たった一瞬のブレーキが分けた明暗ーーブレーキ後の進路変更を禁じるF1の「ムービング・アンダー・ブレーキング」規制を読み解く

高速道路を走っているとき、前の車が急ブレーキしながら突然車線を変えたら──心臓が止まりそうになりますよね。
時速300kmのF1でも事情は同じ。
ブレーキを踏んだ瞬間こそ、マシンが最も不安定になり、危険だと言われています。その状態で前の車が急に横へ動いたら…“コツン”の追突では済みません。
“クラッシュ”は一瞬です。
そこでF1には、「ブレーキ中は進路を変えてはならない」という特別なルールがあります。その“線引き”が注目されたレースがありました。安全を守るためのルールは、どこまで選手を縛るのか。その境界線が問われたシーンをひも解きます。
この記事の目次
2025年の角田のブレーキングが引き金に
ことの発端は決勝で10月19日に行われたF1の今季第19戦となる米国GPの決勝でした。7位となった角田裕毅選手ががポジション確保を図っていた34周目のことでした。後ろからは果敢にインを突こうとオリバー・ベアマン選手が攻め入ってきます。それに対して、25歳の日本人ドライバーはブロックラインを取りながらオーバーテイクを防ぎました。
咄嗟にコースを塞がれ、行き場を失ったベアマンのマシンはそのままコースオフしてしまいました。結局、マシンは制御不能になり、スピンしてしまいました。幸い大きなクラッシュには至らなかったものの、納得いかないベアマンは角田選手を「彼の行為はルールに違反し、精神にも反している」「先のことを考えない愚かな運転だ」と痛烈に批判しました。
一体ベアマン選手はなぜ角田選手を批判したのでしょうか。国際スポーティングコード(ISC)附則L 第IV章 第2条、F1スポーティング・レギュレーション、そしてF1ドライビング・スタンダード・ガイドラインをもとに、趣旨・根拠・実務運用を整理します。
ルールの核:減速開始後は「動かない」
ISC附則L 第IV章 第2条は、オーバーテイクと防御の一般原則として「防御のための方向転換は1回まで」、「異常な方向転換は禁止」を定めています。さらにF1のドライビング・スタンダード・ガイドラインは、減速段階(ブレーキング)に入ってからは、レーシングラインに従う場合を除き、進路変更を行わないことを明確にしています。すなわち、ブレーキング後の“反応的なブロック”は不可というわけです(moving under braking)。
なぜブレーキング中に「ブロック」が禁じられているのでしょうか。その趣旨は「安全と公正」にあります。
ブレーキング中は荷重が前輪側に移り、車両は不安定になりやすく、後続車輌もギリギリのスピードを維持して、ライン取りをしながら減速しています。この局面で前車が後続の動きに反応して進路を変えると、後続に急制動や回避操作を強いて事故リスクが一気に高まります。あわせて、複数回のライン変更による“蛇行”を抑止することで、防御は1回というフェアプレーの基準も担保されます。
実務の物差し:条文→ガイドライン→事実認定

2016年、当時のレースディレクターであったチャーリー・ホワイティング氏が「ブレーキング中の方向転換は“異常”として報告する」旨を各チームへ通達して以降、F1ではこの論点が厳格に運用されてきました。2025年時点で運用されている最新版のドライビング・スタンダード・ガイドラインは、その考え方を改めて言語化し、「減速が始まった後は(レーシングライン追従を除き)方向転換をしない」旨を明記しています。
実務上、スチュワードは次の観点で事実認定を行っています。
- 減速フェーズの開始点(ブレーキポイント)はどこか/そこから動いていないか
- 相対位置・相対速度差(どれだけ並んでいたか、危険を生じさせたか)
- 回避行動の有無(急減速、コース外回避など)
- 一連の動きが予見可能だったか(“反応”ではなく事前の“選択”か)
- 違反時の標準ペナルティ範囲(警告~5秒加算~ピットスルー等)の妥当性
COTA 2025の事例:なぜ調査・処分に至らなかったのか
角田選手のディフェンスに対してベアマン選手が「ブレーキング中のライン変更だ」と不満を述べました。一方でスチュワードは調査に着手せず、レーシングインシデント扱い(明確な違反ではなく、レース中の自然な出来事)とし、ペナルティはなしとしました。
その理由としては
- 角田選手の動きが減速開始後の“反応的なブロック”ではなく、想定可能な防御ラインへの選択に留まると評価された
- ベアマン選手の前後位置・並びかけ度合いが回避を強要されたと断定するに足るレベルに達していなかった
――などの可能性が考えられます。
結局のところ、条文は同じでも“事実認定”で結論が分かれ得ることを示したケースだといえます。
実務のチェックポイント
実際にどんな動きがアウトで、どんな動きならセーフなのか。初心者にも判断しやすいよう、典型的なパターンを整理すると次のとおりです。
■ NGの典型
- 後続の突っ込みを見てブレーキング後に反応して塞ぐ(=回避強要)
- 複数回のライン変更(スリップ切りの蛇行を含む)
- 外側で守った後にレーシングラインへ戻る際、1台分のスペースを残さない戻り方(ISC附則L 第IV章 第2条/F1ガイドラインの趣旨に反します)
■ 許容され得る例(状況次第)
- ブレーキング前の単発ディフェンス
- レーシングライン追従のための滑らかな軌跡(“反応”ではない)
- 安全な距離があり、後続が十分に並んでいない段階でのスリップ切り(一次の動きに限る)
まとめ:「減速開始後に動かない」
結論として、線引きはシンプルです。減速が始まったら動かない(レーシングライン追従のみ可)。これが安全を守る最低条件であり、フェアな勝負の基礎でもあります。近年はガイドラインの明文化とペナルティレンジの公開で透明性が高まっていますが、最終判断はオンボード(ドライバー視点の車載映像)やテレメトリ(ブレーキや操舵のデータ)を含む事実認定に依存します。
COTAの一件は、同じ条文でも適用は“状況次第”であること、そしてドライバーに「いつ・どこで・どれだけ動けるか」の自覚が一段と求められていることを改めて示しました。
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