マルタ共和国の法律の全体像とその概要を弁護士が解説

マルタ共和国は、地中海に浮かぶ小さな島国でありながら、欧州連合(EU)加盟国としての地位と、英語を公用語とする強みを活かし、国際ビジネスの戦略的拠点として世界中の企業から注目を集めています。特に、オンラインゲーミング、ブロックチェーン、金融サービスといった成長産業において、先進的な法制度が用意されていることが特徴です。日本企業が、欧州市場へのゲートウェイとして、あるいは特定の産業分野での新たな事業展開の場としてマルタを検討する際、その複雑な法制度を理解する必要があると言えるでしょう。
本記事では、マルタ共和国の法律の全体像とその概要について解説します。
この記事の目次
マルタ共和国の法制度
マルタの法制度は、その歴史的背景から、英国法と大陸法の要素が融合した「混合法制度」を特徴としています。これにより、柔軟性と安定性を兼ね備えた独自の法的枠組みが形成されており、主要な法源としては条約、憲法、制定法、政令、規則などが挙げられます。
マルタの法制度は英国法の影響を強く受けていますが、英国法のような「先例拘束性の原理」は採用されていません。また、マルタはEU加盟国であるため、EU法および欧州司法裁判所の判決も法的拘束力を有し、マルタの法制度はEU法に合致するよう継続的に改正されてきました。マルタ政府の司法・文化・自治省が管理する「LAWS OF MALTA」ウェブサイトを通じて、英語で法令の検索・調査が可能であり、透明性の高い情報アクセスが確保されています。
マルタ共和国における会社設立の概要
マルタでの会社設立は、主に「Companies Act, 1995, Chapter 386 of the Laws of Malta」によって規定されており、多様な事業ニーズに対応できるよう様々な会社形態が用意されています。
会社設立のプロセスと期間
マルタでの会社設立手続きは効率的で簡便であり、通常、全ての書類が適切に提出されれば2〜10営業日で会社登録が完了します。このプロセス全体はオンラインまたはリモートで実行可能であり、現地への渡航は必須ではありません。
会社形態の種類
最も一般的な選択肢は有限責任会社 (Limited Liability Company: LLC) で、これは私的有限責任会社 (Private Limited Company, Ltd.) と公開有限責任会社 (Public Limited Company, Plc.) に大別されます。
- 私的有限責任会社 (Private Limited Company): 中小企業に適しており、株式の譲渡が制限され、株主数は通常2名以上50名以下に限定されます。最低資本金は€1,164.69で、その20%以上が払込済みである必要があります。少なくとも1名の取締役と1名の会社秘書役の任命が義務付けられています。
- 公開有限責任会社 (Public Limited Company): 大規模な資金調達を目指す企業に適しており、株式や社債を公衆に提供できます。最低資本金は€46,587.47で、その25%以上が払込済みである必要があります。少なくとも2名の取締役と1名の会社秘書役(自然人)の任命が義務付けられています。
全てのマルタ会社は、マルタ国内に登記上の事務所(Registered Office Address)を持つ必要があり、年次監査済み財務諸表を作成し、マルタ事業登録局(Malta Business Registry: MBR)に提出する義務があります。また、2018年1月1日以降、全てのマルタ登録会社は受益者登録簿(Register of Beneficial Ownership)を維持することが義務付けられています。
税務上の優遇措置
マルタの法人所得税の標準税率は35%ですが、独自の「全額帰属制度(Full Imputation System)」と「税還付メカニズム(Tax Refund Mechanisms)」により、特定の条件を満たせば実効税率をわずか5%まで引き下げることが可能です。「参加免除制度」により、適格な参加持株から得られる配当やキャピタルゲインは完全に免除される優遇措置もあります。
銀行口座開設の課題
一方で、法人銀行口座の開設は、国際的なコンプライアンス措置により複雑なプロセスであり、申請の審査に数週間から数ヶ月かかる場合があります。これは、国際的なアンチマネーロンダリング(AML)および本人確認(KYC)規制の厳格化、特にマルタが過去に金融活動作業部会(FATF)の監視リストに一時的に加えられたことによる銀行の警戒レベルの高さが原因です。資金源の申告と証拠の提出が厳格に求められます。この状況は、マルタが国際的な金融透明性とコンプライアンスの強化に真剣に取り組んでいることの表れであると同時に、税制優遇によるビジネス誘致と、マネーロンダリング対策の厳格化という二律背反的な課題に直面していることを示唆しています。
詳細については、以下の記事を参照してください。
マルタ共和国における契約法の概要
マルタの契約法において、契約の有効性には「約因(ConsiderationまたはCausa)」という概念が不可欠な要素とされています。これは日本の民法には直接対応する概念がないため、日本の経営者や法務部員の方にとっては馴染みが薄いものと思われます。マルタ法における「約因」とは、契約の「理由」または「目的」を意味します。約因を欠く義務、または虚偽もしくは不法な約因に基づく義務は、法的効力を持ちません。また、民法典第990条によれば、約因が法律で禁止されている場合、または道徳や公序良俗に反する場合は不法とされます。
また、マルタでは不動産賃貸契約のブロックチェーン登録を義務化する動きがあるなど、デジタル技術の進展に伴う契約法の現代化が進められています。マルタの首相は、すべての賃貸契約をブロックチェーンに登録する法案が承認されたと発表しており、これは「セキュリティが確保され、記録されたデータの改ざんを防ぐことができ、許可された人だけがデータにアクセスできるようになる」ことを目的としています。この動きは、マルタが「ブロックチェーンアイランド」としてのビジョンを単なる仮想通貨規制に留まらず、より広範な民事法分野にまで拡大していることを示す画期的な動きです。日本企業がマルタで不動産を賃借する、あるいは不動産関連事業を行う場合、この新しい技術的・法的要件への対応が必須となる可能性があります。
詳細については、以下の記事を参照してください。
マルタ共和国におけるコーポレートガバナンスの概要

マルタ共和国におけるコーポレートガバナンスの枠組みは、主に「Companies Act (Chapter 386 of the Laws of Malta)」に基づいています。この法律は、英国の会社法を基盤としつつ、欧州連合(EU)指令の原則も取り入れており、有限責任会社を含む様々な会社形態の設立、登録、統治、および解散に関する規定を含んでいます。
マルタ会社法は、取締役会と株主総会の権限の分割、株主の権利、透明性義務などを定めています。特に、日本の会社経営や法務経験がある方にとって注目すべき規律としては、以下の点が挙げられます。
- 役員の個人的利益の禁止: 会社役員は、自己の個人的利益のために会社の財産、情報、機会を濫用してはならないとされています(Companies Act, Chapter 386, Article 136A)。これは、取締役の忠実義務および善管注意義務の一環として非常に重要です。
- 情報・機会の濫用禁止: 役員は、その職務を通じて知り得た会社の機密情報やビジネス機会を、会社に不利益となる形で利用することを厳しく禁じられています。
- 株主総会における特別決議の決議方法: 特定の重要な事項については、通常の決議よりも高い賛成要件が求められる特別決議が義務付けられています。
- 「会社秘書役」の選任とその職務: マルタの会社法では、全ての会社に会社秘書役(Company Secretary)の任命が義務付けられています。日本の会社法には登場しない役職で、法定記録の維持、取締役会および株主総会の議事録作成、規制当局への書類提出など、企業のコンプライアンスとガバナンスにおいて重要な役割を果たします。日本企業がマルタに会社を設立する際には、この会社秘書役の選任と、その職務内容を深く理解し、適切な人材を確保することが、現地の法令遵守と円滑な会社運営のために重要となります。
詳細については、以下の記事を参照してください。
マルタ共和国における訴訟・仲裁・調停の概要
マルタ共和国では、企業間の紛争解決のために、裁判所での訴訟、仲裁、調停といった複数の選択肢が提供されています。最も一般的な紛争解決手段は依然として裁判所での訴訟ですが、仲裁や調停といった代替的紛争解決(ADR)手段も広く利用されています。
- 訴訟: マルタの司法制度は、上級裁判所(憲法裁判所、控訴裁判所、刑事控訴裁判所、刑事裁判所、民事裁判所)と下級裁判所から構成されています。民事訴訟法分野の主要な法令として、「Code of Organization and Civil Procedure (Chapter 12 of the Laws of Malta)」があります。この法典は、裁判所の組織、民事事件における裁判手続き、証拠に関する規定などを網羅しています。
- 仲裁: 仲裁は、裁判よりも迅速、安価、非公式、かつ機密性が高いという利点から、特に国際商取引において選択されることが多い紛争解決手段です。マルタの仲裁制度は、「Arbitration Act (Chapter 387 of the Laws of Malta)」によって法的に確立されています。この法律は、マルタ仲裁センター(Malta Arbitration Centre: MAC)を設立し、国内仲裁および国際商事仲裁の促進と実施を担っています。MACの管轄下で行われない仲裁は無効となるなど、仲裁プロセスの「制度化」が進んでいます。この仲裁の制度化は、マルタが国際的なビジネス紛争解決の信頼できるハブとしての地位を確立しようとしていることを示唆しています。さらに、特定の種類の紛争(例:軽微な交通事故、マンション紛争)では仲裁が義務付けられる場合もあり、これは裁判所の負担軽減と、より効率的な紛争解決へのコミットメントを示しています。日本企業にとって、これはマルタでの事業展開において、予見可能で効率的な紛争解決メカニズムが利用可能であることを意味し、法的リスクの管理において重要な要素となります。
- 調停: 調停は、紛争当事者が中立的な第三者である調停人の支援を受けて、自主的に合意形成を目指すプロセスです。マルタでは、「Mediation Act (Chapter 474 of the Laws of Malta)」(2004年12月21日施行)によって調停が法的に規制されており、マルタ調停センター(Malta Mediation Centre)が設立されています。同センターは、国内外の調停を促進し、その実施に必要な施設を提供しています。
詳細については、以下の記事を参照してください。
マルタ共和国におけるオンラインゲーム規制の概要
マルタ共和国は、オンラインゲーミング産業において世界をリードするハブとして広く認知されています。この地位は、マルタゲーミング庁(Malta Gaming Authority: MGA)による規制枠組みによって支えられています。MGAは、オンラインゲーミング業界を規制・監督する主要機関であり、その権限は「Gaming Act, Chapter 583 of the Laws of Malta」(2018年8月1日施行)に規定されています。この法律は、ゲーミングサービスおよび製品のガバナンスと規制に関する枠組を提供し、未成年者の保護、脆弱な者の保護、プレーヤー資金の保護、責任あるゲーミング措置などを主要な目的としています。
特筆すべきは、マルタの裁判所が、マルタにおけるオンラインギャンブルに関する海外判決の承認と履行を拒否する権限を付与する法案55(現在、国の既存のギャンブル法に組み込まれている)が成立したことです。この法案55は、MGAのライセンスを受けた事業者がマルタの法的枠組みに適合した活動を行っている限り、他の管轄区域からの外部規制措置や制裁の影響を受けないように保護することを目的としています。
具体的には、オペレーターがプレイヤーに対して、またはプレイヤーがオペレーターに対して行う行為が「マルタの枠組みの合法性に抵触または侵害せず、賭博法の観点から合法的な活動に関連している」場合、マルタの裁判所は海外の賭博およびゲーム規制当局からの要請による訴訟の承認と執行を拒否する可能性があります。この措置は、マルタがオンラインゲーミング事業の拠点としての魅力を高めるための戦略と言えるでしょう。海外からの規制圧力を緩和し、マルタでのライセンス取得の魅力を高めることで、企業誘致を加速させる狙いがあると考えられます。
詳細については、以下の記事を参照してください。
マルタ共和国におけるブロックチェーン規制の概要
マルタ共和国は、2018年に世界に先駆けて分散型台帳技術(DLT)に特化した包括的な法案を可決し、「ブロックチェーンアイランド」としての地位を確立しました。マルタのブロックチェーン関連法制度は、当初「三本柱」の法規制によって支えられていました。
- Malta Digital Innovation Authority Act (MDIA Act): この法律(Chapter 591 of the Laws of Malta)は、マルタ・デジタル・イノベーション庁(MDIA)の設立を規定し、革新的技術アレンジメントの推進と保護を担います。MDIAは、DLTプラットフォームやスマートコントラクトを含む「革新的技術アレンジメント」の認証を担当し、技術の健全性、セキュリティ、透明性、監査可能性を確保することを目指しています。
- Innovative Technology Arrangements and Services Act (ITAS Act): この法律(Chapter 592 of the Laws of Malta)は、革新的技術アレンジメントの自主的認証制度と、関連サービスプロバイダー(システム監査人、テクニカルアドミニストレーター)の登録制度を定めていました。しかし、ITAS Actは2024年6月14日にAct XIX of 2024によって廃止されている点に留意が必要です。
- Virtual Financial Assets Act (VFA Act): この法律(Chapter 590 of the Laws of Malta)は、仮想金融資産(VFA)の提供(ICOを含む)およびVFAサービスプロバイダーのライセンス要件を規制します。マルタ金融サービス庁(MFSA)がVFA Actの管轄当局であり、投資家保護、金融市場の健全性、金融安定性の確保を目的としています。VFA Actは、インサイダー取引や市場操作といった市場濫用行為を禁止しています。
ただ、EUのMiCA(Markets in Crypto-Assets Regulation)が2024年から2025年にかけて段階的に施行されることで、マルタの規制環境は新たな局面を迎えています。MiCAはEU域内における暗号資産サービスプロバイダー(CASP)の要件を統一し、これまでの各国独自の規制を置き換えるものです。これにより、マルタのVFA Actに基づくVirtual Asset Service Provider (VASP) ライセンスは、2024年6月以降、MiCA CASPライセンスに移行し、既存のVASPには2026年7月1日までの移行期間が設けられています。ITAS Actの廃止は、マルタがEUの統一規制(MiCA)への適応を積極的に進めていることによるものです。また、日本企業にとっては、MiCA準拠のライセンスをマルタで取得することで、EU全域での事業展開が容易になるという大きなメリットがあります。
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マルタ共和国における特定産業分野の規制とライセンス

マルタは、特定の産業分野において詳細な規制とライセンス制度を構築しています。この産業特化型の法制度は、マルタが限られた国土と資源の中で、国際競争力を高めるための国家戦略によるものと言えるでしょう。成長性の高い特定のニッチ市場に焦点を当て、その分野で世界をリードする法的・規制的インフラを構築することで、国際的な専門性と信頼性を確立しようとしていると考えられます。
- 金融サービス: マルタ金融サービス庁(MFSA)が銀行、保険、投資会社などを規制・監督しており、仮想金融資産(VFA)も管轄範囲です。
- オンラインゲーミング: マルタゲーミング庁(MGA)がB2CとB2Bの2つの主要なライセンスカテゴリを発行し、オンラインカジノなどをカバーしています。
- ブロックチェーン・DLT(分散型台帳技術): マルタは「ブロックチェーン・アイランド」として、MDIA Act、VFAAなどの法案を承認し、規制枠組みを確立しています。
- 海事産業: マルタは世界最大級の船舶登録数を誇り、1973年の商船法(Merchant Shipping Act, 1973)が船舶登録と関連サービスを規定しています。
これらの特定の技術やサービスを持つ企業は、マルタを拠点とすることで、その分野におけるマルタの専門知識とネットワーク、そしてEU市場へのアクセスを活用できるというメリットがあるでしょう。
まとめ
マルタ共和国は、その革新的な法制度と地理的優位性により、日本企業にとって欧州市場への扉を開く魅力的なビジネス拠点となり得ます。会社設立の効率性、契約法の柔軟性、堅牢なコーポレートガバナンス、多様な紛争解決手段、そしてオンラインゲーミングやブロックチェーンといった特定産業分野における先進的な規制枠組みは、マルタの大きな魅力です。しかしながら、混合法制度の特性、EU法の継続的な影響、そして厳格化する国際的なコンプライアンス要件(特に銀行口座開設におけるAML/KYC規制)など、マルタでの事業展開には専門的な法的知見が不可欠です。
これらの複雑性、流動性、および実務上の課題に、日本企業が自力で対応することは、ハードルが高いものと言えます。特に、法制度の「混合」性やEU法との「統合」は、単一の法体系に慣れた日本の企業にとって、解釈の難しさや予見可能性の低さにつながりかねません。また、銀行口座開設の困難さや会社秘書役の役割など、実務上の細かな点が事業開始の成否を分ける可能性もあります。専門性のある法律事務所等によるサポートが重要であると言えるでしょう。
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カテゴリー: IT・ベンチャーの企業法務