マルタ共和国の法体系・法制度・司法制度

マルタ(正式名称、マルタ共和国)は、地中海の中央に位置する美しい島国であり、その法体系は、歴史的背景を色濃く反映したユニークな混合法域(Mixed Jurisdiction)として知られています。古くは古代ローマ法に根ざし 、聖ヨハネ騎士団の時代にはヨーロッパ大陸の伝統であるローマ・カノン法が深く根付きました。その後、19世紀初頭から約150年にわたるイギリスの統治を経て、法体系に大きな変革がもたらされました。この時期、マルタの法律専門家たちの尽力により、民事法を中心とする実体法は大陸法の伝統が維持される一方、訴訟手続きや行政法には英米法の原則が大胆に導入されたのです。
これにより、マルタは、大陸法系の民法と英米法系の訴訟法が共存する、世界でも珍しい法制度を確立しました。日本が明治期にドイツやフランスの大陸法をモデルとして体系的な法整備を進めたのとは対照的に、マルタの法は、様々な支配者による歴史的な層が重なり合って形成された、いわば「法の地層」とも言える性質を持っています。本記事では、この複雑なマルタの法体系について、その歴史的背景、制度的特徴、そして日本の法制度との重要な相違点に焦点を当てて詳しく解説します。
この記事の目次
マルタの法体系
マルタの法体系は、大陸法(Civil Law)と英米法(Common Law)が融合した、世界でも珍しい「混合法域」に分類されます。これは単なる偶然の結果ではなく、マルタが辿った複雑な歴史の産物です。具体的には、私法(特に民法)は大陸法の伝統を強く引き継いでおり、一方で手続法や行政法は英米法の強い影響を受けています。マルタの民法典(Civil Code, Chapter 16 of the Laws of Malta)は、19世紀に制定されたもので、その主要な源泉はフランスのナポレオン法典にあります。これは、日本の民法典がドイツ法を主なモデルとしているのと同様に、大陸法体系に属するものです。商法も同様に、大陸法の考え方に基づいています。商法典(Commercial Code, Chapter 13)は、商取引の慣習や民法の原則を補完する役割です。この混合性は、単に二つの法体系が並存しているだけでなく、マルタが、大陸法系と英米法系の長所を組み合わせ、独自の形で進化させてきた結果です。
マルタの法体系を形作った歴史的変遷

マルタの法制度は、その歴史において様々な権力者の支配下に置かれたことが、現在の複合的な法体系の形成に決定的な影響を与えています。聖ヨハネ騎士団の時代(1530年〜1798年)には、マルタの法律は、ヨーロッパ大陸の伝統であるローマ・カノン法(Romano-Canonical tradition)と、当時シチリアで用いられていた手続き(Rito Siculo)を適用していました。特筆すべきは、この時代に既に様々な専門裁判所が設立されていたことです。例えば、海事・商業裁判所(Consolato di Mare)や、土地・建築物に関する裁判所(Officio delle Case)などが存在しました。
イギリスの植民地時代(1814年〜1964年)に入った際、マルタの法律家たちは、既存の法制度、宗教、および慣習を維持するよう強く主張しました。これは、イギリスへの「征服」ではなく「自発的な主権の委譲」であったという解釈を求めることで、特別な地位を確立しようとした動きです。この交渉の結果、イギリスはマルタの民法典を保持することを認め、民事法分野における大陸法系の伝統が守られました。一方で、総督(Governor)が新たな裁判制度を導入し、訴訟手続きや刑法、行政法に英米法の原則が取り入れられました。マルタの法体系は、イギリスによる植民地化の過程における、政治的な「取引」の産物であると言えます。こうした交渉の結果、イギリスは統治を効率的に行うための手続法や行政法を導入する一方、マルタのアイデンティティの中核である民事法については、大陸法の伝統を維持することを許容しました。この歴史的経緯が、民事法における「大陸法」と、刑事・手続法における「英米法」という、マルタ法体系の二重構造の根源です。法が国家アイデンティティの保護ツールとして機能した事例とも言えるでしょう。
そして、2004年のEU加盟は、法体系にさらに新しい要素を加えました。EUの規則や指令が国内法に組み込まれ、EU法は国内法に優越する主要な法源の一つとなりました。これにより、マルタ法は「大陸法」「英米法」に加え、「EU法」という第三の強力な源を持つことになりました。
マルタの司法制度の構造と役割
マルタの司法制度は、上級裁判所(Superior Courts)と下級裁判所(Inferior Courts)からなる階層的な構造を採っています。上級裁判所には、違憲審査、人権侵害訴訟の控訴審、憲法解釈、法律の無効性の判断を担当する最上位の裁判所である憲法裁判所(Constitutional Court)が置かれており、3名の裁判官で構成されます。
また、民事事件の控訴審を扱う控訴裁判所(Court of Appeal)も上級裁判所に含まれ、上級裁判所の判決からの控訴(3名の裁判官)と、下級裁判所の判決からの控訴(1名の裁判官)を扱います。さらに、重大な刑事犯罪の第一審を管轄する刑事裁判所(Criminal Court)は、裁判官1名と9名の陪審員で構成されています。一方、下級裁判所には、比較的軽微な犯罪の第一審(刑事)と、少額の民事事件(民事)を扱う治安判事裁判所(Court of Magistrates)が設置されています。
裁判官の任命と司法の独立
マルタでは、司法の独立性が憲法によって保障されています。裁判官は、大統領が任命しますが、その際には司法任命委員会(Judicial Appointments Committee)の勧告に基づきます。この司法任命委員会は、首席判事(Chief Justice)、司法総裁(Attorney General)、会計検査院長(Auditor General)、オンブズマン、弁護士会会長など、複数の公的機関の長が委員を務める独立した組織です。この委員会が、裁判官候補者の適格性や能力を評価し、その勧告に基づいて任命が行われます。
これにより、政治的な影響力を排除し、司法の独立性を保とうとする仕組みが構築されています。また、裁判官には終身在任権(security of tenure)が与えられており、65歳まで(延長申請で68歳まで)その職務を全うすることが保障されています。罷免されるのは、職務遂行能力の欠如や非行が証明された場合に限られ 、懲戒手続きは、司法行政委員会(Commission for the Administration of Justice)内の小委員会によって行われ、その決定に対しては憲法裁判所への控訴が可能です。
マルタの刑事裁判における陪審制度

マルタの刑事司法において、特に重大な犯罪(殺人事件など)の第一審では、陪審制度が採用されています。これは、日本の刑事裁判における市民参加のあり方とは異なります。
マルタの裁判員制度では、裁判官1名と、一般市民から選ばれた9名の陪審員が裁判を構成します。裁判官の役割は、法的な問題(手続きの進行、証拠の適否、量刑など)を扱うことに限定されますが、陪審員の役割は、被告人が有罪か無罪かという事実認定のみを行うことにあります。陪審員は、有罪の評決を下すためには全員一致が必要です。最も重要な点として、陪審員が下した有罪・無罪の評決に対して、被告人や検察は控訴することができません。
日本の裁判員制度は、6名の裁判員と3名の裁判官が、共同で事実認定と量刑を決定する「混合型」の司法制度です。これに対し、マルタの陪審制度は、事実認定と法律判断を明確に分離する、伝統的な英米法系のモデルに則っています。そして、陪審員の事実認定(有罪・無罪の評決)は、刑事控訴裁判所( Court of Criminal Appeal)の管轄外とされており、その不可逆性が極めて強く、日本の裁判員制度よりも、陪審員の判断に重きを置いていることがうかがえます。
まとめ
マルタ共和国の法体系は、古代ローマから聖ヨハネ騎士団、イギリス、そして現代のEUに至るまで、多岐にわたる歴史的影響が重なり合って形成された、極めてユニークなものです。それは、民事法における大陸法系の伝統を維持しつつ、手続法や会社法においては英米法の原則を取り入れることで、複雑でありながらも実用的なシステムを構築してきました。
日本の法制度が、大陸法を基礎に体系的な整備を進めてきたのとは対照的に、マルタの法は、様々な要素が混在する「混合法域」として独自の発展を遂げてきたのだと言えます。
関連取扱分野:国際法務・海外事業
カテゴリー: IT・ベンチャーの企業法務