ギリシャにおける日本資本による現地法人買収・M&Aの法的解説

ギリシャ(正式名称、ギリシャ共和国)は、近年の抜本的な法改正と経済改革により、外国資本にとって魅力的な投資先へと変貌を遂げています。特にM&A市場は活況を呈しており、2022年には過去最高の取引額と件数を記録し、2023年もその勢いは継続していると推察されます。
こうした活発な動きの背景には、EU法制との調和を図るための法整備があり、特に会社法(Law 4601/2019)や競争法(Law 3959/2011)の分野で法的な不確実性が大幅に解消されました。一方で、2025年に施行された外国直接投資(FDI)審査制度(Law 5202/2025)など、投資の性質や対象分野によっては新たな規制が導入されており、事前の詳細な検討が不可欠です。
本記事では、ギリシャM&Aにおける主要な会社形態と買収スキーム、そして買収対象の分野を問わず適用される競争法やFDI審査といった一般的な法的規制、さらには特定の分野で問題となる個別法規について、日本の法律との異同を交えながら網羅的に解説します。
この記事の目次
ギリシャM&Aの法的枠組み
ギリシャにおける主要な会社形態の理解
ギリシャにおける現地の法人を買収対象とする場合、日本の投資家が特に関心を持つべき主要な会社形態は、匿名会社(A.E.)、有限責任会社(E.P.E.)、そして私的会社(I.K.E.)の3つです。これらの会社形態は、それぞれ異なる法的性格と要件を持つため、買収のスキームを検討する上でその特性を理解することが不可欠となります。
まず、匿名会社(A.E.)は、日本の株式会社に最も近い法人形態であり、ギリシャ語で「Anonymous Etaireia」の頭文字をとった略称です。この会社形態では株式が発行され、株主の責任は出資額に限定されます。最低資本金は25,000ユーロと定められており、銀行や保険会社といった特定の業種ではさらに高額な資本金が要求されることがあります。株式の自由な譲渡が可能であり、上場できる唯一の会社形態であるため、大規模なM&A案件の対象となることが一般的です。
次に、有限責任会社(E.P.E.)は、ギリシャ語で「Etaireia Periorismenis Efthinis」といい、主に中小企業に適した会社形態です。以前は最低資本金が4,500ユーロとされていましたが、現在は最低資本金要件が撤廃されたことを示唆する見解も存在し、その設立手続きは比較的簡便です。社員の責任は出資額までに限定されますが、その持分は株式ではなく、定款に持分の譲渡を制限する条項が設けられることが多いのが特徴です。
最後に、私的会社(I.K.E.)は、ギリシャ語で「Idiotiki Kefalaiouxiki Etaireia」と表記され、2012年に導入された最も新しい会社形態です。わずか1ユーロという非常に低い最低資本金で設立可能であるため、その柔軟性から、中小企業やスタートアップ企業に広く利用されています。社員の責任は出資額に限定され、その持分は「株式」とは呼ばれず、書面による通知を会社に送付すればよく、公証人による手続きは原則として不要です。
M&Aにおける主要な買収スキーム
ギリシャにおけるM&Aは、主に株式取得(Share Deal)と事業譲渡(Asset Deal)という二つのスキームを通じて行われます。それぞれのスキームは、手続き、税務、およびリスクの観点から異なる特性を持つため、投資目的や買収対象の状況に応じて慎重に選択する必要があります。
株式取得は、対象会社の株式の売買を通じて、その経営権を取得する手法です。この手法の最大の利点は、買収後も対象会社自体が法人格を維持するため、原則として事業上のライセンスや契約関係が自動的に承継される点です。したがって、手続きが比較的簡素化され、取引の円滑な遂行が期待できます。しかし、後述する競争当局や特定分野の規制当局による承認、あるいは強制公開買付の義務が発生する場合には、その手続きが複雑化することもあります。
一方、事業譲渡は、対象会社の事業の一部または全部を、個別の資産・負債ごとに取得する手法です。このスキームの利点は、買い手が取得する資産と負債を選択できるため、簿外債務などのリスクを限定できる点にあります。しかし、株式取得とは異なり、事業に関連する個々のライセンスや契約については、個別に承継手続きが必要となります。特に、不動産やエネルギー関連プロジェクトなど、特定の資産の譲渡には公証人による公正証書の作成が必須となる場合があり、その手続きは煩雑になりがちです。 この基本的な構造は、日本法と同じです。
株式取得と事業譲渡の比較検討
株式取得と事業譲渡のどちらを選択するかは、単に手続きの簡便性だけでなく、税務上のメリット・デメリットを比較することが不可欠です。ギリシャの税制は、この二つのスキームに対して異なる取り扱いを定めており、この違いが取引の経済的合理性を大きく左右します。
まず、株式取得は、原則として間接税が発生しないという大きなメリットがあります。これは、取引コストを低く抑えたい場合に非常に有利に働きます。一方で、株式を取得した買い手は、対象会社の資産をその簿価で引き継ぐため、取得価格と資産簿価との差額(のれん代)について、減価償却費として損金算入する機会を得られません。
これに対し、事業譲渡では、間接税の負担が発生します。具体的には、事業全体を譲り受ける場合、資産の純額または対価のいずれか高い方に対して2.4%の印紙税が課されます。また、個別の不動産を譲り受ける際には3.09%の不動産取得税、単一資産の譲渡には24%の付加価値税(VAT)が課される可能性があります。しかし、事業譲渡には、買い手が取得した資産の簿価を市場価値まで引き上げ(ステップアップ)、その差額を減価償却費として損金算入できるという税務上の大きな利点があります。
日本の投資家は、事業譲渡にかかる印紙税等の初期コストと、将来的な減価償却による長期的な節税効果を天秤にかけて、どちらのスキームがより経済的に合理的かを慎重に検討する必要があります。このように、税務上の差異がM&Aスキームの選択を直接的に左右する点が、ギリシャにおけるM&A取引の重要な側面と言えます。
ギリシャ競争法(独占禁止法)によるM&A規制
M&A取引が一定の要件を満たす場合、ギリシャ競争委員会(Hellenic Competition Commission, HCC)への事前届出が義務付けられます。ギリシャの競争法は、Law 3959/2011によって規定されており、これはEU法(EU Merger Regulation No. 139/2004)と整合性が図られています。
届出の義務が生じるのは、買収当事者全員の全世界売上高合計が1億5,000万ユーロ以上、かつ、当事者のうち少なくとも2社のギリシャ国内売上高がそれぞれ1,500万ユーロを超える場合です。これらの閾値は、当事会社の直近事業年度の売上高を基準に算出されます。この閾値を超えた場合、取引のクロージング前に届出を行い、HCCの承認を得ることが義務付けられており、これを「スタンドスティル義務」と呼びます。違反した場合には、多額の罰金が科される可能性があります。
日本の独占禁止法における届出基準は、買収者と対象会社の国内売上高を基準に、株式保有比率の閾値(20%超、50%超)と組み合わせて判断されます。これに対し、ギリシャ法は、世界的売上高と国内売上高の両方を基準とする複合的な閾値を採用しており、日本の投資家は特に「ギリシャ国内売上高」が1,500万ユーロを超えるか否かを精査する必要があります。また、ギリシャでは、特定の条件下でHCCに早期のクロージング許可(derogation)を申請できる制度が存在し、これは取引の遅延による重大な損害を回避したい場合に活用されます。このように、ギリシャの競争法は、売上高基準と厳格な事前届出義務において日本法と類似性を持ちますが、その具体的な閾値の算出方法や手続きの細部、そして特定の例外措置に違いがあるため、注意が必要です。
ギリシャの外国直接投資(FDI)審査制度

2025年5月23日に施行されたLaw 5202/2025は、ギリシャにおける外国投資審査制度を新たに確立しました。この法律は、EUのFDI審査規則(Regulation 2019/452)を国内法化するもので、公衆の秩序や安全保障に影響を与える可能性がある外国投資を審査する枠組みを設けています。
本制度の対象となるのは、特定の「センシティブ分野」または「高度にセンシティブな分野」に該当するギリシャの企業や資産に対する投資です。届出義務が発生する持分比率は、対象会社の事業分野によって異なります。例えば、エネルギー、交通、ヘルスケア、情報通信技術、デジタルインフラといった「センシティブ分野」では、投資家による持分取得が25%を超える場合に届出が必要です。一方、国防、国家安全保障、AI、サイバーセキュリティ、国境地帯の観光インフラなど「高度にセンシティブな分野」では、持分取得が10%を超える場合に届出が必要となります。
日本の対内直接投資における事前届出制度(外為法)は、特定の業種(航空、原子力、放送など)に限定されているのが一般的です。これに対し、ギリシャの新法は、EU域外の投資家を主な対象としつつも、EU域内投資家であっても、その背後にEU域外の個人が10%以上の持分を保有したり、重要な影響力を行使したりする場合には審査対象となることがあります。これは、EU域外の資本がEU域内企業を通じて間接的に重要資産を支配することを警戒している姿勢の表れと解釈できます。届出が必要な投資は、完了前に「スタンドスティル義務」が課され、違反した場合には投資額の2倍に相当する高額な罰金が科される可能性があるため、取引計画の初期段階から当局との連携を考慮した時間的余裕を持つことが不可欠です。このように、ギリシャのFDI審査は、日本の法制度よりも厳格かつ多層的であり、投資分野に応じた詳細なデューデリジェンスが不可欠となります。
ギリシャにおける買収対象の業種による特有の法的問題
上場企業に対する公開買付(TOB)
ギリシャにおける上場企業への公開買付は、主にLaw 3461/2006によって規制されています。この法律はEU指令(Directive 2004/25/EC)を国内法化したもので、上場企業のみに適用されます。
日本の投資家が特に注意すべきは、強制公開買付(Mandatory Bid)の閾値です。買付者が対象会社の議決権の3分の1超を取得した場合、または既に3分の1超の議決権を保有しているにもかかわらず追加で議決権を取得した場合に、すべての株主に対し公開買付を行う義務が発生します。この閾値は、日本の50%超という基準とは大きく異なり、少数持分での経営権取得を試みる際にも公開買付義務が発生する可能性があるため、綿密な計画が必要です。Law 3461/2006の核心原則の一つは、買付者がすべての株主を平等に扱うことであり、買付価格の公正性も法で規定されています。特定の状況下では、公正性を保証するため、独立した外部アドバイザーによる公正性意見書の提出が求められることがあります。
金融・保険分野におけるM&A規制
銀行や保険会社へのM&Aでは、競争法やFDI審査とは別に、個別法に基づく規制当局の事前承認が必須となります。特に、ギリシャの信用機関(銀行)の株式の5%を超える持分変更には、ギリシャ中央銀行(Bank of Greece)の事前承認が必要です。この規制は、日本の銀行法における報告・認可基準よりも低い5%という閾値で事前承認を義務付けている点で、より厳格であると言えます。このため、取引の検討段階から、金融当局との綿密な協議が不可欠となります。
エネルギー・通信分野におけるM&A規制
エネルギー関連事業のM&Aでは、事業ライセンスの承継が特に重要な論点となります。株式取得(Share Deal)の場合、原則としてライセンスの再取得は不要ですが、事業譲渡(Asset Deal)の場合、ライセンスは自動的に承継されず、RAAEY(エネルギー・廃棄物・水道規制庁)への共同申請と承認が必要となります。
通信分野のM&Aでは、競争法上の届出管轄当局が、一般的なM&Aを管轄するHCCではなく、Hellenic Telecommunications and Post Commission(EETT、ギリシャ電気通信・郵便委員会)となる点が日本の投資家にとっては特に注意すべき点です。日本では、通信分野のM&Aであっても独占禁止法上の審査は公正取引委員会が一元的に行い、総務省は電気通信事業法上の認可を別途行うのが一般的です。しかし、ギリシャでは競争法上の審査自体がEETTに委ねられており、日本の投資家は慣れ親しんだ公正取引委員会とは異なる権限を持つ当局と交渉・手続きを進める必要があります。
その他の分野における規制
M&A取引の検討に際しては、上記以外にも特定の規制が存在します。例えば、Law 1892/1990により、国境地帯の不動産を所有するギリシャ法人の株式譲渡は特定の規制の対象となることがあります。また、ギリシャの法制度は形式主義的な側面が強く、不動産取引や特定の株式譲渡(例:メディア分野)には公証人による公正証書の作成が必須となります。これにより、複雑な取引では、公証人立会いのもと、全ての関連文書が読み上げられるという、時間と費用のかかるプロセスが発生する点も日本の法律との大きな違いです。
まとめ
本記事では、ギリシャにおける日本資本による現地法人買収・M&Aの法的枠組みを多角的に解説いたしました。ギリシャは、EU法との調和を図り、法制度を近代化している一方で、特定の重要産業や国家安全保障に関わる分野では厳格な規制を設けていることが分かります。特に2025年に施行された新たなFDI審査制度は、日本の投資家にとって最も重要なチェックポイントとなるでしょう。
また、M&Aスキームの選択においては、株式取得と事業譲渡の税務上の違いが大きな判断材料となり、対象会社の業種によっては、競争当局以外にも個別の規制当局による複雑な承認手続きが必要となります。こうした多岐にわたる法的・規制上の課題を乗り越え、円滑なM&A取引を実現するためには、現地の法務、税務、および業界固有の規制に精通した専門家による事前のデューデリジェンスと入念な計画策定が不可欠です。
カテゴリー: IT・ベンチャーの企業法務