トルコのコーポレートガバナンスを弁護士が解説

欧州とアジアの結節点に位置するトルコ共和国(以下、トルコ)は、その地政学的な重要性と巨大な内需市場、そして若年人口の多さから、多くの日本企業にとって戦略的な投資先として注目され続けています。しかし、トルコにおける事業展開、特に現地法人の設立やM&Aを通じた進出に際しては、日本法とは異なる独自の法制度、とりわけコーポレートガバナンス(企業統治)に関する厳格な規定を深く理解しておく必要があります。2012年に施行された現行のトルコ商法典(Turkish Commercial Code、以下「TCC」)は、それまでの閉鎖的な家族経営中心のガバナンス構造を刷新し、透明性、公平性、説明責任、そして責任という4つの柱に基づく近代的な企業法制へと舵を切りました。
本稿では、TCCおよび関連する資本市場法、公的債権徴収手続法に基づき、本件国のコーポレートガバナンスの全容を詳説します。特に、日本法における監査役制度の不在と一階層制取締役会構造、有限会社(LLC)の株主が負う公的債務への無限責任、そして取締役の責任を限定するために不可欠な「内部規定」の活用といった、日本企業が直面する実務上の重要課題に焦点を当てます。2024年および2025年に実施された最新の資本金要件や独立監査基準の改定内容も網羅し、経営者や法務担当者が法的リスクを適切にコントロールし、強固なガバナンス体制を構築するための指針を提供します。本件国への進出は、形式的な株主構成の検討だけでは不十分であり、実質的な支配権と責任の所在を見極めるデューデリジェンスが不可欠であると言えます。
この記事の目次
トルコ商法典の基本構造と改革の精神
2012年7月1日に施行された新トルコ商法典(法律第6102号)は、1957年から続いていた旧商法典を全面的に改正するものであり、トルコのビジネス環境を欧州連合(EU)の基準(アクィ・コミュノテール)および国際的なベストプラクティスに適合させることを目的としていました。この改革の根底には、グローバル市場での競争力を高めるために不可欠な、透明性(Transparency)、公平性(Fairness)、説明責任(Accountability)、そして責任(Responsibility)という4つの原則が存在します。
TCCは、企業の規模にかかわらず、近代的なガバナンス構造の構築を要求しており、日本の中小規模の子会社であっても、高いコンプライアンス基準が求められます。特に注目すべき変化として、「ウルトラ・ヴィレスの法理(会社の目的の範囲外の行為は無効とする原則)」の事実上の廃止が挙げられます。TCC第371条は、取締役会が会社の目的の範囲外で行った取引であっても、善意の第三者に対しては会社を拘束すると規定しています。これは、定款の目的条項の記載だけでリスクを制御することは不可能であることを意味しており、現地代表者の選任と監督(モニタリング)の重要性が以前にも増して高まっていると言えます。
トルコ事業拠点の形態と株式会社・有限会社の選択
日本企業がトルコに進出する際、最も頻繁に利用される法人形態は「株式会社(Joint Stock Company – JSC / Anonim Şirket)」と「有限会社(Limited Liability Company – LLC / Limited Şirket)」の2つです。これらは日本の「株式会社」と「合同会社」の関係に類似していますが、ガバナンスや責任の面で決定的な違いが存在します。
以下の表は、トルコにおけるJSCとLLCの主要な法的特徴を比較したものです。
表1:株式会社(JSC)と有限会社(LLC)の比較
| 項目 | 株式会社 (JSC) | 有限会社 (LLC) |
| 最低資本金 | 250,000 TRY (非公開・登録資本制の場合は500,000 TRY) | 50,000 TRY |
| 株主数 | 最低1名から設立可能(上限なし) | 最低1名、最大50名まで |
| 株式譲渡 | 原則自由(株券発行可、公証人認証不要) | 総会の承認および公証人による譲渡契約の認証が必要 |
| 機関設計 | 株主総会、取締役会 (Board of Directors) | 社員総会、取締役会 (Board of Managers) |
| 公的債務責任 | 取締役が個人責任を負う(株主は有限責任) | 取締役および株主が個人責任を負う |
とりわけ日本企業の法務担当者が最も注意を払うべき差異は、「公的債務(税金・社会保険料)」に対する責任の所在です。トルコの法律第6183号(公的債権徴収手続法)第35条に基づき、有限会社(LLC)の場合、会社から回収不能な公的債務について、株主はその出資比率に応じて直接かつ個人的に責任を負います。一方で、株式会社(JSC)の場合、この公的債務責任は取締役(特に代表権を持つ取締役)に課され、株主には波及しません。コンプライアンスや親会社へのリスク遮断(Corporate Veil)の観点からは、設立コストや手続きが若干煩雑であっても、JSCの形態を選択することが推奨されます。
また、インフレーションの影響を反映し、2024年1月1日より最低資本金額が大幅に引き上げられました。既存の会社に対して直ちに増資が強制されるわけではありませんが、商務省は資本構造の強化を推奨しており、「資本の喪失(Technical Bankruptcy)」リスクを回避するためにも、日本親会社は現地法人の資本政策を見直す必要があります。
トルコ企業におけるコーポレートガバナンスの機関設計

日本の監査役設置会社や監査等委員会設置会社とは異なり、トルコの会社法は「一階層制(One-tier)」の取締役会構造を採用しています。これは、業務執行を行う取締役と、監督を行う取締役が同一の「取締役会(Board of Directors)」という機関の中に存在する構造です。かつての旧商法典に存在した「Murakıp(監査役)」に相当する常設の内部機関は廃止され、会計監査は外部の独立監査人が担うこととなりました。
取締役会の構成
TCCは、取締役会の構成に関して柔軟な規定を設けています。最低1名から構成可能であり、取締役は株主である必要はありません。また、全ての取締役がトルコ居住者である必要はなく、国籍要件もありません。
なお、かつての草案や議論においては、取締役の一定割合(例えば4分の1)を大学卒業者とする要件が含まれていましたが、最終的な法改正の過程(法律第6335号による改正等)で、起業家精神を阻害しないよう、この一般的な学歴要件は撤廃されました。したがって、現在は原則として大学卒業の学位は必須要件ではありませんが、特定の業種や上場企業の独立取締役に関しては、コーポレートガバナンス原則等により高い資質が求められる場合があります。
上場企業における独立取締役
イスタンブール証券取引所に上場する公開会社の場合、資本市場委員会(CMB)のコーポレートガバナンス原則が適用され、より厳格な体制が求められます。具体的には、取締役会の構成員の3分の1以上、かつ最低2名は「独立取締役」でなければなりません。独立取締役には、過去5年間に会社や関連当事者と重大な取引がないことなど、日本の社外取締役と同様かそれ以上に厳格な独立性基準が適用されます。
トルコ取締役の権限と責任制度
TCCの原則では、取締役会が会社の業務執行および代表権限のすべてを有していますが、実務上は権限の委任(Delegation)が広く行われます。ここで極めて重要なのが、TCC第367条に基づく「内部規定(Internal Directive / İç Yönerge)」の作成と登記です。
取締役会は、定款に権限委任に関する定めを置いた上で、詳細な業務分掌や権限範囲を定めた内部規定を作成し、これを登記・公告することで、権限の一部を業務執行取締役や第三者に委任することができます。重要な点は、この手続きを経ることによってのみ、委任した業務に関する取締役の責任を、「選任、指示、監視」の義務違反があった場合に限定することができるという法的効果が生じることです(TCC第553条)。日本企業が非常勤取締役を派遣する場合、この内部規定による責任の切り分けは必須のリスクヘッジ手段となります。
経営判断の原則と責任
トルコの取締役は、会社に対して「善管注意義務」と「忠実義務」を負います。万が一、会社に損害が生じた場合でも、取締役が十分な情報を収集し、誠実に、利益相反なく、会社のために最善と信じて行った経営判断については、事後的に結果として損失が生じたとしても、その判断内容自体を司法審査の対象とすべきではないという「経営判断の原則(Business Judgment Rule)」が、最高裁判所(Yargıtay)の判例を通じて実務に浸透しつつあります(Yargıtay 11. HD. 2016/4780 K.など)。
トルコ監査制度の変革と独立監査基準
TCCの改正により、旧来の形式的な内部監査役(Murakıp)は廃止され、国際基準に基づく独立外部監査制度へ移行しました。すべての株式会社が独立監査の対象となるわけではなく、大統領令により定められた基準(総資産、売上高、従業員数)を超える企業のみが義務を負います。
2025年に適用される最新の閾値(Thresholds)は、インフレ率の高騰を反映して以下の表の通り大幅に引き上げられました(2025年5月1日決定の大統領令第9774号に基づく)。
表2:独立監査義務の閾値(2025年会計年度適用)
| 基準 | 一般企業(非上場・非対象会社) | リストII記載企業(特定の重要企業) |
| 総資産 | 3億トルコリラ(TRY)以上 | 1億2000万TRY以上 |
| 年間純売上高 | 6億トルコリラ(TRY)以上 | 1億5000万TRY以上 |
| 従業員数 | 150人以上 | 100人以上 |
上記の3つの基準のうち、2つを2期連続で超過する場合、その企業は独立監査の対象となります。この基準引き上げにより、多くの中小規模の日系現地法人は法定の独立監査義務から外れる可能性がありますが、ガバナンス強化の観点から任意で継続するケースも多く見られます。
また、上場企業にはTCC第378条に基づき「リスクの早期発見委員会」の設置が義務付けられており、2ヶ月ごとに取締役会へリスク評価レポートを提出する必要があります。非上場企業であっても、独立監査人の要請があれば設置が義務付けられるため、実効性のあるリスク管理体制の構築が求められます。
まとめ
トルコのコーポレートガバナンス法制は、2012年の新商法典施行以降、透明性と説明責任を重視する国際標準へと大きく進化しました。一方で、日本企業にとっては、「有限会社株主の公的債務に対する無限責任」や「取締役の厳格な責任追及制度」など、看過できない特有の法的リスクが存在します。トルコでの事業を成功させるためには、単に形式的な会社設立を行うだけでなく、TCC第367条を活用した権限委任体制の構築、リスク早期発見委員会の実質的な運用、そして公的債務管理の徹底といった、「実効性のあるガバナンス」を設計することが不可欠です。
モノリス法律事務所では、本件国の最新の法改正動向を踏まえ、現地法人の設立からガバナンス体制の構築、役員の責任限定に関するアドバイス、そしてM&Aにおける詳細なデューデリジェンスに至るまで、幅広くサポートいたします。複雑化する国際法務の現場において、貴社の事業展開を法的な側面から支える一助となれば幸いです。
カテゴリー: IT・ベンチャーの企業法務

































