の実務環境を前提に、法定最低賃金の不在と賃金決定メカニズム、LAS改正後の解雇ルールの変容、そして日本企業が特に注意すべき「整理解雇」や「能力不足解雇」に関する最新の裁判例を詳細に解説します。日本の法制度との比較視点を交えながら、現地の法的リスクを正確に把握し、予見可能性の高い経営判断を行うための指針を提供します。

スウェーデン・モデルの核心:法定最低賃金の不在と労働協約の絶対性

スウェーデンの労働市場を理解する上で、日本の経営者が最初に認識を改めるべき点は、賃金決定のプロセスです。日本では最低賃金法に基づき国が定める最低賃金が存在しますが、スウェーデンには法律で定められた最低賃金は一切存在しません。これは、国家が賃金交渉に介入することを労使双方が拒んできた歴史的経緯によるものです。

労働協約が「法律」を補完・代替する構造

法定最低賃金の代わりに機能しているのが、産業別の労働組合と使用者団体(雇用者協会)との間で結ばれる「労働協約(kollektivavtal)」です。スウェーデンの労働市場の約90%はこの労働協約によってカバーされており、各職種や経験年数に応じた「最低賃金」や毎年の賃上げ率は、すべてこの協約によって決定されます。したがって、進出企業は「法律を守ればよい」のではなく、「自社が属する業界の労働協約が何を定めているか」を知ることがコンプライアンスの第一歩となります。

企業が労働協約に拘束されるルートは主に2つあります。一つは、スウェーデン企業連盟(Svenskt Näringsliv)傘下の使用者団体に加盟すること。もう一つは、団体には加盟せず、個別の労働組合と「ヘングアブタル(Hängavtal)」と呼ばれる付随協約を締結することです。多くの外国企業は後者を選択しますが、いずれにせよ協約を締結することで「平和義務(ストライキ等の争議行為を行わない義務)」という対価を得ることができます。

「メルケット(Märket)」による賃金統制と2025年の動向

日本企業が現地法人の人件費予算を策定する際、最も重要な指標となるのが「メルケット(Märket / The Mark)」です。これは、国際競争にさらされる輸出産業(製造業等)の労使が最初に合意する賃上げ率のことを指します。この数値が、サービス業や公共部門を含む国内全産業の賃上げの上限(ベンチマーク)として機能します。

2025年の動向として、輸出産業の労使は2年間で合計6.4%(2025年4月から3.4%、2026年4月から3.0%)の賃上げで合意しました。これは近年のインフレを反映した高水準な合意であり、現地従業員の給与改定においてはこの「6.4%」という数字が事実上の規範となります。日本の春闘における相場形成以上に、このメルケットは強力な拘束力を持ちます。

テスラ紛争が示唆する「協約未締結」のリスク

労働協約の締結は法的には任意ですが、実質的には回避困難な圧力が存在します。その象徴的な事例が、米EV大手テスラとスウェーデンの金属労働組合(IF Metall)との紛争です。テスラ側が「グローバル方針」として協約締結を拒否したのに対し、組合側はストライキを決行しました。

特筆すべきは、スウェーデンでは「同情ストライキ(Sympathy Strike)」が広く合法とされている点です。テスラの直接の従業員だけでなく、港湾労働者がテスラ車の荷揚げを拒否し、郵便局員がナンバープレートの配達を止めるなど、他産業の組合が連携して包囲網を敷く事態となりました。この事例から、日本企業にとっても「郷に入っては郷に従う」戦略、すなわち早期の労働協約締結またはそれに準じた労働条件の整備が、事業継続のリスク管理上、極めて合理的であることがわかります。

2022年スウェーデンLAS改正:解雇規制のパラダイムシフト

2022年スウェーデンLAS改正:解雇規制のパラダイムシフト

2022年10月1日、スウェーデンの雇用保護法(LAS)は抜本的に改正されました。この改正は、企業にとっては「雇用の柔軟性(解雇の予見可能性向上)」を、労働者にとっては「雇用の安定」から「キャリアの安定(スキルアップ支援)」への移行を意図したものです。

「正当な根拠(Saklig grund)」から「正当な理由(Sakliga skäl)」へ

改正前のLASでは、解雇には「正当な根拠(Saklig grund)」が必要とされ、裁判所は従業員の個人的事情(年齢、扶養家族、再就職の難易度など)を考慮して、解雇が過酷でないかを判断していました。しかし、改正法では要件が「正当な理由(Sakliga skäl)」へと文言変更されました。

この変更の法的意義は、解雇の判断において「従業員の個人的事情」を原則として考慮しないことになった点にあります。焦点は「従業員が雇用契約上の義務に違反したか」「その違反が重大か」という事実関係のみに絞られます。これにより、従来は「再就職が難しい高齢の従業員だから解雇は無効」とされていたようなケースでも、契約違反の事実があれば解雇が認められる可能性が高まり、企業側にとっての法的予見可能性が向上しました。

紛争中の雇用終了ルールの変更

旧法下では、従業員が解雇の無効を訴えて裁判を起こした場合、判決が確定するまでの数ヶ月〜数年間、企業は賃金を支払い続ける義務がありました。これが企業にとって巨額の解決金を支払ってでも和解を選ぶ要因となっていました。

しかし、改正LASでは、解雇の有効性を争う係争中であっても、解雇期間の満了をもって雇用関係(および賃金支払義務)は終了すると変更されました。これにより、日本企業が不当な要求を行う従業員との長期紛争を恐れる必要性は大幅に低減しました。

スウェーデンにおける個人的理由による解雇の実務と最新判例

「個人的理由(Personliga skäl)」による解雇、すなわち能力不足や勤務態度不良を理由とする解雇についても、改正法とその後の判例によって新たな基準が示されています。

裁判例に見る「能力不足」の判断基準

2024年から2025年にかけて、改正法を適用した重要な労働裁判所(Arbetsdomstolen:AD)の判決が出されています。

1. テレマーケティング営業職事件(AD 2024 nr 75)

この事案では、販売目標を長期にわたり達成できず、上司からの具体的な指示(架電数の確保など)に従わなかった営業職の解雇の有効性が争われました。裁判所は、会社側が明確な数値目標と行動計画(アクションプラン)を示し、改善の機会を与えたにもかかわらず、従業員が正当な理由なく指示に従わなかったことを「業務命令違反」として認定し、解雇を有効(正当な理由あり)と判断しました。

この判決は、単なる「能力不足」ではなく、具体的な改善指示に対する「不履行」を記録化することで、解雇が認められることを示唆しています。

2. 倉庫作業員事件(AD 2024 nr 78)

物流倉庫において作業効率が悪く、ミスを繰り返した従業員の解雇事案です。ここでも裁判所は、会社側が警告(Varning)を行い、再教育の機会を提供したプロセスを評価し、解雇を有効としました 9。

これらの判例から、日本企業が現地従業員を能力不足で解雇する場合、「日本的な阿吽の呼吸」による指導ではなく、「書面による明確な警告」「具体的な改善プログラムの提供」「合理的な改善期間の設定」というプロセスを証拠として残すことが必須条件であることがわかります。

経営上の理由による解雇(リストラ)とLIFO原則の運用

スウェーデンにおける整理解雇(Redundancy / Arbetsbrist)は、日本の整理解雇法理(4要件)とは異なり、企業の経営判断自体は尊重される傾向にあります。争点となるのは「誰を解雇するか」という人選のルールです。

ラスト・イン・ファースト・アウト(LIFO)の原則と例外

LASは「先任権(Seniority)」の原則を採用しており、勤続年数が短い従業員から順に解雇される「LIFO(Last-In-First-Out)」ルールが適用されます。しかし、2022年の改正により、このルールの例外枠が大幅に拡大されました。従来は従業員10名以下の小規模企業のみ2名まで例外が認められていましたが、改正後は企業の規模に関わらず、すべての雇用主が「3名まで」、LIFOの順序から除外して雇用を維持することが可能になりました。

これにより、組織再編時に特定のスキルを持つキーパーソンや将来のリーダー候補を、勤続年数が短いという理由だけで解雇せざるを得ないリスクを回避できます。ただし、この例外措置を利用した場合、その後3ヶ月間は再利用できないという制限(クーリング期間)があります。

十分な資格と再配置義務

LIFO原則を適用する際、勤続年数の長い従業員が解雇対象のポストから外れる場合、その従業員が社内の他の空きポストに就く(Bumping)ためには「十分な資格(Tillräckliga kvalifikationer)」が必要です。

日本の「即戦力」基準とは異なり、スウェーデンでは「合理的な学習期間(skälig upplärningstid、通常6ヶ月程度)」を経て業務が可能になるのであれば、資格があるとみなされます。したがって、企業は単純にスキル不足を理由にベテラン従業員の配置転換を拒否することは難しく、再教育のコストを見込む必要があります。

日本法との比較と実務上の留意点

以上の解説を踏まえ、日本の労働法制とスウェーデン法の主要な違いを比較表にまとめました。

比較項目日本 (Japan)スウェーデン (Sweden)
最低賃金最低賃金法による法定最低賃金あり法定最低賃金なし(労働協約が事実上の強制力を持つ)
解雇の正当性「客観的合理的理由」+「社会通念上相当」。生活保障的側面を重視。「客観的理由(Sakliga skäl)」。契約違反の事実に焦点。個人的事情は考慮せず。
整理解雇の人選人選の合理性が問われるが、法定の順位ルールはない。LIFO原則(先任権)が法定。ただし「3名の例外枠」を活用可能。
解雇紛争中の賃金解雇無効係争中はバックペイのリスクあり(地位保全仮処分等)。2022年改正により、係争中でも雇用・賃金支払は終了。
労働条件の変更従業員の合意または就業規則変更の合理性が必要。ハードルは高い。労働協約の改定または「解雇して新条件で再雇用(Hyvling)」の手法がある。
組合との関係企業別組合が主。協調的な関係が多い。産業別組合が主。ストライキ権の行使や同情ストライキが強力。

実務上の要点

  1. 労働協約の確認:進出前に、自社の事業がどの産業別協約の適用を受けるかを必ず調査してください。賃金だけでなく、年金や保険のコスト構造が日本とは異なります。
  2. プロセスの文書化:能力不足等の問題社員への対応は、初期段階から文書(警告書、改善計画書)に残すことが、後の解雇の有効性を担保する唯一の手段です。
  3. 例外枠の戦略的活用:リストラ時には「3名の例外枠」を活用し、組織にとって不可欠な人材を守る戦略を事前に法務チームと練る必要があります。

まとめ

スウェーデンの労働法制は、2022年のLAS改正を経て、従来の「硬直的な雇用保護」から、ルールに基づいた「予見可能な雇用流動化」へと大きく舵を切りました。個人的事情を排した解雇要件の明確化や、係争中の賃金支払義務の廃止は、適正な手続きを踏む企業にとっては経営の自由度を高める要素と言えます。

一方で、法定最低賃金の不在を埋める強力な労働協約の存在や、LIFO原則といった独自のルールは、日本企業にとって馴染みの薄いものです。しかし、これらは「スウェーデン・モデル」という社会契約の一部であり、このルールを尊重し適応することが、現地での優秀な人材確保と安定的な事業運営への最短距離となります。

モノリス法律事務所では、現地の最新法制に精通した知見を活かし、スウェーデンへの進出支援や現地法人における労務管理のサポートを行っております。複雑な労働協約の解釈や、万が一の労使紛争への備えなど、貴社の北欧ビジネスの成功に向けた法務パートナーとしてサポートいたします。

弁護士 河瀬 季

モノリス法律事務所 代表弁護士。元ITエンジニア。IT企業経営の経験を経て、東証プライム上場企業からシードステージのベンチャーまで、100社以上の顧問弁護士、監査役等を務め、IT・ベンチャー・インターネット・YouTube法務などを中心に手がける。

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