アルメニアの司法制度と法体系、ビジネス展開における特異点と留意点

アルメニア共和国(以下、アルメニア)は、南コーカサスに位置する内陸国であり、近年、経済成長とともに外国人投資家からの注目を集めています。日本の企業がアルメニアでのビジネス展開を検討する際、まず理解すべきは、その法体系が日本と同じく大陸法(シビル・ロー)を基盤としている点です。憲法を最高規範とし、その下に民法典、刑法典、行政法典といった主要な法典が整備されているため、日本の法務部員にとっては構造や用語に一定の共通性を見いだすことができるでしょう。
しかし、その法的安定性を担保する司法制度の構造は、日本とは大きく異なります。特に最高位の裁判権が、通常の訴訟における法令の統一的な適用を担う「破毀院(Court of Cassation)」と、排他的に違憲審査を行う「憲法裁判所(Constitutional Court)」という、二つの独立した最高機関に二分化されている点が最大の特徴です。この二分化構造は、法令の解釈、違憲性の判断、ひいては投資紛争の解決ルートの選択に決定的な影響を及ぼします。
本稿で詳細に解説する通り、行政事件は専門裁判所が担当する一方、外国人投資家と国家間の紛争解決に関しては、国内裁判所での解決が原則と定められていながらも、批准された国際条約(BITなど)が優先される点が重要な法的示唆を与えます。また、憲法裁判所は、国境画定のような国家の根幹に関わる問題においても決定的な役割を果たしており、その判断はビジネス環境に強い影響力を持つことから、動向の把握が不可欠です。日本の経営者・法務部員がアルメニアでのビジネスを成功させるためには、この特異な二分化構造を正確に理解しておく必要があります。
この記事の目次
アルメニア法体系の基礎:大陸法(シビル・ロー)国家としての共通基盤
アルメニアの法体系は、歴史的に旧ソ連法の影響を受けつつも、近年は欧州標準に沿った改革が進められており、典型的な大陸法(シビル・ロー)のシステムを採用しています。これは、日本が継受した法体系と共通する部分が多く、企業法務の観点からは取っつきやすい基盤であると言えます。
憲法を最高規範とする法体系の階層構造
アルメニアは、憲法第1条において、「主権を有し、民主的、社会的、法の支配に基づく国家」であると規定されています。この憲法は、法の階層構造において最高の法的効力を有しており、法律は憲法に適合しなければならないと明確に定められています。日本の法体系における憲法優位の原則と軌を一にするものです。
特に、憲法第3条は、人権と自由の尊重および保護が公権力の義務であると規定し、基本的人権と自由は直接適用可能な法として公権力を拘束する、としています。この規定は、法律、大統領令、政府決定その他の規範が、常にこの憲法優位の原則に則って運用される必要性を示しており、法的安定性の基礎となっています。
司法権の構造と最高司法評議会の役割
アルメニアにおける司法権の行使は、憲法に基づき、裁判所のみに限定されています。国家権力は、立法権、行政権、司法権の分離と均衡の原則に基づいて行使されることが定められています。
裁判所の独立性を保証するために、アルメニアには最高司法評議会(Supreme Judicial Council)が設置されています。この評議会は、独立した国家機関であり、裁判官総会から選出された5名の経験豊富な裁判官と、国民議会(国会)から選出された5名のメンバーによって構成されます。日本の裁判官人事制度とは異なり、司法の内部(裁判官)と国民の代表(議会)の双方からメンバーを選出することで、司法の独立と均衡を確保しようとする独特な構造であると言えます。この評議会の構成員の動向は、裁判所の独立性と機能性に直接影響を及ぼすため、アルメニアでの法的リスクを評価する際には重要な指標となります。
アルメニア司法制度の特異性:最高裁判権の「二分化」構造と日本法との決定的な差異
アルメニアの司法制度は、日本の地方裁判所・高等裁判所・最高裁判所という単一のピラミッド構造とは大きく異なり、最高位の裁判権が「破毀院」と「憲法裁判所」に二分化されている点が最大の特徴であり、日本の経営者や法務部員にとって最も理解すべき構造上の相違点です。
通常事件を担当する三審制と専門裁判所の役割
アルメニアの裁判所は、通常の民事事件、刑事事件、行政事件について、三審制を採用しています。
第一審裁判所の専門分化:行政裁判所の独立
第一審裁判所としては、民事事件や刑事事件を扱う一般管轄裁判所(Courts of General Jurisdiction)が存在します。現在、エレバン市内の8つの地区と、地方の10の州のうち9つの州に一般管轄裁判所が設置されています。
ここで日本の法務部員が特に留意すべきは、行政事件を専門的に扱う行政裁判所(Administrative Court)が、第一審として独立して存在している点です。行政裁判所は、アルメニア共和国行政訴訟法に定められた事件を管轄します。国や地方自治体を相手方とする税務、許認可、その他の行政処分に関する紛争は、この専門裁判所で審理されるため、行政関連の法的問題に直面した場合の訴訟ルートが明確に分化されています。
また、控訴審も、民事、刑事、行政の専門性が維持されており、それぞれ民事控訴裁判所、刑事控訴裁判所、行政控訴裁判所が独立して機能しています。
法令の統一的な適用を担う破毀院(Court of Cassation)
破毀院は、憲法上の正義の分野を除き、アルメニアにおける通常の事件の最高審の地位を占めています。日本の最高裁判所が最終的な法令解釈権と違憲審査権を担う「終審」であるのに対し、破毀院の役割は、日本のそれとは性質が異なります。破毀院の主要な職務は、「法律その他の規範的法的行為の統一的な適用を確保する」こと、および「人権と自由の基本的な侵害を排除する」ことです。破毀院は、これらの目的を達成するために、法律で規定された権限の範囲内で、司法判断の見直し(revision of judicial acts)を行います。
これは、個々の事件における事実認定の是非や判断の妥当性そのものよりも、法体系全体における法令解釈の一貫性を保つ(カセーション機能)ことに重点が置かれることを示しています。したがって、破毀院への上訴(破毀申立て)は、法令解釈に関する重大な争点や、基本的人権の侵害など、統一的な法的規律を必要とする場合に限定される構造であると言えます。
憲法裁判所(Constitutional Court)による違憲審査権の排他的行使
アルメニア司法制度の最大の特徴であり、日本法との決定的な違いを生み出しているのが、破毀院とは完全に別系統の最高機関である憲法裁判所(Constitutional Court)の存在です。憲法裁判所は、アルメニアにおいて憲法上の正義を司る機関です。憲法裁判所の役割は、憲法の優位性を確保することに特化しています。憲法第100条に基づき、憲法裁判所は以下の重要な権限を有しています。
- 規範の合憲性決定:法律、国民議会の決議、大統領の布告および命令、首相の決定などが憲法に適合しているかを判断します。
- 国際条約の事前審査:国際条約の批准に先立ち、その条約によって規定されるコミットメントが憲法と整合しているかどうかの審査を行います。これは、外国人投資家にとって投資条約の安定性を高める上で非常に重要な機能です。
憲法裁判所の決定および結論は最終的なものであり、公布後に直ちに効力を有します。
日本との決定的な差異:違憲審査の専門化
日本では、最高裁判所が通常の訴訟の中で違憲審査を行う付随的違憲審査制を採用しています。これに対し、アルメニアでは、憲法裁判所が排他的に違憲審査権を行使する憲法裁判所型の制度を採用しています。
この排他的な構造の下では、破毀院を含む一般の裁判所は、係争中の特定の事件に関連する規範的法令の規定の合憲性に疑義が生じた場合、憲法裁判所に判断を求めることができます。これにより、法令の合憲性を争うプロセスは、通常の三審制の裁判所系統から独立した憲法裁判所のプロセスに移行し、最終的な憲法解釈は憲法裁判所に委ねられることになります。以下に、アルメニアと日本の最高位の司法機関の構造的な差異をまとめます。
最高位の司法機関の構造比較
| 機能 | アルメニア | 日本国 |
| 通常の終審機能 | 破毀院 (Court of Cassation) | 最高裁判所 |
| 違憲審査権 | 憲法裁判所 (Constitutional Court) が排他的に行使 | 最高裁判所が付随的に行使 |
| 目的 | 法令の統一的な適用確保と人権侵害の排除 | 法令解釈の統一と最終的な終審 |
| 位置づけ | 通常の裁判所系統の頂点 | 単一の司法ピラミッドの頂点 |
外国人投資家が留意すべきアルメニアの紛争解決メカニズム

アルメニアでのビジネス展開を計画する日本の企業にとって、投資保護と紛争解決のメカニズムの理解は、リスク管理の観点から不可欠です。
外国投資の法的保護と収用の要件
アルメニアは、外国投資を保護する体制を整備しています。外国投資は、アルメニア法に基づき、原則として没収または収用されることはありません。憲法および関連法に基づき、収用が認められる可能性があるのは、自然災害または国家緊急事態が発生した場合であり、その際にも国内裁判所の命令を取得し、かつ収用前に同等の補償が支払われることが要件とされています。
また、外国投資家は、税金その他の費用を支払った後の利益(収入)を自由に処分する権利や、国内市場で外貨を取得する権利を有しています。
投資紛争解決における国内法と国際条約の優越
外国人投資家が国家との間で紛争に直面した場合の解決ルートに関して、アルメニアの法令には重要な規定が存在します。
国内法上の原則:アルメニア共和国外国投資法は、外国投資家とアルメニアとの間で生じた外国投資に関連するすべての紛争は、アルメニアの裁判所において審理されなければならないと規定しています。この規定は、国家を相手方とする投資紛争の管轄権を国内裁判所に限定しようとするものです。
国際条約の優越:しかし、この国内法の規定を検討する上で、より上位規範であるアルメニア憲法第5条が、アルメニアが批准した国際条約は国内法に優越すると定めている点が重要です。アルメニアは、ICSID条約(投資紛争解決国際センター条約)およびニューヨーク条約(外国仲裁判断の承認及び執行に関する条約)の締約国です。
したがって、日本とアルメニアの間で二国間投資協定(BIT)が締結されており、そのBITが投資家に国際仲裁の選択権を付与している場合、憲法の条約優越の原則に基づき、BITの規定が国内の外国投資法の規定に優先すると解釈されます。外国人投資家は、投資契約の策定・締結時において、国際条約に基づく仲裁条項を確実に適用し、国内裁判所の原則的な管轄権に対するリスクをヘッジすることが、法的安定性確保の鍵となります。
また、アルメニアが当事者でない一般的な商事紛争については、アルメニアの裁判所またはその他の経済紛争解決機関によって審理されますが、当事者間の合意があれば、国際条約または事前合意に別段の定めがある場合を除き、調停裁判所(mediation court)を含む仲裁によって解決することが可能です。
【アルメニアケーススタディ】憲法裁判所による国家政策への影響
憲法裁判所は、通常の商事紛争の解決に直接関与することは稀ですが、その判決は、国家の基本的な法的枠組みや政策の安定性に決定的な影響を与えます。最近の政治的に機微な判例は、この機関の強力な役割を具体的に示しています。
国境画定問題における憲法前文の解釈
2024年9月、憲法裁判所は、アルメニアとアゼルバイジャンの間の国境画定プロセスに関する取り決めが憲法に合致しているかどうかの審査を行いました。この審査の核心は、アルメニア憲法前文が1990年の独立宣言を参照している点でした。この宣言は、アゼルバイジャンに対する領土主張を暗示しているとして、外交的な緊張の原因となっていました。
憲法裁判所は、2024年9月26日の決定において、憲法が独立宣言に言及していることが、「アゼルバイジャンや他のいかなる国家に対しても領土的主張を提示する法的定式化をいかなる条項においても有していない」と判断しました。この決定により、国境画定プロセスに関する取り決めが憲法に合致することが確認され、その後の国民議会による批准(2024年10月23日)への道が開かれました。この判決は、憲法裁判所が、単なる法律の違憲審査に留まらず、国家の安全保障や外交政策の根幹に関わる憲法前文の意味内容を解釈し、その法的・政治的な意味を確定させる権限を持っていることを示しています。
日本の法務部員にとって、この事例から言えることは、アルメニアにおける投資環境や政策の安定性は、憲法裁判所が下す基本的な憲法解釈に大きく依存するということです。特に、投資に関する法律や政府の政策が憲法上の疑義に直面した場合、その最終的な判断は憲法裁判所に委ねられ、その判断が国家の長期的な安定性に影響を及ぼすことを認識しておく必要があります。
まとめ
アルメニアの法体系は、憲法を最高規範とする大陸法の伝統に基づき、日本の法体系と多くの共通点を持ちます。しかし、その司法制度は、通常の法解釈の統一を担う「破毀院」と、排他的な違憲審査権を持つ「憲法裁判所」という、最高位の裁判権の二分化構造という大きな特異点を持っています。
この構造を理解することは、アルメニアでのビジネスにおける法的安定性を評価する上で不可欠です。行政事件が専門裁判所で処理される仕組みは効率的ですが、国家を相手方とする投資紛争においては、国内の外国投資法と国際条約(BITなど)の優劣関係を正しく評価し、国際仲裁の利用を戦略的に確保することが重要となります。また、憲法裁判所が下す判断は、国家の政策基盤に強い影響を与えるため、その動向を注視する必要があります。
モノリス法律事務所では、アルメニアの法体系が持つ構造的な特徴と、国際投資紛争解決に関する専門的な知見に基づき、貴社のアルメニア展開における法的戦略の立案、契約構築、および紛争予防に関するサポートをいたします。
カテゴリー: IT・ベンチャーの企業法務

































