従業員の引き抜きが違法になるケースとは?
引き抜きとは、他の会社の優秀な従業員に対し現在の報酬や待遇よりも良い条件を提示して転職を促す行為で、正当な企業活動の一つです。
従業員が、自分の意思で転職することは憲法第22条で保障されている「職業選択の自由」にあたり、問題になるものではありません。
しかし、「引き抜き」の勧誘方法やプロセスによっては、損害賠償請求に発展することもあります。
損害賠償請求の対象は、実際に引き抜きを行なった個人に対する事例が多いのですが、会社に対して損害賠償を請求できるケースもあります。
IT分野などにおいては、競合会社によるエンジニアの引き抜きなども多く見られますが、大切な従業員を引き抜かれた会社が、引き抜きが違法だと、相手の会社に対し損害賠償を請求することはできるのでしょうか。
そこで、今回は違法の可能性がある従業員の「引き抜き行為」について詳しく解説します。
この記事の目次
「引き抜き」の3大パターン
この引き抜き行為には、大きく分けると3つのパターンがあります。
- 在職中の取締役や従業員が、転職予定の会社へ他の従業員を勧誘する
- 転職した取締役や従業員が、自社の従業員に対し引き抜きを行う
- 他の会社が、自社の従業員に対し引き抜きを行う
この中で、【1.】は役員や従業員という「個人」による引き抜きになるため、転職先の会社が責任を問われるのは、転職予定の役員や従業員と共謀して引き抜きを行った場合になります。
【2.】 及び 【3.】 は、「他の会社」による引き抜きという点では同じですが、
【2.】 のケースにおいては、引き抜き方法の他に転職した役員や従業員が、会社との間でどのような契約をしていたかがポイントとなります。
また、引き抜きの交渉をした結果、引き抜かれる側の本人が納得すれば成功となり、受け入れた会社にとっては優秀な即戦力の人材を獲得でき、本人にとってはより良い条件の会社で働くことが可能になります。
違法性のある引き抜きとは
引き抜きの違法性と損害賠償責任
損害賠償請求が可能となるのは、引き抜き行為に「違法性」があるかどうかですが、「違法性がある引き抜き」とは、社会的相当性を逸脱し極めて背信的な方法で行われた引き抜きのことです。
背信とは信頼や約束を裏切るという意味です。
つまり、社会一般の常識を逸脱し、信頼や約束を裏切る方法で行われた引き抜きには違法性があるということになります。
損害賠償を請求するには、引き抜きが違法であることと、従業員が所属していた会社の権利または利益の侵害が、その引き抜きによるものであると会社側が証明することが必要です。
また、就業規則において競業避止義務(後述)の規定により引き抜きが禁止されている場合や特約を交わしている場合には違法性にかかわらず損害賠償を請求できます。
民法第709条(不法行為による損害賠償)
故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う。
違法性はどのようにして判断するのか
引き抜きに違法性があるかどうかは、判例(東京地判平成3年2月25日)では次の4項目を中心に総合的に考慮し判断すべきとしています。
- 転職する従業員のその会社に占める地位
- 会社内部における待遇及び人数
- 従業員の転職が会社に及ぼす影響
- 転職の勧誘に用いた方法(退職時期の予告の有無、秘密性、計画性等)
社会的相当性を逸脱し極めて背信的な方法で行われたとして、違法性を指摘された引き抜き行為には次のようなものがあります。
- 会社には内密にして、従業員の引き抜きを計画・実行した
- 会社の事業に支障が出るくらいの多数の従業員を予告なしに転職させた
- 従業員をホテルの一室に連れ出し、競合会社に移籍するよう説得した
- 従業員に会社が倒産するなどの虚偽の情報を伝え、自由意思による判断を阻害した
- 金銭などを供与して競合会社への転職を勧誘した
- 退職の表明、業務の引継ぎなどをさせずに従業員を転職させた
競業避止義務と引き抜き
競業避止義務とは
競業避止義務とは従業員が「競業他社への転職」、「競業する企業の設立」などの競業行為をしてはならないという義務のことであり、競業行為に、従業員の引き抜きが含まれることがあります。
この義務については、入社時の誓約をしたり、就業規則に競業禁止特約として定められるのが一般的です。
競業避止義務の目的は企業の利益を守ることにあります。ここで言う利益とは、不正競争防止法上の営業秘密だけではなく、技術的な秘密や営業上のノウハウも含まれると判断されやすいです。
秘匿性の高い内部データには、顧客情報等の個人情報も含まれるため、これを保護することは、プライバシーの観点からも重要だと言えるでしょう。
雇用契約における「競業避止義務」については下記記事にて詳述しています。
関連記事:雇用契約書の競業避止義務で同業他社への転職を禁止できるのか?
違法になり得る引き抜きと損害賠償請求
在職中の従業員による転職の勧誘
在職中の従業員が、他の従業員に対して行う引き抜き行為は、一般的な「転職の勧誘」の範囲内であれば問題にはなりません。
しかし、従業員には会社の正当な利益を不当に侵害してはならない雇用契約上の「誠実義務」があるため、在職中の従業員が違法性のある引き抜きを行った場合、その従業員に対して雇用契約上の誠実義務違反として損害賠償を請求できる可能性があります。
同時に、当該従業員と共謀して引き抜きを行った会社に対しても、不法行為による損害賠償を請求できる可能性があります。
なお、勧誘した社員が取締役の場合は、忠実義務違反にも問われる可能性があります。
取締役は会社の経営に責任があるので「競業避止義務」の他に、自己の利益を図らずに会社の正当な利益を守らなければいけないという「忠実義務」があるからです。
転職した従業員による引き抜き
転職した元従業員による引き抜きは、雇用契約上の「誠実義務」がないので、基本的には他の会社からの引き抜きとなります。
この場合、引き抜きを行った会社に対する損害賠償請求の可能性は「違法性」の有無によって判断されます。
ただし、就業規則などで退職後の「競業避止義務」の特約がある場合には、引き抜き行為は競業行為に類する性質を持っているので、元従業員の競業避止義務違反として責任を問われる可能性があります。
転職した取締役による引き抜き
転職後の取締役には会社法で定める競業避止義務は適用されませんが、会社との契約で競合行為を行わないことを約束していれば、競合会社への引き抜きに対しては損害賠償請求の対象となる場合があります。
同時に、元取締役が所属している会社に対しても不法行為による損害賠償を請求できる可能性があり、もちろん違法性のある引き抜きを行った場合にも同様です。
他社による引き抜き
他社によって従業員を引き抜かれた場合に損害賠償請求が可能か否かは「違法性」の有無によります。ですが、契約関係のない「他社」による引き抜きは、違法とは言えない場合が多数です。
また、よく耳にする「ヘッドハンティング」は仲介がある点や、経営層が採用の対象になる点で引き抜きとは少し意味合いが異なりますが、これも、社会的にもある程度一般的に行われている行為であるため、原則違法にはなりません。
ただ、ヘッドハンティングの方法がヘッドハントされる会社に大きな損害を与えるような社会相当性を逸脱したものであったときは、民法709条に基づいて、例外的に損害賠償を請求できる場合があります。
引き抜かれた場合の損害賠償先
では、自分の会社の社員が違法な引き抜きによって転職した場合、転職した従業員対して損害賠償を請求することはできるのでしょうか。
残念ながら、原則できません。なぜなら、憲法で保障されている職業選択の自由に転職も含まれているからです。
また、引き抜きをした他社に対しても、企業における人材獲得は自由競争であるため、原則できないと考えるのが妥当です。
しかし、もちろん、これらは引き抜きにおける違法性がない場合に限ります。
引き抜き行為による損失額立証の難しさ
引き抜き行為が違法であった場合、会社の損害賠償が認められる範囲はどの程度になるのでしょうか。この判断は難しいところがあります。従業員が引き抜かれたことによる会社の損害はとても判定が困難だからです。
引き抜かれた従業員の退職後に、会社の業績が下がったとして、その原因はいくつも考えられるため、引き抜きと因果関係があると断定することはできないからです。
そのため、認容され得る範囲としては、引き抜きにより奪われた得意先からの売上の減少分や、引き抜かれた従業員に代わる人材の確保のためのコスト等に限られるでしょう。
引き抜きの違法性が否定された事例
会社が従業員を自由に選択できるように、従業員も自由に所属する会社を退職し別の会社に就職する権利があります。
たとえ、多数の従業員がまとまって転職し会社に損害が生じた場合でもこの原則は変わりません。
また、引き抜きが違法だと争われた場合でも、その違法性が否定され、損害賠償請求の対象とならないケースがありますので、参考に2つの判例をご紹介します。
フリーラン事件
フリーラン事件(東京地判平成6年11月25日)とは、配達員約20名規模のバイク便の会社において、配達員及び事務員12名が経営者の不合理な人事に起因する社内混乱に嫌気がさし自主的な判断で退職し、新会社を設立した事例です。
この事例では、退職後の競業避止義務があったとは認められず、不法行為が否定されています。
港ゼミナール事件
港ゼミナール事件(大阪地判平元年12月5日)では、学習塾Aの中心的立場にあった講師Bが退職後に近くの場所で新たな学習塾Cを開業し、学習塾Aに勤務していた講師8名の内5名が講師Bの計画に賛同し自主的な判断で学習塾Cに移籍した事例です。
この事例では、講師の移籍は自主的であるため被告の引き抜きとは言えず、学習塾の開設も自由競争の適正な範囲内であるとして、違法性が否定されました。
まとめ:引き抜きへの対応に困ったら弁護士に相談しよう
引き抜きは、時間をかけて育ててきた優秀な従業員や、顧客を持っている営業担当者を失うなど、時には深刻なダメージを受ける場合もありますが、その違法性や損害賠償が可能かどうかは、さまざまな事情を考慮しなければ、判断はできません。
また、引き抜きは原則違法とはならないことに加え、違法性があった場合でも、どの範囲で損害賠償請求が認められるかについての断定も困難です。
事業に影響のあるような悪質な引き抜きがあった場合には、専門的な法律知識と経験豊富な法律事務所に早めに相談し、どのような対応方法があるのかアドバイスを受けることをおすすめします。
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