アンドラの法律の全体像とその概要を弁護士が解説

ピレネー山脈の懐に抱かれた小国、アンドラ(正式名称、アンドラ公国)は、かつてはフランスとスペインに挟まれた観光と免税の国というイメージが強い場所でした。しかし、近年、その経済構造は金融、サービス、国際ビジネスへと大きくシフトし、それに伴い法制度も国際標準への準拠を目指す大改革が進められてきました。
低税率や高い生活水準は依然として大きな魅力である一方で、外国資本の受け入れを積極的に推進するための法整備が進み、企業統治、データ保護、知的財産といった分野で透明性とコンプライアンスが強化されています。会社法、個人情報保護法、労働法といった主要な法律が近年中に制定または改正され、国際基準への適合が進められました。アンドラは、単なる「タックスヘイブン」から脱却し、国際ビジネスが安心して活動できる、現代的でコンプライアンス重視の金融・ビジネスセンターへと変貌しつつあります。
本記事では、この変貌を遂げたアンドラの最新の法制度と司法制度の全体像を、日本の読者にわかりやすく解説し、会社設立、税務、労働、個人情報保護、金融といった主要なビジネス関連法分野における具体的な制度と手続きを詳細に掘り下げます。
この記事の目次
アンドラの法制度と司法制度の概要
アンドラの法体系は、その地理的・歴史的背景を反映した独自の複合的な構造を持っています。その根幹には、1993年に制定されたConstitució d’Andorra(アンドラ憲法)が最高法規として位置づけられています。この憲法は、アンドラを主権を持つ立憲議会制民主主義国家と定め、行政、立法、司法の三権分立を確立しました。この現代的な法制度の基盤の上に、歴史的な法源であるカタルーニャ法、ローマ法、フランス法、そして慣習法が多層的に存在しています。日本の法律が民法、商法などの単一の法典に体系的に集約されているのとは異なり、アンドラでは複数の法源を組み合わせて法的な判断を行う必要があります。これは、法律専門家が多様な法的文献を参照する必要があることを意味します。
アンドラの司法制度は、Consell Superior de la Justica(最高司法評議会)、Tribunal Constitucional(憲法裁判所)、Tribunal Superior de la Justicia(高等裁判所)、Tribunal de Corts(裁判所)などで構成されています。特筆すべきは、最高司法評議会が裁判官の独立性を監督し、政府の司法に対する介入を防止する役割を担っている点です。憲法によって司法の独立性と公正性が保障されており、政府は司法の独立性を尊重しています。
こうした法制度の構造からは、アンドラが過去の慣習法に依存する法体系から、明確な成文法体系への移行を進めてきたことがわかります。この動きは、主にEUやOECDといった国際機関との関係強化に伴う、金融・税務の透明化要求に応えるものです。
アンドラでの企業活動に関わる主要法分野

会社法とコーポレートガバナンス
アンドラでは、日本の株式会社に相当するSocietat anònima(SA)と、日本の合同会社または有限会社に相当するSocietat de responsabilitat limitada(SL)が主要な会社形態です。SAの最低資本金は60,000ユーロ、SLは3,000ユーロと定められており 、この資本金は設立前にアンドラの銀行に預託される必要があります。
外国人投資家は、2012年以降、一部の特定業種を除き、アンドラの会社を100%所有することが可能となりました。これは日本法における外国人による会社設立とほぼ同様に、自由度の高い制度といえます。しかし、発行済み株式の10%超を非居住者が所有する場合、外国投資認可(Foreign Investment Authorization)の申請が義務付けられています。この認可プロセスは通常1.5ヶ月程度を要します。
コーポレートガバナンスに関しては、取締役は最低1名でよく、自然人または法人が務めることが可能です。特筆すべきは、会社の登記簿に各株主の身元と住所を記載する義務がある点です。名義人所有(Nominee ownership)は禁止されており、違反には罰金が科せられます。これは、会社の透明性を高めるための国際的な要請に応えるものです。
会社設立は、まずアンドラ政府に商号予約を申請することから始まります。非居住者が10%超の株式を所有する場合には、詳細な事業計画や犯罪歴証明書を含む外国投資認可の申請が必要です。認可が下りた後、公証人を介して定款を作成し、商業登記簿に会社を登録します。これにより会社は法人格を得ますが、実際の事業活動を開始するためには、さらに税務番号(NRT)を取得し、地方自治体から営業許可(Commercial Operating License)を得る必要があります。日本の会社設立手続きと比較すると、外国投資認可や地方自治体からの営業許可取得といった追加のステップが特徴的といえます。
手続き概要 | 主要な必要書類 | |
---|---|---|
1. 会社名予約 | 3つまでの候補名をアンドラ政府に提出 | 希望する会社名と事業活動、法的な構造 |
2. 外国投資認可 | 非居住者が10%超の株式を所有する場合に申請 | 犯罪歴証明書(3ヶ月以内)、パスポートの公証済みコピー、専門的経歴の証明、詳細な事業計画 |
3. 定款作成・登記 | アンドラの公証人により定款を作成・公証 | 外国投資認可書、公証済み身分証明書、定款、設立メンバーリスト |
4. 商業登記 | 公証人がアンドラの商業登記簿に会社を登録 | 公証済み公的証書、各メンバーの株式情報、役員情報 |
5. 税務番号(NRT)取得 | アンドラ税務局からNRTを取得し、金融取引を可能にする | – |
6. 商業営業ライセンス取得 | 地方自治体(Comú)に申請し、事業活動の許可を得る | 事業所住所の証明、関連する検査や安全契約の証明 |
7. 社会保障登録(CASS) | 会社と従業員をアンドラ社会保障基金に登録 | – |
このプロセスは、アンドラが外国人投資を積極的に誘致しつつも、マネーロンダリング防止や透明性確保のための厳格な規制を設けていることによるものです。EUやOECDからの圧力に応える形で、国際的なコンプライアンス基準(AML/KYC)に適合する必要に迫られた結果、外国人による100%所有を認めつつ、その過程で資金源証明 や厳格な審査を要求しているのです。
税法
アンドラは欧州で最も低い税率を誇る国の一つとして知られています。この低税率は、日本の法人や個人にとって極めて大きな魅力となります。
- 法人税(Impost de societats):標準税率は10%です。これは日本の法人実効税率(約30%)と比べて大幅に低い水準です。さらに、新規設立企業や特定分野の企業には、最初の3年間で所得が50,000ユーロ未満の場合、5%の軽減税率が適用されます。
- 個人所得税(Impost sobre la renda de les persones físiques):年間所得24,000ユーロまでは非課税で、それ以上は最大10%の税率が適用されます。日本の累進課税制度と比較すると、非常に低い税負担です。
- 間接税(Impost general indirecte, IGI):EUの付加価値税(VAT)に相当するもので、標準税率は4.5%と欧州で最も低い水準です。
- その他:財産税、相続税、贈与税は課されません。
アンドラ税法は、単に税率が低いだけでなく、特定のビジネス活動を優遇する制度も設けています。その代表例が「パテントボックス制度」です。これは、知的財産(IP)のライセンスや譲渡から得られる所得に対して、課税所得を最大80%まで削減できる制度であり 、これにより実効税率を2%まで下げることが可能です。これは、研究開発活動を国内に誘致し、知的財産権の創出と活用を促進するための重要なインセンティブとなります。
このような税制は、アンドラがOECDのBEPS(税源浸食と利益移転)プロジェクトに参加した 結果、従来の「ゼロ税率」や秘匿性を売りにするモデルから脱却し、国際的な税務透明性基準に適合する形で構築されたものです。二重課税防止条約の締結 や、知的財産権の創出・活用を根拠とする優遇制度の導入は、合法的な税務計画(tax planning)を求める企業にとって、より魅力的で信頼性の高い選択肢を提供します。
アンドラ | 日本 | |
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法人税 | 標準税率10% (新規企業向け軽減税率5%) | 法人実効税率約30%(国税・地方税含む) |
個人所得税 | 24,000ユーロまで非課税 それ以上は最大10% | 5%から45%(所得税) +10%(住民税) 合計最大55.945% |
間接税 | 標準税率4.5%(IGI) 一部軽減税率あり | 標準税率10%(消費税) |
労働法
アンドラの労働法は、Llei 31/2018, del 6 de desembre, de relacions laborals(労働関係法)に規定されています。この法律は、労働市場の現代化と国際基準への適合を目指して制定されました。
- 労働時間と賃金:標準的な労働時間は週40時間、1日8時間です。2025年の最低賃金は月額1,447.33ユーロとされており 、日本の最低賃金(時給換算)と比較すると高い水準にあるといえます。時間外労働は、週12時間、月48時間、年426時間を上限に認められており、割増賃金が適用されます。
- 雇用契約と解雇:雇用契約は書面での締結が義務付けられています。解雇については、不当解雇の場合、従業員は勤続年数に応じて退職金を受け取る権利を有します。
- 社会保障制度(CASS):アンドラの社会保障制度(Caisse Andorrane de Sécurité Sociale, CASS)は、医療、年金、失業給付をカバーします。社会保障費の負担率は、雇用主が15.5%、従業員が6.5%で、合計22%となります。日本の社会保険料(健康保険、厚生年金、雇用保険など)と比較して、雇用主の負担率が高い点が特徴的です。
アンドラ憲法は人権の尊重を明記しており、国際機関からの要請に応える形で、労働関係法は労働者の権利保護に力を入れています。この法律により、団体交渉権やストライキ権が保障され、出生、人種、性別、性的指向などに基づく差別は禁止されています。また、強制労働は法律で禁止・犯罪化されています。
民法(契約法・不動産)
アンドラの民法は、単一の法典として集約されておらず、慣習法、カタルーニャ法、ローマ法に加え、特定の分野を規定する個別法(例:Llei 30/2022)によって構成されています。契約法に関しては、一般的な法原則が適用され、債権回収や契約書の作成・レビューといったサービスが法律事務所によって提供されています。
不動産取引は、公証人(notary)を介して行われ、公証人が取引を検証し、不動産登記簿に登録することで所有権が保護されます。これは日本の不動産登記制度と類似しており、取引の透明性と安全性を確保する上で重要な役割を果たしています。
注目すべきは、外国人による不動産購入に新たに導入された累進課税制度です。この新税制は、投機を抑制し、住民にとっての住宅市場の健全性を確保することを目的としています。
Law 3/2024によると、1件目の購入で3%、2〜5件目の購入で5%、6〜9件目で8%、そして10件以上では10%と、取得件数に応じて税率が上がる仕組みが導入されました。一方で、長期賃貸を目的とした投資には90%の減税措置が設けられています。これは、外国人投資を歓迎しつつも、それが国内の不動産市場に過度な投機を招き、住民の生活を圧迫する事態を抑制しようとする明確な政策意図によるものです。
個人情報保護法
アンドラは、EUの一般データ保護規則(GDPR)に準拠した個人情報保護法、Llei 29/2021, del 28 d’octubre, de Protecció de Dades Personalsを2022年5月に施行しました。この法律の導入は、アンドラが国際的なビジネスパートナーとしての地位を確固たるものにするため、データ保護という分野でEUと法的に「同等」であることを証明しようとしていることを示しています。
この法律はGDPRに倣い、データ処理の目的、データ主体の権利(アクセス、訂正、消去、データポータビリティ)、データ保護責任者(DPO)の任命義務などを定めています。
アンドラの特徴的な法律・法分野に関する詳細解説

広告規制と医療広告
アンドラの一般的な広告規制は、虚偽や欺瞞的な広告を禁止する消費者保護法によって支えられています。これは、広告における正確性と透明性を求める点で日本法と共通しています。特に注目すべきは、医療広告に関する厳格な姿勢です。医療広告は「単なる情報提供」に留まり、「宣伝」を目的としてはならないとされています。
資金決済・金融サービス法
アンドラの金融サービスは、アンドラ金融庁(Autoritat Financera Andorrana, AFA)の厳格な規制と監督下にあります。銀行業務、投資・金融管理サービス、決済・電子マネーサービス、保険・再保険サービスなど、金融活動を行うにはAFAの事前認可が必須となります。自社の株主のためにのみ活動する持ち株会社など、一部の例外を除き 、無認可で金融サービスを提供した場合、重大な罰金や活動の禁止、さらには民事・刑事責任に問われる可能性があります。
アンドラは、EUと締結した金融協定に基づき、決済サービス指令(Directive 2007/64/EC)を国内法(Law 8/2018, Law PSD2)に転換しています。これにより、インターネット決済のセキュリティ強化や、新しい決済サービス(例:アカウント情報サービス)の導入が進められました。これは、かつての「銀行秘密主義」が国際社会から批判され、2015年のBanca Privada d’Andorraの金融危機を経験した教訓から、金融システムの透明性と健全性を徹底しようとするアンドラの強い意思の表れです。決済サービスやフィンテック分野でのビジネスを検討する日本の企業にとって、AFAの認可プロセスを正確に理解し、厳格なコンプライアンス体制を構築することが成功の鍵となります。
海事法
アンドラは海から隔絶された内陸国ですが、Maritime Navigation Code(海事航行法典)という独自の海事法を有しています。この法典は、船舶登録、海事責任、海洋汚染、乗組員の権利などを定めており、国際的な海事条約や慣行に準拠しています。
アンドラが海事法を制定している最大の理由は、豪華ヨットや船舶の登録制度、いわゆる「便宜置籍船(flag of convenience)」制度を設けるためです。この制度は、船籍国と実際の所有者の国籍が異なる場合に適用されます。この制度は、船舶の維持・管理費に対する優遇税制や、付加価値税(VAT)の非課税または軽減税率(0%)が適用されるという税務上の優位性を提供します。さらに、銀行秘密主義の伝統 と相まって、船舶所有者の身元に関する高いレベルの機密性が提供されます。アンドラは、内陸国という地理的制約を逆手に取り、国際的な海事ビジネスのニッチ市場を開拓していると言えるでしょう。
アンドラでの事業開始に必要な許認可の概要
アンドラでのビジネス開始には、会社設立手続きとは別に、事業内容に応じた許認可の取得が求められます。会社が設立された後、事業活動を行うためには、地方自治体(Comú)から商取引ライセンス(Commercial Operating License)を取得する必要があります。これには、事業所の証明や安全検査の完了などが含まれます。
金融、医療といった特定の分野で事業を行う場合には、さらに個別許認可が必要です。前述の通り、銀行、投資、決済サービスなどはAFAの事前認可が必須です。医療施設(病院やクリニック)の開設には、保健省への届出が必要であり 、医薬品の製造・輸入には、Law on the Regulation of Medicinal Products and Medical Devices(2014年)に基づく厳格な規制があり、未承認薬の輸入には特別な認可が求められます。
アンドラは、外国人投資家にとって手続きを簡素化する一方で、事業の開始と継続にあたっては、その透明性とコンプライアンスを厳しくチェックする体制を構築していることがわかります。質の高いサービスと健全な市場を維持するために、会社設立自体は比較的容易でも、実際のビジネス活動には、事業内容に応じた追加の許認可や、公的機関への詳細な情報提出が求められるのです。
まとめ
アンドラの法制度は、日本の法制度と比較して、いくつかの特徴を持っています。低税率、外国人投資への寛容性、相続税の非課税など、経済的な魅力は計り知れないものがありますが、それは過去の「タックスヘイブン」としてのイメージを脱却し、国際的なコンプライアンスを徹底することで築かれた信頼の上に成り立っています。
特に、EUのGDPRに準拠した個人情報保護法や、金融サービスに関する厳格な規制、さらには投機を抑制する不動産税制の導入など、透明性と健全性を追求するアンドラの姿勢は明確です。また、内陸国でありながら海事法を整備しているというユニークな点は、地政学的制約を法的な工夫で乗り越え、新たなビジネス機会を創出する同国の柔軟な思考を示しています。
アンドラでのビジネス展開は、これらの法的特性を深く理解し、厳格なコンプライアンス体制を構築することで、初めてそのメリットを最大限に享受することができます。この複雑な法律問題を乗り越えるには、現地法に精通した専門家によるサポートが不可欠です。
カテゴリー: IT・ベンチャーの企業法務