ノルウェー不動産法制の包括的法務ガイド

昨今の国際情勢において、日本企業によるクロスボーダーM&Aや海外不動産投資の対象は、伝統的な北米・西欧・東南アジアから、より政治的安定性とエネルギー安全保障に優れた北欧諸国へと広がりを見せています。中でもノルウェーは、世界最大級の政府年金基金(GPFG)を擁する堅固な財政基盤と、透明性の高い法制度を背景に、長期安定的な投資先として注目されています。しかし、ノルウェーへの進出を検討する日本の経営者や法務担当者にとって、スカンジナビア法圏特有の法概念―大陸法と英米法のハイブリッドとも言える独自の体系―は、デューデリジェンス(DD)や契約交渉における見えない障壁となることが少なくありません。
本レポートは、モノリス法律事務所のクライアントである日本企業の皆様に対し、ノルウェーにおける不動産取引の法的枠組みを、実務的な観点から網羅的に解説するものです。単なる条文の翻訳にとどまらず、登記制度(Tinglysing)における「公信力」の議論、租税回避スキームとしての「シェアディール」の支配的地位、そして近時の法改正により劇的に変化した「現状有姿(As-is)」条項を巡る法的リスクについて、日本の法制度(民法、不動産登記法、宅地建物取引業法等)との比較法的分析を通じて詳述します。
本稿の目的は、教科書的な概説を超え、現地の標準契約書(Meglerstandard)の条項解釈や、ノルウェー最高裁判所(Høyesterett)の最新判例に基づいた、実践的かつ戦略的なインサイトを提供することにあります。
この記事の目次
ノルウェー不動産法の基礎構造と登記制度(Tinglysing)
不動産取引の安全性において、権利関係の公示と第三者対抗要件は法的インフラの根幹をなします。日本法においては、民法177条に基づく登記が対抗要件となりますが、「登記に公信力なし」という原則が取引実務に大きな影響を与えています。対して、ノルウェーにおける登記制度(Tinglysing)は、歴史的背景を異にし、その法的効力において日本とは決定的な差異を有しています。
Tinglysing(公的登録)の歴史的・法的意義
「Tinglysing」という言葉は、ヴァイキング時代に遡る「Thing(ティング:民会)」において、権利関係を公衆の面前で宣言し(lysing)、周知させたことに由来します。この「公然性(Publicity)」の原則は現代にも承継されており、ノルウェーの不動産取引における透明性を担保する最重要概念となっています。
現代のTinglysingは、1935年登記法(Tinglysingsloven)によって規律されています。すべての不動産権利(所有権、抵当権、地役権等)は、国家機関であるノルウェー地図局(Statens kartverk)が管理する中央集権的なデジタル登記簿(Grunnboken)に記録されます。日本のように法務局が分散管理するのではなく、国家レベルで一元化されたデータベースであり、近年では電子登記が標準化されています。
第三者対抗要件(Rettsvern)と登記の機能
ノルウェーにおける不動産譲渡契約は、当事者間の合意のみで所有権移転の効力を生じます。この点、意思主義を採る日本民法(176条)と共通します。しかし、その所有権を第三者(特に売主の債権者)に対抗するためには、登記が不可欠となります。この「第三者に対する法的保護」を、ノルウェー法では「Rettsvern(Legal Protection)」と呼びます。
日本法と同様、ノルウェーにおいても所有権移転登記(Skjøteの登録)は法的義務ではありません。未登記のまま所有し続けることも理論上は可能です。しかし、登記法第20条、21条、23条等の規定により、登記を行わない買主は大きなリスクに晒されます。具体的には、売主が別の第三者に譲渡し先に登記された場合に権利を喪失する二重譲渡リスクや、売主が破産した場合に未登記の不動産が破産財団に組み込まれ買主が対抗できなくなるリスクなどが挙げられます。したがって、実務上は、クロージング(決済)と同時に電子的に登記申請を行い、即座にRettsvernを確保することが絶対的なスタンダードとなっています。
日本法との決定的相違:登記の「公信力」
日本の法務担当者が最も留意すべき点は、登記の「公信力(Public Faith)」に関する取扱いの違いです。日本の不動産取引では、登記簿を信頼して取引を行ったとしても、真の所有者が別に存在する場合(虚偽表示等)、原則として保護されません。そのため、日本の実務では、権利証の確認や司法書士による本人確認等、人的なデューデリジェンスが極めて重要視されます。
一方、ノルウェーの登記法第27条は、「肯定的公信力(Positive Credibility / Troverdighet)」に近い強力な効力を規定しています。登記簿上の権利者を真の権利者と信じて取引(売買や抵当権設定)を行い、かつ自身の権利を登記した善意(Good Faith)の第三者は、たとえ前主の権利が無効であったとしても、その権利を取得します。この規定により、ノルウェーにおけるタイトル(権原)のデューデリジェンスは、登記簿の記載に対する信頼度が極めて高いため、日本と比較して効率的に進めることが可能です。過去の権利変動の瑕疵が、善意取得によって「治癒」される機能が強いためです。
また、登記法第20条および21条は「否定的公信力」を定めています。これは、登記されていない権利は、善意の第三者に対抗できないという原則です。日本の民法177条と同様ですが、「善意」の要件がより厳格に解釈される傾向があります。
最高裁判例による「独自の対抗要件取得」の承認
近時、この登記絶対主義に風穴を開ける重要な最高裁判決(HR-2021-1773-A判決)が出されました。この事案では、買主が不動産を購入したものの、印紙税節約等の理由で登記を行わず、長期間占有していたところ、その後、売主の債権者が当該不動産を差し押さえました。
最高裁は、登記法上の対抗要件を欠いていても、買主が「長期間(20年以上)の排他的支配(Exclusive Possession)」を継続していた場合、時効取得(Hevd)の法理と同様に、登記なくして第三者(差押債権者)に対抗できる「独自の対抗要件取得(Selvstendig rettsvernshevd)」を認めました。この判決は、登記簿の信頼性を一部損なうものです。日本企業がノルウェーの不動産(特に地方の土地や古い産業施設)を取得・担保設定する場合、登記簿の確認だけでなく、現地の物理的占有状況の確認が、隠れた権利者(未登記の長期占有者)を炙り出すために不可欠であることを改めて示唆しています。
ノルウェーの取引ストラクチャーと税制 ~シェアディールの圧倒的優位性~

ノルウェーにおける商業用不動産取引においては、現物不動産の売買(Asset Deal)は極めて稀であり、不動産保有会社(SPV)の株式売買(Share Deal)が市場の大部分を占めると言われています。この偏重は、税制上の強力なインセンティブによって構造化されたものです。
印紙税(Document Duty / Dokumentavgift)の障壁
ノルウェーでは、不動産の所有権移転登記を行う際、印紙税(Document Duty)が課されます。その税率は、物件の「公正市場価格(Fair Market Value)」の2.5%です。日本の登録免許税や不動産取得税と比較すると一見低いようにも見えますが、ノルウェーには不動産取得税が存在しないため、この2.5%が唯一かつ最大の取引税となります。数十億円規模の取引において、取引額の2.5%がキャッシュアウトすることは、投資利回りに対し無視できない負のインパクトを与えます。
重要なのは、この税金が「実質的な所有権の移転」ではなく、あくまで形式的な「登記」に対して課される点です。したがって、登記を行わなければ課税されません。
シェアディール(株式譲渡)の税務的メリット
不動産そのものではなく、その不動産を保有する法人(通常は有限会社:AS)の株式を売買する場合、以下のようなメカニズムにより印紙税およびキャピタルゲイン税が免除されます。
| 項目 | アセットディール(現物売買) | シェアディール(株式売買) |
| 取引対象 | 不動産そのもの | 不動産を保有する法人の株式 |
| 印紙税 (2.5%) | 課税される(登記が必要なため) | 免除される(登記名義人が変わらないため) |
| キャピタルゲイン税 | 売却益に対し22%課税 | 免除される(参加免税制度の適用) |
| 対抗要件 | 登記(Tinglysing) | 株主名簿の書換え |
株式の譲渡は、不動産登記簿上の所有者(法人)を変更しません。法人の株主が変わるだけです。したがって、不動産登記手続きが発生せず、登記法に基づく2.5%の印紙税は法的に完全に免除されます。これは脱法行為ではなく、適法な節税スキームとして広く認知されています。
さらに強力なのが、キャピタルゲイン課税の免除です。日本企業が現地に持株会社を設立し、その会社を通じてターゲット企業の株式を売却する場合、「参加免税制度(Fritaksmetoden)」が適用されます。法人株主がEEA(欧州経済領域)内の居住法人の株式を保有・売却して得た譲渡益は、原則として非課税となります。この「取得時の印紙税ゼロ」と「出口での譲渡益税ゼロ」というダブルメリットが、シェアディールを一択の戦略としています。
潜在的税金(Latent Tax)と価格調整の実務
シェアディールを採用する場合、買主は不動産だけでなく、その会社の「税務上のポジション」も引き継ぎます。ここで生じるのが「潜在的税金(Latent Tax)」の問題であり、これが価格交渉の核心となります。
シェアディールでは、対象会社の資産(不動産)の税務上の簿価は、時価に洗い替えされず、旧簿価がそのまま引き継がれます。一般に不動産の時価は簿価より高いため、買主にとっては、将来の減価償却費の減少(損金算入できる金額が少なくなる)や、将来売却時の課税増(低い簿価に基づくため譲渡益が大きくなる)といったデメリットが生じます。この「将来発生しうる税負担」の現在価値を「潜在的税金」と呼びます。
買主は、この税務上のデメリットを引き受ける対価として、株式購入価格から一定額の減額(Discount)を要求します。市場における標準的な計算式と相場は以下の通りです。
| 計算要素 | 内容 |
| 名目上の潜在税額 | (不動産時価 - 税務簿価) × 法人税率(22%) |
| 割引率(Discount Factor) | 名目税額の100%ではなく、7% ~ 12%程度が一般的。 |
| 物件種別による変動 | 償却期間が長いオフィス等は割引率が低く、短い物流施設・工場等は高くなる傾向がある。 |
日本企業がノルウェーの不動産を購入する際、仲介業者から提示される利回りは、しばしばこの潜在的税金の影響を考慮していない表面利回りです。デューデリジェンスにおいては、対象会社の税務簿価を正確に把握し、適切な割引率を適用して買収価格を調整しなければ、実質的に市場価格より高値で掴まされるリスクがあります。
ノルウェー現状有姿(As-is)条項と売主の責任範囲
不動産取引における最大のリスクは、引渡し後の物理的欠陥(土壌汚染、構造欠陥、水漏れ等)を巡る紛争です。ノルウェーでは、不動産譲渡法(Avhendingslova)がこの分野を規律していますが、2022年1月1日の改正により、消費者保護と事業者間取引(B2B)のルールが大きく分断されました。
2022年法改正と消費者保護の強化
改正前は、消費者取引・商取引を問わず、ほぼ全ての不動産売買契約に「As-is(ノルウェー語:som den er)」条項が含まれていました。しかし、2022年の改正Avhendingslovaは、消費者が買主となる売却において、「As-is」条項の使用を全面的に禁止しました。これにより、売主は「知らなかった」という理由で免責されることはなくなり、10,000 NOK(約14万円)を超える修補費用が発生する欠陥については、原則として売主が責任を負うことになりました。
商取引(B2B)における「As-is」の生存とMeglerstandard
一方で、日本企業が投資用不動産を購入するような事業者間取引においては、契約自由の原則に基づき、依然として「As-is」条項の使用が認められており、実務上も標準(Meglerstandard)として定着しています。
商取引において「As-is」特約が付された場合、買主が売主の責任(契約不適合責任)を追及できるのは、主に以下の3つのケースに限られます。
- 情報の不提供:売主が知っていた、または知っているべき「重要な情報」を意図的に、あるいは過失により買主に伝えなかった場合。
- 虚偽情報の提供:売主が広告、説明資料、データルーム等において、事実と異なる情報を提供した場合。
- 実質的に劣悪な状態(Substantially Worse Condition):物件の状態が、購入価格やその他の事情から買主が期待すべき水準よりも「著しく」劣る場合。
日本法との比較:契約不適合責任の概念
日本の法務担当者にとって最も理解が難しいのが、上記の「実質的に劣悪」の閾値です。日本の民法における「契約不適合」は、「契約内容との不一致」があれば成立しますが、ノルウェーのB2B取引では、単なる不一致では足りず、その程度が甚だしいことが要求されます。
| 項目 | 日本(民法:契約不適合責任) | ノルウェー(B2B:As-is特約下) |
| 責任の名称 | 契約不適合責任 | 欠陥責任(Mangel) |
| 責任発生の閾値 | 軽微な不適合でも原則責任あり | 「実質的に劣悪」であること(修補費が価格の数%規模) |
| As-is特約の効力 | 有効だが、信義則等による制限あり | 有効。売主の故意・重過失がない限り広範に免責される |
| 買主の救済手段 | 追完請求、代金減額、解除、損害賠償 | 是正請求、代金減額、解除(重大な場合のみ)、損害賠償 |
判例法理(Kistebakkane判決等)によれば、この「著しさ」の判断において、修補費用が購入価格の5%~6%に達する必要があるという定量的基準が一つの目安とされてきました。最新の判例ではこの基準を絶対視せず総合考慮する傾向にありますが、依然としてハードルは高く、修補コストが取引額の3%未満のような軽微な欠陥では、B2B取引において売主の責任を問うことは極めて困難です。
ノルウェーの商業用賃貸借契約とMeglerstandard活用

不動産投資の価値は、そこから生み出されるキャッシュフロー(賃料)に依存します。ノルウェーにおける商業用賃貸借は、家屋賃貸借法(Husleieloven)によって規律されますが、商取引においては多くの規定が任意規定であり、契約による排除が可能です。
売買同様、賃貸借においても「Meglerstandard」と呼ばれる標準契約書が市場を支配しています。この標準契約書は、貸主に有利な内容となる傾向があり、以下のような特徴があります。
- トリプルネット(Triple Net)に近い構造:固定資産税、保険料、維持管理費等の運営コストは、原則として借主が負担する構造になっています。
- VAT(付加価値税)調整条項:ノルウェーでは、不動産賃貸自体はVAT免税ですが、事業用賃貸借の場合、貸主がVAT課税を選択することで、建築費等の仕入税額控除を受けることが一般的です。借主の事業内容変更によりVAT控除が否認された場合の補償条項が含まれています。
日本企業が現地オフィスを借りる場合、または投資物件のテナントとの契約をレビューする場合、注意が必要です。特に契約期間については、日本の借地借家法のような「正当事由なき更新拒絶の禁止」という強力な借主保護はなく、期間満了により契約は確定的に終了するのが原則です。
ノルウェーの公法規制と外国人土地保有
コンセッション法と居住義務
ノルウェーにはコンセッション法(Konsesjonsloven)があり、特定の不動産取得には自治体の許可が必要です。しかし、開発済みの土地や、一定規模未満の不動産取得においては、許可は不要であるか、簡易な自己申告で済むケースが大半です。日本企業による通常のオフィスビルや商業施設の取得において、この法律が取引の障害になることは稀ですが、農地転用を伴う開発案件や、別荘地の取得においては、「居住義務」が課されるリスクがあるため、事前の調査が必要です。
計画建築法
不動産の利用・開発は、計画建築法によって厳格に規制されています。日本の都市計画法や建築基準法に相当しますが、ノルウェーでは自治体の権限が強く、詳細なゾーニング計画が策定されています。特に「シェアディール」で不動産を取得する場合、建物が現行の建築基準や防火基準に適合していないリスク(違法建築リスク)も株式と共に引き継ぐことになるため、建築確認済証の存在確認は必須です。
まとめ
ノルウェーの不動産市場は、法的透明性が高く、外国人投資家に対して開かれた市場です。しかし、「As-is」条項による厳格な買主自己責任原則と、「シェアディール」中心の高度に金融化された取引慣行は、日本の伝統的な不動産取引とは異なるスキルセットを要求します。「登記の信頼」と「契約前の徹底的な物理的調査」―この二つを車の両輪として、適切な専門家の助言の下でリスクをコントロールすることが、北欧投資成功の鍵となります。
モノリス法律事務所では、こうした現地の法制度や商慣習に精通し、日本企業の皆様が安心してノルウェーでの不動産取引を行えるよう、契約交渉からデューデリジェンスの実施、クロージングに至るまで、包括的なサポートいたします。日本法との差異を深く理解した上でのアドバイスにより、クロスボーダー取引に伴うリスクを最小限に抑え、皆様のビジネス展開を支援させていただきます。
カテゴリー: IT・ベンチャーの企業法務

































