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法律記事MONOLITH LAW MAGAZINE

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セルビアの法律の全体像とその概要を弁護士が解説

セルビアの法律の全体像とその概要を弁護士が解説

セルビア(正式名称、セルビア共和国)は、バルカン半島の中央に位置する内陸国であり、近年、欧州における重要なビジネス拠点としての地位を確立しつつあります。外務省のデータによると、同国は2014年に欧州連合(EU)加盟交渉を開始し、現在も加盟に向けて法制度の整備を精力的に進めています。この取り組みは、EUの厳格な基準に合わせた法改正を促しており、投資家にとって予測可能性の高い法的環境を形成しています。また、近年では経済成長が顕著であり、特に情報通信技術(IT)分野においては、優秀な人材と競争力のある賃金水準を背景に、活発な投資が続いています。 

セルビアの法制度は、日本と同様に大陸法系(Civil Law System)を基本とし、成文化された制定法を中心に法体系が構築されています。このため、日本の経営者や法務部員にとって、民法や会社法の基本的な概念は理解しやすいものです。しかし、その歴史的背景、特に旧ユーゴスラビア連邦の解体という独自の過程を経て発展した点や、EU加盟に向けた大規模な法改正が進行中である点は、日本の法体系と異なる重要な特徴です。

本稿では、これらの点を踏まえ、セルビアへのビジネス展開を検討する上で不可欠な法律知識を、日本法との比較を交えながら体系的に解説します。 

セルビアの法体系と司法制度の全体像

日本との比較から見る法体系の特質

セルビアの法体系は、日本と同じく大陸法系に属し、憲法、法律、国際条約、その他の規則が主要な法源となります。2006年に国民投票を経て制定された現行憲法が最高法規であり、法体系の基礎を形成しています。 

日本の法体系と比較する上で特に注目すべきは、その歴史的背景と、EU法との調和という二つの動向です。セルビアの民法典は1844年に制定され、当時のオーストリア民法典をモデルとしていました。これは、ナポレオン法典やオーストリア法典に次ぐ、ヨーロッパで3番目の民法典であり、その起源が日本と同じ大陸法系の源流に属することを示唆します。この共通の歴史的ルーツから、財産権、契約、不法行為といった基本概念は日本法と類似しているため、日本の法務実務家にとって、セルビアの契約法や債務法を理解する上でのハードルは低いと考えられます。 

しかし、その後の歴史は異なります。セルビアは旧ユーゴスラビア連邦社会主義共和国という歴史を経ており、法体系には社会主義的な要素が影響を与えた時期も存在しました。この影響は、1990年代の連邦解体後に刷新され、現代的な市場経済の原則に基づく法制度へと移行しています。また、セルビアはEU加盟交渉の正式候補国であり、法制度をEU法に完全に調和させることを目指しています。このため、企業法務においては、EUの一般データ保護規則(GDPR)やEU AI法といったEUの主要法規を理解することが、セルビア法を理解する上で不可欠となります。

司法制度と裁判所の構造

セルビアの司法制度は、憲法第4条に規定される三権分立の原則に基づき、独立した地位を保障されています。日本の司法制度が裁判官の独立を基盤とするのと同様に、セルビアの裁判官も憲法と法律にのみ責任を負い、その職務執行への影響は禁止されています。 

セルビアの裁判所は、一般管轄裁判所と特別管轄裁判所の2種類に大別され、それぞれが多層的な構造を形成しています。 

  • 一般管轄裁判所:軽微な事件を扱う基礎裁判所(Basic Courts)が第一審となり、その上級審として高等裁判所(High Courts)が位置付けられます。さらにその上には控訴裁判所(Appellate Courts)があり、最上位に位置する最高破毀裁判所(Supreme Court)が最終審を管轄します。 
  • 特別管轄裁判所:商事裁判所(Commercial Courts)、行政裁判所(Administrative Court)、軽犯罪裁判所(Misdemeanour Courts)など、特定の種類の紛争を専門的に扱う裁判所が存在します。 

日本の裁判所制度では、商事事件は原則として地方裁判所の民事部が管轄しますが、セルビアでは商取引に関する紛争を専門的に扱う商事裁判所が独立して存在します。この専門裁判所は、会社設立に関する紛争や破産手続きなど、企業活動に特化した紛争を専門的に扱うため、商事紛争の迅速かつ専門的な解決に資すると考えられます。日本の事業者にとって、現地で取引上の紛争が生じた場合、専門的な知識を持つ裁判官によって裁かれる可能性が高いことは、複雑な国際商取引において、より予測可能で信頼性の高い紛争解決の道筋が提供されることを示唆しています。 

セルビアでの事業展開に関わる主要な法律分野の解説

セルビアでの事業展開に関わる主要な法律分野の解説

会社設立と組織形態

セルビアの会社法は、有限責任会社(Limited Liability Company, d.o.o.)株式会社(Joint Stock Company, a.d.)合名会社合資会社の4つの主要な組織形態を定めています。このうち、有限責任会社は、中小企業を中心に最も一般的に利用される形態です。 

日本の会社法と比較すると、セルビアの会社法にはいくつかの特徴的な点がみられます。第一に、有限責任会社の最低設立資本金はわずか100ディナール(約1ユーロ)と極めて低く設定されています。これは、日本の1円資本金制度と同様に、起業のハードルを低くする目的があると考えられます。第二に、有限責任会社の設立手続きは、事業登録庁(Business Registers Agency, APR)への登録を通じて行われ、この手続きは電子的にのみ行うことができます。日本の電子登記制度と似ていますが、物理的な書類の提出が一切不要な点はより進んでいると言えるでしょう。第三に、セルビアの会社法は、定款に規定されていない活動であっても、法律で禁止されていない限り、あらゆる活動を行うことができると定めています。 

このような非常に低い最低資本金と、簡素で迅速な電子登録手続きは、起業家や外国企業にとって、セルビアで迅速かつ低コストに法人を設立する大きな誘因となります。この「デジタル・ファースト」なアプローチより、納税者番号や事業識別番号の取得も迅速に行われるため、事業開始までの時間を大幅に短縮することができます。

コーポレート・ガバナンス

セルビアの会社法は、会社の規模や性質に応じて、一階層制(一元経営)二階層制(二元経営)の両方の機関設計を認めています。 

  • 一階層制:取締役会(Board of Directors)が経営と監督の両方を担います。
  • 二階層制:取締役会(Managing Board)が日常的な経営を担い、監査役会(Supervisory Board)が経営の監督を担います。特に、大規模な上場企業では二階層制がより一般的であるとされています。 

外国資本からの投資に関する法規制

セルビアは、外国投資を積極的に誘致しており、投資法において「内国民待遇」を原則としています。これは、外国投資家が国内の法人や自然人と同等の権利と義務を持つことを意味します。外国人投資家は、既存のセルビア企業への株式や持分の取得、または単独もしくは国内・外国投資家と共同での新会社設立を通じて、ほとんどの産業に投資することができます。投資に伴い取得した利益、配当、清算配当などは、税金やその他の義務を履行した後に、自由に国外に送金することが可能です。 

セルビアが提供する投資優遇策は、日本と比較して特に魅力的です。

  • 低税率:法人税率は15%という低い水準に設定されています。 
  • タックスホリデー:特定の条件(例:従業員100人以上、投資額850万ユーロ以上)を満たす投資家は、10年間の法人税免除(タックスホリデー)を受けることができます。 
  • 給与税減免:新規雇用創出に対し、従業員数に応じて給与税が65%から75%まで減免されます。 
  • IPボックス制度:知的財産権(ソフトウェア、特許など)から生じる収入に対して、法人税の課税所得を最大80%減らすことができるIPボックス制度が導入されています。 

これらの優遇策は、単なるコスト削減に留まらない、戦略的なメリットをもたらします。例えば、日本の法人税率は軽減税率適用後でもセルビアの15%より高い水準であるため、税負担の軽減が期待できます。また、IPボックス制度は、ソフトウェア開発やSaaSビジネスなど、知的財産が事業の核となる企業にとって、極めて大きな経済的メリットをもたらします。給与税の減免は、人件費が高いIT分野において、優秀な人材を雇用する際のコストを大幅に引き下げる効果があります。

セルビアにおけるその他の特徴的な法分野

契約法と民法

セルビアの債務関係法(Law on Obligations)は、日本民法と同様に契約自由の原則を中核としています。しかし、国際取引におけるリスク管理の観点から、不可抗力と事情変更の原則に関する規定には特に注目すべき点があります。

  • 契約の履行不能と不可抗力:債務関係法第354条第1項は、債務者の責めに帰すべからざる事由によって履行が不可能になった場合、その債務は消滅すると定めています。これは、日本法における危険負担の考え方と類似しています。 
  • 事情変更の原則:債務関係法第133条は、契約締結後に予見不可能な事情の変更が生じ、契約が当事者の期待に合致しなくなった場合、裁判所は、当事者の一方の請求により、契約を解除するか、または公正にその内容を変更することができると定めています。 

日本の民法には同様の明文規定はありませんが、判例法理として事情変更の原則が認められています。しかし、日本の判例ではその要件が厳格に解釈される傾向があります。一方、セルビアの債務関係法は、この原則を明文で規定し、裁判所による契約の変更も認めている点が異なります。セルビアとの国際取引契約を締結する際は、不可抗力条項やハードシップ条項(事情変更条項)を契約書に詳細に盛り込むことで、予見不能なリスクに対する法的安定性を高めることができます。 

個人情報保護法

セルビアの「個人データ保護法」(Personal Data Protection Act, PDPA)は、2018年11月に制定され、2019年8月に施行されました。この法律は、EUの一般データ保護規則(GDPR)にほぼ完全に調和しており、日本の「個人情報保護法」との間で重要な相違点があります。 

  • 域外適用:セルビアの個人データ保護法は、セルビア国内のデータ主体に商品やサービスを提供する場合、またはその行動を監視する場合、コントローラーやプロセッサーがセルビアに事業所を持たなくても適用されると明記しています。したがって、日本のeコマース事業者がセルビア市場にオンラインで参入する場合にも適用されます。 
  • 7つの基本原則と8つの権利:セルビア法は、GDPRと同様に、適法性、公正性、透明性、目的制限、データ最小化、正確性、保存期間の制限、完全性と機密性、アカウンタビリティという7つの基本原則を定めています。また、データ主体に知らされる権利、訂正の権利、消去の権利(忘れられる権利)、データポータビリティの権利など、8つの重要な権利を認めています。
  • データ漏洩時の通知義務:データ漏洩が発生した場合、コントローラーは、72時間以内に監督機関(Commissioner for Information of Public Importance and Personal Data Protection)へ通知する義務があります。日本の法制度では「遅滞なく」とされているため、具体的な時間制限が課されている点が大きな違いです。 
  • 現地代理人の選任義務:セルビアに事業所を持たない事業者であっても、大規模な個人データ処理を行う場合など、特定の要件を満たす場合には、セルビア国内にデータ保護代表者(Data Protection Representative)を選任する必要があります。 

労働法

セルビアの労働法は、雇用関係の基本的条件を定めており、日本の労働基準法と同様に、労働者の権利を保護する目的を持っています。 

  • 労働時間と休暇:標準的な労働時間は週40時間です。 
  • 時間外労働は週12時間を上限とし、賃金は最低126%の割増率で支払われます。年次有給休暇は、 
  • 最低20労働日と定められています。産前産後休暇は、 
  • 最長365日間と定められています。 
  • 雇用契約の終了:雇用主は正当な理由がある場合にのみ、一方的に雇用契約を終了させることができます。退職金は、組織変更によるレイオフの場合にのみ、法定の支払い義務が発生します。 

広告規制法

セルビアの広告法(Law on Advertising)は、虚偽・誤認惹起広告の禁止や、広告が広告として認識可能であることなど、日本の景表法と共通する一般原則を定めています。一方で、特定の分野においては、日本法と比較してより厳格な制限が存在します。 

  • アルコール飲料:ビールとワインは特定のメディア(テレビ、ラジオ)で広告が禁止され、スピリッツ(蒸留酒)はさらに多くのメディア(新聞、雑誌、映画館、看板など)で広告が禁止されています。 
  • 医療・医薬品:医薬品や医療サービスに関する広告は厳しく制限されています。処方薬(処方箋が必要な医薬品)の一般向け広告は厳格に禁止されています。 
  • 医療サービスの広告も、医療機関名や所在地、事業内容の記載に限定されます。 

これらの規制は、広告内容、掲載メディア、対象者など、多岐にわたるため、現地でのプロモーション活動には入念な法的確認が不可欠です。

AI(人工知能)関連法

セルビアは、AI分野において「地域リーダー」としての地位を確立しようとしており、EUのAI法に倣った包括的な法整備を進めています。 

現在、AIを包括的に規制する法律は存在しませんが、2024年6月に法案起草ワーキンググループが発足しています。新法は、EU AI法と同様に、AIシステムをリスクベースで分類し、高リスクなAIシステムにはより厳格なコンプライアンス義務を課すことが見込まれます。

セルビア法がEU法に準拠する場合、日本のAI関連企業は、セルビア市場を通じて欧州市場への参入を試みる際に、二重のコンプライアンス義務を負うことになります。しかし、逆に言えば、セルビア法を遵守することは、同時にEU市場への参入要件を事前に満たすことに繋がるため、セルビアが欧州市場へのテストベッドとなり得ることを示唆します。

まとめ

セルビアの法制度は、日本の法体系と多くの共通点を持ち、特に民法や会社法の基礎概念は日本の法務実務家にとって理解しやすいものです。しかし、旧ユーゴスラビアという歴史的背景と、EU加盟に向けた法整備という現代的な動向が、この国の法制度を独自の、そして非常にダイナミックなものにしています。

具体的には、極めて低いハードルで会社設立ができる一方、データ保護や広告規制ではEU水準の厳格なコンプライアンスが求められます。また、税制面では法人税率の低さやIPボックス制度といった強力なインセンティブが提供されているなど、日本とは異なる魅力とリスクが混在しています。これらの複雑な要素を正確に理解し、ビジネスチャンスを最大限に活かすためには、現地の法的知識が不可欠です。

弁護士 河瀬 季

モノリス法律事務所 代表弁護士。元ITエンジニア。IT企業経営の経験を経て、東証プライム上場企業からシードステージのベンチャーまで、100社以上の顧問弁護士、監査役等を務め、IT・ベンチャー・インターネット・YouTube法務などを中心に手がける。

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