マルタ共和国の海商法が定める登録制度・抵当権制度とトン数税制

マルタ共和国は、世界有数の規模を誇る船舶登録国として、国際海運業界において極めて重要な地位を確立しています。現在、マルタはヨーロッパ最大の船籍国であり、世界全体でも主要な地位を占めています。これは、単に低コストや規制の緩やかさといった側面だけではなく、国際的な慣行に適合し、時代の変化に応じて柔軟に進化してきた法的枠組によるものです。マルタの海商法の中核をなすのは、1973年に制定された商船法(Merchant Shipping Act, Chapter 234, Laws of Malta)で、英国法を基礎としつつ、1986年、1988年、1990年、2000年と繰り返し改正されてきました。
マルタが国際海洋法において信頼性を築いてきた背景には、1967年にマルタの外交官アルヴィッド・パルドが国連で提唱した「海洋の共通遺産(common heritage of mankind)」という構想があります。この構想は、海洋資源が特定の国家に独占されることなく、人類全体で共有されるべきという原則を打ち出し、後の国連海洋法条約(UNCLOS)の礎を築いたものであると言われています。
マルタ海商法は、外国籍の個人や法人にも門戸を開放する「オープンレジストリ」という特徴を有しており、これは日本の法律とは異なる、国際的なビジネスに特化した制度です。この制度の主要な柱は三つあります。第一に、所有者の国籍を問わない柔軟な船舶登録制度。第二に、金融機関の権利を強力に保護する船舶抵当権制度。そして第三に、EUの枠組みに準拠したトン数税制による税制優遇です。これらの法的・制度的特徴は、国際的な海運ビジネスを展開する海外企業にとって、非常に重要な要素となります。
本記事では、マルタ海商法が定める船舶の登録制度・抵当権制度とトン数税制について弁護士が詳しく解説します。
この記事の目次
マルタにおける船舶登録制度と国際取引の迅速性
マルタの船舶登録制度は、商船法(Merchant Shipping Act)に基づいており、その運営は「Transport Malta」の商船局(Merchant Shipping Directorate)が担っています。この制度の最大の特徴は、「オープンレジストリ」という制度です。この制度により、マルタでは、所有者の国籍を問わず、マルタ、EU、または欧州経済領域(EEA)の個人、あるいは国籍を問わない法人やその他の合法的な事業体による船舶所有が認められています。ただし、マルタ非居住者の法人または個人の場合、マルタ国内に常駐代理人(Resident Agent)を任命することが義務付けられています。これは、日本の法律が日本国民や日本の会社など、所有者の国籍を厳格に限定している点と大きく異なります。
そして、この制度を構成する重要な要素が、「仮登録(Provisional Registration)」制度です。マルタ法では、船籍港をマルタと定めた船舶は、まず6ヶ月間(延長により最長1年間)の仮登録を行うことができます。この期間中に、売買証書、旧船籍の登録抹消証明書、測度証明書などの正式な書類を提出することで、恒久登録に移行します。
このマルタの「仮登録」制度は、日本の船舶法に規定される「仮船舶国籍証書」とはその目的と機能において異なります。日本の船舶法第10条に定められる「仮船舶国籍証書」は、「船舶が船籍港を管轄する管海官庁の管轄区域外で取得された場合」など、やむを得ない事由がある場合に、一時的な航行を許可するためのいわば「仮免許」です。この証書は、船舶が船籍港に到着すれば、たとえ有効期間内であっても失効します。一方、マルタの仮登録は、国際的な船舶取引の迅速性と効率性を高めるために設計された仕組みです。買主は世界中のどこで船舶を取得しても、正式な書類手続きを並行して進めながら、直ちにマルタ旗を掲げて商業運航を開始することが可能です。
このように、マルタの制度は、グローバルな海運ビジネスのスピード感と利便性を最優先に設計されていると言えるでしょう。日本の事業者が海外で船舶を売買する際、マルタの仮登録制度を利用することで、取引完了後直ちに船舶を商業運航に供することができ、時間的なロスを最小限に抑えることが可能となります。
マルタにおける船舶抵当権制度

マルタ海商法が国際的な海運ビジネスにおいて優位性を持つもう一つの重要な要素は、船舶抵当権に関する強固な法的保護にあります。マルタ法において、船舶に対する抵当権は、登録簿に適切に記録されることによって第三者に対する対抗力を備えます。抵当権の優先順位は、登録された日時によって決定されるため、債権者間の権利関係は非常に明確です。
マルタの船舶抵当権は、単なる担保権にとどまらず、「執行権原(executive titles)」として機能する点が特徴です。債務不履行が発生した場合、抵当権者は煩雑な訴訟手続きを経ることなく、裁判所に申し立てを行うことで迅速に船舶の司法売却(Judicial Sale)を進めることができます。この手続きは、裁判所の監督下で効率的に実施され、債権者が資金を回収するまでの遅延を最小限に抑えるように設計されています。
日本の法律における船舶抵当権制度と比較すると、マルタの制度は、金融機関の保護をより重視していると言えます。日本の船舶抵当権も、登記によって第三者対抗力を持ち、優先順位は登記の先後によって決まる点ではマルタ法と共通しています。しかし、日本の商法には、海難救助料、船員の賃金、港湾使用料などの債権に「船舶先取特権」が付与されており、これは登記の有無にかかわらず、船舶抵当権よりも優先される強力な権利です。日本の制度では、金融機関は予期せぬ船舶先取特権の発生によって担保価値が損なわれるリスクを常に抱えることになります。これに対し、マルタ法は抵当権に優先する法定の船舶先取特権を設けておらず、抵当権者の立場をより明確に、かつ強力に保護します。この違いにより、日本の事業者が船舶取得の際に融資を検討する場合、マルタの法制度の方が、より有利な条件を引き出しやすいと言えます。
マルタのトン数税制
マルタ旗籍船が国際海運業界で選ばれる大きな理由の一つに、魅力的な税制があります。特に、「トン数税制(Tonnage Tax Regime)」は、海運事業から生じる所得を法人税から免除する仕組みとして、日本の事業者にとっても大きなメリットとなり得ます。この制度は、商船法(税制及び海運事業体に関するその他の事項)規則(Merchant Shipping (Taxation and Other Matters relating to Shipping Organisations) Regulations)によって定められており、特定の要件を満たす海運事業から生じる所得は課税対象から除外されるというものです。
重要なのは、この制度が単なる租税回避策ではない点です。マルタはEU加盟国であり、このトン数税制はEUの「海事分野における国家援助に関するガイドライン」に準拠し、欧州委員会からも承認を得ています。適用を受けるためには、「真正な海運事業体(genuine shipping organisation)」として事業を運営すること、また、船舶の総トン数の60%以上をEU/EEA加盟国の旗籍で運航するといった要件を満たす必要があります。さらに、海運活動による収益とその他の事業による収益を区別して会計処理を行うことなども求められます。
国際運輸労連(ITF)によれば、マルタ旗が「便宜置籍国(Flag of Convenience)」として挙げられることがあります。ただ、一般的な便宜置籍国が、国際法規の遵守や労働基準の適用に緩やかであるのに対し、マルタはEU加盟国として、IMO(国際海事機関)やILO(国際労働機関)の主要な国際条約のほとんどを批准しています。
特に、船員の労働条件を定めた海上労働条約(Maritime Labour Convention, MLC)についても、マルタは国際基準を厳格に遵守し、2025年には金融保護、通信環境の向上、衛生的な食事の提供などを義務付ける重要な改正規則を施行しています。
マルタの海難救助と損害賠償責任に関する法規

マルタの海難救助に関する法規は、国際的な慣行に準拠しており、日本の法律との間に大きな違いは見られません。マルタは国際海難救助条約に直接署名しているわけではありませんが、その内容は「商船法」の第342条から第346条に規定されており、国際慣行に沿った救助料の支払いを定めています。
マルタ法においても、救助料の支払いには「不成功無報酬の原則(No Cure, No Pay)」が適用されます。これは、救助活動が成功して初めて報酬が支払われるという海事法上の伝統的な原則です。救助料の額は、救助の成功度、救助者の努力、救助活動中に生じた危険の程度、費用、損失など、複数の要素を考慮して決定されます。この点も、日本の商法における海難救助の規定と共通しています。また、人命救助単独では金銭的報酬の対象とならない点も両国の制度で共通しています。
なお、船舶の衝突による損害賠償責任については、マルタ民法第1031条に定められた一般的な不法行為(tort)の規定に基づき、過失責任の原則が適用されることになります。
まとめ
論点 | マルタ法 | 日本法 |
船舶所有者の国籍 | 法人であれば国籍を問わないオープンレジストリ。非居住法人は常駐代理人設置が必要。 | 日本の官公庁、国民、およびその代表者等の過半数が国民である会社等に厳格に限定。 |
船舶登録時の仮登録 | 最長1年間まで可能な「仮登録」制度があり、その期間中に正式登録手続きを完了する。 | やむを得ない事由がある場合に発行される「仮船舶国籍証書」は一時的な航行目的の書類。船籍港到着で失効。 |
船舶抵当権の保護 | 抵当権が「執行権原」として機能し、迅速な強制執行が可能。 | 船舶抵当権は、海難救助料や船員賃金などの船舶先取特権に劣後する。 |
海運事業への課税 | トン数税制により、特定の要件を満たす海運事業からの所得は免税となる。 | 一般的な法人税制が適用される。 |
このように、マルタ海商法は、単なる船舶登録の利便性だけでなく、様々な優位性を有しています。第一に、所有者の国籍を問わず、迅速な仮登録を可能にする柔軟な船舶登録制度は、国際的な船舶取引を円滑に進める上で、時間的なロスを最小限に抑えることを可能にします。第二に、抵当権者の地位を強固に保護する船舶抵当権制度は、日本の制度とは異なり、金融機関に対する担保価値毀損のリスクを大幅に低減させ、より有利な条件で資金調達を行うための交渉力を高めることにつながるでしょう。そして第三に、EUの厳格な法的枠組みに準拠したトン数税制は、国際的な海運事業から生じる所得を非課税とすることで、長期的な税制上のメリットをもたらします。これらの制度は、国際競争が激化する海運業界において、日本の事業者がグローバルな海運ビジネスを行うための強力な武器となり得ると言えるでしょう。
関連取扱分野:国際法務・マルタ共和国
カテゴリー: IT・ベンチャーの企業法務