イギリスの法律の全体像とその概要を弁護士が解説

イギリス、正式名称「グレートブリテン及び北アイルランド連合王国」は、島国としての地理的独立性と、欧州連合(EU)を離脱し独自の経済圏を築くという近年の歴史的変遷を経て、世界経済において特異な地位を確立しています。この国でビジネスを展開する上で、その法制度を深く理解することは不可欠です。しかし、日本の法制度が主に大陸法(シビル・ロー)を基盤としているのに対し、イギリス法は判例法(コモン・ロー)を根幹とする点で、両国の法的思考様式には根本的な相違があります。
この根本的な違いは、契約の有効性、コーポレートガバナンス、外国資本からの投資、広告規制といった、あらゆるビジネス法務の側面に影響を及ぼします。本稿では、イギリスでの事業展開を検討する日本の経営者や法務担当者の方々が、予期せぬ法的リスクを回避し、イギリス市場で成功を収めるための指針となるよう、イギリス法の全体像と、日本法との比較において特に留意すべき点を弁護士が解説します。
この記事の目次
イギリスの法体系と司法制度
コモン・ローと制定法の二元論:判例を重視する法体系
イギリス法は、中世以来の国王裁判所の判決の積み重ねによって形成された「コモン・ロー(普通法)」をその根幹としています。この法体系は、包括的で体系的な法典を持たず、個別の事件における裁判所の判断(判例)が法源として大きな重みを持つことが最大の特徴です。
これに対し、日本は明治期にドイツやフランスの法典(民法や会社法など)を継受して法制度を構築したため、法典の条文を法源の中心に据える大陸法(シビル・ロー)に分類されます。この法体系の根本的な違いは、法的な思考様式にも影響を与えます。日本の弁護士や法務担当者が法律問題を検討する際、まず法典の条文を参照し、その解釈を中心に議論を進めることが一般的です。一方、イギリス法においては、法律問題に直面した際、まず類似の事案で過去の裁判所がどのような判断を下したか(判例)を重視し、その判断を新たな事案に適用することが基本的なアプローチとなります。
このアプローチの相違は、法的リスクの評価方法に直接的な影響を及ぼします。例えば、日本の法務担当者が、日本の法的感覚で「法律に明文の規定がないから大丈夫だろう」と判断した場合でも、イギリスにおいては同様の事案に関する判例が存在し、その行為が違法と判断される可能性があります。したがって、イギリスでのビジネスにおいては、具体的な法律条文の存在有無だけでなく、関連する判例の動向にも常に細心の注意を払う必要があります。イギリスでは議会が制定する法律(制定法)も重要な法源ですが、その解釈や適用においても、コモン・ローの原則が大きく影響する点は、日本の法務担当者が特に理解しておくべき点と言えるでしょう。
司法制度の構造と弁護士制度
イギリスの司法制度は、連合王国最高裁判所(Supreme Court of the United Kingdom)を頂点とする階層構造を有しています。その下に、控訴院(Court of Appeal)、高等法院(High Court of Justice)、刑事法院(Crown Court)、県裁判所(County Court)、治安判事裁判所(Magistrates’ Court)が配置されています。特筆すべきは、日本の地裁に相当する県裁判所が主に民事事件と家事事件の第一審を管轄する一方、高等法院は、会社法や知的財産権法を扱う大法官部(Chancery Division)といった専門部を擁し、複雑な事件の第一審管轄権も有している点です。また、軽微な刑事事件を扱う治安判事裁判所では、日本の簡易裁判所に類似した位置づけにありますが、原則として法曹資格を持たない治安判事(lay magistrate)が審理を担当するという、日本にはないユニークな特徴があります。
弁護士制度に関しても、日本とは根本的な違いが存在します。イギリスでは、弁護士は主に「事務弁護士(Solicitor)」と「法廷弁護士(Barrister)」に分かれています。事務弁護士は、依頼人から直接法律相談に応じ、契約書作成などの法律事務を処理する役割を担います。これに対し、法廷弁護士は、主に法廷での弁論を担当します。これらの職階は独立しており、上下関係にはありませんが、歴史的に異なる役割を担ってきた経緯があります。
日本の弁護士が単一の資格で法律事務と法廷活動の両方を行うのに対し、イギリスのこのような二元的な制度は、日本企業がイギリスの法律事務所と連携する際のコミュニケーションや役割分担に大きな影響を与えます。日本の法務担当者がイギリスの弁護士とコンタクトを取る際には、まず事務弁護士を窓口とし、彼らを通じて法廷弁護士にアクセスするというプロセスを理解しておく必要があります。この知識が、誰に何を依頼すべきか、費用体系がどうなるかといった実務上の判断を明確にする上で重要となります。
イギリスと日本の主要法分野比較:ビジネス関連法の要点

契約法:約因(Consideration)と信義誠実義務(Good Faith)
イギリス契約法の核心は、「約因(Consideration)」という概念にあります。これは、契約が法的に強制力を持つために、当事者間で「価値のある何か」が相互に交換されることを要求する原則です。この「価値のある何か」とは、金銭や物品だけでなく、約束、行為、あるいは権利の放棄なども含まれます。日本の民法には約因に相当する概念が存在しないため、日本の企業や法務担当者にとっては、この約因の存在が契約の有効性に関する重要なハードルとなります。
また、日本法では民法第1条第2項に「信義誠実義務」が明文化されており、契約関係に限らず、権利の行使や義務の履行に際して、相手方の利益にも配慮し、誠実に行動することが求められます。しかし、イギリス法には、原則として契約当事者に対し、一般的に信義誠実義務を課す法理は存在しません。この原則は、当事者が自身の利益を最大限追求することが許容されることを意味します。そのため、日本の商慣習である「阿吽の呼吸」や暗黙の了解に頼ることはできません。日本企業が期待するような、契約外の状況での相手方からの協力や配慮は、契約書に明記されていない限り法的に保護されない可能性が高いです。
この背景から、イギリスでの契約交渉や契約書作成においては、約因を明確に記載することはもちろんのこと、万が一に備え、将来起こりうるあらゆる事態を想定して、詳細かつ網羅的な契約条項を盛り込むことが極めて重要となります。近年、イギリス法においても、長期的な協力関係を前提とする「リレーショナル契約」においては、例外的に信義誠実義務が黙示的に認められるケースが散見されるようになりました。しかし、これはあくまで例外的なものであり、一般の商取引においては、明文化された契約条項が全てであるという原則を忘れてはなりません。
会社設立とコーポレートガバナンス
イギリスの会社設立に関する主要な法源は、2006年に制定された包括的な会社法典である「Companies Act 2006」です。会社設立は「Companies House」への登記によって行われ、非公開会社の場合は、最低1人の自然人取締役と1人の株主がいれば設立可能です。取締役の最低年齢は16歳と定められています。
上場企業に適用されるコーポレートガバナンスの枠組みとしては、金融報告評議会(FRC)が発行する「イギリスコーポレート・ガバナンス・コード」が中心的な役割を担います。このコードは、「Comply or Explain(遵守せよ、さもなければ説明せよ)」というユニークな原則に基づいています。これは、企業に一律のルールを強制するのではなく、コードの規定を遵守するか、遵守しない場合はその理由と代替措置を論理的に説明することを求めています。この背景には、一律の規則では企業の多様な実情に対応できないという、コモン・ロー的な柔軟な思想が存在します。
この原則は、単なる形式的なコンプライアンスを超え、企業に自社のガバナンス体制を深く考え、その正当性を外部のステークホルダーに透明に説明する責任を課しています。企業がコードの規定から逸脱する場合でも、その理由が合理的に説明されていれば、その対応は許容されます。これにより、形式的な遵守にとどまらない、企業の実情に合わせたガバナンスの最適解を追求し、投資家や市場からの信頼を獲得することが期待できるという考え方です。日本のコーポレートガバナンス・コードにも同様の原則が一部導入されていますが、イギリスにおいては、この原則がより深く根付いた法文化の上に成り立っていると言えるでしょう。
イギリスのビジネス規制と法的留意事項

外国資本からの投資規制
2022年1月4日に施行された「国家安全保障・投資法(National Security and Investment Act 2021)」は、外国からの投資を規制する新たな法的枠組みです。この法律は、日本の外為法に類似した性格を持ちますが、特に国家安全保障上のリスクがあると見なされる17の「機微な分野」における特定の取引を厳格に審査します。これらの分野には、防衛、エネルギー、通信といった伝統的な領域に加え、AI、量子技術、合成生物学などの新興技術が重点的に含まれており、イギリス政府がイノベーション分野の技術流出に強い関心を持っていることがわかります。
この法律では、対象となる企業の株式や議決権の25%超の取得といった特定の「トリガーイベント」に該当する場合、強制的に政府への届出と承認が必要となります。特筆すべきは、知的財産権(IP)の取得や特定の有形動産(機器や部品)の取得も対象となりうることです。強制届出義務がある取引を無許可で実行した場合、その取引は自動的に無効となり、売上高に基づく高額な罰金や刑事罰が科される可能性があります。したがって、特にテクノロジー分野への投資を検討している日本企業は、M&Aや特定の知的財産権の取得を行う際、自社が意図せずともこれらの機微な分野に該当する可能性があることを認識し、取引の初期段階からNSIAの適用可能性について綿密なリーガルチェックを行うことが不可欠です。
広告規制
イギリスでは、「Advertising Standards Authority(ASA)」という自主規制機関が広告規制の中心的な役割を担っています。ASA自体は、日本の消費者庁が景品表示法を執行するように、法的拘束力を持つ法律を直接執行する権限はありません。しかし、その行動規範(Code of Advertising Practice)は、広告全般をカバーし、虚偽や誤解を招く表現を厳しく取り締まっています。違反者に対しては、ウェブサイトでの公表、問題のある広告の削除命令、あるいは今後の広告についてASAの事前審査を義務付けるといった措置を講じます。そして、これらの措置に従わない場合、最終的には法的権限を持つ当局(Trading Standardsなど)に事案が付託され、より厳しい罰則が科される可能性があります。
この仕組みは、自主規制が主体でありながら、その勧告を無視すると最終的には法的強制力を持つ当局にエスカレートするという二段階の構造を有しており、自主規制という「ソフト・ロー」の実効性を担保するユニークなものです。したがって、日本企業がイギリスで広告を出す際、ASAの行動規範と過去の裁定事例を綿密に調査し、その判断を実質的に遵守する必要があります。
AI関連法
EUでは、AIシステムのリスクに応じて厳格な規制を課す「AI Act」が制定されましたが、イギリスは現時点において、これに相当する包括的なAI規制法を持っていません。その代わり、データ保護法(UK-GDPR)や競争法など、既存の法律をAIシステムにも適用し、イノベーションを阻害しない「プロ・イノベーション」なアプローチを採用しています。このアプローチは、AIに特化した法律を制定するのではなく、既存の法律やガイドラインを重視する日本の「ライトタッチ」な規制志向と方向性を同じくしています。
しかし、これはイギリスにAIに関する規制が一切ないことを意味しません。特に、AIシステムが個人データを扱う場合、UK-GDPRに基づく法的義務が厳格に適用されます。具体的には、AIによる「自動化された意思決定」が行われ、それが個人に法的または同様に重大な影響を及ぼす場合、その決定のロジックや意図された結果について個人に「説明」する義務や、人間による介入を求める権利、決定に異議を申し立てる権利が認められています。したがって、AI関連ビジネスを展開する日本の経営者は、AI専用の法律がないからといって安易に事業を進めるのではなく、データプライバシーや知的財産権など、関連する既存法規を包括的に検討し、コンプライアンス体制を構築する専門的なアプローチが求められます。
主要な許認可事業と関係当局
金融、医療、通信、エネルギーといった主要なビジネス分野は、それぞれ独立した規制当局が管轄しており、事業を行うには当局の認可が必要です。無認可での活動には重い罰則が科されます。以下に、主要な事業分野と関係当局、および取得すべき許認可の概要をまとめます。
事業分野 | 所管当局(一部抜粋) | 取得すべき許認可の概要と留意点 |
---|---|---|
金融サービス | Financial Conduct Authority (FCA) | 投資顧問、資産運用、消費者信用供与、証券取引などを行う場合に認可が必要。無許可での活動は罰則の対象となる。 |
医療機器 | Medicines and Healthcare products Regulatory Agency (MHRA) | 医療機器を市場に流通させる製造者はMHRAへの登録が義務付けられている。EU離脱に伴い、UKCAマーキングへの適合性評価が重要となる。 |
医薬品 | Medicines and Healthcare products Regulatory Agency (MHRA) | 医薬品を市場に流通させるには、MHRAが発行する「販売承認(Marketing Authorisation)」が必要。製造にも別途認可が必要。 |
通信・放送 | Office of Communications (Ofcom) | 無線機器の利用、テレビやラジオ放送、通信サービスの提供にはOfcomのライセンスが必要となる。 |
エネルギー | Office of Gas and Electricity Markets (Ofgem) | 発電、送電、配電、供給などを行う事業者はOfgemからライセンスを取得する必要がある。これらのライセンスには、詳細な条件が付される。 |
まとめ
イギリスの法制度は、コモン・ローを根幹とし、判例を重視するという点で、法典を基盤とする日本法とは根本的に思想と実務が異なります。この違いは、契約の有効性を左右する約因の概念、明文化されていない信義誠実義務の取り扱い、そしてコーポレートガバナンスにおける「Comply or Explain」の原則に象徴されるように、あらゆるビジネス法務に影響を及ぼします。また、国家安全保障・投資法(NSIA)や自主規制を基盤とする広告規制、既存法規を適用するAI関連法など、その規制の仕組みや範囲も日本とは異なるため、日本の法務・経営担当者が日本の法的感覚のままイギリスに進出することは、予期せぬリスクに直面する危険を伴います。
イギリスでのビジネス展開を成功に導くためには、現地の法制度の特性を深く理解し、契約の交渉・作成から日々のコンプライアンス、そしてM&Aなどの重大な意思決定に至るまで、専門家による緻密なリーガルチェックが不可欠です。モノリス法律事務所では、このような複雑かつ多岐にわたるイギリスの法律問題に対し、海外法務に精通した弁護士チームが、現地法律事務所との連携も含め、会社設立から日常の法務、複雑なM&Aまで一貫したサポートを提供しています。イギリス市場で事業を成功させるための確固たる法務戦略の策定について、ぜひ弊所までご相談ください。
関連取扱分野:国際法務・海外事業
カテゴリー: IT・ベンチャーの企業法務