スペインの法体系と司法制度を弁護士が解説

スペイン(正式名称、スペイン王国)の法体系は、日本と同じくローマ法に起源を持つ大陸法系に属し、包括的な成文法典を主要な法の源泉とする点で共通しています。しかし、スペインは欧州連合(EU)の加盟国であり、その法体系の構造は日本とは根本的に異なる階層構造となっています。具体的には、EU規則や指令が国内法に直接適用され、国内法に対して優越する「EU法の優越性」の原則が貫かれており、この原則が企業のコンプライアンスや契約リスクに直接的な影響を及ぼします。
また、司法制度においても、最高裁判所による高位公職者の特殊管轄(Aforamiento)や、大規模な経済犯罪や組織犯罪を集中的に管轄する全国管轄裁判所(Audiencia Nacional)など、国際ビジネスリスクに直結する独自の専門裁判所が存在します。さらに、欧州司法裁判所(CJEU)の判例(例:競争法における損害賠償請求の時効起算点を「国内決定の確定時」とするNissan Iberia判決)は、国内の民事手続の実効性にまで深く影響を与えています。
本記事では、スペイン市場へ参入するにあたって深く理解することが不可欠となる、EU法が優越する多層的な法源構造と集権的な司法構造の特性について解説します。
この記事の目次
スペイン法体系の構造的基盤
大陸法系の基本原則と憲法の位置づけ
スペインの法体系は、フランスやドイツ、そして日本と同様に、ローマ法に深く根差した大陸法(Civil Law)システムを採用しています。これは、判例を主要な法源とする英米法系(Common Law)とは対照的に、包括的な成文法典と法律が法の主要な源泉であるという点で共通しています。
この法体系の最高規範は、1978年スペイン憲法(Constitución Española de 1978)です。憲法は、スペインが「社会民主主義的法治国家」であることを定め、自由、正義、平等、政治的多元主義を最高の価値としています。また、憲法第9条第1項により、市民と公権力の双方が憲法およびその他の法秩序に従う義務があることが明確に規定されており、法制度の最高規範としての憲法の地位が揺るぎないものとされています。
法の三つの源泉と判例の補完的役割
法の源泉に関する基本原則は、スペイン民法典(Código Civil)の予備的規定(Título Preliminar)第1条に定められています。同条第1項によれば、スペインの法秩序の源泉は、「法律(ley)、慣習(costumbre)、法の一般原則(principios generales del derecho)」の三つに限定されています。
これらの源泉には厳格な階層性が存在し、民法典第1条第2項は、「上位の規定に矛盾する規定は無効となる」と定めています。この階層性において、「法律」が第一位の源泉であり、慣習はその適用可能な法律が存在しない場合に限り適用されます。ただし、慣習が適用されるためには、公序良俗に反しないこと、および証明されたことが必要とされます。
さらに、「法の一般原則」は、法律や慣習が存在しない場合に補助的な源泉として適用されます。同時に、法の一般原則は、法秩序全体に情報を与える(informador)性質を持つことも規定されています(民法典第1条第4項)。
日本法と同様に、スペインの判例は、この三つの主要な法の源泉には含まれていません。しかし、判例は法秩序を補完する重要な役割を担っています。民法典第1条第6項は、最高裁判所(Tribunal Supremo)が法律、慣習、法の一般原則を解釈・適用する際に確立する法理(doctrina)によって、法秩序を補完すると規定しています。
この大陸法系の伝統に基づき、裁判官は、知っている事案すべてを、確立された法源のシステムに従って解決する不可欠な義務を負っています(民法典第1条第7項)。この厳格な制定法主義の基盤は、法解釈の安定性をもたらし、国際的な商取引の予見可能性を高める要素となりますが、後述するEU法や特殊な司法構造が、この伝統的な枠組みに複雑な影響を与えることになります。
スペインにおけるEU法の優越性と直接適用

スペインの法体系を理解する上で、日本の法体系と最も根本的に異なる、かつ国際ビジネスに最も影響を与える要素は、欧州連合(EU)の法秩序との統合です。
EU法優先の原則(Primacía del Derecho de la Unión)
スペインはEU加盟国であるため、EU機能条約(TFEU)やEU規則、EU指令などのEU法が、国内法に直接適用され、国内法に対して優越するという「EU法の優越性」(Primacía)の原則が確立されています。
EU法は、国内法とは独立した独自の法源から生まれており、その特別な、そして独自の性質ゆえに、国内法のいかなる規定によっても効力が妨げられることはありません。もし国内法がEU法と矛盾する場合、EU法が優先され、国内裁判所は国内法を適用しない義務を負います。
この原則は、競争法(カルテル規制や国家補助規制)、データ保護(GDPR)、環境基準、製品安全規制など、多岐にわたる分野で、EUが定めるルールがスペイン国内の企業活動に直接的な影響を及ぼすことを意味します。特にEU規則は、国内法への移入措置を必要とせず、そのまま国内で適用される「直接適用性」を持ちます。
憲法裁判所と優越性の調和
スペインの法体系におけるEU法の位置づけは、国内の最高規範である憲法との関係において複雑な議論を伴ってきました。スペイン憲法裁判所(TC)は、EU法が国内法秩序に組み込まれることを認めつつ、EU法が国内法に優先して適用される構造を容認しています。
憲法裁判所の1/2004宣言などの法理により、EU法の優越性は受け入れられながらも、憲法が法秩序の最終的な保証人であるというスタンスが維持されています。この点で、もしEU法がスペイン憲法と到底両立し得ない事態が生じた場合、スペインにはEUからの脱退権という最後の安全弁が存在する、という見解も示されています。
EU法の解釈や適用に関して国内の裁判官に疑義が生じた場合、その裁判官は、EU機能条約第267条に基づき、欧州司法裁判所(CJEU)に対して先決裁定(Preliminary Ruling)を求める権限を有します。
このメカニズムは、EU法がスペイン国内全体で一貫して適用されることを保証するために不可欠であり、国内裁判所とCJEU間の継続的な「司法の対話」を生み出します。これは、国際的な条約を国内で解釈する際に、国外の司法機関との制度的な対話が組み込まれていない日本法体系とは、運用面で決定的に異なる構造であると言えます。
国際条約の適用
EU法との優越性の違いを明確にするため、EU法以外の国際条約の国内適用方法についても留意が必要です。
スペイン民法典第1条第5項によると、国際条約に含まれる法的規範は、スペインの官報(Boletín Oficial del Estado:BOE)にその全体が掲載されることによって初めて、スペインの内部法秩序の一部となり、直接適用可能となります。
この規定から、一般の国際条約は国内の公布手続を経て初めて適用されるのに対し、EU規則は公布手続を要せずに直接適用され、EU指令は移入が義務付けられるという点で、EU法がスペイン国内の法体系において、極めて即座かつ強力な適用力を持っていることが理解できます。
スペインの司法制度の概観と裁判所構造
スペインの司法制度は、1978年憲法(第117条以下)および司法組織法(Ley Orgánica del Poder Judicial 6/1985, LOPJ)に基づき、行政・立法から独立した政府の第三部門として機能しています。すべての裁判所は国家機関として統一され、以下の4つの主要な司法管轄部門に分かれて紛争を処理しています。
- 民事(Civil):契約、財産、商事(企業)関連の訴訟。
- 刑事(Penal):犯罪捜査と裁判。
- 行政訴訟(Contencioso-Administrativo):公的機関の決定や行為に対する異議申し立て。
- 社会(Social):労働法および社会保障関連の紛争。
司法管轄権の階層と役割の比較
スペインの裁判所構造は、地理的および専門的な観点から階層的に組織されています。特に国際的な事業を行う上で重要となる上位の裁判所は以下の通りです。
裁判所名称 | 管轄レベル | 役割の概要 | 特筆すべき機能 |
---|---|---|---|
最高裁判所 (Tribunal Supremo) | 全国(最終審) | 上告審として法解釈の統一。 | 高位公職者に対する特殊管轄(Aforamiento) |
全国管轄裁判所 (Audiencia Nacional) | 全国(第一審・控訴審) | 国家規模の重大な刑事・行政・労働事件を専門的に扱う。 | 大規模な経済犯罪、組織犯罪の集中管轄 |
自治州高等裁判所 (TSJ) | 自治州内(最高審) | 自治州内の法律の解釈、下級審の控訴審。 | 自治州レベルの公職者の特殊管轄(Aforamiento)を一部持つ |
地方裁判所 (Audiencia Provincial) | 県(控訴審) | 刑事・民事事件の下級裁判所からの控訴審。 | 主要な一般事件の審理 |
この中で、国際ビジネスのリスク評価に特に直結するのが、最高裁判所と全国管轄裁判所が持つ独自の専門的な管轄権です。
スペインの二つの特殊裁判所
スペインの司法制度の理解において、マドリードに所在する最高裁判所と全国管轄裁判所が持つ集中的な権限は、日本企業の法務部門が特に留意すべき点です。
最高裁判所(Tribunal Supremo)の特殊管轄権(Aforamiento)
日本の最高裁判所が事実上、上告審としての機能に特化しているのに対し、スペインの最高裁判所は、司法組織法(LOPJ)に基づき、特定の高位公職者に対する民事および刑事事件について、第一審としての排他的な管轄権を有しています。この制度は「アフォラミエント」(Aforamiento:特殊管轄権)と呼ばれます。
特殊管轄権の対象となるのは、政府のトップや議会議員など、国政に関わる極めて重要な地位にある者たちです。司法組織法6/1985は、最高裁判所の民事部(Sala de lo Civil)および刑事部(Sala de lo Penal)の管轄として以下の公職者を定めています。
- 政府首相および閣僚。
- 国会(上院・下院)の議長および議員。
- 最高裁判所長官、憲法裁判所長官、これらの裁判所の判事。
- 全国管轄裁判所長官および自治州高等裁判所長官。
- 会計検査院長、国務院長官、オンブズマン。
最高裁判所民事部(第56条第2項)は、これらの公職者が職務遂行中に起こした行為に対する民事責任請求を管轄し、刑事部(第57条第2項)は、これらの者に対する捜査および裁判を管轄します。
これは、政府との取引や規制対応に関連する贈収賄、職権濫用などの疑惑が発生した場合、その責任追及が最初から国の最高司法機関で行われることを意味します。これにより、政治的な機密性の高い訴訟プロセスが中央に集中し、司法手続きの透明性や政治的な注目度が極めて高くなるという特徴があります。
全国管轄裁判所(Audiencia Nacional:AN)の経済犯罪への特化
全国管轄裁判所(AN)は、マドリードに本拠を置く、特定の重大な犯罪および広範な影響を持つ事件に対して、スペイン全土にわたる管轄権を持つ専門性の高い裁判所です。
この裁判所が特に国際ビジネスの観点から重要となるのは、その刑事部(Criminal Chamber)が、大規模な組織犯罪や経済犯罪を専門的に扱うことにあります。
全国管轄裁判所は、テロリズムや大規模な麻薬密売といった組織的な犯罪に加え、以下の分野の事件を第一審として管轄します。
- 大規模な経済犯罪:マネーロンダリング、通貨偽造、クレジット/デビットカード詐欺、国境を越えた特定の種類の企業犯罪(大規模な企業・政治腐敗事件を含む)、全国的な影響を持つ食料・医療詐欺など。
- 国際的な影響を持つ犯罪で、国際法に基づきスペインの裁判所が管轄権を持つもの。
企業がスペイン国内で大規模なコンプライアンス違反、例えば、海外の公務員に対する贈賄(海外贈賄)や、複数自治州にまたがる不正行為、大規模なカルテル行為に関与した場合、たとえその行為が地方で行われたとしても、全国管轄裁判所が第一審として捜査・裁判を担当します。
スペインにおけるEU法の優越性に関する近年の判例
スペインの法体系におけるEU法の優越性が、具体的な民事訴訟にどのような影響を与えるかを理解するため、欧州司法裁判所(CJEU)の最新判例を分析します。これは、国際ビジネスを展開する企業にとって、法的責任リスクを評価する上で決定的に重要です。
競争法と損害賠償請求(Follow-on actions)の法的背景
EU機能条約第101条(カルテル等の禁止)およびスペイン競争法に違反する反競争的行為によって損害を被った被害者は、加害者に対して損害賠償請求を行う権利があります(Follow-on actions)。以前のスペイン民法では、不法行為に基づく損害賠償請求の時効期間は、被害者が損害と加害者を知った時点から1年間と非常に短いものでした。
しかし、EU競争損害賠償指令(Directive 2014/104/EU)の国内法への移入に伴い、この時効期間は5年間に延長されました。ここで大きな論点となったのが、時効の起算点(dies a quo)です。つまり、国内の競争当局(スペイン競争市場委員会:CNMC)が制裁決定を下した時点から時効が開始するのか、それともその決定が裁判所で確定するまで待つべきなのか、という点です。
CJEU C-21/24 Nissan Iberia事件
この論争は、欧州司法裁判所(CJEU)の2025年9月4日の判決(C-21/24 Nissan Iberia)によって明確な決着を見ました。
本件は、CNMCが2015年7月23日に、Nissan Iberia, S.A.を含む自動車メーカーによるカルテル違反を認定し、制裁決定を下したことに端を発します。Nissanらはこれを提訴しましたが、2021年6月7日のスペイン最高裁判所判決(上訴番号 5428/2020)により、CNMCの決定が確定しました。
その後、被害者は損害賠償請求を提起しましたが、被告Nissan側は、CNMCが決定全文をウェブサイトで公開した2015年9月15日をもって時効が開始しており、すでに時効が成立していると主張しました。一方、被害者側は、最高裁判所が決定を確定させた2021年まで時効は開始しないと主張しました。この時効の起算点に関する疑問が、サラゴサ商事裁判所からCJEUに先決裁定として付託されました。
CJEUは、競争当局の制裁決定に基づく損害賠償請求の時効期間は、当該決定が裁判所で最終的に確定した時点から開始するという判断を下しました。
この判断の根拠は、EU法が定める「実効性の原則」にあります。CJEUは、欧州委員会(European Commission)の決定とは異なり、国内競争当局の決定は、国内裁判所に対して自動的な拘束力を持たない点を指摘しました。
過去の判例(Masterfoods判決 C-344/98、Cogeco Communications判決 C-637/17など)を通じて、CJEUは、被害者が実効的な賠償を求めるためには、侵害の存在、損害、加害者の身元という請求に必要なすべての要素について、合理的に十分な知識と法的確実性が得られる必要があるとしてきました。
国内競争当局の決定が司法審査を受けている間は、その侵害の存在が「司法上の真実」として確立されているとは言えません。したがって、CJEUは、国内当局の決定が確定することにより、初めて請求権行使に必要なすべての要素が形式的に確定し、被害者に真に効果的な救済手段が提供されると結論付けました。
この判例は、スペインの民事裁判における競争法違反に基づく損害賠償請求訴訟において、被害者側の請求権が長期にわたって保護される枠組みを確立したものであり、日本企業がスペインで競争法違反に問われた場合、その潜在的な賠償責任リスクを評価する際には、行政決定の公布日ではなく、司法確定日を基準とすることが必須であることを示しています。
まとめ
スペインの法体系と司法制度は、日本と同様に大陸法系の基盤を持ちながらも、EU加盟国としての特性が色濃く反映された多層的な構造を有しています。
まず、EU規則および指令は国内法に優越して直接適用され、競争法、環境法、データ保護などの分野において、EUの決定が国内の企業活動に直接的な法的影響を及ぼす点です。これにより、国内法だけでなく、常にEU法の最新の動向を監視し、対応することが、コンプライアンス遵守の基礎となります。
次に、司法制度は、最高裁判所が高位公職者の裁判権(Aforamiento)を、また全国管轄裁判所がテロや大規模な経済犯罪の管轄権を持つという、政治・経済的に重要な事件をマドリードに集中させるメカニズムを持つ点です。国際的な事業活動を行う企業にとって、コンプライアンス違反や汚職リスクの訴追は、高度に専門化された集権的な裁判所で行われるという特殊性を理解することが重要です。
そして、欧州司法裁判所の判例(C-21/24 Nissan Iberia判決など)を通じて、EU法の「実効性の原則」が国内の民事手続、特に損害賠償請求の時効期間の解釈に直接的に影響を及ぼしています。これは、反競争的行為による損害を受けた被害者の権利を最大限に保護するものであり、企業が直面する訴訟リスクの評価において、司法判断の確定が重要な起点となることを示唆します。
これらの複雑な法源の階層性、独自の司法構造、そしてEU法がもたらす実務上の影響を正確に把握することは、スペインでの事業展開における予見可能性を高め、法的リスクを管理する上で極めて重要です。
カテゴリー: IT・ベンチャーの企業法務