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法律記事MONOLITH LAW MAGAZINE

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フィリピンの労働法を弁護士が解説

フィリピンの労働法を弁護士が解説

フィリピン共和国(以下、フィリピン)においてビジネスの展開を検討、あるいはすでに現地法人を運営している日本企業の経営者や法務担当者にとって、現地の労働法の正確な理解と実務への適用は、事業の成否を分ける極めて重要な経営課題です。フィリピンの労働法制は、1974年に制定された労働法典(Presidential Decree No.、以下「労働法典」)を中核としており、国家の基本方針として極めて強力に労働者を保護する枠組みを採用しています。この法体系の根底には、雇用主と労働者の間に存在する本質的な経済的格差を法的な保護によって是正しようとする社会的正義の理念が深く根付いています。

フィリピンにおける労働法制は、「疑義はすべて労働者に有利に解釈される」という絶対的な原則に基づいて運用されており、この点が日本の法解釈と大きく異なる基盤となっています。雇用形態の区分においては、書面上の契約名称にかかわらず、業務の実態が企業の主たる事業に不可欠であれば自動的に正規雇用とみなされる厳格な基準が存在します。また、給与計算においては1日8時間労働を原則としつつ、日本とは異なる割増率が設定された深夜割増賃金や、祝日の種類によって全く異なる給与計算の仕組みが法定されています。さらに、日本の賞与制度とは異なり、全従業員に対する絶対的な法的義務として支払いが強制される13ヶ月目の給与(13th Month Pay)の制度が存在します。

そして、フィリピンの労働実務における最大のリスクとも言える解雇規制については、正当な理由(Just Cause)または認可された理由(Authorized Cause)のいずれかが存在することに加え、厳格な2段階通知ルールなどの適正手続き(Due Process)が完全に揃わなければ解雇は認められません。手続きに瑕疵があれば、実体的な解雇理由があっても名目損害賠償を命じられるなど、判例法理が細かく発達しています。最後に、労働雇用省(DOLE)による監督のもと、労使紛争は労働者保護の観点から調停・審判が行われるため、平時からのコンプライアンス体制の構築が不可欠です。

以上のようにフィリピンにおける労働法制は、日本の労働法制と比較すると雇用主側の裁量が厳しく制限されており、解雇の要件や手続き、賃金支払い、雇用形態の区分において、現地特有の厳格なルールが設けられています。本記事では、フィリピンの労働法の詳細について、最新の判例や日本法との比較を交えながら深く掘り下げていきます。

労働者保護を最優先するフィリピン法制の基本理念と日本法との違い

フィリピンの労働法制を理解する上で、すべての解釈の出発点となる最も重要な前提が、労働法典第4条に規定されている「労働者に有利な解釈(Construction in Favor of Labor)」の原則です。同条項は、労働法典およびその施行規則の適用や解釈において何らかの疑義が生じた場合、すべての疑義は労働者の利益となるように解決されなければならないと明確に定めています。

日本の労働法制においても、労働基準法をはじめとする強力な労働者保護の仕組みは存在しますが、根底には民法の一般原則を背景とした労使対等の建前と契約自由の原則があります。これに対し、フィリピンでは憲法レベルで「国家は労働者に完全な保護を与える」と宣言されており、雇用主と労働者の間にある本質的な経済的・社会的格差を、法が積極的に介入して埋め合わせるというパテルナリズム(温情主義)的な姿勢をとっています。裁判所や労働雇用省(DOLE)が法律や契約を適用する際にも、単なる条文の形式的な適用にとどまらず、社会的正義(Social Justice)の観点から実質的に労働者を救済する解釈が強く好まれます。

この法理の具体的な適用に関して、フィリピン最高裁判所は「Vicente v. Employees’ Compensation Commission事件」において、労働法の解釈にあたっては働く者の福祉が最優先かつ最大の考慮事項でなければならず、法はその文言自体によって労働者に最大限の寛容さをもって解釈されることを要求していると判示しています。また、フィリピンでは法を厳格に文字通り適用した結果として労働者に著しく不利になる場合、コモン・ローの観点や衡平法(Equity)の原則から調整が行われるという独自の特徴を持っています。ただし、この原則が雇用主の抑圧や自己破壊を正当化するものではないともされており、天秤を労働者側に傾けるのは、あくまで両者を相対的に対等な立場に置くためであるというバランスの概念も存在します。

この状況から、日本企業が現地の雇用契約書や就業規則を作成する際には、日本の感覚で「労使の合意さえあれば有効」と安易に判断してはならないということが言えるでしょう。現地の強行法規と社会的正義の理念に合致していない条項は、いかに明確な合意があっても無効と判断される実務上の大きなリスクを孕んでいます。フィリピン労働法典の公式な基本方針と条文は、フィリピン最高裁判所の公式電子図書館で確認することができます。

参考:フィリピン最高裁判所公式電子図書館

フィリピンにおける雇用形態の厳格な区分と正規雇用への転換リスク

フィリピンにおける雇用形態の厳格な区分と正規雇用への転換リスク

フィリピンにおける雇用形態は、労働法典第295条(旧第280条)に基づき、労働者が従事する業務の性質や期間によって極めて厳格に分類されています。日本の労働実務では「正社員」「契約社員」「パートタイム」「アルバイト」といった区分が、主に契約期間の有無や社内の待遇(所定労働時間など)の違いによって雇用主の裁量で形成されています。しかし、フィリピンでは「その労働者が従事する業務が、雇用主の通常の事業において必要不可欠または望ましいものか否か」という業務の客観的な性質が、法的な雇用形態を決定する最大の基準となります。

主な雇用形態とその法的定義については、以下の表の通り規定されています。

雇用形態(英語名称)法的定義と特徴
通常雇用(Regular Employment)雇用主の通常の事業において必要不可欠または望ましい業務に従事する労働者。最も強力な雇用の安定(Security of Tenure)が保障され、法的な正当理由なく解雇することはできません。
プロジェクト雇用(Project Employment)特定のプロジェクトや事業の遂行のためにのみ雇用され、その完了時期または終了時期が雇用開始の時点で明確に定められている形態。プロジェクトの終了と同時に自動的に雇用も終了します。
季節雇用(Seasonal Employment)特定の季節や時期にのみ行われる業務に従事し、その季節の期間の継続中のみ雇用される形態。農業や特定の観光業などで多く見られます。
臨時雇用(Casual Employment)上記のいずれにも該当しない、付随的または一時的な業務に従事する形態。ただし、断続的であっても勤続期間が1年を超えた場合、その従事する業務に関する限り、法律上自動的に通常雇用(正規雇用)とみなされます。
試用期間(Probationary Employment)通常雇用への登用を前提として、労働者の能力や適性を評価するための期間。原則として雇用開始から6ヶ月を超えることはできず、これを超えて雇用を継続すると自動的に通常雇用となります。

日本企業がフィリピンで事業を展開する際、特に注意すべき最大の罠となるのが、試用期間(Probationary Employment)有期契約から通常雇用への自動転換に関するルールです。労働法典第296条(旧第281条)によれば、試用期間は原則として6ヶ月を上限としています。日本においては、従業員の適性を見極めるために試用期間を延長することが比較的柔軟に認められるケースもありますが、フィリピンにおいてこの6ヶ月という期間制限は非常に厳格に適用されます。6ヶ月を超えてその労働者を継続して雇用した場合、雇用主側の意図にかかわらず、その労働者は法律上自動的に通常雇用(Regular Employee)として扱われます。

さらに重要な点として、書面による雇用契約で明確に「臨時雇用」や「数ヶ月の有期雇用」と明記し、労働者がその契約書に署名して合意していたとしても、労働法典第295条は「当事者間の書面による合意の規定にかかわらず、また口頭による合意にかかわらず」と明記しており、契約書の文言よりも実態を優先する構造を持っています。労働者が従事する業務内容が企業の主たる事業にとって不可欠なものであると客観的に判断されれば、強行法規によって通常雇用とみなされます。したがって、日本企業が現地の人件費コントロールを目的として安易に有期契約を反復更新することは、意図せぬ通常雇用の成立と、契約終了を理由とした雇止めが不当解雇と認定される極めて危険な結果を招くことになります。

フィリピンにおける雇用形態の定義を定めた公式な規定は、フィリピン最高裁判所の公式電子図書館で確認することができます。

参考:フィリピン最高裁判所公式電子図書館

フィリピンの労働時間、割増賃金および法定手当の精緻な仕組み

フィリピンにおける賃金制度は、労働法典に基づく細格かつ厳格な計算方法が要求されます。給与の支払いのタイミングについても、法律によって一般的に1ヶ月に2回(例えば15日と月末など、16日以内の間隔で)行うことが義務付けられており、日本の一般的な月1回払いのシステムとは異なる運用が求められます。

労働時間と時間外・深夜割増賃金

労働時間に関しては、日本と同様に1日8時間、週40時間から48時間が原則とされています。1日8時間を超える労働(時間外労働)に対しては、通常の基本給に加えて少なくとも25%以上の割増賃金の支払いが義務付けられています。休日や従業員のスケジュールされた休息日における時間外労働については、さらに高い割増率が適用され、最初の8時間に対して通常の30%を加算し、それを超える部分についてはさらに重層的な上乗せ計算が行われます。

日本法との顕著な違いとして挙げられるのが、深夜割増賃金(Night Shift Differential)の適用時間帯と割増率の制度です。日本では、午後10時から午前5時までの労働に対して通常の賃金の25%以上の割増が要求されますが、フィリピンの労働法典第86条によれば、午後10時から翌午前6時までの間に提供された労働に対して、通常の時間給の少なくとも10%を深夜割増賃金として支払う必要があります。時間外労働と深夜労働が重なった場合、これらの割増率は複合的に計算され、時間外労働の割増分に対してもさらに深夜割増が適用される点に極めて細心の注意が必要です。

日本における労働基準法第36条に基づく労使協定(いわゆる36協定)のように、法定労働時間の上限を労使合意によって拡張し、刑事免罰効果を持たせるような手続きはフィリピンには存在しません。法定労働時間を超える労働には、無条件かつ直接的に法定の割増賃金支払い義務と法令遵守義務が発生します。深夜割増賃金の計算および適用に関する実務的な解説は、フィリピンの法律情報提供サイトで確認することができます。

参考:RESPICIO & CO. 法律事務所公式解説記事

休日給与(Holiday Pay)の二重構造

フィリピンの祝日制度は非常に特徴的かつ複雑であり、給与計算において「レギュラー・ホリデー(Regular Holiday:通常の祝日)」と「スペシャル・ノンワーキング・ホリデー(Special Non-Working Holiday:特別な非労働日)」の2種類に厳格に区別されています。この区別を誤ると、大規模な未払い賃金問題に発展するリスクがあります。

それぞれの休日の取り扱いと給与計算の基準は以下の表の通りです。

祝日の種類労働しなかった場合の給与労働した場合の給与(最初の8時間)該当する主な祝日の例
レギュラー・ホリデー基本給の100%が支払われます(有給の祝日)。基本給の200%が支払われます。休息日と重なる場合はさらに30%が加算されます。新年(1月1日)、労働者の日(5月1日)、独立記念日(6月12日)、クリスマス(12月25日)など
スペシャル・ノンワーキング・ホリデー原則として無給です(ノーワーク・ノーペイの原則が適用されます)。基本給の130%が支払われます。休息日と重なる場合は150%となります。ニノイ・アキノの日(8月21日)、諸聖人の日(11月1日)、大晦日(12月31日)など

レギュラー・ホリデーは、労働者がその日に働かなくても通常の基本給の満額が支払われる完全な有給の祝日です。もし雇用主の要請によって労働者がレギュラー・ホリデーに労働を提供した場合、雇用主は最初の8時間に対して基本給の2倍(200%)を支払う義務があります。

一方、スペシャル・ノンワーキング・ホリデーは、原則として「ノーワーク・ノーペイ(働かざる者食うべからず)」のルールが適用されます。労働者がこの日に休んだ場合、会社の規定で特別に有給と定めていない限り、雇用主に給与の支払い義務はありません。しかし、この日に労働を提供した場合、最初の8時間に対しては通常の基本給の30%増し(130%)を支払う必要があります。日本において国民の祝日に労働した場合の割増賃金は、通常の時間外労働や休日労働の枠組みで一律に処理されることが多いですが、フィリピンでは大統領告によって毎年発表される祝日の性格によって全く異なる給与計算の公式が適用されるため、給与計算システムの綿密なローカライズが不可欠です。

フィリピンにおける13ヶ月目の給与の絶対的な強行規定

フィリピンにおける13ヶ月目の給与の絶対的な強行規定

フィリピンの労働法体系の中で、進出する日本企業が最も戸惑う特有の制度の1つが「13ヶ月目の給与(13th Month Pay)」です。これは1975年に制定された大統領令第851号(Presidential Decree No.)に端を発する制度であり、雇用主は管理職を除くすべての一般従業員(Rank-and-file employees)に対し、毎年12月24日までに、その年の基本給の1ヶ月分に相当する金額を追加のボーナスとして支払うことが法的に義務付けられています。

この13ヶ月目の給与制度は、日本の賞与(ボーナス)制度と混同されがちですが、法的な性質において根本的な違いが存在します。

比較項目フィリピンの13th Month Pay日本の一般的な賞与(ボーナス)
法的性質法律によって支払いが強制される絶対的な義務給付。就業規則や労使協定で定められない限り、法的な支払い義務はない恩恵的・裁量的な給付。
業績との連動企業の業績が赤字であっても支払いを免除されることはありません。企業の業績や労働者個人の評価に応じて支給額を変動させる、あるいは不支給とすることが可能。
計算基準その暦年において従業員が実際に受け取った基本給の総額を12で除した金額。時間外割増賃金や深夜割増賃金などは計算から除外されます。基本給の数ヶ月分とするなど、企業が独自に設定した計算ロジックや評価係数に基づく。
受給資格雇用形態(通常、試用期間、臨時など)にかかわらず、暦年で少なくとも30日以上勤務したすべての一般従業員。企業が定めた支給日在籍要件や、一定以上の評価基準を満たした従業員に限定されることが多い。

13ヶ月目の給与は、従業員の生活水準を維持し、フィリピンにおける最大のイベントであるクリスマスシーズンの出費を支えるための強力なセーフティネットとして機能しています。法律の規定上、企業が既に1ヶ月分以上の年末ボーナスや同等の手当を支給している場合は免除されるという条項がありますが、実務上は、法的義務である13ヶ月目の給与と、業績連動型のインセンティブ・ボーナスを明確に分けて支給するのが一般的です。これを誤って単なる「業績ボーナス」として支給し、業績不振を理由に翌年の支給を取りやめると、重大な労働法違反として即座にDOLEへ通報される事態となります。

13ヶ月目の給与に関する大統領令第851号の公式な規定は、フィリピン共和国上院の立法資料データベースで確認することができます。

参考:フィリピン共和国上院立法資料データベース

フィリピンの厳格な解雇規制と適正手続きの絶対性

フィリピンにおける労務管理において、最大の法的リスクとなるのが解雇(Termination of Employment)に関する規制です。労働法典第294条(旧第279条)は「雇用の安定(Security of Tenure)」を強く保障しており、雇用主は法に明確に定められた「正当な理由(Just Cause)」または「認可された理由(Authorized Cause)」のいずれかに該当しない限り、労働者のサービスを終了させることはできません。

日本の労働契約法第16条における「客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、無効とする」という抽象的な解雇権濫用法理とは異なり、フィリピンでは解雇が認められる事由が労働法典において限定列挙されており、それ以外の個人的な理由や曖昧な理由での解雇は一切認められません。

解雇事由は、労働者側の過失に基づく「正当な理由」と、雇用主側の経営上・業務上の必要性に基づく「認可された理由」の2つに大別され、それぞれで必要となる手続きや退職金(Separation Pay)の有無が根本的に異なります。

労働者の過失に基づく「正当な理由(Just Cause)」

労働法典第297条に規定される正当な理由は、労働者の責めに帰すべき重大な非違行為などを指します。具体的には以下の事由が含まれます。

  • 重大な不正行為(Serious Misconduct)
  • 雇用主の合法的な命令に対する故意の不服従(Willful Disobedience)
  • 職務に対する重大かつ常習的な怠慢(Gross and Habitual Neglect of Duties)
  • 雇用主から寄せられた信頼の詐欺行為または故意の喪失(Fraud or Willful Breach of Trust)
  • 雇用主やその直系家族に対する犯罪行為または反則行為

これらの理由による解雇の場合、懲戒的な性質を持つため、原則として労働者に退職金を支払う法的義務はありません。しかし、解雇を有効に成立させるためには、後述する極めて厳格な「適正手続き(Procedural Due Process)」を踏むことが絶対条件となります。

経営上の必要性に基づく「認可された理由(Authorized Cause)」

労働法典第298条および第299条に規定される認可された理由は、労働者側に過失はないものの、事業の継続や法制度の要請から人員削減が避けられない場合の事由です。具体的には以下の事由が含まれます。

  • 労働節約装置(機械化・自動化)の導入
  • 冗員(Redundancy:業務の見直しや組織再編による余剰人員の発生)
  • 人員削減(Retrenchment:深刻な財務的損失を防ぐためのリストラクチャリング)
  • 事業の閉鎖または停止
  • 疾病(6ヶ月以内の治癒が見込めず、本人の就労や同僚への感染リスクが健康上不利益となる場合)

これらの理由による解雇は、労働者側にいかなる落ち度もないため、雇用主は法律に基づく「退職金(Separation Pay)」を支払う義務を負います。退職金の計算基準は解雇の事由によって異なり、非常に細かく設定されています。

認可された理由の種類法定退職金(Separation Pay)の計算基準
労働節約装置の導入、冗員(Redundancy)勤続1年につき1ヶ月分の給与。端数が6ヶ月以上の場合は1年として切り上げて計算されます。
人員削減(Retrenchment)、事業の閉鎖(深刻な財務的損失によるものを除く)、疾病勤続1年につき0.5ヶ月(半月)分の給与。ただし、全体として最低でも1ヶ月分を保障して支払う必要があります。

なお、事業の閉鎖や停止が、会社を倒産に導くほどの「深刻な財務的損失(Serious Financial Losses)」によるものであると客観的かつ確実な証拠(監査済み財務諸表など)により証明された場合に限り、例外的に退職金の支払いが免除される規定が存在します。しかし、この証明のハードルは極めて高く、単なる一時的な利益の減少や軽微な赤字では認められません。

厳格な適正手続き(Procedural Due Process)と関連する最高裁判例

フィリピンの労働実務において、実体的な解雇事由の存在と同等かそれ以上に重要視されるのが「適正手続き(Procedural Due Process)」です。手続きの些細な瑕疵であっても、それはそのまま損害賠償義務の発生や、場合によっては不当解雇の成立に直結します。「正当な理由(Just Cause)」による解雇を行う場合、雇用主は必ずいわゆる「2段階通知ルール(Twin Notice Rule)」を遵守しなければなりません。第1段階として、労働者に対して具体的な非違行為の事実関係を詳細に記載し、弁明の機会を与えるための「第1の書面通知(Notice to Explain)」を交付します。その後、労働者が自身の立場を説明し証拠を提示するための「十分な弁明の機会(Ample opportunity to be heard)」を与えなければなりません。

この弁明の機会について、実務上どこまで厳格な手続きが求められるかが争われた「Felix B. Perez and Amante G. Doria v. Philippine Telegraph and Telephone Company事件(2009年4月7日判決、G.R. No.)」において、フィリピン最高裁判所は、弁明のための十分な機会とは「必ずしも法廷のような正式な公聴会(Hearing)や対面でのヒアリングを開催することまでを必須条件とするものではない」と判示しました。書面での詳細な弁明も含め、労働者が効果的に防御できる合理的で十分な機会が与えられていれば、適正手続きの実質的要件は満たされるとしています。そして、提出された弁明を十分に考慮した上で解雇を決定した場合、最終的な解雇の判断とその根拠となる事実を記載した「第2の書面通知(Notice of Termination)」を交付して、初めて解雇が適法に成立します。

この適正手続きを怠った場合の法的ペナルティについて、現在のフィリピン労働実務における画期的な基準を示したのが、「Jenny M. Agabon and Virgilio C. Agabon v. National Labor Relations Commission事件(2004年11月17日判決、G.R. No.、通称Agabonドクトリン)」です。この判決において最高裁判所は、労働者の明らかな職場放棄という実体的な「正当な理由」が存在する場合、解雇そのものの効力は有効に維持されると判断しました。しかし同時に、雇用主が2段階通知ルールなどの適正手続きを欠如させていた場合、法的な手続き要件の違反に対する制裁として、名目損害賠償(Nominal Damages)の支払いを雇用主に命じました。現在、実体的な正当な理由があるにもかかわらず手続きに瑕疵があった場合の名目損害賠償額は、経済状況の変化を考慮し、通常5万ペソが相場として適用されています。

一方、「認可された理由(Authorized Cause)」による解雇の手続きでは、労働者の過失ではないためヒアリングは不要ですが、解雇の効力発生日の少なくとも30日前に、労働者本人および労働雇用省(DOLE)の管轄事務所の双方に対して、書面による事前通知を行うことが絶対的に義務付けられています。企業が経営上の理由から冗員(Redundancy)を理由として解雇を行う場合の手続きと要件の厳格さについては、「Keng Hua Paper Products Co., Inc. and James Yu v. Carlos E. Ainza, et al.事件(2023年2月22日判決、G.R. No.)」で明確に示されています。

同判決において最高裁判所は、企業が従業員を解雇するためには、単に経営上の判断として冗員であると宣言するだけでは不十分であると指摘しました。業務要件に対して従業員のサービスが明らかに過剰であること、人員削減の対象者を選ぶ基準が公平かつ妥当であること、そして適正な30日前の通知義務を果たしていることを、実質的証拠(Substantial Evidence)によって雇用主側が証明しなければならないと判示しました。このように、日本のように「経営上の努力」を抽象的かつ総合的に評価するのではなく、フィリピンでは法定の基準と通知期間を満たしているかが機械的かつ極めて厳格に審査されます。

仮に労働仲裁官によって、実体的な解雇事由(正当な理由や認可された理由)自体が存在しないと判断された場合、それは完全な「不当解雇(Illegal Dismissal)」となります。不当解雇と認定されると、雇用主は労働者の元の職場への原職復帰(Reinstatement)、解雇時から復職時までに本来得られるはずであった未払い賃金全額(Full Backwages)、および精神的苦痛に対する慰謝料や懲罰的損害賠償の支払いを命じられることになります。復職がもはや物理的に不可能であったり、労使関係が修復不可能なまでに悪化している(Strained Relations)と客観的に認められる例外的なケースでは、復職に代わって1ヶ月分以上の退職金が支払われる調整が行われますが、いずれにせよ企業側の経済的・レピュテーション面での負担は甚大です。

フィリピン労働雇用省による監督と労使紛争の解決メカニズム

フィリピン労働雇用省による監督と労使紛争の解決メカニズム

フィリピンにおける労働行政の頂点に立ち、労働法典の執行を担うのが労働雇用省(DOLE:Department of Labor and Employment)です。DOLEは労働基準の策定、雇用機会の促進、そして労使関係の調整を包括的に担う強力な監督機関として機能しています。労使間で賃金未払いや不当解雇などの紛争が生じた場合、日本の労働基準監督署や労働局によるあっせんに似た仕組みが存在します。具体的には、労働仲裁官(Labor Arbiter)国家労働関係委員会(NLRC:National Labor Relations Commission)による本格的な審判手続きに進む前に、DOLEが主導する単一登録アプローチ(SENA:Single Entry Approach)と呼ばれる30日間の義務的な調停・あっせん手続きを経ることが求められます。

SENAの仕組み自体は、紛争を裁判のような形式的な手続きによらず迅速かつ低コストで解決し、労使双方の負担を軽減することを目的としています。しかしながら、先述の「すべての疑義は労働者に有利に解釈される」という原則が、行政指導や調停の場でも極めて強く作用します。調停員は法律の枠内で可能な限り労働者の権利を保護しようとする傾向が顕著です。したがって、雇用主側は、法律の文面だけでなく、その背景にある社会的衡平性を熟知した上で、客観的な証拠(勤怠記録、指導記録、懲戒の経緯を示す文書など)を完備して調停に臨まなければ、圧倒的に不利な立場で高額な和解金を迫られる結果となります。労働者側からの申し立てを単なる不平不満と軽視せず、初期段階から法的な根拠に基づいた毅然たる対応と、実態に即した証拠保全を行うことが、フィリピンでの事業運営において不可欠です。

まとめ

本記事では、フィリピンにおける労働法の実務的な要点と、日本企業の経営者が直面しやすい法的リスクについて詳細に解説しました。フィリピンの労働法は、1974年に制定された労働法典を基盤とし、社会的正義の理念に基づいて労働者を強力に保護する体系を持っています。業務の客観的な性質によって厳格に規定され、意図せぬ正規雇用の成立を招きやすい雇用形態のルールや、日本には存在しない絶対的な法的義務である13ヶ月目の給与(13th Month Pay)の強行規定、さらには1日8時間労働の原則と独特の祝日給与・深夜割増賃金(Night Shift Differential)の計算など、実務上不可欠な知識は多岐にわたります。

中でも、解雇規制は極めて厳格であり、法律に定められた正当な理由または認可された理由が存在することに加え、2段階通知ルール等の適正手続き(Due Process)の完全な履行が求められます。これを少しでも逸脱すれば、Agabonドクトリンに見られるような損害賠償や、最悪の場合は不当解雇として原職復帰および多額のバックページ(遡及賃金)の支払いを命じられる重大なリスクを孕んでいます。法解釈に疑義が生じた場合はすべて労働者に有利に解釈されるという原則(Construction in Favor of Labor)が貫かれているため、日本における労使対等の感覚や、雇用主側の裁量的な人事権の行使をそのまま現地に持ち込むことは極めて危険です。

現地の法体系は日本と根底から異なる部分が多く、法務および人事労務制度の構築にあたっては高度な専門知識が要求されます。こうした複雑かつ厳格なフィリピンの労働法制に基づく雇用契約の策定や、適法な解雇手続きの遂行、DOLEでの紛争解決に関する諸問題について、モノリス法律事務所がサポートいたします。現地法令と判例の最新動向を踏まえた確実な企業運営を実現するために、事前の入念な法的検証とリスク管理を実施されることを強く推奨いたします。

弁護士 河瀬 季

モノリス法律事務所 代表弁護士。元ITエンジニア。IT企業経営の経験を経て、東証プライム上場企業からシードステージのベンチャーまで、100社以上の顧問弁護士、監査役等を務め、IT・ベンチャー・インターネット・YouTube法務などを中心に手がける。

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