ハンガリーの法体系と司法制度を弁護士が解説

ハンガリーは、日本と同様に大陸法系の伝統を持つ法治国家であり、包括的な成文法典が社会の法的関係の基礎を形成しています。しかし、この国の法制度を深く理解するためには、日本には存在しない独自の厳格な法律「枢要法(sarkalatos törvény)」や、近年の政治的動向が司法に与える影響といった、日本法との違いにも目を向ける必要があります。
本記事では、ハンガリーの法体系と司法制度の骨格を詳細に解説し、特に日本企業が直面しうる法的リスクを分析します。
この記事の目次
ハンガリーの法体系の基礎
大陸法系の法体系
ハンガリーの法制度は、ドイツ法をルーツとする大陸法系に分類されます。これは、日本法と共通する基盤です。ハンガリーの法体系は、2012年1月1日に施行された「基本法(Fundamental Law)」を最高規範としています。その下に、民法典(2013年法律第5号)、刑法典、会社法典といった包括的な成文法が存在し、商取引や市民生活の法的関係を規律しています。この構造は、日本の民法や商法といった法典中心の法制度と共通しています。
ハンガリー独自の「枢要法」とその意義
ハンガリーの法体系が日本と決定的に異なる点として、基本法(憲法)によって定められた特定の重要事項を規律する「枢要法(sarkalatos törvény)」の存在が挙げられます。この枢要法を制定・改正するためには、国会に出席する議員の3分の2以上の賛成が必要とされます。これは、通常の法律の成立要件(原則として出席議員の過半数)と比較して、非常に高いハードルが設定されています。
枢要法が規律する事項は、司法制度、検察官の地位、中央銀行の独立性、個人情報保護機関、メディアの自由、国籍、宗教共同体など、国の根幹に関わる広範な分野に及びます。この厳格な成立要件は、特定の分野における法的安定性を確保し、政権交代後も容易に法律が変更されないという役割を果たすとされています。
日本法との比較
この枢要法の存在は、日本の法務実務家にとって、その法的性質と実務上の意味合いを深く理解することが不可欠です。
まず、枢要法の制定要件は、日本の憲法改正手続きと対比させると、その硬性の度合いがより明確になります。日本の憲法改正は、両議院の総議員の3分の2以上の賛成に加えて、国民投票での過半数の承認が必要です。この極めて厳格な要件のため、日本の現行憲法は制定以来、一度も改正されていません。
これに対し、ハンガリーの枢要法は、日本の憲法改正に匹敵する「出席議員の3分の2以上」という厳格な議会要件を持ちながら、国民投票が不要です。そして、2010年以降、ハンガリーの与党は国政選挙で継続的に議会全体の3分の2以上の議席、いわゆる「スーパーマジョリティ」を獲得してきました。この政治的現実のもとでは、枢要法は「政権交代後も容易に変更されない」という性質を持ちつつも、現政権にとっては、国民の直接的な意思確認を経ることなく、自らの政策やイデオロギーを恒久的に法体系に組み込むための強力なツールとなっています。
また、枢要法の制定プロセスは、公衆の関与という観点からも注意が必要です。日本の通常の法律制定においては、内閣提出法案の場合、閣議決定に至る前に、関係省庁間の協議、場合によっては諮問機関や公聴会での意見聴取が行われます。しかし、ハンガリーでは、多くの枢要法や憲法改正が、政府提出法案ではなく、公的協議が義務付けられていない「議員提出法案」の形式で提出されてきました。これにより、議会での審議時間が意図的に短縮され、十分な議論や公衆の意見が反映されないまま成立するケースが指摘されています。
枢要法の具体例:メディア法
枢要法の具体例としては、メディア法が挙げられます。
メディア法は、報道の自由と多様性を規律するために枢要法として制定されました。この法律は、メディアを監督する単一の独立機関である「国立メディア・インフォコミュニケーション局(NMHH)」を設立しました。NMHHのメンバーは、議会の出席議員の3分の2以上の賛成によって選出されます。この法律は、報道内容が「公平かつ均衡の取れた」ものであることを監視する広範な権限をNMHHに与え、違反したメディアには高額な罰金を科したり、事業を停止させたりすることが可能となりました。
この法律に対しては、欧州の各機関から批判が表明され、報道の自由を制限し、政府に批判的なメディアを抑制する意図があるのではないかという懸念が示されました。その後、ハンガリー憲法裁判所は、出版物やオンラインメディアをNMHHの制裁権限の対象外とするなど、法律の一部の条項を無効にしています。
枢要法の具体例:個人データ保護法
一方で、枢要法は個人の基本的権利を保障するという、より中立的な目的のためにも利用されています。その代表例が、個人の「情報自己決定権と情報公開の自由に関する法」(Act CXII of 2011)です。この法律は、基本法(憲法)によって定められた個人の「個人データの保護を受ける権利」を保障するために制定されました。
この法律は、個人データの処理に関する基本的なルールを定めるとともに、その監督を行う独立機関として「国家データ保護・情報公開庁(NAIH)」を設立することを規定しました。この法律は、ハンガリーが欧州連合(EU)加盟国として負う個人データ保護に関する国際的な義務を国内法に反映させる役割を果たし、後のEUの一般データ保護規則(GDPR)の導入に際しても、その基盤となりました。
ハンガリー司法制度の構造と動向
司法組織の階層
ハンガリーの司法制度は、日本と同様に階層的な構造を持っています。この階層は、第一審の地方裁判所(District Courts)、第二審の地域裁判所(Regional Courts)、そして地域控訴裁判所(Regional Courts of Appeal)という三つの下級審と、最上位の裁判所であるクーリア(Curia)から構成されています。
裁判所名(ハンガリー) | 役割と管轄権 | 相当する日本の裁判所 |
---|---|---|
地方裁判所(District Courts) | ほとんどの事件の第一審 | 地方裁判所・簡易裁判所 |
地域裁判所(Regional Courts) | 法律で定められた特定の事件の第一審、地方裁判所の控訴審 | 地方裁判所・高等裁判所(一部) |
地域控訴裁判所(Regional Courts of Appeal) | 地域裁判所の控訴審 | 高等裁判所 |
クーリア(Curia) | 最高裁判所。下級審からの控訴、地方自治体の行為に対する訴え等 | 最高裁判所 |
クーリア(最高裁判所)の役割と判例の拘束力
クーリアは、ハンガリーの司法制度の頂点に立つ最高裁判所です。その主要な役割の一つは、法律の統一的な適用を保証することです。クーリアが下す「法統一決定(uniformity decisions)」は、すべての下級裁判所を拘束する法的効力を有します。この機能は、大陸法系に属する国々において、異なる裁判所間での判決の矛盾を防ぎ、法的安定性を維持するために不可欠です。
さらに、2020年4月以降、ハンガリーでは「限定的判例」のシステムが導入されました。この新制度の下では、クーリアが公表したすべての決定が下級裁判所を拘束することになります。下級裁判所がクーリアの法的解釈から意図的に逸脱する判決を下す場合には、その理由と根拠を明確に説明しなければならない義務が課せられました。この制度は、判例を重視する英米法(コモン・ロー)の要素を一部取り入れたものと捉えられ、実務においてクーリアの判例の重要性がさらに高まったことを意味しています。
近年の司法改革と独立性への影響
ハンガリーの司法は、近年の政治的・制度的改革により、その独立性に関して国内外から多くの議論を呼んでいます。これらの動向は、日本企業がハンガリーでの事業リスクを評価する上で、注意深く監視すべき点です。
まず、司法行政の管理体制の変更が挙げられます。2012年の改革により、裁判官の人事や予算に関する広範な監督権限が、それまで裁判官の自治組織である国民司法評議会(National Judicial Council)が担っていたものから、議会によって選出される大統領が率いる国立司法庁(National Office for the Judiciary, NOJ)に移管されました。この改革は、司法行政の効率化を目的としていましたが、同時に、司法の独立性に対する懸念を引き起こしました。裁判官の人事や予算配分といった権限が政治的影響下にある機関に集中することで、司法の意思決定プロセスが外部からの圧力に晒される可能性が指摘されています。
さらに、憲法裁判所の権限に対する一連の変更は、司法の独立性を巡るより深刻な動向を示しています。2013年の第四次憲法改正は、過去20年以上にわたる憲法裁判所の判例を無効化し、さらに、憲法裁判所が新たな憲法改正の内容を実質的に審査する権限を剥奪しました。これは、立法府が憲法裁判所のチェックを回避し、自らの政策を憲法の条文に直接盛り込む道を開いたことになります。こうした動きは、特定の政治勢力が司法のチェック機能を体系的に弱め、司法権を自らの支配下に置こうとする長期的な戦略の一環であると見ることができます。
これらの改革は、ハンガリーが加盟する欧州連合(EU)との摩擦を生じさせています。EUは、ハンガリーの国内法がEU法や国際的な人権基準に準拠しているかについて、厳しい監視を続けています。例えば、EUは、ハンガリーの「児童保護法」がLGBTIQ+の人々の基本的人権を侵害しているとして、欧州司法裁判所(CJEU)に提訴しました。また、財産権の侵害を理由に、欧州人権裁判所(ECtHR)がハンガリー政府に損害賠償を命じた判例も存在します。言い方を変えれば、ハンガリーの国内法は、必ずしも最終的な規範ではなく、EUという超国家的機関によるチェックを受ける可能性があります。
まとめ
ハンガリーの法体系は、日本と同じ大陸法系の基盤に立ちながらも、その運用には独特の複雑性が伴います。特に、議会が政治的な意志を法的に固定化する手段としての「枢要法」の存在は、日本にはない概念であり、その制定・改正プロセスは、最高裁判所の権限や裁判官の任命プロセスといった司法の根幹にまで影響を及ぼしています。
しかし同時に、ハンガリーの最高裁判所であるクーリアは、法統一決定や新しい判例を通じて、法律の解釈と適用に動的な影響を与え続けています。
本稿で詳細に解説したように、ハンガリーの法務環境は多層的でダイナミックな性質を持っています。これらの複雑な要素を正確に理解し、適切な法務戦略を構築することは、ハンガリーでのビジネスを成功させるために不可欠な要素です。
カテゴリー: IT・ベンチャーの企業法務