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インド決済アグリゲーター(PA)規制を弁護士が解説

インド決済アグリゲーター(PA)規制を弁護士が解説

インドにおけるデジタル決済市場は、国策としてのUPI(Unified Payments Interface)の爆発的な普及や、政府主導のデジタルインディア構想を背景に、世界でも類を見ないスピードで進化を続けています。この巨大な市場への参入は、日本企業にとって極めて魅力的な事業機会である一方で、インド準備銀行(RBI)による規制環境は年々厳格化しており、その法規制の複雑さと頻繁な改正は参入障壁の一つとなっています。特に、オンライン決済の仲介を行う「決済アグリゲーター(Payment Aggregator、以下「PA」)」に対する規制は、2025年9月15日に発行された最新の「決済アグリゲーター規制に関するマスターディレクション(Master Direction on Regulation of Payment Aggregators)」によって、抜本的な統合と強化が行われました。

本記事では、インド市場でのビジネス展開を検討、あるいは既に展開している日本の経営者および法務担当者を対象に、本件テーマであるPAライセンス制度について、その法的根拠、資本要件、資金管理、データローカライゼーション、そして日本法との比較を含めて網羅的に解説します。RBIが発出した最新の通達や、実際の市場で発生したライセンス申請の拒絶事例、さらには外資規制(FDI政策)との交錯領域に至るまで、実務的な観点から詳細に紐解いていきます。

なお、インドの包括的な法制度の概要は下記記事にてまとめています。

インド決済エコシステムとPA規制の法的枠組み

インドの決済システムは、「2007年決済・決済システム法(Payment and Settlement Systems Act, 2007: PSS Act)」を基礎としています。この法律は、インド国内における決済システムの規制と監督に関する権限をRBIに付与するものです。PAは、顧客と加盟店(マーチャント)の間に立ち、資金の移動を仲介する重要なインフラとして、このPSS法の直接的な監督下に置かれています。日本では資金決済に関する法律(資金決済法)がこれに相当しますが、インドのPSS法はRBIに非常に強力な裁量権を与えており、頻繁に発出される「通達(Circular)」や「マスターディレクション(Master Direction)」が実質的な法律としての機能を果たしている点が特徴的です。

本規制の詳細については、以下のインド準備銀行(RBI)による公式文書をご参照ください。

参考:インド準備銀行(RBI):決済アグリゲーターに関する指令(2025年9月15日付・英語)

決済アグリゲーター(PA)の定義と役割

インド準備銀行(RBI)の定義によれば、PAとは「顧客が加盟店に対して支払う資金を、一つまたは複数の決済手段を通じて集約し、その後、加盟店に対してその資金を決済(送金)する機能を促進する事業者」を指します。PAは、Eコマースサイトや実店舗において、顧客が支払った代金を一時的に預かり、一定期間後に加盟店へまとめて支払う役割を担います。ここで重要なのは、PAが「資金の移動(Handling of funds)」に関与しているという点です。資金移動を伴わず、単に技術的なインフラのみを提供する「決済ゲートウェイ(Payment Gateway)」とは異なり、PAは金融仲介機能を持つため、銀行に準じた厳格な規制が適用されます。

従来、PAの規制はオンライン取引を中心に設計されていました。しかし、2025年のマスターディレクションにより、その定義と適用範囲は劇的に拡大されました。現在、PAは以下の3つのカテゴリーに分類され、規制されています。

  • PA-Online(PA-O):電子商取引(Eコマース)など、物理的な接点を伴わないオンライン取引を仲介するPA。
  • PA-Physical(PA-P):店舗におけるPOS端末など、支払い手段と受入デバイスが物理的に近接している対面取引を仲介するPA。これまでは規制のグレーゾーンにあった対面決済事業者が、明確にRBIのライセンス監督下に組み込まれました。
  • PA-Cross Border(PA-CB):輸出入に伴う越境決済を仲介するPA。

この分類の明確化は、日本企業がインドでEコマース事業を行う場合(PA-Oの利用)のみならず、実店舗を展開しキャッシュレス決済を導入する場合(PA-Pの利用または自社での取得)、あるいは日本からの越境ECを行う場合(PA-CBの利用)のいずれにおいても、RBIの規制が及ぶことを意味します。これにより、全ての決済接点においてRBIの監視が及ぶ「ユニファイド・レギュレーション」が完成したと言えるでしょう。

現地法律事務所による詳細な解説(英語)は以下をご参照ください。

参考:インド法律事務所Khaitan & Co:決済アグリゲーター・マスターディレクションに関する解説(2025年10月3日付・英語)

2025年マスターディレクションによる規制統合

2025年9月15日、RBIはこれまで散在していたPAおよび決済ゲートウェイ(PG)に関する複数のガイドラインを統合し、単一の拘束力を持つ「マスターディレクション」を発行しました。これにより、2020年のガイドラインや2023年の越境決済に関する通達は廃止・統合され、オンライン、オフライン、越境のすべての決済仲介業者が一つのルールブックの下で管理されることになりました。

この規制強化の背景には、フィンテック企業の急増に伴うシステミックリスクの増大、マネーロンダリング(資金洗浄)リスクへの対処、そして消費者保護の強化というRBIの明確な意図があります。特に、これまで銀行以外のノンバンク事業者が主導してきたイノベーションに対し、銀行と同等の厳格なガバナンスを求める方向へと舵が切られています。既存の事業者に対しても、新たな分類に基づいたライセンスの再申請や通知義務が課されており、市場の健全化に向けたRBIの強い意志が読み取れます。

今回の規制刷新に関する専門的な法的考察については、以下の記事も参考になります。

参考:IndiaCorpLaw:RBIによる決済アグリゲーター規制の刷新に関する解説(2025年10月9日付・英語)

インドでPA事業を行うための資本要件

インドでPA事業を行うための資本要件

インドでPA事業を行うための最も定量的なハードルが、純資産(Net Worth)要件です。これは、決済事業者が十分な財務基盤を持ち、顧客資金の保全やサイバーセキュリティ対策への投資能力を有していることを担保するために設けられています。日本の資金移動業登録においても財産的基礎は問われますが、インドの規制はより具体的かつ高額な数値を維持要件として課している点が特徴です。

純資産額の基準と達成期限

RBIは、ノンバンクのPA事業者に対し、以下の純資産要件を義務付けています。この要件は、PA-O、PA-P、PA-CBのいずれのカテゴリーであっても基本的に適用されます。

段階要件額(INR)要件額(日本円概算※)備考
申請時1億5,000万ルピー (15 Crore)約2.6億円ライセンス申請を行う時点で達成している必要がある
認可後2億5,000万ルピー (25 Crore)約4.4億円認可取得から3会計年度末までに達成し、以降維持する
※1ルピー=1.75円で換算

この基準は、単に「資本金」があれば良いわけではなく、「純資産(Net Worth)」として確保されていなければなりません。つまり、累積赤字があるスタートアップ企業の場合、資本金が厚くても純資産要件を満たせない可能性があるため、十分なエクイティ調達によるバッファが必要となります。

参考:インド準備銀行(RBI):決済アグリゲーターに関する指令(原文/2025年9月15日付)

純資産の計算方法と注意点

ここでいう「純資産」の計算方法は、インド会社法に基づく一般的な定義に加え、RBI独自の調整が入る点に注意が必要です。具体的には、払込資本金(Paid-up Equity Capital)、準備金(Free Reserves)、証券プレミアム(Share Premium)などが加算対象となります。一方で、累積損失(Accumulated Losses)、繰延支出(Deferred Revenue Expenditure)、無形資産(Intangible Assets)などは控除されなければなりません。

特筆すべきは、強制転換条項付優先株式(Compulsorily Convertible Preference Shares: CCPS)の扱いです。スタートアップの資金調達で一般的に用いられるCCPSは、会計上は負債とみなされるリスクがありますが、PA規制においては、一定の条件下で純資産に算入できることが明確化されました。ただし、これには株主間契約などで「いかなる時点でも出資の引き出し(Withdrawal)を禁止する」旨が明記されている必要があり、かつ非累積的(Non-cumulative)であることが求められる場合もあります。日本企業がインド子会社へ出資する際、種類株を用いる場合はこの要件を満たす設計が必要です。

日本法との比較:資本要件の厳格さ

日本の「資金決済に関する法律(資金決済法)」における資金移動業者と比較すると、インドの要件はより高額な資本維持を求めていると言えるでしょう。日本の資金移動業(第二種)の場合、利用者の保護は主に「履行保証金の供託」によって図られますが、純資産要件そのものは、事業の遂行能力を判断する一要素としての「財産的基礎」の審査にとどまります。

これに対し、インドの規制は、供託制度に依存せず、事業者自身のバランスシートの強固さを最優先するアプローチを採っています。これは、PAが金融システムの一部として機能しており、その破綻が決済網全体に与える影響を最小限に抑えたいというRBIの意図から来るものです。

PA規制の資金管理規定:エスクロー口座による分別管理の徹底

PA規制の核心部分であり、最も実務的な制約となるのが、資金管理に関する規定です。PAは、顧客(支払者)から受け取った資金を、自社の運転資金と完全に分別し、専用の「エスクロー口座(Escrow Account)」で管理する義務があります。これは日本の信託保全に近い概念ですが、運用ルールは極めて細かく規定されています。

エスクロー口座の運用ルール

PAは、インド準備銀行が認可した定期商業銀行(Scheduled Commercial Bank)にエスクロー口座を開設しなければなりません。この口座は、PA自身の資金(自己資金)との混同(Co-mingling)が厳格に禁止されています。PA自身の売上や経費支払いのための口座とは物理的に分けられていなければなりません。

このエスクロー口座においては、許可される「入金(Credits)」と「出金(Debits)」が厳密に規定されています。

区分許可される項目(詳細)
許可される入金 (Credits)・顧客からの支払い
・他のPAからの資金移動(決済チェーンに関与する場合)
・返金(Refund)のための加盟店からの戻入
・事前資金(Pre-funding)として加盟店から受け入れた資金
許可される出金 (Debits)・加盟店(マーチャント)への決済(Settlement)
・顧客への返金
・決済手数料としてのPA自身への振替(決済完了後にのみ許可)
・税金の支払い
・他のPAへの送金

重要な点は、この口座からPAのサプライヤーへの支払いや、一般管理費の支払いを行うことは一切認められないということです。資金はあくまで「顧客から預かり、加盟店へ渡すまでの間、一時的に滞留しているもの」として扱われます。また、COD(代金引換)取引に関しては、エスクロー経由での処理が認められない場合があるなど、商流に応じた細かな制限が存在します。

決済サイクル(Settlement Timeline)

RBIは、PAが資金を滞留させて運用益を得ることを防ぐため、決済サイクルにも厳格な制限を設けています。基本原則として、PAは加盟店との契約に基づき決済を行うことができますが、その契約は公正かつ透明でなければなりません。しかし、より具体的な指針として、資金がエスクロー口座に着金してから加盟店へ送金されるまでの期間には、「T+0」または「T+1」(Tは決済日)といった厳しいタイムラインが課されるケースが一般的です。特に、最新のマスターディレクションでは、資金がエスクロー口座に入ってから加盟店へ決済されるまでのプロセスにおける遅延に対し、ペナルティを含めた監視が強化されています。

参考:インド法律事務所AZB & Partners:RBI決済アグリゲーター指令(2025年版)に関する解説(英語)

クロスボーダー取引における口座の分離

越境取引を行うPA-CBの場合、さらに複雑な口座管理が求められます。

  • 輸入用回収口座(Import Collection Account: InCA)
  • 輸出用回収口座(Export Collection Account: OCA)

これらは国内取引用のエスクロー口座とは明確に分離されなければなりません。また、輸入取引の資金と輸出取引の資金を相殺(ネッティング)することは禁止されています。例えば、日本企業がインドに子会社を持ち、日本からの商品をインドで販売(輸入)しつつ、インドで開発したソフトウェアを日本へ提供(輸出)している場合、それぞれの決済代金を相殺して差額のみを送金することは、PAのスキーム内では認められません。資金の流れは常に一方通行(InwardまたはOutward)として管理され、それぞれ別個に記帳・送金される必要があります。

参考:インド決済企業Xflow:PA-CB(越境決済アグリゲーター)規制ガイドラインの解説(英語)

日本法との比較:供託制度と信託的保全

日本の資金決済法では、資金移動業者は「要履行保証額」以上の額を法務局に「供託」するか、金融機関との「履行保証金保全契約」または「信託契約」によって保全することが義務付けられています。これに対し、インドのPA規制におけるエスクロー口座は、法的な形式としては信託に近い機能を持たせていますが、あくまで「銀行口座」内での分別管理です。日本の供託制度が「倒産時の優先弁済権」を確保するための制度的セーフティネットであるのに対し、インドのエスクロー制度は「日々のキャッシュフローの中で資金流用を物理的に防ぐ」ための運用規制という側面が強いと言えます。

したがって、インドでPAを利用、あるいは自らPAとなる場合、日本の供託制度のように「資金を預けておけばよい」という静的な管理ではなく、日々のトランザクションごとの厳密な資金消込と分別が求められる動的な管理体制が必要となります。

インド決済ビジネスのデータ・ローカライゼーション規制

インドで決済ビジネスを行う外国企業にとって、技術的かつコスト的に最も大きな負担となり得るのが「データ・ローカライゼーション」規制です。RBIは2018年4月の通達以降、決済データの国内保存を一貫して義務付けており、これは2025年のマスターディレクションにおいても踏襲されています。

データの国内保存義務の全容

2018年の通達(RBI/2017-18/153)およびその後のFAQによる明確化により、以下の厳格なルールが確立されています。

  1. 保存対象データ:決済システムに関連する「すべてのデータ」が対象です。これには以下が含まれます。
    • 顧客識別データ(氏名、携帯電話番号、メールアドレス、Aadhaar番号、PANなど)。
    • 機微な支払情報(口座番号、カード番号、PIN、OTP、パスワードなど)。
    • 取引データ(取引参照番号、タイムスタンプ、金額、発信・着信システム情報など)。
  2. 保存場所:インド国内のシステムにのみ保存(Store Only in India)しなければなりません。これは、データの「原本」がインドにあるだけでは不十分で、国外にコピーを置くことも原則として制限されるという強い解釈がなされる場合があります。
  3. 海外処理の例外(24時間ルール):クロスボーダー取引の場合、決済処理(Processing)自体を海外で行うことは認められています。しかし、海外で処理されたデータは、処理完了から1営業日または24時間のいずれか早い方までにインド国内のシステムに戻し、海外のシステムからは削除しなければなりません。この「削除義務」が、グローバルシステムを運用する企業にとって大きな技術的課題となります。

参考:ドイツ銀行(Deutsche Bank):インドにおけるデータローカライゼーション(データの国内保存)規制について(英語)

監査とコンプライアンス

このデータ保存要件の遵守状況については、自己申告ではなく、インド電子情報技術省(MeitY)傘下のCERT-In(Indian Computer Emergency Response Team)が認定した監査人(Empanelled Auditor)によるシステム監査報告書(SAR)をRBIに提出することが義務付けられています。この監査は非常に詳細であり、データベースのログやシステム構成図の確認まで行われます。GoogleやAmazon、WhatsAppなどのグローバル企業も、この規制に対応するためにインド国内にデータセンターを確保し、アーキテクチャの大幅な変更を余儀なくされました。

参考:セキュリティ企業SISA:RBIによる決済データ保存要件とセキュリティ基準の解説(英語)

日本企業への影響と日本法との比較

多くの日本企業は、グローバルで統一されたERP(SAPやOracleなど)やクラウドサーバーを使用し、データを一元管理しているケースが一般的です。しかし、インドの決済データを扱う場合、単にグローバルサーバーにデータを吸い上げる構成は、RBI規制違反となるリスクがあります。日本の個人情報保護法でも、越境移転に関する規制(本人の同意や移転先国の制度確認)はありますが、特定の業界データについて「国内サーバーへの物理的保存」と「国外データの削除」までをセットで義務付けるような強力なデータローカライゼーション規定は、一般的ではありません。

したがって、インド事業においては、決済データ専用のローカルサーバーまたはインドリージョンのクラウドインスタンス(AWS Mumbai Regionなど)を構築し、グローバルシステムとの連携においてはデータフローを厳密に制御(ミラーリングではなく、移送と削除)するシステム設計が不可欠です。また、これに対応するためのITコストや運用コストも、事業計画段階で見積もっておく必要があります。

インドの越境決済(PA-CB)に関する特別規定

インドの越境決済(PA-CB)に関する特別規定

日本企業がインドとの間で輸出入を行う場合、PA-Cross Border(PA-CB)ライセンスの規定が重要になります。従来、OPGSP(Online Payment Gateway Service Providers)として緩やかな規制下にあった越境決済代行は、2023年の通達および2025年のマスターディレクションにより、PA-CBとして厳格なライセンス制度に移行しました。

取引限度額と対象

PA-CBが取り扱えるのは、インドの外国貿易政策(Foreign Trade Policy)で許可された物品およびサービスの輸出入に伴う決済です。重要な制限として、1取引単位(per unit)あたりの上限額は250万ルピー(約440万円)と定められています。以前のOPGSP規制では輸出入で異なるドル建ての上限(輸出1万ドル、輸入2000ドル等)がありましたが、新制度では一律250万ルピーへと実質的に緩和・統一されました。しかし、これを超える高額なB2B取引については、PA経由ではなく、通常の銀行送金(L/C取引やT/T送金)を利用する必要があります。

参考:コンサルティング会社PwC:越境決済アグリゲーター(PA-CB)規制とビジネス活用事例(英語)

デューデリジェンスの強化

PA-CBは、25万ルピー(約44万円)を超える輸入取引については、加盟店だけでなく、買い手(Buyer)側のデューデリジェンスも実施する義務を負います。これはマネーロンダリング対策の一環ですが、Eコマースにおいて顧客の身元確認を厳格に行う必要があることを意味し、チェックアウト時のUI/UXへの影響も考慮する必要があります。日本からの越境ECサイトでインドの顧客に商品を販売する場合、高額商品であれば顧客の本人確認書類の提出を求めるなどのフローが必要になる可能性があります。

輸入・輸出専用口座の運用

前述の通り、輸入用のInCAと輸出用のOCAを厳格に区分し、資金のネッティング(相殺)は禁止されています。日本企業がインドのPA-CBを利用して代金回収を行う場合、資金はインド国内のOCAに入金された後、日本の銀行口座へ送金される流れとなりますが、この送金プロセスにおいても、インドの為替管理法(FEMA)に基づく厳格な報告義務が発生します。

参考:国際送金サービスOrder Express:越境決済アグリゲーターに対する規制の仕組み(英語)

インドPAライセンス申請の重要判例・事例と規制当局の姿勢

RBIの規制執行は非常に厳格であり、過去には大手企業であってもライセンス申請の拒絶や業務停止命令を受けています。これらの事例は、日本企業にとっても重要な教訓となります。行政処分やライセンス拒絶といった行政庁の判断は、実質的な「判例」として機能しています。

Paytmのライセンス申請拒絶とFDI問題

インド最大手の決済アプリの一つであるPaytm(One97 Communications)の子会社、Paytm Payments Services Limited (PPSL) は、PAライセンスの申請過程で大きな蹉跌を経験しました。2022年11月、RBIはPPSLのPAライセンス申請を拒絶しました。その主な理由は、中国のアリババグループ(Antfin)からの出資に関連する「プレスノート3(Press Note 3 of 2020)」への抵触懸念でした。RBIは、過去の投資についても政府承認が必要であるとし、申請を差し戻しました。その後、Paytmは株主構成の変更や、政府からのFDI承認(過去の投資に対する承認)を取り付けるプロセスを経て、2025年12月にようやくオフラインおよびクロスボーダーのPAライセンス認可を取得しました。この事例は、「中国関連の資本が入っている場合、インドでのライセンス取得は極めて困難かつ長期化する」という現実を浮き彫りにしています。

参考:Electronic Payments International:Paytmへの決済アグリゲーターライセンス付与に関する報道(英語)

Mobikwik (Zaakpay) の拒絶事例

もう一つの大手、Mobikwik(ブランド名Zaakpay)のPAライセンス申請もRBIによって拒絶されました。報道によれば、その理由は「純資産要件(Net Worth)の未達」および「暗号資産(仮想通貨)取引所への決済サービス提供」に関連していたとされています。純資産が基準値(当時15カロールルピー)にわずかに届いていなかったこと、そしてRBIが警戒する暗号資産関連の決済を行っていたことが致命傷となりました。これにより、同社はIPO計画の延期や、加盟店の強制的な切り離し(オフボーディング)のリスクに直面しました。RBIは暗号資産に対して非常に慎重な姿勢を崩しておらず、PA事業者が暗号資産関連の加盟店にサービスを提供することは、ライセンス審査上の重大なリスク要因となります。

参考:金融メディアMoneylife:MobiKwikの決済アグリゲーターライセンス申請却下に関する報道(英語)

RazorpayとCashfreeへの新規加盟店オンボーディング禁止

2022年12月、業界大手のRazorpayとCashfreeに対し、RBIは新規加盟店の獲得(オンボーディング)を一時停止するよう命令しました。これは、ライセンスの最終認可に向けた監査プロセスの一環でしたが、約1年間にわたり新規ビジネスが凍結されるという厳しい措置でした。この禁止措置は2023年12月に解除されましたが、成長著しいフィンテック企業にとって1年間の営業停止は甚大な影響を与えました。RBIがコンプライアンス違反や手続き上の不備に対して、営業停止に等しい措置を躊躇なく講じることを示しており、コンプライアンス軽視が事業存続に関わることを強く示唆しています。

参考:Hindustan Times:RazorpayおよびCashfreeに対する新規加盟店獲得禁止の解除について(英語)

日本企業への影響とインドFDI規制(プレスノート3)の重要性

最後に、本件テーマと密接に関わるインドの外資規制、特に「プレスノート3(Press Note 3 of 2020)」について解説します。2020年、インド政府は「インドと国境を接する国(事実上、中国を念頭に置いたもの)」からの投資について、自動認可ルート(Automatic Route)を廃止し、すべて政府承認ルート(Government Route)とすることを決定しました。

「実質的支配者(Beneficial Owner)」の概念

この規制は、直接の投資家だけでなく、「投資の実質的支配者(Beneficial Owner)」が当該国(中国等)に所在する場合や、その市民である場合にも適用されます。ここでいう「実質的支配者」の定義は曖昧であり、当局の広範な裁量に委ねられていますが、一般的には10%あるいは25%といった持分比率だけでなく、経営権への影響力なども考慮されます。日本企業であっても、その株主構成に中国企業が含まれている場合、あるいは合弁パートナーが中国系である場合、インド子会社への増資やPAライセンス取得のプロセス(FDIコンプライアンスの確認が含まれるため)において、政府の承認が必要となり、手続きが数ヶ月から数年単位で遅延するリスクがあります。Paytmの事例が示すように、PAライセンス申請においては、RBIだけでなく、内務省や商工省による背景調査が行われるため、資本関係のクリアランスは極めて重要です。

参考:インド政府広報局(PIB):デジタル決済の促進に向けた政府の取り組み(英語)

日本の資金決済法とインドのPA規制の比較

日本の資金決済法とインドのPA規制を比較すると、制度設計の根本的な思想に違いが見られます。

項目日本(資金決済法・資金移動業)インド(PSS法・PA規制)
規制の対象「為替取引」を行う者資金の集約と決済(Aggregation & Settlement)を行う者
参入要件登録制(財産的基礎の審査あり)認可制(純資産維持要件が絶対値で固定)
利用者資金の保全供託、保全契約、信託契約(倒産隔離重視)エスクロー口座での分別管理(流用防止重視、T+1決済)
データ管理個人情報保護法による規律全データの国内保存義務(データ主権)
外資規制外為法による事後報告(一部事前届出)プレスノート3による特定国関連の事前承認義務

日本の規制が「利用者の財産権保護(倒産時の弁済)」に重きを置いているのに対し、インドの規制は「金融システムの安定性と資金の不正流用防止(マネロン対策含む)」に重きを置いていると言えます。また、データローカライゼーションやFDI規制に見られるように、国家安全保障や経済主権の観点が強く反映されているのもインド規制の特徴です。

まとめ

インドにおける決済アグリゲーター(PA)ライセンスは、同国でオンラインビジネスや決済サービスを展開する上で避けて通れない、極めて重要かつ厳格な規制枠組みです。2025年のマスターディレクションにより、オンライン(PA-O)、オフライン(PA-P)、越境(PA-CB)のすべてがRBIの直接的な監督下に置かれ、規制の網羅性が完成しました。参入企業には、約4.4億円(2.5億ルピー)の純資産要件、エスクロー口座による厳密な資金分別管理、そして全決済データのインド国内保存といった、高いハードルが課されています。また、外資規制(プレスノート3)との関連から、資本構成によってはライセンス取得が長期化するリスクも無視できません。これらは日本の資金決済法よりも一層踏み込んだ、事業者の財務・技術基盤に対する直接的な介入を含む規制です。

インド市場のポテンシャルは巨大ですが、その果実を得るためには、現地の法規制を深く理解し、RBIの求めるコンプライアンス基準を完全に満たすことが前提条件となります。特に、資本政策やITインフラの設計段階から、規制要件を織り込んでおくことが、手戻りを防ぎ、スムーズな事業立ち上げを実現する鍵となります。

弁護士 河瀬 季

モノリス法律事務所 代表弁護士。元ITエンジニア。IT企業経営の経験を経て、東証プライム上場企業からシードステージのベンチャーまで、100社以上の顧問弁護士、監査役等を務め、IT・ベンチャー・インターネット・YouTube法務などを中心に手がける。

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