ブラジルの法律の全体像とその概要を弁護士が解説

ブラジル(正式名称、ブラジル連邦共和国)は、南米最大の経済大国であり、その広大な国土と約2億2,000万人の人口が形成する巨大な市場は、多くの日本企業にとって魅力的なビジネス機会を提供しています。しかし、ブラジルへの事業展開を検討する上で、その法制度が日本と多くの点で異なることを深く理解しておくことが不可欠です。ブラジルは1822年にポルトガルから独立し、その後、日本と同様に成文法を中核とする大陸法系の法体系を発展させてきました。しかし、その歴史的背景や社会経済的構造の違いから、特に労働法や税法、司法制度においては、日本とは大きく異なる独自の仕組みを構築しています。
特に注意すべきは、労働者保護を強く志向する法制度や、多層的で複雑な税制です。これらは、予期せぬコストやリスクとして、進出を検討する企業の足かせとなり得ます。また、近年では、国際的な潮流に合わせた移転価格税制の歴史的な大改正や、中央銀行主導の即時決済システム「Pix」の急速な普及など、ビジネス環境を根本から変えるような動きも活発です。
本稿では、ブラジルでのビジネス展開を検討している日本の経営者や法務担当者の皆様に向けて、ブラジル法制度の全体像を専門的に解説し、特に日本法と比較して注意すべき法律や制度について詳しく掘り下げていきます。
この記事の目次
ブラジルの法体系と司法構造
連邦制と大陸法系の法体系
ブラジルの法制度は、日本の法制度と同様に、ローマ法を起源とする「大陸法系」に属し、憲法や法律といった成文法が法体系の中心を占めています。この点において、判例法主義を基本とする英米法系とは大きく異なります。
しかし、日本とブラジルの最も根本的な違いは、ブラジルが「連邦共和制」を採用している点にあります。これにより、法体系は連邦法、州法、市町村条例といった多層的な構造を持ち、事業活動を行う州や市によって適用される法律や規制が異なる場合があります。日本の法律は国全体に一律に適用されることが原則ですが、ブラジルでは連邦法が主要な法律分野を規定しつつも、州や市が独自の立法権を行使できるため、地域ごとの法的環境を把握することが重要になります。
二重構造の司法制度と特別な裁判所
ブラジルの司法制度もまた、日本のそれとは異なる独特な構造を持っています。日本の裁判所が最高裁判所を頂点とする単一の階層構造であるのに対し、ブラジルでは連邦最高裁判所を頂点とする「連邦裁判所系列」と、各州に設置された「州裁判所系列」に大きく分かれます。州裁判所は一般的な民事訴訟や刑事訴訟を管轄する一方、連邦裁判所は連邦政府が当事者となる事件や憲法問題を扱います。
これらに加え、ブラジルには「労働」「選挙」「軍事」といった特定分野を専門に扱う特別な連邦裁判所が存在します。特に、労働者と使用者間の紛争を専門に扱う「労働裁判所」は、日本企業が最も関わる可能性が高い裁判所の一つです。
ブラジルの労働裁判所は、単に労働紛争を扱う専門の裁判所であるというだけでなく、その運用思想において重要な特徴を持っています。ブラジルの労働法は「統合労働法(CLT)」を根幹としており、この法律は労働者を社会的弱者、使用者を搾取者とみなす強い労働者保護の思想に基づいて制定されました。労働裁判所は、このCLTの思想に基づき裁判を運用するため、労働訴訟においては企業側が不利な立場に置かれやすいという構造的な問題があります。
この構造は、ブラジルにおける労働紛争が、日本の一般的な裁判とは切り離された、独自の法体系と司法インフラの中で処理されることを意味します。これにより、企業は労働問題を一般的な法務リスクとしてではなく、専門的かつ重大なリスクとして捉える必要があります。訴訟件数が非常に多く、裁判官の不足による訴訟の長期化も問題となっています。したがって、日本企業は、ブラジルでの人事・労務戦略を策定する際には、訴訟リスクを最小化するための事前対策を講じることが不可欠です。
訴訟文化と手続の特徴
ブラジルでは訴訟の数が非常に多く、第一審の裁判が終了するまでに3年前後かかることも珍しくなく、案件によっては20年続くこともあります。この訴訟遅滞の問題は、紛争当事者双方にとって大きな不利益をもたらします。そのため、和解が広く利用される傾向にあり、2016年に施行された新民事訴訟法では、訴訟提起後にまず当事者間の調停手続きが設定されるようになりました。
日本の民事訴訟では、原則として自己の弁護士費用は自己負担ですが、ブラジルでは「弁護士費用敗訴者負担」制度が採用されています。これは、敗訴した当事者が相手方の弁護士費用を支払う義務を負うというものであり、この費用は、敗訴額の10%から20%の間で裁判所が決定します。
この制度は、訴訟リスクの評価を根本的に変えるものです。日本では、訴訟を提起する場合、敗訴しても相手方の弁護士費用を負担するリスクは考慮する必要がありませんが、ブラジルでは、本案の賠償額に加えて、相手方の弁護士費用という追加コストのリスクを考慮しなければなりません。さらに、訴訟の長期化に伴い、判決時の認定金額が当初の請求金額と大きく異なることがあり、民事事件では月に1%の法定利子が加算されるため、敗訴時の金銭的負担はさらに増大する可能性があります。このため、日本企業は、ブラジルでの紛争に際して、勝訴の確実性が低い案件では、訴訟費用と敗訴リスクを慎重に比較検討し、和解を選択肢として強く考慮する必要があるでしょう。
ブラジルへの海外企業の進出形態と会社設立

現地法人設立の必要性
ブラジルへの事業進出において、日本企業が選択できる形態は限られています。ブラジルには、駐在員事務所という法的概念が存在せず、また、外国企業の支店設立には連邦政府による事前認可が必要とされ、特別なケースを除いて認可されることはほとんどありません。このため、ブラジルに進出する日本企業のほとんどが、現地法人を設立するという形態を選択することになります。
主流となる会社の形態
ブラジル法上、最も一般的に利用される会社の形態は、日本の合同会社に相当する「有限会社(Sociedade Limitada:LTDA)」と、株式会社に相当する「株式会社(Sociedade Anônima:S.A.)」です。
- 有限会社(LTDA):設立手続きが比較的単純であり、設立コストも低く、会社の機関設計の柔軟性が高いため、特に中小規模の企業に適しています。ブラジルに設立された日系子会社の大部分はこの形態をとっています。最低資本金の規定はなく、原則として出資者2名で設立でき、出資者の責任は出資額に限定されます。取締役は1名でよく、取締役会の設置は任意です。また、前年の総資産が2億4,000万レアル超、または年間売上高が3億レアル超の「大規模有限会社」を除き、財務諸表の開示義務はありません。
- 株式会社(S.A.):大規模な公開会社に適しており、公開会社は取締役会と経営審議会の設置が義務付けられています。非公開会社の場合は、機関設計がより柔軟になります。こちらも最低資本金の制限はありませんが、株主の最低人数は2名とされています。
会社設立手続の独自要件
ブラジルで会社を設立する際には、日本とは異なる独自の要件が存在します。特に注意すべきは、「法定代理人」の登録義務と、「親会社の税務登録」義務です。
- 法定代理人(Legal Representative)の指名:ブラジルに法人を設立する場合、現地居住権を持っている者を「法定代理人」として必ず登録しなければなりません。この法定代理人は、外国の親会社に代わって、ブラジル国内で法的な責任を負う窓口となります。多くの日系企業では、赴任する駐在員が永住ビザを取得して法定代理人となるケースが多いとされています。
- 親会社のCNPJ(税務登記番号)取得:2002年以降、外国資本の企業をブラジルに設立する場合、その親会社もブラジルの税務登記番号「CNPJ(Cadastro Nacional da Pessoa Jurídica)」を取得することが義務付けられています。
これらの要件は、単なる手続き上の形式ではありません。これらは、ブラジル当局が外国投資家を国内法体系の下に明確に位置づけ、コンプライアンスをより厳格に管理しようとする意図の表れと解釈できます。法定代理人の義務付けは、海外の親会社に代わり、ブラジル国内で法的な責任を負う窓口を確保する目的があると考えられます。さらに、親会社にCNPJ取得を義務付けることで、ブラジル政府は親会社と子会社の関係を税務上、より厳格に管理することが可能となります。
日本企業は、この独自の要件を理解し、会社設立の初期段階から現地の弁護士や会計士と連携し、必要な手続きを漏れなく進めることが不可欠です。特に、親会社の登記簿謄本や定款の公証・認証、そしてポルトガル語への公的翻訳など、日本企業が不慣れな手続きが多く存在するため、専門家のサポートは必須と言えます。
労働者保護を強く志向するブラジルの労働法制
労働法(CLT)の歴史的背景
ブラジルの労働法は、1943年に制定された「Consolidação das Leis do Trabalho(CLT)」が根幹にあります。CLTは、制定当時から労働者保護を強く志向しており、労使対立の緩和や工業化の推進を目的としていました。その思想は長らく変わることがありませんでしたが、1990年以降の経済自由化とグローバル化の中で、その硬直性が経済成長を阻害する「ブラジルコスト」の一つとして批判に晒されるようになりました。こうした背景から、2017年には大幅な改正が行われ、個別の労働契約や労働協約が法律に優先するようになるなど、一部で労働条件の柔軟化が進みました。
解雇制度
日本の労働契約法では、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当と認められない解雇は無効となります。一方、ブラジルでは、正当な理由がない解雇(不当解雇)の場合、雇用主が「勤続年数保証基金(FGTS)」の残高に40%の追加罰金を上乗せして支払う必要があります。
このFGTS制度は、日本の退職金制度とは全く異なる性質を持っています。日本では企業が退職金制度を任意で設け、退職時に支払うことが一般的ですが、ブラジルでは、雇用主が毎月、労働者の給与の一定割合をFGTS口座に強制的に積み立てることが義務付けられています。そして、正当な理由のない解雇の場合、雇用主は既に積み立てた金額とは別に、FGTS口座の総残高の40%に相当する追加費用を支払うことが要求されます。この「FGTSの40%罰金」は、人員の新陳代謝を図る際の大きな障壁となり、企業に解雇をためらわせる効果を生み出します。
この制度は、ブラジルへの進出を検討する企業が、人員計画や事業撤退の可能性を検討する上で、極めて重要な要素となります。安易な人員削減は重大な財務リスクを伴うため、採用から慎重な計画が求められます。なお、懲戒解雇(正当な理由のある解雇)の場合、従業員は解雇予告手当やFGTSの引き出し、40%の罰金などを受け取る権利を失いますが、その要件はCLT第482条に厳格に定められています。
その他の労働条件
ブラジルでは、従業員には勤続12ヶ月で30日間の年次有給休暇が付与されます。これは、日本の年間有給休暇付与日数(最大20日)と比べて多いのが特徴です。有給休暇は欠勤日数によって日数が変動する仕組みとなっており、1年間の欠勤が5回以下の場合は30日、24回から32回の欠勤がある場合は12日間に減ります。
ブラジルの税法と資金決済法

連邦・州・市町村税による税制度
ブラジルの税制は、連邦、州、市町村がそれぞれ税を課すという非常に複雑な構造を持っています。日本の税制が国税として一本化されているのとは対照的です。
主要な税金には、実質利益に課税される法人所得税(IRPJ)と、法人利益に課される社会負担金(CSLL)があり、これらを合わせた実質的な法人税率は、多くの企業で34%に達します。このほか、工業製品の通関や製造施設からの搬出時に課税される工業製品税(IPI)や、企業の総収入に対して課税される社会統合基金(PIS)および社会保険融資負担金(COFINS)など、多岐にわたる税金が存在します。
この多層的な税制は、単に税率が高いという問題に留まらず、経理・税務コンプライアンスの複雑さを劇的に増大させ、外国企業に予期せぬ行政コストやリスクをもたらします。企業は、単一の税法ではなく、複数の管轄区域の異なる税法と規制を同時に遵守する必要があることを意味します。これにより、経理システムの構築、税務申告、監査、そしてコンプライアンス管理が非常に煩雑になります。特にPIS/COFINSのような付加価値税的な性格を持つ税金は、取引ごとに異なる計算が必要となり、システム投資や専門人材の確保が不可欠となります。日本企業は、事業計画段階からブラジルの税務専門家と密に連携し、どの州で事業を展開するか、どのような納税方式を選択するかといった戦略的な意思決定を行う必要があります。
移転価格税制
ブラジルは長らく、経済協力開発機構(OECD)の独立企業原則(Arm’s Length Principle)とは異なる独自の移転価格税制を採用してきました。この制度は、多くの日本企業を含む外国企業にとって、税務リスクとコンプライアンス上の課題となっていました。特に、米国などでの外国税額控除の認識に関する大きな障壁となっていました。
しかし、ブラジル連邦歳入庁とOECDとの数年にわたる共同作業を経て、ブラジルは2024年1月1日から、OECDの原則に準拠した新移転価格税制を強制適用しています。この大改正は、単なる税制変更ではなく、ブラジルが国際的なビジネス規範に適合し、よりグローバルな投資を誘致するための国家戦略の一環と解釈できます。新法の目的には、二重課税と二重非課税の回避や、ブラジルのグローバル経済原則への参加促進などが挙げられています。
この改正は、従来の制度が逆に外国企業の進出意欲を削ぎ、国際的な摩擦を生み出していることをブラジル政府が認識した結果であると考えられます。新法への移行は、短期的な税収よりも、長期的な外国投資の増加と、国際社会での信頼性向上を優先するという戦略的判断です。これにより、日本企業にとって、ブラジル事業における国際税務リスクを管理しやすくなる可能性が出てきました。一方で、新ルールへの移行に伴う新たなコンプライアンス要件(文書化、調整手続きなど)に迅速に対応する必要があります。
資金決済法とPix
ブラジル中央銀行が2020年に導入したリアルタイム決済システム「Pix」は、迅速かつ手数料無料の利便性から急速に普及し、今やブラジル国内の主要な決済手段となっています。2024年第2四半期には、決済シェアの45%を占め、クレジットカードやデビットカードを大きく上回っています。日本企業がブラジルでECビジネスなどを展開する際には、このPixへの対応が不可欠となります。
また、暗号資産についても、決済手段としての法的根拠が与えられ、中央銀行による監督が予定されるなど、規制環境が整備されつつあります。
ブラジルの新たなビジネス領域と許認可・規制
個人情報保護法(LGPD)
ブラジルの個人情報保護法「Lei Geral de Proteção de Dados(LGPD)」は、EUのGDPRに強い影響を受けており、日本や米国よりも厳しい内容とされています。LGPDは、ブラジル国内で個人データの処理が行われる場合、またはブラジル国内の個人を対象とする商品・サービスの提供を目的とする場合に適用されます。日本の個人情報保護法が、それ単体では個人を特定できないクッキーなどを個人情報として扱わないことがあるのに対し、LGPDはより厳格な基準を設けています。
LGPDに違反した場合の罰則は、ブラジルでの年間売上高の2%以内、または上限5,000万レアル(約15億円)のいずれか高い方と定められており、GDPRの罰金よりは少ないものの、高額な制裁金が課される可能性があります。
医薬品・医療機器関連法(ANVISA)
日本の薬機法に相当するブラジルの医薬品・医療機器関連法は、国家衛生監督庁(Agência Nacional de Vigilância Sanitária:ANVISA)が管轄しています。この分野での事業展開には、ANVISAの許認可(ANVISAライセンス)の取得が不可欠です。
ANVISAの規制は、単に製品の安全性を審査するだけでなく、外国企業に対してブラジル国内に恒久的な法的主体を確立し、リスクに応じた厳格な手続きを踏むことを要求します。ブラジルに拠点を置かない外国の医療機器製造業者は、必ず「Brazil Registration Holder(BRH)」を指名しなければなりません。BRHは、ANVISAとの連絡窓口となり、機器登録を管理し、製造業者に代わってANVISAの実地監査に対応する責任を負います。これは、ANVISAが物理的な拠点を伴う明確な責任主体を国内に求めていることを示しています。販売代理店とは独立した第三者をBRHに指名することが推奨される点からも、当局が責任の所在を明確にしたいという意図が見て取れます。
製品はリスク分類され、低リスク(クラスⅠ/Ⅱ)は「通知(Notificação)」、高リスク(クラスⅢ/Ⅳ)は「登録(Registro)」という異なる手続きが必要となります。高リスク製品の登録は10年間で期限が切れますが、低リスク製品は期限がありません。このリスクベースの認証制度は、安全性の高い製品には迅速な市場投入を促す一方で、高リスク製品には長期にわたる厳格な審査を課すものであり、時間とコストを要する手続きを要求します。したがって、医療・ヘルスケア分野でブラジル進出を検討する企業は、事業戦略の初期段階からBRHの選定と製品の正確なリスク分類を行い、長期的な登録計画を立てる必要があります。
AI技術と広告規制の動向
ブラジルでは、EUのAI規制に類似した「リスクベースアプローチ」を採用するAI規制法案が、上院で承認され、現在、下院で審議されています。この法案は、過度なリスクを持つAIシステムを禁止し、高リスクシステムには追加の安全要件を課すものです。また、AIシステムの使用者が公正性、透明性、理解の容易さを確保することを要求しています。違反した場合の罰則は、企業の年間売上高の2%または上限5,000万レアルと、LGPDと同様に高額な制裁金が設けられています。
広告規制については、CONAR(国民広告自主規制評議会)という自主規制機関が主導しており、特に賭博関連の広告など、特定の分野に詳細な規則を設けています。
まとめ
ブラジルの法制度は、連邦制の多層性、労働者保護を強く志向する法体系、そして絶えず変化する税制や新技術への規制など、日本のそれとは多くの点で異なり、特に注意が必要です。会社設立から、労働者の雇用、税務コンプライアンス、そして紛争対応に至るまで、予期せぬリスクや課題に直面する可能性があります。
しかし、これらの法的特性を事前に深く理解し、適切な専門家の助言を得ることで、リスクを最小限に抑え、ブラジルの巨大な市場で成功を収めることが可能になります。モノリス法律事務所では、企業の皆様の事業計画策定から、現地法人の設立、日々のコンプライアンス、そして紛争対応に至るまで、包括的なリーガルサポートを提供しています。ブラジル進出に関するご相談がございましたら、お気軽にお問い合わせください。
関連取扱分野:国際法務・海外事業
カテゴリー: IT・ベンチャーの企業法務
タグ: 海外事業