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法律記事MONOLITH LAW MAGAZINE

IT・ベンチャーの企業法務

インド共和国の法律の全体像とその概要を弁護士が解説

近年、世界最大の人口大国となり、名目GDPでも世界第5位の規模を誇るなど、目覚ましい経済成長を続けるインド共和国(以下「インド」)。「グローバル・サウス」のリーダーとして国際政治における存在感を高める一方で、豊富なIT人材や巨大な消費市場を求めて、日本企業による進出や投資が加速しています。しかし、インドでのビジネス展開において最大の障壁の一つとなるのが、日本とは大きく異なる複雑かつ重層的な法制度です。インドの法体系は、英国統治時代のコモン・ロー(英米法)を基礎としつつ、独立後の独自の発展や、宗教・慣習に基づく人的法の適用、さらには連邦制による中央法と州法の交錯など、極めて多様な要素を含んでいます。

日本の経営者や法務担当者がインドの法務に直面した際、まず戸惑うのが、成文法を重視する日本の「大陸法(シビル・ロー)」的感覚とのギャップです。インドでは、判例法が極めて重要な法源となるほか、契約における約因(Consideration)の必要性や、司法の積極的な介入(司法審査)など、日本法とは異なる法的思考が求められます。加えて、2025年に施行された労働法コードや、デジタル個人データ保護法、AI規制法案など、最新の法改正はビジネス環境を劇的に変化させており、常に最新の情報をアップデートし続けることが不可欠です。

本記事では、インドの法制度の全体像から、会社法、労働法、契約法、デジタル法、広告規制、そして紛争解決に至るまで、主要な法分野を網羅的に、かつ日本法との比較の視点を交えて解説します。

この記事の目次

インドの法体系と司法制度の構造

コモン・ローとシビル・ローの対比

日本の法制度は、明治維新期にドイツ法やフランス法を範として整備された「シビル・ロー(大陸法)」の系統に属します。シビル・ローの特徴は、国会が制定した成文法(コード)が法の主要な源泉であり、裁判所は条文を解釈して適用することを主たる役割とする点にあります。

これに対し、インドの法制度は、英国植民地時代に導入された「コモン・ロー(英米法)」を基礎としています。コモン・ロー体系における最大の特徴は、「判例法(Case Law)」の拘束力です。インドでは、過去の裁判所の判決(先例)が将来の事件を拘束する「先例拘束性の原理(Stare Decisis)」が採用されています。

連邦制と法の重層構造

日本は単一国家であり、全国一律の法律が適用されますが、インドは「連邦制」を採用しています。憲法(Constitution of India)により、立法権限は「連邦リスト(Union List)」「州リスト(State List)」「コンカレント・リスト(Concurrent List)」の3つに明確に区分されています。

ビジネスに関連する会社法や保険法、知的財産法などは連邦法として全国一律に適用されますが、土地関連法や労働法の一部、警察権などは州の権限に属するため、進出先の州によって規制内容が異なる場合があります。特にコンカレント・リストに含まれる事項については、連邦法が存在していても、州が大統領の同意を得て独自の修正を行っている場合があるため、現地のローカル・ルールの確認が不可欠です。

連邦制による立法の多層性

インドは28の州と8つの連邦直轄領からなる連邦制国家であり、憲法によって立法権限が「連邦リスト」「州リスト」「コンカレント(共通)リスト」の3つに区分されています。

  • 連邦リスト:会社法、外資規制(FEMA)、所得税、知的財産権、銀行、IT法など。
  • 州リスト:警察、公衆衛生、土地利用、酒類規制など。
  • コンカレント・リスト:労働法、契約法、刑事法など。連邦法と州法が重なるため、進出先の州によって独自の修正条項がある点に注意が必要です。

司法構造と紛争解決

司法制度は、最高裁判所を頂点とし、各州の高等裁判所、地方裁判所と続くピラミッド構造です。 特筆すべきは、ビジネス紛争の迅速化を目的とした商業裁判所(Commercial Courts)の設置です。一定額(原則30万ルピー以上)の商業紛争は、専門の審理プロセスや厳しいタイムラインの下で処理されます。また、会社法関連の紛争を一手に引き受ける「国立会社法審判所(NCLT)」は、企業の合併・買収や倒産手続き(IBC)において極めて強力な権限を有しています。

インドの民法・契約法

民法・契約法

ビジネス取引の根幹をなす契約法制において、インドの「1872年契約法(Indian Contract Act, 1872)」は、日本民法とは異なるいくつかの重要な原則を採用しています。

約因(Consideration)の必要性

コモン・ローに基づく契約法の最も顕著な特徴は、「約因(Consideration)」の概念です。日本法では、贈与契約のように当事者の一方のみが義務を負う契約も合意のみで成立しますが、インド法では、契約が法的拘束力を持つためには「何かに対する対価(Quid Pro Quo)」、すなわち双方が何らかの価値(金銭、物品、作為、不作為など)を提供し合うことが必要とされます。

したがって、約因を欠く合意は原則として無効となります。実務上は、契約書において「相互の約束およびその他の良きかつ有効な約因を対価として」といった文言を記載し、約因の存在を明示することが一般的です。

損害賠償と違約罰(Penalty)

契約違反時の救済手段として、日本法では「損害賠償額の予定」と「違約罰」の双方が認められ、特約がない限り損害賠償額の予定と推定されますが、インド法においては、両者の取り扱いに大きな違いがあります。

インド法では、契約違反によって生じると予想される損害の合理的見積もり(Liquidated Damages)は有効ですが、相手方を威嚇して契約履行を強制することを目的とした、実際の損害とかけ離れた懲罰的な金額(Penalty)の定めは無効とされる可能性が高いです。裁判所は、契約書に定められた金額が合理的かどうかを審査し、実際の損害額を超えない範囲でのみ賠償を命じる権限を持っています。

免責条項と補償(Indemnity)

インド契約法第124条は「補償契約(Contract of Indemnity)」を定義していますが、その範囲は「約束者自身または第三者の行為によって生じた損失」に限定されており、自然災害や偶発的な事故による損失は文言上含まれない解釈が可能です。

しかし、実務上の契約では、より広範なコモン・ロー上の補償法理や当事者の合意に基づき、包括的な補償条項が設けられることが一般的です。

インドにおける不動産関連の法制度

「リース」と「ライセンス」の違い

インドにおける不動産取引は、権利関係の複雑さや州ごとの規制の違いから、極めてリスクの高い分野の一つです。

不動産の利用形態として、日本では「賃貸借契約」が一般的ですが、インドでは「リース(Lease)」と「ライセンス(License)」という2つの概念を明確に区別して使い分けます。

  • リース (Lease):財産移転法(Transfer of Property Act, 1882)に基づき、不動産に対する「権利(Interest)」の移転を伴うものです。借主には排他的な占有権が認められ、強力な権利となりますが、登録義務や高額な印紙税が発生します。
  • ライセンス (License):イーズメント法(Indian Easements Act, 1882)に基づき、不動産を使用する「許可」を与えるに過ぎず、不動産に対する権利の移転は伴いません。手続きが簡易でコストが低いため、オフィスの利用や駐在員の住居などでは、11ヶ月ごとの「使用許諾契約」が実務上広く利用されています。

不動産(規制・開発)法(RERA)

不動産開発における透明性を高めるために2016年に施行されたのが「不動産(規制・開発)法(RERA)」です。 この法律は、商業用および住宅用の不動産プロジェクトについて、各州のRERA当局への登録を義務付けています。開発業者は、プロジェクトから得た資金の70%を専用のエスクロー口座に預託し、工事費用と土地代金以外には流用できないように規制されています。対象プロジェクトがRERAに登録されているかを確認することは、日本企業の必須のデューデリジェンス事項です。

インドの会社法とコーポレート・ガバナンス

インドにおける会社設立

日本企業がインドで法人を設立する場合、最も一般的なのは非公開会社 (Private Limited Company)です。大規模な資金調達や上場を視野に入れる場合には公開会社 (Public Limited Company)が選択されることもありますが、その場合、株主数が最低7名必要となります。非公開会社の場合、設立プロセスは大まかに以下のような流れとなります。

  1. 商号予約:会社登記局(ROC)へ商号の承認申請を行う。
  2. 定款作成:基本定款(MOA)と附属定款(AOA)を作成する。
  3. 登記申請:統合フォーム(SPICe+)を使用し、会社設立、PAN(納税者番号)、TAN(源泉徴収番号)等を一括申請する。
  4. 設立証明書 (COI) 取得:審査完了後、デジタル形式で発行される。
  5. 事業開始届:銀行口座開設と資本金送金後、事業開始の申告を行う。

このように、インドでの会社設立は手続きのデジタル化(SPICe+フォーム等)が進んでいますが、後述する居住取締役の確保や外資規制(FEMA)に基づく報告義務など、独自の要件への注意が不可欠です。

居住取締役(Resident Director)の要件

2013年会社法第149条(3)は、すべての会社に対し、「前暦年において合計182日以上インドに滞在した取締役」を少なくとも1名選任することを義務付けています。 これは、設立初年度から適用され、外資系企業にとっては、日本人駐在員を常駐させるか、あるいは信頼できる現地パートナーを取締役に選任する必要があることを意味します。

企業の社会的責任(CSR)の法定義務

インド会社法の最大の特徴であり、世界でも珍しい規定が、CSR活動の法定義務化です。純資産や売上高、純利益が一定基準を満たす会社は、直近3会計年度の平均純利益の少なくとも2%を、教育や環境保護などの活動に支出しなければなりません。 日本においてCSRは企業の自主的な取り組みとされていますが、インドでは明確な法的義務です。未達の場合は、取締役会報告書でその理由を開示しなければならず、違反した場合は罰金刑の対象となります。

取締役の義務とビジネス・ジャッジメント・ルール

会社法第166条は、取締役の誠実義務や注意義務を明文化しています。「経営判断の原則(Business Judgment Rule)」、すなわち、取締役が十分な情報を収集し、誠実かつ善意で経営判断を行った場合には責任を問われないという法理は、インドでも解釈上認められる傾向にあります。 しかし、近年は取締役の法的責任を問うケースが増加しており、日本企業から派遣される取締役に対しては、D&O保険(役員賠償責任保険)の付保が強く推奨されます。

インドにおける外資規制と企業買収(M&A)

外資規制と企業買収(M&A)

インドへの投資は、原則自由化が進んでいますが、特定の条件下では厳格な規制が存在します。

FDI政策とプレスノート3(2020年)

2020年に導入された「プレスノート3」により、「インドと陸上の国境を接する国(中国など)」の事業体、またはそれらの国の国民が「実質的受益者」である場合、すべてのセクターにおいて政府の事前承認が必須となりました。 これは、日本企業であっても、その株主構成の中に中国企業が含まれている場合などに、規制の対象となるリスクからディールが長期化する要因となり得ます。

企業結合規制とNCLTプロセス

合併(Merger)を行う場合、日本の会社法のような当事者間の契約と登記だけでは完了せず、会社法審判所(NCLT)の承認プロセスを経る必要があります。このプロセスでは債権者集会の開催や規制当局からの意見聴取などが行われるため、完了までに通常8〜12ヶ月程度を要します。

インドにおける労働法制の抜本的改革:4つの労働コード

インドの労働法は長らく、古い法律が複雑に交錯していましたが、政府はこれを統合し、2025年11月21日をもって以下の「4つの労働コード」を正式に施行しました。

  1. 賃金コード
  2. 労使関係コード
  3. 社会保障コード
  4. 労働安全衛生・労働条件コード

これにより、賃金の定義が統一され、手当が給与総額の50%を超えてはならないという「50%ルール」が導入されました。超過分は基本給とみなされるため、社会保険料等の負担増につながる可能性があります。また、解雇規制に関しては、事前許可が必要な閾値が従業員300人以上に引き上げられるなどの緩和も見られます。

インドの金融・フィンテック分野のライセンスと規制

インドの金融セクター、特にフィンテック分野はインド準備銀行(RBI)の極めて厳格な監督下にあります。2025年現在、ライセンスなしでの金融サービス提供は重大な違法行為となります。

決済アグリゲーター(PA)ライセンス

オンライン決済の仲介を行う事業者は、決済アグリゲーター(Payment Aggregator)の認可が必須です。

  • 資本要件:申請時に1.5億ルピー、認可から3年以内に2.5億ルピーの純資産(Net Worth)を維持する必要があります。
  • 資金管理:顧客から預かった資金は、専用のエスクロー口座(Escrow Account)で管理し、自社の事業資金と完全に分別しなければなりません。
  • データ・ローカライゼーション:決済に関連する全データはインド内に保存することが義務付けられています。

非銀行金融会社(NBFC)とアカウント・アグリゲーター

融資や投資を行う場合、銀行でなくとも「非銀行金融会社(NBFC)」としての登録が必要です。

  • 資本要件:原則として1億ルピーの純資産(NOF)が必要ですが、特定のカテゴリーでは緩和されます。
  • アカウント・アグリゲーター(NBFC-AA):ユーザーの同意に基づき、複数の金融機関からデータを集約して共有する「アカウント・アグリゲーター」は、2,000万ルピーのNOFでライセンス申請が可能です。これは、オープンバンキングの基盤となるライセンスです。

デジタルレンディング・ガイドライン 2025

RBIは、2025年に「デジタルレンディングに関する業務指針」を更新しました。融資アプリ(DLA)を運営する事業者は、提携するNBFCや銀行(Regulated Entities)の代理人(Lending Service Provider:LSP)として、厳格なコンプライアンスが求められます。特に、貸付実行や回収の資金は必ず顧客と金融機関の間で直接行われ、中間のLSPの口座を経由することは禁止されています。

仮想デジタル資産(VDA/暗号資産)の規制と税制

インドではビットコイン等の暗号資産を「仮想デジタル資産(VDA)」として定義し、厳しい税制を敷いています。

  • 譲渡益課税:2025年現在、一律30%の分離課税が適用され、他の所得や損失との相殺は認められません。
  • 源泉徴収(TDS):取引額の1%が源泉徴収されます。
  • FIU登録:国内外を問わず、インドの居住者にサービスを提供するVDA交換所は、金融情報ユニット(FIU-IND)への登録と、マネーロンダリング防止法(PMLA)の遵守が必須です。実際にBinanceやBybitなどの大手取引所も、未登録営業により多額の罰金を科されています。

インドにおけるIT・デジタル・AI関連の法制度

インドは、従来のIT法を刷新し、AIやデータ保護を重視する新たな法的枠組みを構築しています。

2023年デジタル個人データ保護法(DPDPA)

インド初の包括的なデータ保護法であり、GDPR(欧州一般データ保護規則)に近い厳格さを持ちます。

  • 同意の原則:個人データの処理には「明示的かつ特定の同意」が必要です。
  • データ受託者(Data Fiduciary):データを管理する企業は、データ主体(Data Principal)に対する重い説明責任と保護義務を負います。違反時の罰則は最大25億ルピーに達する可能性があります。

2025年AI倫理・責任法案とガバナンス

AI分野では、法案の提出と並行して「インドAIガバナンス・ガイドライン」が公表されました。

  • 透明性と説明責任:AIを用いたディープフェイクやアルゴリズムによる偏見(バイアス)を防ぐため、AI生成コンテンツには「10%の視覚的マーキング」やメタデータの埋め込みが義務付けられる方向にあります。
  • 責任の所在:AIによる損害が発生した場合、開発者、導入者、ユーザーの役割に応じた「段階的な責任体系(Graded Liability)」が検討されています。
  • AI倫理委員会:監視や機密性の高い決定にAIを用いる場合、設置が予定される「AI倫理委員会」の事前承認が必要となる可能性があります。

OSP(Other Service Provider)規制の自由化

IT・BPO(ビジネス・プロセス・アウトソーシング)企業にとって重要なのが「OSP規制」の大幅な緩和です。かつてはコールセンターやBPOセンターごとにドット(DoT:通信局)への登録と銀行保証が必要でしたが、現在はこれらが撤廃され、「どこでも勤務(Work from Anywhere)」が全面的に認められています。これにより、インドをグローバルなハブとする拠点運営のコストが劇的に低下しました。

オンラインゲームに関する新たな強行法規

2025年10月1日、「オンラインゲーム促進・規制法」が施行されました。これは、従来「スキルのゲーム」として許容されていた分野に決定的な打撃を与える内容です。

  • リアルマネー・ゲームの原則禁止:賭け金を伴うオンラインゲーム(ファンタジー・スポーツ、ポーカー、ラミー等)は、インド内での提供、広告、送金処理が全面的に禁止されました。
  • eスポーツの振興:一方で、純粋な競技としてのeスポーツや教育的ゲームは「政府が支援する健全な娯楽」として明確に区別されています。
  • 厳格な罰則:無認可で賭博性のあるゲームを提供した場合、最大3年の禁錮刑と1億ルピーの罰金が科されます。

まとめ

インド(インド)の法制度は、2025年の労働法コード施行やIT・AI分野の新設法、そして金融・決済分野のRBIによる緻密な監督により、透明性と厳格さが同時に高まる新たなフェーズに入りました。かつての「手続きの遅延と不透明さ」は、デジタル化(Digital India)やNCLT等の専門審判所の設置によって改善傾向にありますが、一方で金融ライセンスの資本要件やデータ・ローカライゼーション、さらにはオンラインゲームへの急進的な規制に見られるように、当局の監督権限は極めて強力です。

日本企業がインドでの事業を円滑に行うためには、これらの法的枠組みを「障壁」として捉えるのではなく、適切なライセンス取得とコンプライアンス体制の構築を通じて、競合他社に対する「信頼の裏付け」として活用していく視点が重要です。

弁護士 河瀬 季

モノリス法律事務所 代表弁護士。元ITエンジニア。IT企業経営の経験を経て、東証プライム上場企業からシードステージのベンチャーまで、100社以上の顧問弁護士、監査役等を務め、IT・ベンチャー・インターネット・YouTube法務などを中心に手がける。

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